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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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 屋敷に落ち着くひまもなく玄関をノックされて、サク・ヤはまたもや訪問客に対応していた。
 ドアを開けた直後、そこに見た顔にサク・ヤは驚く。
「あら」
「サク・ヤさん、おひさしぶりです」
 ナ・ムチとサク・ヤは互いを知っていたが、数回同じ場に互いの太守と同席していたというだけで、ほとんど口をきいたことはなかった。
 ひととおりあいさつをし、太守の具合などを話して手短に情報を交換しあったあと、ナ・ムチは本題に入った。ツク・ヨ・ミがこの島へ来た目的はエン・ヤの持つヒボコノカガミしか考えられない。
 ツク・ヨ・ミの特徴を聞いた当初、サク・ヤはそれらしい人物が分からなかったが、すぐに「もしかして」と思い当たった。
「そういえばさっき訪ねてきたあの子、ヒノ・コと口にしていたわ。おじいちゃん、とか」
「彼女はどこに行くか言っていましたか?」
「採掘場の場所がどこか訊かれたわ」
「分かりました。行ってみます。ご協力に感謝します」
 頭を下げて感謝を伝えると、ナ・ムチたちは立ち去る。ドアを閉めようとして、サク・ヤはドア影に残っている3人に気づいた。
「あなたたちは?」
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)といいます。ナ・ムチさんの知り合いの地上人です」


 太守エン・ヤに会いたいと言う彼らを家に上げたのは、面会できない理由を説明したあと、彼らが「治療できるかもしれない」と口にしたからかもしれなかった。
 寝たきりになってほぼ10年。あらゆるつてを頼って、少しでも効果があるらしい物はすべて試した。しかしそのすべてが無駄で、エン・ヤが良くなることはなかった。
 いや、無駄ではなかったのかもしれない。いつ亡くなってもおかしくないという状態で、10年もっているのだから。
 しかしついにエン・ヤも力尽きたか、回復の兆候が見られないまま、ここ5年でさらに病状は悪化した。1日のほとんどを眠ってすごし、目を覚ましていてもサク・ヤであることも判別できないありさまだった。
 だから、地上から来たという彼らだったら、もしかしたら何か、浮遊島にはない画期的な手段を持っているのかもしれないと、祈るような思いだったのだ。
「こちらをお使いください」
 家政婦のス・セリに通された部屋で3人になったとたん、玄秀は表の顔をやめて愛想笑いを消す。
「シュウ、ツク・ヨ・ミを追っていたのではないの?」
「追わずとも彼女はまたここへ来る。神器が必要らしいからな」
 玄秀は昨日、あのキーをナ・ムチに渡す前にサイコメトリをかけていた。その映像のなかで、キーを手にしたヒノ・コらしき男が下寿と思われる老婦人を相手に話をしていた。
『見て。ようやくできたよ。システムに同期させての起動試験もクリアした。ただ、試験に使用したのは機晶石で、これが起動させるのは神器だから、試験どおりにいくかは未知だけどねぇ。こればっかりはぶっつけ本番になるのはしかたないかな』
 神器とやらが何かについては、調べればすぐに判明した。初代国家神アマテラスが身につけていたとされるアイテムだ。それを用いてアマテラスはオオワタツミを封じたと伝承にある。
 つまりは神器には雲海の魔物の首魁オオワタツミを封じる力があり、ヒノ・コはその力を用いて何かをしようとしているのだろう。
