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どこに参ろか初詣

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第5章 貧乏神と福の神

 空京神社の隅の一角。知らずに来た者もその雰囲気を見れば、ここは何か違うのではないか、と避けたくなるような社……にもかかわらず、貧乏社の周囲には人が集まり始めていた。
 社の中で布紅は落ち着かなげにうろうろしていた。静かに落ち込んでいたいのだけれど、これだけ外がざわざわしていると膝も抱えていられない。
 一体自分とこの社に何が起きたのか、どうしてこんなことになっているのか、貧乏神と化してから、否、自身を否定して殻に閉じこもってからはじめて、布紅は外に興味を持った。少々乱暴ではあったけれど、布紅の気持ちを揺さぶった人々によって固い殻は砕け、ようやく布紅は外の空気に触れたのだ。
 急に流れ込んできた空気は布紅を戸惑わせ、怯えさせている。けれどそれは変化への第一歩。その先にあるのが、貧乏神への道なのか福の神への道なのか、それはまだ誰にも分からなかったけれど――。


「すいません、間違えました」
 福神社で参拝すると幸せになれると聞いてやってきた如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)は、社のあまりの貧乏っぷりに思わずUターン。けれどそれをパートナーたちが、ここで合ってる、と無情に引き留める。初詣は福神社で、と決めて来たのだから、新年早々計画倒れはいけない。それは分かるのだけれど、さすが貧乏社には参拝出来ない。
 それに……と佑也は社の掃除を始めたラグナ ツヴァイ(らぐな・つう゛ぁい)と、ツヴァイに僅かなお賽銭如きで願いを叶えてもらおうなんて虫が良すぎると言われ、それを信じて一緒に掃除を始めたラグナ アイン(らぐな・あいん)に目をやった。
 アインはこの社にいるのが福の神だと信じている。ぼろぼろの社も老舗のようだと喜んでいるアインに、布紅は貧乏神になってしまったから本殿で参拝しようだなんて言えやしない。ここが貧乏社だと気づいているツヴァイも、姉が初詣に抱いている夢を無惨に打ち砕いてしまうことは出来なくて、アインにそのことを告げていない。この状態をどうにかするには、布紅に福の神に戻ってもらうしかないだろう。
 巫女のバイトに来たものの、何故か貧乏社に来てしまったヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)も、これはまずいと気付き始めていた。だがここで逃げ出しても、関わってしまった事実は消えない。ならば是非にもここを福神社に戻し、ご利益をたっぷりと受けるのが得策というものだ。
 そんな、去るに去れずにいる者たち。
 あるいは七瀬 歩(ななせ・あゆむ)支倉 遥(はせくら・はるか)のように、鳥居の残骸が転がり埃にまみれた社の惨状を放っておけず、掃除と修復をしている者たち。
 そして、初詣をする者たちも僅かながら来ている。
「唸れ、黄金の左手ー!」
 気の抜けたかけ声でおみくじを引いたシオン・ニューゲート(しおん・にゅーげーと)は、出て来たおみくじの結果に思わず大地に突っ伏した。
 大大凶……実に見事な結果と言わねばなるまい。
 おみくじを引いた後に、貧乏社へととって返してシオンは深々と願掛けをする。
「今年こそ面倒事に巻き込まれず平穏に暮らせますようにっ!」
 盛大に貧乏神に祈った願い。一体どのように叶えられるのやら。
 初詣客が来るのには、参道入り口でカレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)がちょっと怪しい客引きをしている所為もあった。手にしている看板にはでかでかと『今話題の貧乏神社! 空京放送局でも話題沸騰中』と書いてある。もちろんそれはカレンのねつ造だったりするが。
「禍福は糾える縄の如し、って言うでしょ。いきなり大きな幸せを手にしちゃっても、その後もの凄い不幸のズンドコに落ちちゃったら、そう簡単に立ち直れないよ〜。この世知辛い世の中、まずは小さな不幸に耐性をつけて、その後やってくるささやかな幸せを、しみじみ感じてみない〜? そう、苦労は金を払ってでも買え! ……でも今ならお正月限定お試し期間でちょっとしたお賽銭だけで体験出来るよ〜」
