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序章 漆黒のイルミンスール
夏のイルミンスールは、毎年夏休みの人気観光スポットだ。
強い日差しから守ってくれる青々とした木々、やさしく包んでくれる夏の匂い、大自然がもたらしてくれる美味しい食べ物。
イルミンスールで今年も夏休みを過ごそう! そう思って各地からやって来た人々は、信じられない光景を目にし、あんぐりと口をあけるしかなかった。
あちこちから聞こえる嫌な羽音、怒声と悲鳴、甘いような酸っぱいような奇妙な匂い。今、イルミンスールはまさに「魔の森」と化していた。
「……これでは逆効果ですわぁ……」
イルミンスール魔法学校校長エリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)は、くしゃくしゃと長い髪の毛をもてあそびながらつぶやいた。こう見えて、真剣に何かを考えているのだ。
しばらくの後、とうとう意を決して顔を上げた。
「こうなったらぁ、他校生徒の力を借りるのも仕方がないですぅ」
そして意を決して、宣言したのである。
「もうっ、誰でもいいから何とかしてくださぁい!」
エリザベートの声明は、すぐにパラミタ中に伝わった。そしてイルミンスールには、森を心配した者、一攫千金を狙う者、ただ騒ぎたいだけの者……大勢が集まってきたのだった。
第一章 パラミタ3分(?)クッキング
すっかり日が暮れ、学校の外はどっぷりと暗い。森の中は、夏とはいえ肌寒いかもしれない。普段なら鈴虫の美しい鳴き声が響いてくる時間帯なのだが、森の異様な雰囲気におびえてしまっているのだろう、不気味なほど静かだった。
イルミンスール魔法学校の食堂にあるキッチンスペース。普段は調理担当者しか立ち入りを許されていないが、エリザベートの命により開放されていた。
ここでは、ちゃんとカブトムシを集め直すための蜜作りが行われていた。
「パラミタ3分クッキング! 今回はカブトムシが喜んで小躍りするような美味しい蜜を作るぜ!」
どこからともなく聞こえてくるテーマ曲。聞けば誰もが料理番組のテーマ曲だと分かるのだが、どこから聞こえてくるのかは不明。
本人はマイクのつもりであろうシャモジを手に、葉月 ショウ(はづき・しょう)がまくし立てている。
「この番組はイルミンスール魔法学校の提供でお送りするぜ。そして解説は、蜜を作り続けて45年、葉月 アクア(はづき・あくあ)先生だ!」
「……45年も生きていないですけど……。それに3分で蜜は作れません」
パートナーのアクアは、ショウのノリについて行けていない。……今更だが、当然カメラが回っているわけでもなく、番組収録ではない。
「ほらアクア、シェフにインタビューだ」
全く乗り気ではないが、アクアはショウに逆らわない。
「……この黒砂糖は色艶ともに素晴らしいですね」
マイク(シャモジ)を向けられたのは、周藤 鈴花(すどう・れいか)。
「ええ、お分かりになる? こっちが手に入れられる最高の黒砂糖を用意したのよ」
マイクに向かってそう答える鈴花。さっとポニーテールに緩みがないか確認をしたあたり、本当の番組収録と勘違いしているのだろうか。
黒砂糖と酢、そして理科室から持ち出したアルコールを混ぜている。
「うーん……なんか違うかなぁ」
実験用アルコール(と瓶に書かれているだけで中身は不明)が、酢と混ざって危なそうな白い煙を上げている。
「なかなか個性的な蜜ができそうです……けほけほ。以上、レポートでした。けほ」
白い煙にむせ込みながらも、アクアはレポートをやりきった。
蜜の材料は、蜜作りを志願してきた者たちがそれぞれ持ち込んだもの。もちろんレシピも人それぞれだ。
「あの、みなさん。持ち寄った材料を出し合って、協力して作った方が効率が良いのではありませんか?」
状況を見かねたフェイト・シュタール(ふぇいと・しゅたーる)が、全員に聞こえるように、だけど丁寧に声をかけた。パートナーから、皆を協力させて平和に導くように言われて、このキッチンにやって来たのだった。
