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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望

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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望
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リアクション



●肆ノ島


「えっ……浮遊島群……ですか?」
 浮遊島群連合設立記念日の取材番組のレポーター役に決まったぞ、と事務所のマネージャーから聞いたとき、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)の口からこぼれたのはそんな言葉だった。
 浮遊島群。
 あそこには、こちらの意思と関係なくさらわれて、否応なく連れて行かれた。あげく、自分が何かしたわけでもない事件に巻き込まれ、死にそうな目にあった記憶しかない。
 そんな場所へまた行けというのか?
 さゆみは暗い表情で眉を寄せたが、大抜擢だと興奮しているマネージャーに気づいている様子はまるでなかった。
「さゆみ、大丈夫ですか?」
 退室してからもうつむいて黙り込んだままのさゆみを心配して、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が言葉をかける。
「ん? うん、大丈夫よ。仕事だものね。
 それに、たしかに今シャンバラのみんなが興味を持ってて視聴率を取れる番組になるのは間違いないし。私たち<シニフィアン・メイデン>にとってチャンスよねっ」
 笑顔で明るく言う。しかしアデリーヌにはさゆみがそうやって自分に言い聞かせているように見えた。
 気にはかかるが、そこを突っ込んでもマイナスにしかならない。なにより、さゆみ自身が前向きになろうとしているのを邪魔することになってしまうと、アデリーヌは気づかぬふりをして
「そうですね。がんばりましょう」
 とその場は返すにとどめた。
 けれど、準備の間じゅうずっと気にかかっていて。それは実際に浮遊島群へ上がってからも、アデリーヌの胸から離れなかった。
「シャンバラの皆さん、こんにちは! <シニフィアン・メイデン>のSAYUMINです!
 今日は7000年ぶりに国交が回復したということで有名な浮遊島群、その肆ノ島からお届けしています! ツアー会社によると、今旅行先として一番人気だということですが、それだけになかなか船の切符が手に入らないみたいですね。申し込んでも2カ月、3カ月待ちが普通だとか。行きたくても行けない、そんな方々のために、その魅力を少しでもテレビの前の皆さんにお伝えできたらと思います!」
 アデリーヌと2人、浮遊島群の衣装を着て、軽快なトークをしながら下調べで最も和風を感じられる肆ノ島の通りを歩き、そこにいる人たちにマイクを向け、話しかける。彼らは自国の衣装をまとった地上人――しかもさゆみは並以上にかわいく、アデリーヌは美しい――を好意的な目で見、質問にいろいろと答えてくれた。
 肆ノ島は2カ月前の戦いで戦場になった場所だが、打ち合わせの段階で、そこは今回取り上げないことに決まっていた。人々の関心を引きつけ、浮遊島群連合設立記念日という祝祭をメインにする番組にそういった血なまぐさいことは向いていない。だからあえて肆ノ島太守の屋敷やそういった場所は避けて、肆ノ島独自の魅力スポットの紹介に注力した。
(あー、そういえば)
 仮装した人から、今日から浮遊島群連合設立記念祝祭が始まっていること、どこを訪れるといいかなどを聞き出しながら、ふと心の片隅で思う。
(まともに浮遊島群の島を歩いてるのって、これが初めてかも)
 そりゃーいい思い出なんか、残るわけないわ。
 当然だ。
「――そう納得したら、なんだか憑き物がとれたみたいっていうか」
 撮影を終えて。さゆみはとある茶屋の外席に座って、注文した食べ物が届くのを待つ間、アデリーヌに笑って報告した。
