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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望

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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望
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リアクション

 静かだった。
 道に面した門から館まで、馬車でゆうに10分はかかる敷地のため、島じゅうで開催されている祭りの音も声も、一切この部屋までは届かない。
 ときおりペン先が紙に触れるときの擦過音がするくらいだ。
 サインを終えた書類をめくり、それが最後の1枚だと知ったミツ・ハは、ふうと腕から力を抜く。体を弛緩させ、イスの背もたれに背中を預けて手首を振っていると、何やら廊下の方で騒動が起きていることに気がついた。
 争っているような声が聞こえるが、何を話しているかまでは分からない。声はだんだんこちらへ近づいてくる。声の感じでは、どうやら何者かが強引にこちらへ来ようとしていて、執事かメイド長がそれを止めようとしているようだ。
「困ります、お客さま! どうか客間へ――」
「おいミツ・ハ! いるか!」
 腰を浮かせると同時にドアが大きく開き、メイド長と何者かの声が同時にして、2人がもつれ合うように部屋へ踏み込んできた。
「やっぱりいるじゃねぇか」
 赤ら顔で牙の生えたモンスターの面をかぶった闖入者はミツ・ハを見て得意げに言うが、ミツ・ハにはそれがだれか見当もつかなかった。祭り用の仮面をつけているせいで声がくぐもっているせいでもある。
「ですから客間でお待ちくださいと申しましたでしょう」
「アナタだぁれ?」
 踏み込んできて十数秒。ナイフや銃弾が飛んでこないことから少なくとも暗殺者ではないだろう。ミツ・ハは机の前に回ってそこに浅く腰をかける。
「ん? ああそうか」
 仮面の男はにこやかに訊いてくるミツ・ハの反応の意味にようやく気づき、彼を廊下の方へ押し戻そうとするメイド長を微動だにせず無視したまま言った。
「オラァ、泣く子はいねがぁ」
 いかにも芝居口調のつくり声で言うが、もちろんミツ・ハは無反応だ。
 殺しきれなかった失笑の気配が後ろでして、黒いローブにガスマスク姿の松岡 徹雄(まつおか・てつお)がとなりに並ぶ。
「竜造。こっちにナマハゲの文化はないと思うよ」
「チッ、つまんねー島だぜ」
 たしなめるように言われ、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)はへの字に口を曲げて仮面を上に引き上げた。
 徹雄はガスマスクのレンズごし、その目をミツ・ハへと向ける。
「ひさしぶり」
 しかしミツ・ハの反応を待つ間もなく。
「もうっ……! もう! なんなんですか! あなたたちは!!」
 彼らに無視され続けて、すっすり怒髪天になっているメイド長が金切声を上げた。
「太守に対し、非礼がすぎますでしょう! 早くここから出て――」
「いいわん」
「ですが、ミツ・ハさま!」
「だれかは分かったからいいのねん」
 視線で退室をうながされ、メイド長は口を閉じた。ミツ・ハの命令は絶対だ。
「……分かりました」
 ぐっとあごを引き、身をひるがえす。そこに双璧のように突っ立っている不審な男2人を、ミツ・ハに何かあったらただじゃおかないとの殺意のこもった視線でにらみつけ、部屋を出てると、まだ何かぶつぶつ不満をつぶやきながら首をふりふり廊下を帰って行った。
 戻ってくる様子を見せないことを確認して、無言でアユナ・レッケス(あゆな・れっけす)がドアを閉める。
「それで、何の用なのねん?」
「べつにィ? せっかく祭りに招待してもらったんだし、顔見せぐらいしとこうかなと思っただけだ」
「そう。楽しんでいるようで何よりなのねん」
 3人とも思い思いの仮装をしているのを見てミツ・ハは言う。徹雄に、ほかの2人よりほんの少し長く視線を止めていたのは、彼がガスマスクをしているからだろう。
「お楽しみはこれからだ。
 にしても、おまえずい分地位がランクアップしたもんだ。それに、その腕」竜造はミツ・ハが胸の下で組んでいる左腕を指す。「いい具合に新しくなってやがるじゃねえか」
 ミツ・ハは竜造の視線を追って、左腕を軽く振って見せた。
「これ? 参ノ島の義肢技術は優れているのねん」
 継ぎ目も見当たらず、指もなめらかに動いている。健康的な黄金色の肌の艶まで同じで、言われなければ義手と分からないほどだった。
