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【1】 

  PM 15:30
    百合園女学院廊下



「暖かくなりましたねぇ」
 廊下の掃き掃除をしている時、窓からの日差しを受けて高務 野々(たかつかさ・のの)は誰にともなく呟く。
 こんなに暖かいというのに、ここ百合園女学院では風邪が蔓延しているらしい。あるいは突然暖かくなったから気候の変化に耐えられず風邪を引いたのかもしれない。
 けれど、と野々は思う。
「体調管理はしっかりするべきです」
 自分のクラスでも、風邪で欠席した席が目立っていた。ああいうものを見ると、なんだか寂しくなる。
 だからと言って無理をするべきではないですけどー、と思いながら箒で廊下を撫でる。
 コツコツコツ、と踵が強く床を蹴る音が聞こえて、野々は顔を上げた。薄く弧を描く口元。涼しげな目。気品溢れる出で立ち――と、全ていつも通りだが、雰囲気が険しい。そのせいか、廊下に居た生徒は何を言われるまでもなくラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)に道を譲った。
「こんにちはラズィーヤ様。本日もご機嫌麗し……くはなさそうですね。どうかされたのですか? ……! まさか私の掃除が行き届いていない場所が!?」
 そうやって野々に声を掛けられて、ラズィーヤは自分がどう見られたのか悟ったらしい。いくらか険のあった雰囲気を仕舞いこみ、優雅に微笑む。
「ごきげんよう。違いますわ、野々さん。……静香さんが風邪で寝込んでしまいまして」
「静香様も風邪を!? それは一大事です。ラズィーヤ様、後ほどお見舞いに伺わせて頂いても宜しいでしょうか?」
「それは構わないのですが、まず野々さんが風邪を治してからでないと」
 有無を言わせぬ笑みがあるとすればこれだろう。にこり、と、綺麗に。一分の隙もない笑顔を浮かべてラズィーヤは言った。
「え? い、嫌ですね、この私が風邪を引いているわけ無いじゃないですか」
「そうですか?」
「あ、ちょっ、顔が近いですよ!?」
「失礼」
 ラズィーヤが野々の前髪を上げる。ふわりと甘く華やかな香りが広がって、ああラズィーヤ様いい香り、そう思っているうちに野々の額にラズィーヤの額が重ねられて、
「熱いですわ」
 誤魔化せなかった。
「何度あるのです?」
「うー……さんじゅう、はち、ほど」
「風邪ですわね? 声も掠れていますよ、お気付きだったかしら?」
「う……」
 気付いていなかった。逆に、そこまで気付かれていた。
「ご自愛なさい。酷くなったらどうするつもりですか?」
「す、すみません……ですが、メイドとして休むわけにはっ――」
「野々さん」
「……」
「風邪を風邪だと馬鹿になさらないで。万病のもとですのよ? 悪化して、万が一のことがあったらと思うだけで、わたくしは恐ろしいの」
「……あぅ。申し訳ありません」
 しょんぼりと呟き頭を下げると、ラズィーヤは野々の髪を撫でた。引っかかることなく毛先まで指先が通っていく、感覚。
 それを繰り返しながらラズィーヤが微笑む。見えなかったが、多分微笑んだ。だってなんだか柔らかい。
「ゆっくり休んでくださいまし。わたくしは、いつもの”ついいぢめたくなってしまうような”元気な野々さんが好きですの」
 好き、と言われて顔が赤くなる。頬が、目元が。
 熱があることに気付いた朝よりも熱い、気がする。
「い、いぢめられたくはないですけどっ……! でもすぐに治しますね! それではっっ!」
 勢いよく顔を上げて、野々は廊下を走る。顔を上げたときに見えたラズィーヤの顔は、案の定微笑んでいた。けれどすぐに険しくなって、
「廊下は走らない!」
 叱責の声が飛んできた。「ごめんなさいっ!」と急ブレーキ。それから、ああ、言い忘れていた。
「静香様には、私も心配していたとお伝えください! それではーっ!」
 ぶんぶんと手を振って、早歩きで廊下を行く。
 ああ、熱い。
 熱のせいなのか、日射しのせいなのか、急に動いたからなのか、ラズィーヤがあんなことを微笑んで言うからなのか。
「きっと、全部が原因ですっ……!」