 きちんと聞けば、ここにお参りすると不幸になるよ、苦労するよと言っているのだけれど、その流暢な呼びかけについふらふらとそちらに行ってしまう人もいる。カレンも気の弱そうな人、興味本位で何かに頭を突っ込んでしまいそうな人に目星をつけて、声を掛けるようにしていた。
 カレンの横では巫女装束を着た八坂 トメ(やさか・とめ)が、カレンの謳い文句だけでは怪しいからと、扇片手に妖艶な舞を見せていた。こちらはターゲットを男性に絞り、うっとりと舞に魅了させては社に送り込んでいる。
 一歩間違えば悪徳なんとやらになりかねないが、カレンとトメがこうして人を送り込んでいるのは、神様はやはりお参りされてこそ、だと思っているからだ。人がまったく訪れなくなってしまえば、布紅は自信を失ってしまい社の荒廃は一層進むだろう。逆に、人さえ来てくれれば、それもここが貧乏社だと知った上で来て参拝してくれるなら、それはありのままの布紅を拝んでくれるということになり、布紅の自信に繋がるだろう。
 また1人、男性客を案内してきたトメは、戻り際、布紅のいる社を覗いて呼びかける。
「アタシもおっきな社の神様だったけど、今は神徳なんてぜ〜んぜん無くなっちゃった。それに比べれば神様の力が使える布紅ちゃんは十分エライって。自信持ちなよ〜」
 またお客さんを連れてくるから、とトメは布紅を励まし、参道入り口へと戻って行った。


「ほらラフィタ、歴史があって重厚な感じがする社だろう?」
 やってきた白菊 珂慧(しらぎく・かけい)は学ランにダッフルコートという恰好だけれど、パートナーのラフィタ・ルーナ・リューユ(らふぃた・るーなりゅーゆ)はブラックスーツにチェスターフィールドコートを羽織り、クルト・ルーナ・リュング(くると・るーなりゅんぐ)はダークスーツにステンカラーのロングコート、という出で立ちだ。初詣にはどんな服装がいいかと聞かれた珂慧が適当に、スーツでいいんじゃない、なんて答えた結果こうなったらしい。
「確かに由緒あり情緒溢るる社であるな。……貧相にも見えるがこれも長い歴史の賜物なのであろう」
 感心することしきりのラフィタは、珂慧に作法を教わりながら貧乏社に参拝する。賽銭を入れて鈴を鳴らし、二拝二拍手で手を合わせ。
「去年は色々あったが、それなりに充実した年であったように思う。俺も3……いや200だったか? とにかく数百年という時を生きてこうまで激動の年もそうあるまい。今年も変化の年にはなりそうだから、俺と、まあついでだ、今傍らにいる者達が健やかなることを願ってやらなくも――」
「……あまり長いと覚えられないです……」
「長くなどない!」
 言い返したラフィタの目が社にいる布紅と合った。
「すみません、お参りの邪魔をして……」
 謝る布紅に気付き、遥が伊達 藤次郎正宗(だて・とうじろうまさむね)の袖を引いた。
「おや? 殿、あんなところに『腐ったミカン』がいますよ」
「あれが件の貧乏神か。安易に非行に走りよって、こんのばかチンがー!」
 藤次郎正宗は叱責しながら社の扉を開けた。貧乏神だけに貧相な見た目の布紅を気に入らない様子で眺めたあと、勝負だ、と布紅を外に引きずり出した。
「社の清掃だなんて珍しくいいことするなと思えばこれか……」
 藤次郎正宗の指示を受けてイベントの設営をしつつ、ベアトリクス・シュヴァルツバルト(べあとりくす・しゅう゛ぁるつばると)はひとりごちた。命じられたイベントは呆れ物だったけれど、藤次郎正宗にも何か考えがあってのことだろうと、スペースを確保する。
「さあ殿、準備が整いました」
 スペースを空けて幟を立てれば準備完了。遥は藤次郎正宗を中央に差し招いた。共に連れて来られた布紅は、何が始まるのかと不安な目で周囲を見回した。
「いざ、野球拳で勝負だ! じゃんけん、ぽい」
 藤次郎正宗が号令をかけても、布紅はきょとんとしている。
「やきゅう、けん?」
「ごちゃごちゃ言わずにグー、チョキ、パーのどれかを出せ。じゃんけん……」
 勢いに圧されて、布紅は訳も分からずパーを出した。藤次郎正宗の手はチョキ。
「貴様の負けだ。さあ、ギャラリーがお待ちかねだ。服を脱ぎな!」
「そんな……」
 逃げ出そうとする布紅の進路を遥とベアトリクスが塞いだ。
「勝負は絶対だ。ルールは守ってもらおう」
「ふぇ……」
 布紅の顔が泣きそうにゆがんだその時。藤次郎正宗の頭上にばちばちと雷が落ちた。