「ナ・ムチたちが捕えるのであればそれもよし。手間がはぶける。その間に、こちらはこちらでできることをするさ」
 そこでふと、思い出した。
 サイコメトリのなかの映像で、1人になったヒノ・コはこうもつぶやいていた。
『……もしわたしの想像どおりなら……ヨモツヒラサカを下りなくてはいけないだろうねぇ』
「広目天王」
「なんでしょうか、主」
 無表情に軟体パンダをぷにぷにしていた式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)がその手を止め、振り返る。
「ヨモツヒラサカという言葉に覚えはあるか?」
 ヨモツヒラサカは黄泉平坂と書く。地球では黄泉の世界へ通じる道を意味し、そこを下りることは生者が死者の国へ行くことを言う。パラミタで言うならばナラカがこれに相当すると見当をつけての質問だったが、広目天王は首を振った。
「存じ上げません」
「そうか。とすると、その名称がついた場所がどこかの島にあるのかもしれないな。あとでナ・ムチかここの者に訊いてみよう」
「私が調べてまいりましょうか」
「いや、いい。おまえはここで邪魔が入らないか見張っていてくれ」
 昨日のことがある。またはき違えたコントラクターに要らぬ横槍を入れられるのも面倒だ。
「分かりました」
 広目天王は部屋を出て行く玄秀に恭しく頭を下げると、再び軟体パンダをつつくことに戻った。
「ティアは太守の元で彼の世話をしろ。看護しているように見えればそれでいい」
 玄関へ向かって廊下を歩きながらティアン・メイ(てぃあん・めい)に指示を出す。
「ええ。それはかまわないけれど、あなたはどこへ?」
「心配するな。声の届く範囲にいる」
 ちらとも自分を見ないで速足で歩いて行く玄秀の姿に、ティアンは彼が苛立っているのを感じた。
(あんなことを言ったから……怒っているのかしら……)
 ここへ来る道中、ティアンは何度もためらった末、ナ・ムチと話している玄秀に向け、こう進言をした。
『……復讐を否定はしないわ。恨みを晴らすことで少しでも前を向けるというのなら、それは1つの有効な手段となるでしょう。でも、だからといっていつまでも過去にとらわれていたら、決して幸せにはならないのよ。あなたは恨みを晴らすために強くなったけれど……その先に何があるの。
 今のあなたは幸せなの? そうしてあなたが手を貸して来た人は、幸せになったの?』
 それは必ずしも玄秀のみに向けて口にした言葉ではなかった。
 しかしナ・ムチはそれまでと変わらず無表情で、玄秀もまた、いくら待っても何も返さなかったが……。
(やっぱり、怒っているのね)
「私は、ただ……」
 あなたに幸せになってほしいだけなのよ。
 しかしその言葉はどうしても喉から先に上がってくれず。あきらめて飲み込むと、ティアンはそっと玄秀の背中から視線をそらし、ドアノブを回してエン・ヤの部屋へと消えた。
 そんなティアンの苦悩も知らず、玄秀は玄関を抜けるとすぐ行動に移る。頭のなかでは思考がフル回転していた。
 サク・ヤからエン・ヤの具合を聞いたときから、玄秀には思いあたることがないでもなかった。おそらく間違いないだろう、しかし確証がない。
 そんな不確かな状態で口にするのは憚られるが、これが成功すればエン・ヤは回復する。10年寝付いていたわけだから今日劇的にというわけにはいかないだろうが……その際に、ティアンが面倒を見ていたということがいい名目になるだろう。
(ひっかかる点は、5年前からさらに悪化したということだが……何があった?)