*...***...*


  PM 16:00
    百合園女学院 学生寮

「うぎぎぎぎ……」
 ベッドに横になっていたプレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)は、普段の彼女らしからぬ低い声を発した後、ベッドの上を転げ回った。
「お、お掃除が……っ!」
 できない……!
 ベッドの上から床を見る。昨日帰宅後あまりの辛さに耐えかねて、脱ぎ散らかしたままにしていた制服が目につく。
 片付けたい。
 ハンガーに掛けて、床の上を綺麗に……。
 せめてそれくらいできないかと上半身を起こして、眩暈。あえなくベッドに逆戻り。
 そんなことを数回、繰り返していた。
「もー! プレナおねぇちゃん、おとなしくしててよぉ〜……」
 じっとしていられず、寝返りや起きて倒れてを繰り返すプレナへと、ララ・シュピリ(らら・しゅぴり)が呟いた。ベッドのすぐそばに腰かけ、プレナの額に手を伸ばす。
「おねぇちゃん、お熱あるんだからぁ、休まないとよくならないんだよぉ?」
「で、でも……」
「でもじゃないのぉ。ララがえほん読んであげるからぁ、ゆっくりしててぇ?」
 にぱぁ、と花が咲いたように微笑まれてはその提案を無下にもできない。し、絵本というものにも興味が湧いた。
 大人しく聞くことにして、プレナは寝返りをやめて静かに横たわる。

 一方、キッチンでは幻時 想(げんじ・そう)がおかゆを作っていた。葱を刻む音と、おかゆを煮るぐつぐつという音。ご飯のいい匂いがたちこめている。
 その横ではクラーク 波音(くらーく・はのん)がしょうがを擦り下ろしてしょうが湯を完成させていた。
「できたぁっ」
 嬉しそうに波音が言って、すぐにプレナのところへ持って行こうとするが、
「ちょっと待って」
 アンナ・アシュボード(あんな・あしゅぼーど)に止められた。
「どうしたの、アンナ」
「好みでこれを入れてあげてください」
「はちみつ?」
「はちみつは喉にいいし、甘いから。あと、プレナさんが火傷しないようによく冷ましてあげてくださいね」
「うん! ふーふーして冷ましてあげるんだ〜♪ んっふっふ〜」
 しょうが湯をこぼさないようにゆっくりした足取りで、波音はプレナが横たわるベッドへと進む。こぼさなかったところまで見届けて、アンナは想を見た。すでにおかゆは完成段階で、葱を一緒に煮ているところだった。
「手際がいいですね、想さん。料理得意なんですか?」
「いえいえ、大したものは作れないですよ。なんせおと――」
「? おと?」
「あ、いえ!! 一人暮らしですので、食べるのは自分だし……ってろくに調理勉強しなかったものだから、本当に大したものは作れないんです。……よかったら味見していただけますか?」
「私でよければ、喜んで」
 れんげに少し掬い、冷ましてからひと口食べる。胃の負担や、水分補給を考えて多めの水で作られたおかゆは、温かくて優しい味がした。大したものは作れない、と想は言っていたけれど、もう少し胸を張ってもいいとアンナは思う。だって、
「美味しいですよ。とても」
「本当ですか?」
「ええ。プレナさんに持って行ってあげましょう」

 ベッドの横ではララと波音が二人で絵本を読み聞かせていて、なんとも微笑ましい。
「ついにぃ! うさぎちゃんはぁ〜、大好きな人参を手に入れることができたのですっ!」
「おぉー……!」
 どうやらクライマックスだったらしく、読みあげるララの声にも力がこもり、プレナは寝たままちぱちぱと拍手していた。
「そしてうさぎちゃんはぁ、人参をはぐはぐと美味しそうに食べることができたのでしたっ。めでたしぃ〜☆」
 読み終わって、またプレナが拍手。お見舞いの効力か、最初尋ねてきたときよりも元気そうに見えた。
「あ、想ちゃん! おかゆできたんだ!」
 真っ先に想に気付いた波音が言うと、プレナが想を見る。
「プレナ先輩、おかゆ食べられますか?」
「幻ちゃんのお手製? ありがとうー、食べたい」
「じゃ、あたしがプレナちゃん起こしてあげる!」
 波音がプレナを抱き起こして支える。自分で身体を起こすのがままならなかったプレナだから、申し訳なさそうに、でも嬉しそうに「ありがとー」と言って微笑んだ。
「とても熱いですので気をつけて」
 ふぅ、と冷ましてから、開いた口におかゆを乗せたれんげを運ぶ。口が閉じられて、はくはくと咀嚼する。
 そんなことを繰り返して、微笑ましいと同時に少し恥ずかしさを感じた。
「は、波音さんっ」
「んっ?」
「交代していただけませんか……」
「りょ〜かいっ。プレナお姉ちゃん、喉乾いてない? お水いる?」
 代わりにれんげを受け取った波音はにこにこ笑顔でプレナに尋ねる。プレナはわずかに首を横に振って大丈夫だと意思表示。そしておかゆもっと、と急かすように小さく口を開いた。
「プレナおねぇちゃん、かわいい! ララもあーんさせてあげるー!」
 きゃっきゃとはしゃぐ彼女たちに背を向けて、想は床に散らばったプレナの制服を片付けた。
 片付けた。そう、その瞬間、熱に浮かされてぼんやりとしていたプレナの目が、カッと開かれた。