「ほらこれ。きれいよね」
 着ている服を引っ張る。
 浮遊島群で普通に見られる普段着だが、袖口のかえしや前合わせ止めのリボンの裏生地、そういったところにまで季節を感じさせる細かな刺繍がある。この柄も、刺す糸の色や布の色にも季節ごとの色合わせがあるのは肆ノ島特有だ。
 見えにくいところにおしゃれをするのが粋なのだと、衣装提供してくれた店の人が言っていた。
『このほかにも、さまざまな物で色を組み合わせることによって相手に自分の気持ちを伝えたりもするんですよ。複雑すぎて、読み取るのが難しいものもありますが……言葉にしなくても、分かる人には分かるんです』
「カッコイイわ。
 私、そういうことも知らなかった。何も知らないのよ。知ってるのは、ほんの一部分だけ。なのにそれを全部にして、ただ単純に嫌うのって、損だなと思ったの」
 そう思えてからは、笑顔をつくるのが苦でなくなった。浮遊島群についての話を聞くことも。
「もっと知りたいって思えるようになったの。――あ、おだんごが来た……って、すごい!」
 手元に置かれた三種だんごの盛り合わせを見て、さゆみは目を瞠った。だんごの彩もそうだが、そこに添えられた桃色の花の砂糖漬けや小枝に見立てた練り物などに、ストーリーが感じられたからだ。
「きれいですね」
 思わず写メを撮るさゆみの向かい側で、アデリーヌもその見事さにほれぼれと見入る。
「これでよし、と。これも、編集のときにどこかに差し込めるといいな」
「そうですね」
「うん。じゃあ食べましょ。いただきます」
 お茶を片手にだんごをつつき、夜の撮影の打ち合わせに入る。
 食べ終えて店を出たあと、インタビューした人々から聞き出した次の撮影場所へ向かった。
「人が出てきましたね。はぐれないよう手をつなぎましょう」
 何度か人にぶつかったあと、アデリーヌの提案で、道中は手をつないでいくことにした。さゆみは絶望的方向音痴だから、これは賢明な判断だと思う。気がついたらとなりにいなかった、とか十分あり得る。
 手をつなぎ、自分を先導して前を歩くアデリーヌの後ろ姿を見ているうち。さゆみは、言うなら今だと思った。
「アディ……ごめんなさい」
 アデリーヌは立ち止まり、振り返る。
「何がです?」
「心配……かけて」
 ここ数日、アデリーヌが彼女のことを心配しているのは知っていたけれど、あえて気づかないふりをしていた。言葉でなく、行動で見せることが一番だと思ったから。だけどやっぱりそれは、アデリーヌの思いやりを無視していたことだと思う。
「ああ。それなら――」
「それと。……あんなことに、巻き込んでしまって……。
 ずっと謝りたかったの。でも……」
 ごめんなさい、と繰り返す。そしてアデリーヌの返事を待ったが、アデリーヌは何も言わなかった。うつむいているせいで、今アデリーヌがどんな顔をしているかも分からない。驚いているのだろうか? それとも、心配して、悲しそうに見ている?
 意を決して顔を上げ、アデリーヌを見ると、アデリーヌは穏やかに微笑を浮かべ、さゆみを見つめていた。
「アディ……」
「いいんです、さゆみ。あなただけがあんな目にあっていたりするより、ずっと良かったと思います。むしろ、謝らなくてはならないのはわたくしの方。あのとき、あなただけでも逃がすことができたら良かったのですが……力が及ばず、あなたをつらい目に合わせてしまったことを心から申し訳なく思います」
「そんなことない! アディがいてくれたから、私は――!」
 伸ばされた手をアデリーヌはそっと受けとめる。
「そうですね。わたくしたちは一緒にいたのです。どちらが欠けることもなく、決して離れることはありませんでした。
 それでいいではないですか」
 自分たちの大切な時間……2人でいられる時間を犠牲にしたと、さゆみは思っていた。でもそうじゃなかった。
 いつも一緒にいること、それはただ楽しいだけの時間という意味ではない。
『健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、 富めるときも、貧しいときも』
 そんな誓いの言葉がさゆみの胸に浮かぶ。