 そのことに満足そうに竜造がうなずく。
「問題は戦闘時の支障だが、その分なら十分戦えそうだな」
「戦えるわよん。なんなら試してみてもいいのねん?」
 くい、と立てた親指で指したのは、窓の向こうに見える別棟だった。そこが何かは分からないが、トレーニングルームか何かがあるのだろう。
 竜造は思わず前のめりになりかけたが、視界の隅に徹雄を見て、踏み出した足が床につく前に思い直して引き戻した。
「いや、やめとこう。今日は祭りだ、血なまぐさいことをするのは興がそがれる」
 首を振り、ドアへ向かう。
「じゃあな」
「あら。もう帰るのん?」
「招待だからな、一応招待主にあいさつに寄っただけだ」
 義理は果たした、というようにニカッと笑うと仮面を引き下ろし、入ってきたとき同様さっさと出て行った。
「まさかナマハゲを知らんとはな。こりゃぜひともこっちのやつらに教えてやらんと。
 おいヤンデレ、おまえも手伝え」
 突然話を振られて、後ろについて歩いていたアユナは驚く。
「え? 嫌です。私はこれから港へアンを迎えに行くんです」
 アストー01……今は「アン」と名乗っているが、彼女が夕方の便で浮遊島群に来ることになっていた。この前遊びに行ったとき、アユナの話を聞いた彼女が興味を示したので、今度は一緒に回ろうと約束をしたのだ。今夜は彼女と一緒に朝まですごす予定になっている。
「まだ彼女に渡すプレゼントを買ってないんです。きれいな彼女に似合う、綺麗な装飾品を……アンティークなネックレスとか」
「なんでそんな役に立たない物を……。武器をやれよ、どうせなら」
「嫌ですよ、そんなの。危ないじゃないですか」
 と答えつつも、あんなにきれいな人だから、たしかに護身用に何か必要かも、とその案を胸のお土産物リストに加える。
 彼女に会うのが待ちきれなかった。仮装パーティーだからと、一緒に仮装用の服を選んだのだ。アユナが魔女の帽子と魔道士風の衣装を選んだので、アンも「おそろいね」と魔女の帽子と魔女のドレスを選んだ。ラメの入った黒のロングドレスは襟が大きく開いていて、スカート部にもスリットが入り、女性のアユナから見ても、今すぐ押し倒したいくらい魅力的だった。
 パーティーで開放感あふれる島に、自分の魅力に無頓着な、無邪気な美女……。
「――武器は、何がいいでしょうね?」
「あ? んなの知るか。てめぇで選べ。――チッ、しゃあねえ。こうなったら弐ノ島にでも行くか。たしか東カナンのやつらが向かうって話だったからな、カインの野郎がいるかもしれねえ」
 その後もぶつぶつ言っている竜造は無視して、アユナは考える。
 扱いやすくて殺傷力の高いやつがいい。不埒なやからを確実にアンの前から抹消できるような。でもそんなの、アンが悲しむかしら?
 アンを悲しませないで、なおかつアンを狙う不届き者を成敗できる物について考えながら館の出口へ向かう。2人とも、まったく気づいていなかった。彼らの後ろに徹雄の姿がないことに。
 徹雄は部屋を出る2人のあとに続いていたが、それはドアを閉めるためで、彼自身はミツ・ハの執務室に残っていた。
「変な衣装ねん」
 ドアの前から離れず、無言で立つ徹雄に、ミツ・ハから話しかける。
「それ、脱げないのん? アナタかどうかも実はよく分からないんだけど」
「…………」
 徹雄はガスマスクに手をかけ、脱いだ。
 現れた顔に笑みはない。どちらかというと不満げな、難しい顔だ。
 正直、彼はもう二度とミツ・ハと会うつもりはなかった。竜造が会いに行くと言い出したときは驚いたくらいだ。
 オオワタツミの脅威は去り、彼女に護衛は必要なくなった。もう会う理由はどこにもないはずだった。彼女に俺は必要ない。
 彼女は参ノ島どころか、浮遊島群全体にとって最も大事な人間になった。いわばこの島の太陽のようなもの。これから先は、もっとふさわしい人間が彼女を守るだろう。俺みたいな薄汚れた世界の住人じゃなく。
「どうしたの? 何か用があるから残ったんじゃないのん?」
 マスクをはずしたきり、動こうともしゃべろうともしない徹雄に、ミツ・ハの方から近寄り、マスクをかぶっていたせいで乱れている髪に手を伸ばす。その指先が触れる寸前、拒否するように徹雄は頭を横に引いた。
 自分を拒絶するその態度から、ミツ・ハも彼が情事を望んで残ったわけではないと悟る。
 笑みを消すことはなかったが、ふうと息をつき、後ろへ退いた。
「それで?」
「……あのときのことだが」
「あのとき?」
「旗艦の、廊下での……」
「ああ、あれ」
「あの場のノリもあったかもしれないけど、きみのような美女が、気軽にあんなことをするべきじゃない。大抵の男が勘違いしてしまうからね」
 ――それとも、勘違いしてもいいのかな……?