 黙々と屋敷の周囲に結界を張りながら、玄秀はそれについて考察する。
(もし僕の想像どおりなら、これは――)
 そのとき視界の隅に動く影が現れて、玄秀は思考を中断した。
「ふん。やはりか」
 遠くでゆらゆらと揺れる、ぼんやりとした人影に目を凝らす。それは霧、あるいは浮塵子(うんか)の群集のように見えた。おぼろな輪郭から黒い塵のようなものを周囲に散らしながらふらふらと頼りない足取りでこちらへ歩いてくる。
「幽鬼。疫鬼か。だがあれは――」
 玄秀が軽く放った悪霊退散で、たわいもなく影は散った。
 あれは残滓だ。まさしく影。この「場」に焼きついた残像のようなもの。
「弱った人間をじわじわ殺すにはあれでも十分だろうが……」
 しかしそもそもは強力な呪詛だったはずだ。道ができ、ああして残像が焼きつくほどに。
 太守もその娘も普通の人間だ。疫鬼から何年も逃れられていたのは、ここに彼を守る存在があったからだ。完全に祓えないまでも、それは疫鬼を弱めていた。
 そのバランスが崩れたのが5年前。
 太守を守っていた存在は消滅したか、その力を発揮できなくなったか、とにかくこの屋敷から消えた。だがそれなら直後、疫鬼が猛威をふるい、太守は死亡していたはずだった。そうはならなかったのは、疫鬼自身もまた、同じ状態になっていたからだ。
 5年前、あの疫鬼は役目を果たし終えていた。
「――ああ、やはりな。ここに来たのはまったくの無駄足だったというわけだ」
 それどころか、あの疫鬼の主はわざとこれを残していたのかもしれない。エン・ヤを目くらましのおとりに利用したのだ。
 そうしているうち、またも次の疫鬼が現れたが、もう祓う気は起きなかった。わざわざ散らさずとも、あの程度の残像など結界内には入れない。
 イライラときびすを返す。
 手を読まれ、行く先々で頭を押さえ込まれているような感じがして、面白くなかった。
 目論見どおり太守は回復するだろう。この屋敷の者にはそれはティアンの治療による成果と映り、恩を売れたに違いない。
 しかしカラクリの読めた今では、それは玄秀にとり、ほとんど意味をなさないものとなっていた。




 だれかが玄関をノックした。
「あら? また訪問者?」
 先日の崩落事件でけがをした者たちを見舞いに行こうとス・セリとともに準備をしていたサク・ヤは、忘れないよう書いてあったメモから目を上げる。
「今日はなんだかあわただしいわね」
「わたしが出ましょうか?」
 テーブルを離れたサク・ヤにス・セリが荷造りの手を止めて言ったが、サク・ヤは首を振った。
「あなたは準備を続けていて。たぶん、わたしに用があるんだと思うわ」
 廊下を抜けて玄関を開く。
「はい、どなた?」
 そこにいたのは3人の女性――もとい、2人の女性と1人の女装者だった。
 今日も今日とてヒミツの補正下着とフェイクバストをつけて偽女医希新 閻魔に変装した新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は、燕馬のときではあり得ないにこやかな営業スマイルでにっこり笑って名乗る。
「通りすがりの闇医者ですが、決してあやしい者ではありません」
「え?」
 少しの間。
「……ふう。だれもツッコミがいない……」
 視線をそらし、ぼそっとつぶやく。
「あらん、突っ込んでほしかったの? 閻魔ちゃん」
 にこにこ。後ろでやはり愛想スマイルをサク・ヤに向けていたローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)が聞きつけて、やはり小声で訊き返した。
 ちなみにもう1人の連れのサツキ・シャルフリヒター(さつき・しゃるふりひたー)は最後尾についているため、まったく聞こえていない。
「あらためて。
 はじめまして、シャンバラで医者をしている希新 閻魔と申します。後ろの2人は私の連れのローザとサツキといいまして、どちらも助手の看護師です」
「あ、はい。弐ノ島太守代理のサク・ヤです。はじめまして。
 それで、どういったご用件でしょうか」
 頭を下げてくる3人に合わせて、サク・ヤも会釈を返す。
 閻魔は淡々と説明をした。