「私たちは争っていないんです。イルミンスールの森を美しい姿にするという目的があるでしょう。ね、材料を出し合いましょう」
「確かにその通り!」
ウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)が、同意の意を示して立ち上がった。そして、隣にいたティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)の肩をぽんぽん叩いて、耳元でささやいた。
「ほら、聞いたでしょう。協力して材料を出し合うのが最善なんですよ。さ、出すモノ出しましょ」
「う……うう。えーっとね、持ってる材料は……これだけだよ」
もともと紅茶が趣味だったシュルツは、紅茶用の蜂蜜やシロップを常に数種類持ち歩いていた。この夏休みも、幼なじみのアーカイヴスが通うイルミンスールに遊びに来る際、カバンに入る限り紅茶道具を詰め込んでいた。
「家に置いてくればよかった……かも」
後悔するも時すでに遅し。大切なシロップの類は既にアーカイヴスの手の中にあった。
「お、ちょうどよさそう。おまえの材料とコレ足してみません?」
「え? ちょ、ちょっと……!」
アーカイヴスは誰の返事も待たず、鈴花のアルコール化合物に、シュルツの大切な蜂蜜をどぼどぼと流し込んだ。
「あ、私もお手伝いします!」
ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)も加わり、蜂蜜入りアルコール化合物をぐわんぐわんとかき回し、手当たり次第に材料をぶち込んでいく。
何がどう化学変化したのか、ますます立ち上る白い煙。
「まあ美味しそう! ところで……ベアはどこ?」
ソアは、パートナー雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)の姿が見えないことに気がついた。白煙のため視界が悪く、保護色のように白いベアを見つけることは困難だった。
その時!
「ぐふぉああぁぁぁ!」
響き渡る叫び声。続いてドサッという音。ベアは、ソアの足もとに倒れ込んでいた。
「ど、どうしたの?」
「危険だぜ……あの蜜は。あいつはやべぇ」
ベアは、もともとつまみ食い目的でキッチンにいた。そして、ソアが調理を手伝っていた蜂蜜アルコール化合物を口にしてしまったのだ。
「どうして……そんなに蜜が食べたかったのなら、後で買ってあげたのに……」
「ご主人……俺様はこれまでのようだ。……馬鹿な熊だって、笑ってくれ……」
がくっ。
「ベアーーーー!」
……数分後。駆けつけたアクアにキュアポイゾンをかけてもらったベアは、再び元気につまみ食いに励むのである。キュアポイゾンで回復するということは、あの化合物は毒になってしまったのだろうか……。
さて、キッチンの中は白煙でやや視界が悪くなったものの、イーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)は落ち着いて蜜作りに取りかかっていた。傍らではパートナーのアルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)が、イーオンのためにぱたぱたとあおいで白煙を払っていた。
「まだ怒ってるの?」
「……怒ってなどいない……」
アルゲオは、イーオンが蜜作りをすると言い出したとき、うっかり「イオは家庭科1でしょう」と突っ込んでしまったのだ。結局、若干申し訳なく思っているアルゲオは、ムキになって調理に挑むイーオンをサポートしているのだ。
「……カブトムシは糖分に寄るのではない。アルコールと酢酸の匂いに引き寄せられるのだ」
家庭科1とはいえ、この調理を「化学実験」のようにこなすアルゲオは、手早くむいた完熟バナナに、極甘ワインを流し込んでいく。
「おなかすいた。バナナ食べてもいい?」
