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■第1章

 百獣の王と呼ばれる猛獣の代表格、ライオン。
 その雄は自身の縄張りに踏み込んだエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)を睨み付け、威嚇している。
 動けばその喉元を引きちぎるぞ、そう言わんばかりだ。
 しかし、エースは物怖じした様子を見せずに颯爽と麻酔吹き矢を取り出した。
 それを見た瞬間、ライオンは勢いよく飛び出し、エースに飛びつこうとした瞬間に勢いを失い、その場で眠り込んだ。
 超能力による催眠術、ヒプノシスだ。
「吹くと思った? 残念でした」
「心配しましたよ、エース」
 今にも真空波を放とうと構えながら現れたのはエースの付き人であるエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)だ。
「ヒプノシスを確実に決める為にはちょっと距離が必要だったんだ、心配かけてすまない」
 バツの悪そうな顔をして、エースはエオリアに向き合った。
「無事ならいいんです。でも、それはどこから?」
 エオリアはいつの間にかエースが持っていた麻酔吹き矢を気にしていた。
「園内のものは何でも使っていいって言われてるからね、ちょっと拝借したのさ。動物園の動物達はコレが何か知ってるからね、でも傷つけたくはないからあくまでフェイクだよ」
 そう言って結局使わずに済んだ麻酔吹き矢をくるくると回し、懐にしまい込む。
「しかし見てごらん、可愛い寝顔だろう?」
 エースはヒプノシスで眠らせたライオンの頭を撫でる。
「ライオンも猫だもんなぁ、寝顔なんてそっくりじゃないか。猫カフェにライオンを入れてみるか?」
 確かにライオンも猫科ではあるが、それは無理なんじゃないかとエオリアは思いつつも、口には出さなかった。エースが幸せそうなので。
「エース、近くに動物達が潜んでいるみたいです、子供達でしょうか」
「ん、なんだって?」
 眠る雄ライオンに気を取られているエースの耳には入っていないようだった。
「ああ、もう。逃げてしまいますよ!」
「ならば、ここは俺様に任せてもらおうか!」
 ばさぁっ、と音を立てて翻る薔薇学マントから現れたのは何故か全裸の変熊 仮面(へんくま・かめん) だ。
「わはははは! こんな依頼は俺様がスマートに解決してやろう!」
 彼の背中には日輪が光り、逆光により大事な部分に関してはよく見えないが。
「そう、動物の気持ちになって向き合えば、きっと心が通じ合うのだ!」
 そう言うなり、彼はマントを脱ぎ棄てると勢いよく駆けだした。
「ちょ、ちょっと待ってください! それはさすがに無茶ですよ!」
 あまりの事態に、エオリアは目を泳がせながら抑止の声をあげる。
 しかし、彼の抑止は届かず、仮面はそのまま走って行った。
 エースは突然の事態に状況をよく呑み込めていないようで、何度も瞬きをしている。
「……大丈夫なんでしょうか?」
「さぁ……」
 残された二人は呟いた。

「せいっ! せいっ!」
 草薮を突き抜けると、湖が広がっていた。
「お! あれは!」
 仮面があたりを見回すと、逃げてきたように見える雌ライオンとその子供達の姿があった。
 その姿を見つけると仮面は勢いよく駆け寄ると突然その場に寝転がり、腹を見せる。
「みんな、こわかったでちゅね〜。脱走の理由はなんでちゅか〜」
 仮面の赤ちゃん言葉が辺りに響き、ライオン親子も困ったのか一瞬動きが止まった。
 だが……。
「いっってぇ!」
 ガブリ、そう音が聞こえるほど見事に仔ライオンの一匹が仮面の足、脛の辺りに噛みついた。
「は、離せっ!」
 仔ライオンの噛みつく力はそこまで強くなく、力を込めて引きはがすことは容易だった。
 無事に離れたのを見て一息つこうと思ったが、彼の目の前には完全に敵意を向けている雌ライオンの姿がある。 
「な、何故だ! 私はお前達に攻撃の意思はないのだぞ!」