 はずしていた視線を前へ戻した徹雄が見たのは、彼が何を言いたかったかようやく知ることができて、笑いをこらえているミツ・ハだった。
 こらえきることができず、プッと吹き出し、そのまま腹を抱えて笑う。
「ゴージャス! 冗談で言っているわけじゃないんだぞ!」
 まさかこんな反応をされるとは。
 これまでずっとあのときのことについて考えていた自分がばかみたいだと、徹雄は憤慨しつつしかりつける。
「あっははははは!
 ああ、そうね。うん。まあたしかに……」
 ひととおり笑って笑って、ようやくどうにか抑え込むことができたミツ・ハは、乱れた息を整える。そして、その間考えごとをしていたふうだった面を上げると、今度は打って変わって対照的に真面目な声で告げた。
「アタシ、アナタは知ってると思ってたのねん」
「何をだ」
「アタシが男に求めるのは情事だけだって。
 言ったでしょ、アタシは男が前を歩くのも、横を歩くのも許せない女なのねん。でも、後ろをついてくるだけの男には興味がないのもたしかなのねん」
 お互いその気になったとき関係を持って、じゃあまたね、と別れる。あとくされのない関係ばかり。一番長く続いたのがクク・ノ・チだったが、それはその場限りという関係が互いの求める条件に一致したからで、感情ががそれ以上進展することもなかった。
 いずれミツ・ハも子どもを産むのは間違いない。家存続のために必要なことだから。しかし結婚するかは不明だった。
 祖母も、母も、そうだった。参ノ島太守家の女たちは皆そうなのかもしれない。
「まあでも、あれはアタシのミスなのねん。アナタに特定の相手がいないのを確認するのを怠ったのねん。アタシは結構そのへんオープンだけど、最低限、相手もフリーかどうかはいつも確認してきたのねん」
 だから、あれはその場のノリと徹雄が言うのも正しいのだろう。何千年と続いたオオワタツミとの因縁、子々孫々伝わってきていたイザナミ様の遺言。参ノ島太守家は何がなんでもオオワタツミと決着をつけねばならなかった。八雷を継承し、その日のために訓練を積んできながらその機会を得られず、子孫に望みを託すことしかできなかった先祖たち。彼らのだれも果たせなかった役目を果たすのが自分であることに、腹の底から湧き上がる興奮があった。
「さっき言ったように、アタシは長期の関係は築けない女なのねん。だから相手にもそれを求めてないのねん。アナタがそれで混乱したんであれば、謝罪するのねん。
 だけど」
 ミツ・ハはそこで言葉を止め、肩をすくめて徹雄に背を向けた。続き部屋とつながる横のドアへ向かい、ドアノブを回すと意味ありげな視線を投げて部屋へ消える。
 言うべきことはすべて言った、今度は徹雄の番だと言っているのだ。
 ドアは開いたままだった。
 あのドアをくぐるか、それとも部屋を出て行くか、徹雄が決めなくてはならない。互いに感情のもつれだの面倒事だの誤解を生むことのない愛人関係を始めるか、それともここですっぱり関係を切るか。そうしてもミツ・ハは何とも思わないだろう。彼女の歩む人生に恋愛や男は大きな位置を占めていない。ああそう、と肩をすくめるだけで、すぐに忘れる。
 しかし、彼女もまたすべてを見通しているわけでもなかった。徹雄がフリーであるかの確認を忘れた、それは意味のあることだろうか?
 今までの彼女の愛人たちと同じで、くっついたり離れたりという関係を続け、2人の間の情熱が消えれば友人に戻る関係に終わるか、それとも全く新しい関係を築く男になれるかは、徹雄次第だった。