「……このバナナは食べられないくらい熟しているぞ。やめたほうがいい。全てカブトムシの好みを考えた上でだ」
確かにバナナは、軽く押すだけでふにょりとへこんでしまうほど熟していた。
「やっぱりイオは天才だ……」
アルゲオの目尻は下がりっぱなしだ。
イーオンにより、カブトムシが好みそうな蜜が出来上がった。あちこちで悲鳴や爆発音が聞こえるこのキッチンで、どうにかひとつは木に塗ることが出来る蜜を確保することができたのである。
大切な蜂蜜を毒物にされてしまったシュルツは、アーカイヴスの手から材料を全て取り戻し、自分で管理をして調理中の人々に分けていた。
「その中にクローバーの蜂蜜はありますか?」
シュルツに声をかけたのは織機 誠(おりはた・まこと)だ。誠も、修羅と化しているキッチンの中で、真面目に蜜作りに励む一人だった。
「それなら……これです」
シュルツは瓶のラベルを確認し、クローバーの蜂蜜を誠に分けてあげた。
「とにかく甘い蜜を作りたいんです。そのためにはこのマイルドなクローバーの蜂蜜が必須! これに、糖度が高い葡萄をミックスして煮詰めてみましょう」
渋みを除去するため、葡萄は丁寧に皮と種を取り除く。潰して鍋に入れ、火にかけて蜂蜜を注ぎ込んだ。
……ぐつぐつ。これでもかってほどのあま〜い香りが充満する。煮込むほどにどろりと濃厚になっていく。
「もしもし? 疲れたでしょ。煮込みを手伝おうか?」
常にかき混ぜていなければならない煮込み作業に誠が疲れてきたころ、リック・メタボ(りっく・めたぼ)が手伝いを申し出た。
「ありがたいです。蜜が濃厚になってきて、混ぜるのが大変になってきたところだったんです」
誠は腕をぐるぐると回しながら答えた。
「ではお言葉に甘えて、しばらく頼みます」
誠は鍋をリックに任せると、休憩のために用意された部屋に向かって行った。
「ごくり……」
鍋を混ぜながらも、リックの目的は蜜を食べることだった。良い葡萄と蜂蜜を使った蜜の甘い香りに、もう我慢の限界だった。
「いただきまぁす!」
とうとう蜜をすくって口に運ぶ。それは常人であれば気絶するほどの甘さだ。だが、リックにとっては好みドストライクだった。
「うまあぁぁぁいぞおぉぉぉ!」
ぱくぱくぱく。蜜はどんどん減っていった。
「丁寧な仕事で処理された葡萄と、選び抜かれた蜂蜜のコラボレーションは見事! この芳醇な味わい……」
……やがて。休憩を終えた誠が戻ってくる頃には、鍋の中身は半分になっていた。
「煮詰められて中身が減ったのかな……」
誠から見えない場所で、リックはそっと口元を拭っていた。全て食べ尽くさなかったのは、リックなりの優しさだった。
つまみ食いをしながらもリックは混ぜることをさぼらなかったので、誠の蜜は少量ながら無事にできあがったのだった。
いろいろと事件がありながらも、世界樹に塗るのに充分な量の蜜が完成した。それらの蜜は、フタつきの容器に移して並べられた。ここで一度、全員で休憩をとるため、別室に移動した。
しばらくの後、キッチンに戻ってきてみると、蜜の容器に異変があった。
「いくつか足りない……。なくなってる!」
学園の外。暗闇の中を走る人影があった。
なくなった蜜のうち、ひとつを抱えているのはヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)だ。さっきまで材料調達などで、蜜作りを手伝っていたのだが……。
「いただいちゃった。だって美味しい蜜を虫にやるなんてもったいないし♪」
ヴェルチェは最初から、完成した美味しい蜜を手に入れるつもりで参加していたのだった。
「そろそろ学校から離れたから大丈夫ね。さ、瓶に移して売りに行きましょ♪」
ぱかっ。容器のフタを開けたとたん。
ぶうぅぅぅぅぅん。
「きゃああぁぁぁぁぁぁ!」
複数の羽音が、ヴェルチェの方に集まってきた!
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