「先日、こちらで大規模な落盤事故が起きて、大勢の方がけがをされたと聞きました。私も医学に携わる端くれとして、診させていただきたいと思いまして、まずこちらの島の太守にご許可をいただきにまいりました」
「まあ、そうでしたか。
 ちょうどわたしも彼らを訪問するところでした。よければご一緒しましょう」
 それは閻魔にとっても渡りに船だった。サク・ヤが一緒であれば効率良く回れる上、患者の信用度も上がる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
 3人はサク・ヤに案内されて、島の者たちが住む村へ向かった。
 風化してボロボロになった石造りの質素な平家がぽつぽつと立ち並ぶだけの村は廃屋も目立つ。今にも崩れそうな家屋もそうだが、穴だらけのデコボコした道や半分崩れた納屋もひどかった。
(これは……壱ノ島とずい分違うな)
村のなかを歩きながら、閻魔は思う。もちろん顔には出さないが、島の村はどこもこんなふうなのかと内心その深刻さに驚いていた。
「この辺りの家屋はほとんど空き家ですから、好きに使ってください」
 いつの間にか前方で立ち止まっていたサク・ヤが、振り返ってにこやかに言う。
「あ、はい。ありがとうございます」
「それではわたしはこれで。また帰りに寄らせていただきます」
 会釈をして、サク・ヤは少し先で彼女が来るのを待っている人々の方へ歩いて行った。
「さて。どの家を拠点にしましょーかねぇ」
 んー? とローザが見回しているなか、決断の早いサツキが、頑丈そうで清潔感が一番あってマシな家屋を適当に選んでさっさとなかへ入っていく。
「うぷーぷ。埃くさーい」
「こちらは私とローザで掃除します。すぐに終わりますから、閻魔さんはとりあえず表で診療していてください」
 サツキはなかからイスとテーブルを1組引っ張り出して、適当な木陰に設置した。
「分かりました」
 閻魔がテーブルの上に閻魔印のファーストエイドキットを乗せて準備をしていると、サク・ヤから医者が来ているとの話が広まったのか、手足に汚れた包帯を巻いた者たちがぞろぞろと集まりだした。
「あのー……」
「――どうぞ座ってください。ほかの方も、全員診療しますので、順番に並んでお待ちください」
 その様子を家のなかから見て、ローザはくふふと笑う。
「燕馬ちゃんの思ったとおりになりそう――っとと」
 つい口走ってしまったことに、あわてて口元を押さえた。
(聞かれちゃったかな?)
 そう思いつつも、実は閻魔の正体が燕馬と知ってほしかったりするローザは内心期待してサツキの方を振り返ったのだが、サツキは精神感応を用いての燕馬への定時連絡に集中しており、残念ながらまったく耳に入れている様子はなかった。
「……はいはい、分かりました。お土産期待しててくださいね」
 そうつぶやいた直後、ふう、とサツキが重そうなため息をつく。
「燕馬ちゃん、何て?」
「もうしばらく彼女に付き合ってあげてほしい、と」
(まあ、そりゃーそう言わざるを得ないわよねー燕馬ちゃんとしては)
 日常で見ている分には十分楽しめそうな、面白い三角関係ができつつあるのだけれど、しかし昨日の事件といい、浮遊島で何かが起きつつあるのは確実で、それもかなりキナ臭く、大事件に発展しそうな予感をひしひしと感じているローザとしては、万一のときのためにもこの不協和音というか、かなりゴチャった面倒な関係はできれば解消しておきたいわけで。
「ねぇサツキちゃん……もうちょっとなんとかなんない? こう、年上の大人な女の対処として、サツキちゃんの方から歩み寄るとかー」
 ギリギリ、これなら燕馬の邪魔してることにはならないよね、と言葉に気を配りつつ言ったのだが。
「私は友好的にやってるつもりですが。それに、彼女は燕馬と仲良しなんですから、それで十分でしょう。
 さあさっさとすませてしまいましょう。患者はどんどん増えてきています。早く私たちも看護の仕事につかなくては」
 サツキは大真面目な顔をして、淡々と答えた。そしててきぱきと作業に移る。
「あー、うん。そうね」
(……ダメだこりゃ。
 まぁ直接的な危険はまだないから、大丈夫なのかしら……?)
 どうか間に合いますように。
 あきらめたものの、ローザはそう思わずにいられなかった。