「はいは〜い、そんな事してちゃいけませんよ」
 雷を落とした銭 白陰(せん・びゃくいん)はにっこり笑顔で藤次郎正宗を諫めた。
「邪魔立て無用。かつてある者が言った。『オレなら人類の半分を確実に幸せに出来る!』と。まぁ下半身直結ネタなのでこれ以上は言わずに置くが」
 藤次郎正宗は彼なりに、創意工夫で幸せを与えられること、そして素っ裸にするまで何度も勝負することによって根気よく続ける意義を伝えようとしていたのだが、布紅はそんな心も知らず、雷で出来た隙に転げるように社へと走り戻っていった。


「一体何事かと思えば」
 参拝にやってきた樹月 刀真(きづき・とうま)は、社周辺にいる者から現状を聞いて嘆息した。初詣など面倒だというのを漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)に引っ張られてやってきたら、福神社は瘴気に包まれた貧乏社になっている、という始末。
 こんな状況を作り出した布紅に文句の1つでも言わなければ気が済まない。刀真は社に向けて呼びかけた。
「幸せがどうとか言ってましたけど、幸せなんて自分で手に入れますからいりません。誰かから与えられた幸せは時として不幸を呼びますから。それに大体、幸不幸なんて受けてる側の都合で変わるんですから、大きい方が良いなんて一概に言えないんじゃないですか」
 布紅は項垂れているばかりで応えはない。そこに刀真は重ねて言う。
「そんなくだらない事で悩んで不幸を振りまいていただなんて、馬鹿ですか君は。そういうのは迷惑なんでとっとと……痛たたたた」
「刀真、よく分からないけど言い過ぎ」
 月夜は刀真の耳をぎゅぅと引っ張って止めると、布紅に謝った。
「刀真が言い過ぎた、ゴメン」
「いえ……」
 布紅は消え入りそうな声で首を振る。
「刀真、行こう」
「分かりました行きます、行きますから耳を放して」
 月夜に連れられて刀真は社から離れていった。が、すぐに月夜がつんのめる。
「きゃっ、鼻緒が切れた」
「ついてませんね。貧乏神の社にいたからかな?」
 早くここから離れないとと、刀真は月夜を抱き上げた。鼻緒を直すのは別の場所でした方が安全だろう。
「ふわっ……んっ」
 晴れ着の袖が、ひらりと揺れる。お姫様だっこされた月夜は赤くなり、照れたように笑った。
「見てみろ。お前は不運を与えたはずだが月夜の表情は不幸な者のそれか? 大金を手にしてもあんな顔せんわ」
 玉藻 前(たまもの・まえ)は社を振り返り、布紅に月夜を指さしてみせる。
「結局の所、幸不幸もその大小も受け取り側次第ということだ。お前が劣等感を抱いている奴らが与えた大きな幸運とやらも、賭け事で大勝して調子に乗り借金苦、競っている相手側に幸運が与えられたことにより逆側が敗北する、等して結果的に不幸になれば、与えた神を疫病神呼ばわりだ。人間とは本当に勝手な生き物ゆえ」
 くっくっと玉藻は小さく哂う。
 基準のあって無いようなそんなものに一喜一憂している布紅が可笑しい。少しばかりであろうとも幸せが来たならばそれで十分だろうと、泰然と構えているくらいでなければ、神などやっていられまいに。
「玉藻、何してるんですか? 行きますよ」
 刀真に呼ばれて玉藻は踵を返した。刀真がわざわざ声をかけたからと、貧乏神にお節介を焼いた自分に苦笑しながら。


 貧乏神、それも空京神社という規模の大きな神社の境内に社が存在する、というのは興味深い。三社参りで空京神社にやってきた九弓・フゥ・リュィソー(くゅみ・ )は、貧乏社とその瘴気のあり方に疑問を持ち、布紅にその解明実験への協力を要請した。
 布紅は警戒する様子で確認する。
「叩いたり脱がしたりしないなら……」
「そんな必要はないわ。ただ少し縁起物に対する反応を見せてもらいたいの」
「それなら……いいです」
 まだ少し怖々ではあったけれど、布紅は肯いた。
 貧乏社の周辺には、厭な空気が立ちこめている。布紅の吐く瘴気だ。しかし吹けば飛ぶような貧乏社の結界が、強大な神気に呑まれても吹き散らされてもいないのは何故なのだろう。だとすれば、神気と瘴気は必ずしも対立するものではない、ということか。
 九弓は布紅に空京神社で買い求めた破魔矢を持たせ、あるいは鈴の音を聞かせ、その反応を見た。
「平気? 特に苦手でもない?」
「はい。別に……」
