リアクション
第19話 譲れない想い
己の心すら、とてもとても遠くて。
「此処は……死後の世界、でしょうか……?」
ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)は、周囲を見渡して思う。
覚醒し、レウに存在を明け渡してしまったことを憶えている。
「死にたがりが多いわねえ」
くすくすと、笑い含みの、聞き覚えのある声。
「ジュデッカさん?」
「あら、何処かで会ったかしら」
ジュデッカは、ソアとの面識を憶えていなかった。
世界樹の根元に腰掛けてだらだらしていたジュデッカは、求められるまま、ソアに状況の説明をしてやった。
「狭間の世界……そういうことですか」
レウは死の間際、とても悔いていた。やり直したいと思っていた。けれどその機会は永遠に来ない。
この場所は、違う。
今、自分はソアとして、この世界で大切な居場所と仲間がいる。
モクシャは、終わってしまった世界なのだ。
それは、モクシャを無にするということではない。
かつての喜びや悲しみ、大切な思いは、全て自分達が忘れずに継いで行く。
「大層な心意気だけど」
呆れたように、ジュデッカは笑った。
「え?」
「あんた達、死んだのよ。
今は亡霊みたいに漂ってるけど、その内消えるわ。それともそのまま亡霊になるのかしら?
イデアを殺せぱ何とかなると思ってるらしいけど、本当にそれで生き返れるのかしら」
「まだ、完全に死んだわけじゃありません。
私はまだ、生きているつもりです」
「おめでたい頭ね」
ジュデッカは肩を竦めた。
イデアは必ず止めなくてはいけない。そう思う気持ちに揺らぎはない。
「でも、イデアも元の世界に還りたいという一心だったんですね……」
そう思うと、ソアは何だか切ない気持ちになった。
この樹を、ヴィシニアの記憶の中で視たことがある、と、白砂 司(しらすな・つかさ)は思い出していた。
けれど、あの光景とは違う。
そして記憶の中のあの光景も、本来のこの大樹のものではなかったはずだ。
世界樹の根元の洞から内部に入ると、中は迷宮のようになっていた。
びっしりと太い根が張り、その隙間を抜けて進む。
足元が平らになっているところは殆ど無かった。
「面倒くせえなあ。燃やして道を作れねえのか?」
柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)がぼやく。
「試してみましょうか?」
オデット・オディール(おでっと・おでぃーる)が、炎の聖霊を呼び出す。
「わーっ!
だからって何つう魔法を! 火術くらいでいいんだっ」
「大は小を兼ねるかと……」
とにかく、魔法を撃っても、根を燃やすことはできなかった。葉すら燃えない。
「地道に進むしかありませんね」
分かれ道のようになっている所も多い。ところどころで手分けして進んで行く。
「それにしても、ホント面倒なことになったなあ。
前世とか大して信じてなかったから無視してたんだが、まさかマジだったとは……」
こんな世界に来てしまっては、もう信じないわけにはいかない。
個人的な意見を言えば、恭也は、この世界を滅ぼし、前世の世界を甦らせようとしているイデアの行為を別に悪いこととは思っていない。
何かが世界を犠牲にするのが許されないことだとは思わないからだ。
犠牲になりたくなければ、精一杯足掻けばいい。だから足掻く。
「奴を肯定するからこそ、ぶっ飛ばす。
そうすりゃこれ以上、事態は悪くならねえ筈だ」
イデアが見付からない。
迷宮のような世界樹地下を彷徨いながら、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は苛つく。
気配を感じて立ち止まると、低い根を潜り抜けて、白砂司が現れた。
セレンフィリティは顔をしかめる。
「……あなたも、イデアのところへ?」
「ああ。奴を止めないとな」
言った瞬間、司はびくりと何かを感じた。
そこへ真空波が飛んできて、慌てて躱す。
「何だ!?」
「じゃあ、あたしの敵よね!」
「お前、イデアの味方なのか!?」
「味方!? 味方ですって! そんなわけない! イデアは殺すわ、わたしが殺す!