 それが、共に在るということだ。
「さあ、そろそろ行きましょう。急ぎませんと、パレードの撮影に間に合いませんわ」
 声もなく涙をにじませたさゆみを抱き寄せ、彼女が落ち着くのを待ってから、アデリーヌはささやく。
「……ん。そうね」最後の涙をこすりとって、大きく深呼吸をする。「お化粧崩れちゃった。直さなきゃ」
「わたくしのさゆみはどんなときもきれいですわ」
 真心のこもった真摯な言葉にさゆみはほおを少し赤らめるとアデリーヌの差し出す手をとり、吹っ切れた輝く笑顔と軽やかな足取りで次の撮影場所へ向かって行った。



 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)を伴って、肆ノ島の通りをとぼとぼと歩いていた。
 耳と尻尾をへにょりとさせ、見るからにしょげ返った姿で、お祭り騒ぎの周囲からあきらかに浮いている。
 最初のうち、好きなだけそうさせてやろうと考えていたベルクだったが、船に乗る前からもうずっとこの調子で、何時間も経つのに一向に浮上する気配のないことに、彼の忍耐の方が先にまいってしまいそうだった。
 あてた手の下で胃がキリキリと痛み始める。
「くそっ、せめてJJがここにいてくれたらよかったんだが」
「無理ですよ」
 ポチの助が即答する。
「2カ月前、帰りの船でも相当船酔いしてましたからね。もう二度と船はごめんだってつぶやいてましたし」
「だな」
 ベルクも当時のJJの姿を思い出し、あれでは誘ったところで来るはずないと結論した。
 実際、誘ってはみたのだ。クイン・Eに連絡をとり、スケジュールを訊いてみたが、JJもパルジファルもすでに新しい仕事についているということだった。
 ちなみに、クイン・EはJJと話し合い、賞金稼ぎのパートナーを解消していた。地上へ降りたアク・タを捜すという目的がなくなり、主君のツ・バキが生きて戻ってきたのだから、それも当然だろう。近々肆ノ島へ戻ってくる予定とのことだった。
『彼女のこと、よろしく頼むよ』
 クイン・Eは何気なく言ったのだろう。とりたてて意味がこもった言葉には聞こえなかったが、フレンディスはこのことを知ってますます思い悩んでいるように見えた。
 せっかく来たのに周囲の様子が目に入っていない、楽しもうとすらしていないフレンディスの姿に、ベルクはついに見守る姿勢を捨てて声をかける。
「おい、フレイ。いいかげん気分を入れ替えたらどうだ? いくら考えたところで肝心の相手がいない以上、答えがでるもんでもないだろ」
 ベルクの言葉に、フレンディスが肩越しに振り返り、それからゆっくりと正面を向けてきた。
「……マスター……」
 すっかりへこみきって、表情も声も弱々しい。
「でも、考えずにはいられないのです……」
 あのとき。JJは、フレンディスの仕事を手伝いたいという願いを断った。その理由は、彼女が「自分で善悪を判断できる者だから」ということだった。
(私はJJさんが思うような優しい存在ではないのです。「できない」のではなく「容易にできてしまう」のが私なのです。JJさんは、解っていないのです。
 ……でも知らないのだから解らなくて当然ですし、かような事を口で訴えて説得力などありませぬ)
 しかし1点、JJが言い当てている面もあった。
 フレンディスには、理由なく戦いを挑む真似はできない。
 それがどんな手前勝手なものであっても、理由は……その行為に意味を持たせることは、フレンディスにとって必要なのだ。それさえあれば、仲間、友人が相手でも戦うだろう。
 しかしJJはそれを持つこと自体を拒否しているのだった。
 理由などいらない。
 それは依頼主が持てばいい。
 その結果、何が起きようとも、その責任はすべて依頼主が負うべきものだ。
 JJという存在、その行動原理はそれだった。それに尽きる。
 道具に責任はない。それはただそれとしてあるだけ。だれも見向きもしなければ何も起きない。銃やナイフに向かって「おまえが悪い!」と責める者はいないだろう。
 戦いに理由を必要とするフレンディスはその時点で決定的にJJと違っており、先々そのせいで悩むことになる、とJJは考えたのかもしれなかった。
 だから突き放した?