「おそうじ……」

 ぽつり、と。
「え?」
「ほぇ?」
「どうかしました?」
「?」

「お掃除は、プーレーナーのっ、仕事だあぁぁっ!!!」

「お、おねぇちゃん!?」
「プレナお姉ちゃん、落ち着いて! 横になってぇ!」
「幻ちゃんでしょ! 幻ちゃんずるい! プレナにも掃除させろおー!!」
「ええっ、ちょっ、駄目ですよ! プレナ先輩は寝てなくちゃ……!」
「あ、そ、そうだ! プレナさん、お身体拭きましょう!? 汗かいて気持ち悪いですよね! ね!」
 珍しくアンナが慌てたようにそう言って、お湯とタオルを手早く用意した。波音とララがプレナを横たわらせ、パジャマのボタンを開ける。白い肌が露わになり、丁寧にタオルで拭いていく。
 ごし、ごし。
 ただ、その擬音はプレナにとって、
「掃除……ずるい……してるでしょぉ……また誰かがプレナの代わりにお掃除しやがってるんでしょぉ……?」
 床を磨く音にしか聞こえないらしい。
 恨みがましく低音でぼそぼそと呟く。うぎぎぎー、という呻きも加わった。
 僕、失敗しました? 想がプレナの方を見ないように心がけつつ、ジェスチャーでアンナに問う。アンナは苦笑いしつつ、ほとんど音を立てないほど丁寧かつゆっくりと身体を拭いていく。その手がプレナのズボンに手をかけたあたりで、想は思い切り窓の方へと顔を逸らした。その際、カーテンがよれていることに気付いて直す。勿論、その音をプレナは聞き逃さなかった。
「ああ……アニメのイケメンカップルがお掃除してる……」
 今度は暴れたりしなかったが、妄想全開な分、逆に危うい。
「プレナさん、身体拭いたら少し寝ましょうね」
 諭すようにアンナが言って、プレナの髪を撫ぜる。ララと波音が子守唄を口ずさみ、身体を拭き終わる頃、プレナはうつらうつらとまどろんでいた。
「おやすみ、おねぇちゃん」
 ララが、波音が、アンナが、部屋を出て行く。
 それに想も続こうとして、立ち止まった。
「先輩、僕は……今まで隙になった方とは必ず、上手くいかなくなってしまっています」
 寝ている相手に対して独白なんてずるいなあ、と思いつつも止まらない。
「なので……先輩ともそうなってしまうんじゃないか、って……考えるだけで、怖いです。
 ですので……今は大それた望みは口にしません。でも、僕は先輩の傍に居ると幸せな気持ちになります。先輩の笑顔や言葉が、僕の心を温かくしてくれます」
 どこまで言うのだろう。相手に届いているのかもわからないのに。いや、わからないから言っているのか? それもわからない。自分がわからないのに相手のことなんてわかるわけない。でも、やっぱり、止まらない。
「今願うのは、先輩の元気な笑顔の傍に僕が居られたら、居続けることが許されたら。……それだけなんです。どうか、早く良くなってくださいね。それでは、おやすみなさい」
 独白を終えて、挨拶をして、ドアを開けて、閉めて。
 そこに居るのがプレナだけになった部屋で、不意に、声。
「幻ちゃんは、自虐的過ぎるのでー……これから少々図太さも、教えて行かねば」
 寝言のような、それにしては明瞭なプレナの声が、誰にともなく。