でもそれは、あいつがモクシャを手に入れてからよ!」
狂気に侵された、凄惨な笑みに、司は眉をひそめた。
今のセレンフィリティにとって、パラミタを存続させようとする者は、許しがたい敵だった。
ミフォリーザの狂気に染まってしまったセレンフィリティは、今やパラミタの滅亡を望み、モクシャの滅亡を望む意識に染まっている。
「絶望は、大きければ大きいほどいいわ。
モクシャを復活させて、現世が滅びて、そしてイデアを殺してやる……!」
どつ、と衝撃を感じて、セレンフィリティは意識を失った。
「……隙だらけだ」
本職ではないが、パートナーに仕込まれた体術が役に立ったな、と司は呟く。
「前世の人格に引きずられ過ぎているのか……。俺では治せないな」
最終手段として、ルーナサズの選帝神に記憶を封じてもらうことも出来るらしいが、それよりも先に、この世界から帰れるかどうかだろう。
「このまま死ぬことになるなら、関係ないか。
いや、こんなことを考えるべきじゃないな」
とりあえず、セレンフィリティを肩に担ぐ。来た道を戻った。
「大丈夫ですか」
水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は、テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェンの声に目を覚ます。
傷が酷く痛んだが、癒しの魔法をかけられている感覚がした。
世界樹の根の、迷路のような地下で、テレジアは負傷者を見つけると、回復を施して行く。
「……よかった、効きますね」
今の自分達は零体のようなもので、回復魔法が効くのかどうか不安だったが、傷付けることができるということは、その逆もできるのだろう。
とにかく、できるだけのことをする。
「……もう一人の私も、何処かで今も戦っているはず……。
私が諦める訳にはいきません」
「……私は……」
ゆかりは絶望的な思いで目を伏せた。
自分は、イデアに敵わなかった。こうして惨めに打ち捨てられて、助けられて。
ルーナサズでイデアに衝撃の事実を聞いた後、ゆかりは泣いた。
死ぬまで泣くことの出来なかったアレサリィーシュの代わりに、泣いて泣いて……気が付いたら覚醒し、此処にいた。
深い絶望の中で、それでも、イデアに挑まなくてはと思った。
そうすることでしか、彼女の生を肯定する方法が無い。
アレサリィーシュの無念を、そのままにはしておけなかった。なのに。
「諦めては、駄目です」
テレジアは、そっとゆかりの手を握った。
「目を閉じて、もう一度開いて。
きっと見えます。その人を救う、別の方法が、きっと」
「そう……でしょうか」
「探しましょう。
大丈夫、あなたはその人を救えます」
テレジアは微笑む。
絶対に大丈夫、そう信じさせるように。
◇ ◇ ◇
広い回廊のような場所に出た。
「此処は……。本来の通路、という感じでしょうか」
フランチェスカ・ラグーザが、歩きやすくなったことにほっとしながら呟く。
「あー、地面が平らだわ」
パピリオ・マグダレーナが靴を履きなおした。
「此処を見つけるとは。
しかし、この奥には進まないで貰おうか」
声にはっとして振り返ると、奥からイデアが歩いて来る。
「この奥は、王の為の場所。君等が行っていいところじゃない」
「あなたならいいとでもいうのですか? 笑わせないでくださいます」
フランチェスカはイデアに笑った。
「まさかこんなところでお会いすることになるとは思いませんでしたわ。
何を企んでいるかは知りませんが、ここで終わりにしましょう」
「何処かで会ったかな」
イデアは肩を竦める。
「わたくしのことは憶えていらして?」
ヨルディア・スカーレットがイデアを睨んだ。
「よくも騙してくださいましたわね。
前世姿のナイスバディーになれるとおっしゃいましたのに!」
イデアはおかしそうにくくくと笑う。
「成程……」
此処にいるイデアは、現世に存在しているイデアとの記憶の共有は無い様子だが、ヨルディアの言葉で大体のことは察したようだ。
目覚めてからここに至るまでに、彼の方でも、自らが備えている能力や現状などを把握してきているようだった。
「元の世界には、君の代わりに君の望む姿の者が存在しているだろう。
何、今の君は残像のようなもの。もうじき消えれば、あちらが本物だ」
「甦る方法を教えてくださいます?」
「知らないな。あるとは思えないが」
「そんな無責任なこと、許されません。乙女の心を弄んだ罪は重いのよ!」
先手必勝。
フランチェスカがエンドゲームを発動した。
しかし同時に、イデアも闇を纏った氷の魔法をフランチェスカ達に放つ。
イデアはフランチェスカの魔法攻撃を受けたが、またイデアの強力な魔法に、パピリオが受けた負傷も大きかった。
だが、パピリオはきっ、と高峰
雫澄を見る。
「ニンゲン、ぱぴちゃんが『イナンナの加護』かけたげるわ。
アンタはアイツに突っ込みなさいっ」
雫澄の波動が、剣の形を成す。雫澄はイデアに特攻した。
長剣での一撃の後、雫澄の武器がハルバードに変化した。
間合いの外に逃げようとしたイデアの足を、パピリオの氷術が狙う。
「終わりだ、イデアァ! その理想、僕が……僕達が終わらせる!!」
躱しきれず、イデアの身を槍の穂先が貫いた。
どん、と突き飛ばされて、雫澄は後退した。
貫く刃が抜かれ、イデアは傷口を押さえる。
「無駄だ、君等に俺は倒せない」
負傷しながらも、イデアは堪えた様子もなく笑った。
「もう一度ですわ!」
フランチェスカが、ワンモアタイムを放つ。
「!?」
雫澄から受けた攻撃が繰り返される。
イデアは一瞬顔をしかめるも、しかしそれは、決定打にはならなかった。
「――君等に、永続の悪夢を」
雫澄達は、突然現れた闇に覆われる。
「ぐっ……!」
肉体的なダメージと同時に、頭の中に何かが入り込むような不快感に、雫澄は顔をしかめた。
「くそ、また、かっ……」
耐えようと踏ん張ったところで、闇の中から伸びてきた手に、ぐいっと引っ張られる。
突然足元の地面が消滅し、パピリオやヨルディア共々、何処かへ落下した。
「君は、堪えたか」
悪夢の闇を振り切ったフランチェスカは、雫澄達がいなくなっているのを見て、
「皆さんをどうしましたの」
と訊ねる。
「深淵へ落とした。二度と這い上がれないだろう」
直後、フランチェスカの放ったショックウェーブを避けようともせず、イデアは彼女の眼前に走り、その額に手をあてる。
「しまっ……」
フランチェスカの体が石化した。
「この回廊は、封じておく必要があるか……」
イデアは回廊の先を見て呟くと、その奥へ戻って行く。