 必死に抗議するが、声は届いていないのだろう。雌ライオンは一気に飛びかかってきた。
「う、うぉーっ!」
 一か八か、仮面は辺りに広がる湖に向かって飛び込んだ。
 勢いよく飛び込んだため、水を少し飲んでしまったが、服を着ていなかったことが幸いし溺れることはない。
 雌ライオンも水中は追いかけるのは無理と諦めたのか、追ってくる様子はなかった。
「全く、こちら友好的にしているというのに……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ泳いでいると、何かごつごつしたものにぶつかった。
「……ん?」
 次第にそれはゆっくりと水面から上がってくる。そう、ワニが。
「ちょ、待て! 話せばわかる!」
 こちらに大きな牙を向け、今にも喰らいつかんとしている。
「捕まれ!」
 突然、仮面の目の前にロープが投げつけられ、反射的にそれを掴む。
「噛みつかれるなよ!」
 ロープの飛んできた先を見ると、湖の淵で仮面の捕まるロープを引っ張る龍滅鬼 廉(りゅうめき・れん)の姿があった。
 ワニが噛みついた場所には既に仮面の姿はなく、ひっぱられる形で移動しており、既に足が付くほどの高さまで移動している。
「お、おい。服はどうしたのだ!」
 助けた男が全裸で湖から上がってきたことに驚いたのだろうか、流石に廉も目線を逸らしていた。
「動物達と心を通じ合わせるためだ!」
 仮面ははっきりと言い切った。
「そ、そうか。だが、相手はこっちを敵とみなしているようだぞ」
 廉がそう言うなり、ワニは水上から飛び出して噛みつこうと襲い掛かってくる。
「これを持って引っ張れ!」
 仮面にロープを手渡し、廉自身も同じロープを持ちひっぱるように指示する。
 突然の流れに戸惑いながらも二人でロープを引っ張ると、ワニの後方から大きな網が迫り、ワニを巻き取った。
 よく見ると、襲ってきたワニ以外にも2、3匹他のワニが引っ掛かっているようだ。
「漁業をやるとは思わなんだがな。しかし、水中でなければどうにでもなろう!」
 実際、水上にあがった状態で網に巻き取られているワニの動きは遅く、廉は一匹ずつ口を開かないように踏みつけ、確実に動けないように縛り上げていく。
 何度か同じ方法を繰り返し、結果として4匹のワニの捕獲に成功した。
 動けなくなったワニを見て、廉は大きなため息をつく。
「そうか!」
 それと同時に、仮面が突然声を上げた。
「ど、どうした?」
「仮面を外すのを忘れていた! これでは動物達と気持ちを通わせるのは不可能だったのだ!」
 そう言うなり、仮面を投げ捨て、本当の意味で一糸まとわぬ姿となった仮面は近くにいたアライグマを見つけ、駆け寄っていく。
「だいじょうぶでちゅよ〜! て、うぎゃぁぁぁ!」
 しかし、アライグマはいきなり牙をむき、あろうことか股間に噛みついた。
 あまりの痛さに叫び声をあげながら彼は大慌てで走り去って行った。
「何だったんだ……。むっ」
 残された廉はあまりの展開に一人呟くが、雌ライオンの群れに囲まれていることに気が付いた。
「厄介なものを残してくれたな……」
 罠の用意のないこの状態を無事に切り抜けるには致し方ないと、腰の刀に手をかける。
 しかし、ライオンが襲い掛かってくる様子なく、その場に座り込んでしまった。
「思った以上に効果があるようだ、大丈夫かい、素敵なお嬢さん」
 草薮の向こうから現れたのはエースだった。 
「これは催眠術の一種か?」
「適者生存、魔獣使いの技術さ」
 適者生存、魔獣使いの基礎技術であり、動物達に対して自分を優位の存在と認識させる技術だ。
 群れで生活する彼らにとっては上位の存在は絶対。逆らうことは出来ないのだろう。
「しかし、これは効率的だ。お嬢さん、よければ協力してもらえないかな?」
「了解した、手早く解決させよう」
 廉はエースの提案に了承し、一時も早く動物園の安全を確保するために行動を開始した。
「しかし、この技術があれば今回の事件を起こせるのでは?」
 ふと、廉の頭に考えが走ったが、今は事件の解決を優先し、頭の片隅に置いておくことにした。