 破魔矢を持たせても、御手洗の水をかけてみても、布紅の手にも様子にも異変は見られない。鈴の音を聞かせると、目が覚めるような気がします、と答えたが厭そうなそぶりはない。
「平気なのは、これがパラミタの縁起物ではないからなのかしら」
 疑問は次の疑問を呼び、別の仮説を引き寄せる。
 九鳥・メモワール(ことり・めもわぁる)はその実験の詳細を逐次記録していった。いつものゴチック調スカートスーツの上に、同じ夜色のシャープなコートを着ているがそれでも寒さが身に染みてくる。
 そんな九鳥とは逆に、ふわふわの白いファーコートを着た上に九弓のフードの中に入っているマネット・エェル( ・ )は、ぬくぬくと暖かそうだった。
「パラミタでも場所によって縁起物は違いますけれど、地球のものと似通っているものが多いのですわ」
 日本の御守り袋の代わりにシャンバラ女王の御守りがあったり、幸せを手招きする動物の置物があったり、祓いに使われる植物があったり。
 マネットが挙げる縁起物で手に入るものは布紅に持たせてみたが、こちらにも良い反応も悪い反応も出なかった。
「わたくしも縁起物のようなものでしたけれど……」
 マネットは布紅の手に触れ、それから、と付け加えた。
「一番基本的な縁起物は、にっこりと笑うことなのですわ☆」
 だが、マネットに促されても布紅は笑えなかった。強ばった顔を僅かに緩ませるのが精一杯。
「笑えないのはどうして?」
「分かりません……」
 質問を続ける九弓に、記録係の九鳥が寒そうに足踏みしながら聞く。
「ちょっと九弓、ここ超寒いんだけど。いつまでやんのよ?」
「知りたいデータを全部取るまでよ」
 自分の質問ばかりでなく、他者の言動で何らかの反応が出ることもあるだろう。貴重な機会だけに、すべてを記録しておきたい。
「やっぱりそうなるのね」
 九鳥はちらっと暖かそうなマネットのコートに目をやったが、何も言わずにまた記録に戻った。
「貧乏神でも神は神。縁起物をいろうても平気なんは、そういうことやありまへんの」
 ゆったりとそう言った橘 柚子(たちばな・ゆず)は千早を羽織った巫女姿、といっても空京神社のバイトだからではなく、木花開耶媛命を祀る浅間大社の御巫である柚子は日常生活をこの装束で送っている。長い髪を束ねているのも正式に水引だ。
 御巫の立場である柚子は、神を祀り神に仕え神意を世俗の人々に伝えることが役目。その神が貧乏神であろうとも否定はしない。柚子個人としては、布紅は貧乏神であるよりは福の神である方がいいのではないかと思うが、そうあれと自身の口から言っては筋が違ってしまう。代わりにこう皆に問うた。
「貧乏神であられる事が布紅様の意思どしたら、神意にさかろうてはあきまへん。それとも、布紅様が貧乏神やと、何か問題があるんどすか?」
「俺も別に、貧乏神は貧乏神でいいし、福の神にならなくてはいけないなんて事は言わない」
 否定の言葉が返るかと思ったが、レイディス・アルフェイン(れいでぃす・あるふぇいん)の口から出たのは貧乏神を否定する言葉ではなかった。が、レイディスは、だが……と続ける。
「今の状態は、布紅らしく生きてるようには見えねぇ」
 不運を受けた者よりも暗い顔をして、社の隅に縮こまっている小さな身体。人は神に幸せにして欲しいと望むけれど、神は誰に幸せにしてもらえると言うのだろう。
「あたしは、布紅さんが福の神でも貧乏神でもここにいて欲しいよ。布紅さんが一番自然なままでいられるのが良いと思う」
 歩も布紅が貧乏神であるのはダメだ、なんて思わない。けれど、その言葉の続きも、でも……から始まる。
「レイディスさんが言ったように、今の布紅さんは自然には見えないの。こうやって不幸を振り撒いちゃうのは、布紅さんにとって悲しいことなんじゃないかな? だったらあたしは、布紅さんに悲しい状態にいて欲しくないよ」
 貧乏神であることが悪いのではない。ただ、それが布紅自身を不幸にすることなら、そこから脱して欲しい。
「私の自然……」
 布紅は考え込んだ。自分はどうしたいのか……自分のうちにこもり瘴気を吐き続ける貧乏神でいる? ……それは楽なことだけれど……どこか間違っている気もする。それとも小さな幸せしかあげられない福の神に戻って、無力感に苛まれながら過ごす? ……それを続ける強さが自分にないのは思い知っている……。
「……分かりません」
 答えを知っているような気がするのに、その答えを見つけられず布紅は項垂れた。