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【カナン再生記】続・降砂の大地に挑む勇者たち

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【カナン再生記】続・降砂の大地に挑む勇者たち

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「人質、か」
 そう呟いたのは雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)
「確かに、もしご主人が人質だったら、さすがの俺様も動けねぇよな」
 振り向いてソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)の顔を見る。
「ベ、ベアってば」
 思いがけず嬉しい言葉を聞いて、もじもじするソア。
「バカ、言ってみただけだ」
「いって、みた、だけ?」

「――なのに、ドン・マルドゥークは、妻も子供も人質だと聞いたぜ。剛毅にも程があるってもんだ。さぞかし腕も立つんだろう?」
 背中にしがみついて、毛皮をぽかぽか叩くソアを尻目に、ベアは尋ねた。
 メルカルトは誇らしげに答える。
「ふふ。たとえ俺が束になっても、あの方には傷一つつけられんよ」
 戦いを見るまでもなく、メルカルトも相当に強いのは誰もが理解していた。その彼に、ここまで言わせる。ベアは興奮した。
「すげぇな。他の領主はどうなんだ?」
「南のシャムスはまだ二十歳と若いが、『黒騎士』の異名を持つ弓の名手と聞く。ともに蜂起してくれれば心強い。東のバァルは――」
 メルカルトは顔を曇らせた。
「かつてはマルドゥーク様のように、義心に溢れ、民を重んじる領主だったはずだ。それが今や、ネルガルに弟を差し出し、奴に付き従っているという話だ。裏切り者め」
 苦々しく吐き捨てる。
「メルカルトさん、イナンナ様のことですがっ」
 ベアの右側からソアが顔を出した。
「封印されてしまったということですが、お身体は無事なのでしょうか」
「む、それに関しては何とも言えん。どこに囚われているかも定かでないのだ」
「――はい」
「ただ、ネルガルが女神様のお力を利用している以上、封印されたとはいえ、きっとご無事であろうと考えてはいる」
「そ、そうですね! 封印さえ解ければ、元の姿に戻られるはず!」
 ソアは一度消沈した気持ちを奮い立たせるように言った。
「――あの、空中庭園について聞いてもいい?」
 今度はベアの左側から『空中庭園』 ソラ(くうちゅうていえん・そら)が顔を出す。
『空中庭園』と名付けられた魔道書として、カナンの空中庭園については気になるところだ。
「ああ。空中庭園といっても、もちろん浮かんでいるわけではない。塔の最上階に作られた庭園だ。季節ごとの花が咲き乱れ、それは美しいものだが、今見ることはかなわんだろうな」
「各領地ごとに、ひとつずつあるの?」
「ひとつどころではないぞ。なにしろ庭園の美しさは領主の権威みたいなものだからな。それぞれの領地に複数の空中庭園がある」
「へぇ――それ、放っておけないわね」
 花と緑に囲まれて、その頂きから見下ろす眺め。
 ソラは、大半が遺跡となったという、カナンの空中庭園について思いを馳せる。
「空中庭園の復興のために、カナン奪還に協力します、というのは動機が不純?」
 メルカルトは腹を揺すって笑った。
「はっはっは! それは願ったり叶ったりというものだ。是非とも、宜しくお願いするよ」

「私も、お聞きしておきたいことがあります」
 後方から、レッサーワイバーンに乗った崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が、メルカルトのラクダに追いすがる。
(ああもう、髪も服も砂だらけですわ、まったく)
 豪奢な黒髪についた降砂を、ぽんぽんと払い落とす。
 亜璃珠は片手で手綱を器用に操りながら、メルカルトの脇につけた。
「騎乗しながらの失礼、お許し遊ばせ。メルカルトさん、『龍の逝く穴』について教えていただけないかしら」
「龍の逝く穴か。久しく聞かなかった名だ」
「ええ。そこに棲むというドラゴンの力と知恵を借りることができれば、戦況は大きく変わるのではなくて?」
「我にも、是非聞かせて頂きたい」
 側にいたドラゴニュートのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)も話に加わる。
「我がまだ赤子の折り、この地にはドラゴンにとって特別な場所があると聞いたことがある。時が来れば、それはどんなドラゴンにも分かると」
「ふむ」
 メルカルトは記憶を手繰る。
「龍が逝く穴には、確かに偉大なドラゴンが棲んでいた――ティアマト。かつては女神様の友であったとも」
「では――」
「いや、女神様が封印されてからというもの、ティアマトの姿はおろか、気配を感じた者すらいない。友である女神様と共に、封じられてしまったのかもしれない。大した事も分からず、すまん」
「そうでしたか――」
「むう、残念なことだ」
 顔を見合わせ、気落ちする亜璃珠とブルーズ。
「それにしても、セフィロト。遠いとはいえ、随分ぼやけているね」
 カナンに着いてから、ブルーズと共に世界樹を観察していた黒崎 天音(くろさき・あまね)が言った。
「聞いた話によると、セフィロトを覆っているあの『靄』は、イナゴだとか」
「その通り。よくご存じだ」
「あれ程になると、封印以前にセフィロトの化身という女神様にも影響が出るんじゃないかな? あのイナゴが現れたのと、女神様が封印されたのは、同じ時期なの?」
「そうだな。まず、イナゴがセフィロトを覆ったのが最初だ。セフィロトが弱まれば、もちろんイナンナ様の力も弱まる。イナンナ様が封印されたのは、それからほどなくしてのことだ」
「なるほどね。イナゴと女神様の封印、無関係ではありえないというわけか」
「確たることは分からないが、そのように見えるな」
 その話を横で聞いていたヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が聞いた。
「そもそも、イナンナ様はシャンバラ出身って聞いたけど、どういう経緯でカナンに来たのかな? 苗木とか?」
「ふふ、確かに気になるね」
 世界樹の苗木を想像して、天音が笑う。見上げるほど巨大なのか、見えないほど小さいのか。
 メルカルトが答える。イナンナについて語るときのメルカルトは、畏敬の念に満ちている。
「イナンナ様は最初から世界樹の化身だったわけではない。カナンを緑豊かな土地にするため、セフィロトと契約してこの地に渡ったのだ、と伝わっている」
「なるほど――あ、シロ」
 ヘルは頷くと、目の端に一頭の馬を認めた。
 シロというのはパートナーの早川 呼雪(はやかわ・こゆき)が乗っている白馬の名前である。
「ダメだな。見渡す限りの砂漠だ。人の姿はない」
 家を無くした住民はおのずと集まり、小さな居住地を築いたりしているが、それにすらたどり着けない場合は――死ぬしかない。
 呼雪はメルカルトからこの説明を聞いた後、砂漠をさまよっている住民を馬で捜しに行っていた。
「せめて、俺達と合流できればと思ったんだが――そう簡単ではないか」
「すまない。早速苦労をかけるな。どうか休んでくれ」
 メルカルトは頭を下げた。
 彼自身、行き倒れの亡骸をいくつも見てきている。
 足の不自由な老人がいた。
 まだ立つこともできない赤子がいた。
 それを守るように抱いた母がいた。
 わずかばかりの食料を届けようと、家族の元へ帰る途中だった少年がいた。
 戦乱ではいつも、弱い者から犠牲になる。
 彼らの死に顔を、生涯忘れることはないだろう。
(民の皆、イナンナ様――もうしばらくのご辛抱を)
 思わず、その時の悲しみと、非力感が蘇る。
 メルカルトは周囲に悟られないように、そっと目尻を拭った。