(でもそんなこと、分からないのに。
 起きるかどうかも分からない可能性を気にして、拒むなんて……)
「ジャネットさんの分からず屋なのですー!」
 感情が高ぶるあまり、つい、声にしてしまったフレンディスだったが、もちろんベルクやポチの助には青天の霹靂である。
 ずっとへこんでうなだれていたフレンディスが、いきなり顔を上げたと思ったらそんな言葉を発した。
 思わずポチの助と互いを見合う。
 まあ大体フレンディスの思考回路は読めるので、何についてどう考えたかはなんとなく分かった。
(俺たちと別行動中JJに言われた台詞を引きずってるのは解るが……。
 誰でも第三者が踏み込むべきではないモノを持つのはフレイが一番解ってるはずだがな……自我も善し悪しか)
 しかし、こんな往来でいきなり叫ばれるのは困る。
(ただでさえ迷子の小動物のごとく耳と尻尾を垂らし続けてウロウロ徘徊してることで、一緒にいる俺がマジ不審者と疑われそうだっつーのに)
「いいから落ち着け……なっ? 周りがこんな状況だからそんなに目立ってないが、あんまり変な態度とってるとキンシが職質に来るぞ」
 祭りだから、はめをはずす者たちを警戒していつも以上に巡回しているはずだ、という読みはあながちでもない。
 ところがそこでポチの助がまぜっ返した。
「ま、もしそうなったとしても、不審人物と連行されるのはそこのエロ吸血鬼だけですけどね」
「なんだとワン公」
 さっき自分でもそう思ったくせに、ポチの助に指摘されるのは我慢ならないのか、即座にベルクが反応する。
「そういうきさまこそ、ここでさんざんやらかしてやがるんじゃねぇか。ここの防御システム乗っ取ってプログラム書き換えるわ、最後は爆発四散させるわと、したい放題にしておいてその弁償もせずトンズラして、ひとのこと言えた身か?」
 ベルクの言葉は正鵠を射ていたが、それくらいで動じるポチの助ではない。
「僕の仮装は完璧です。
 それに、もし気づかれたとしてもどうということはないですね。あのときのことは全部エロ吸血鬼の責任なので、僕には何の問題もありません」
 フフン、とマントと仮面の下で得意がる豆柴の姿はポチの助が意図せずとも抱きしめたいほど愛らしく、たとえポチの助が「やったのは僕です」と言い張ったとしても、だれもこの小さな犬がそんなだいそれたことを為したとは信じないだろう。
「くっ……!
 言っとくがな、本気で俺の責任にしやがったら即ナラカへ叩き落とすぜ? じきに夜だ、祭りの最中っていうのも、人知れずやるにはちょうどいいからな」
 日が落ちるにつれて往来の人の姿は増えてきている。みんな仮面をつけ、仮装をしていて、だれがだれとも判断のつかない状態だ。これならたしかに1人や2人……じゃなく1匹や2匹、こつ然と消えたとしても気づく者はいなさそうだった。島端へ連れて行って突き落とせば、それですむ。
 声と表情に凄みを利かせ、十分ポチの助をおどかしたことで満足し、ふんと鼻を鳴らすベルクの後ろでフレンディスが弱々しく言った。
「私、いろいろ考えていたら頭の中がぐるぐる……。
 お腹も空きました…」
「お? もうそんな時間か。
 ま、腹が減ったなら飯食って酒でも入れとけ」
 持ち上げた手で、フレンディスの頭に軽く触れた。
「何で煮詰まってんだか知らないが、その悩みに関してはフレイの力で自己解決するこった」
 どっかのカフェにでも入るか、と周囲を見渡して適当な店の物色を始めたベルクに、フレンディスは彼が触れた頭に手をあてて、その背中をじっと見つめる。
 その足元で、ベルクとはまた違った意味で周囲を観察していたポチの助が、立ち話している人たちの表情が明るいことにひそかに胸を撫で下ろす。
 そしてミツ・ハが浮遊島群連合の委員長に就任していることを思い出し、彼女から報酬として、抱っこ+撫で撫で+プレミアムドッグフード&ほねっぽんをご褒美にもらえないかな、などと考えつつ無意識に目を巡らせた先は、しかし彼女のいる参ノ島ではなく伍ノ島の方角だった。