百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

【2020授業風景】すべては、山葉のために

リアクション公開中!

【2020授業風景】すべては、山葉のために

リアクション

  〜×××××〜
 
 
「うーん、つまんないなー……」
 芦原 郁乃(あはら・いくの)は、沸騰する前のお湯を眺めながら退屈そうにしていた。料理もするつもりだったのだが、クラスメイトに「新聞に載っちゃうからやめとこうね」と言われ、郁乃はお湯の見張り番に落ち着いていた。
「何か、作ろうかなー……」
 きょろきょろと調理台を見渡していると、秋月 桃花(あきづき・とうか)が郁乃の袖を引っ張った。
「あそこに花音様がいますから、お声かけにいきましょう」
「え? 花音?」
 示された方を見ると、花音は上の空でぼーっとしていた。
(あれ? さっきまで元気だったのに……そういえば、さっき涼司が出て行ったけど……ケチャップまみれで)
「ちょっと、席外すね」
 郁乃は一緒に来たクラスメイトに声を掛けてから、花音の方へ歩いていった。その後ろで、桃花に対してクラスメイトがグッジョブ! と親指を立てていたことは知らない。
「涼司、戻ってこないね」
「そうだね……」
「追い掛けなかったんだ」
「……最近は、ずっと一緒に居るわけじゃないんだよ。別行動することもあるし」
 元気なく笑う花音に、何か様子がおかしいと思った郁乃は、喧嘩でもしてるのかな、と考えた。彼女は、花音が食堂で言った台詞を知らなかったのだ。ついでに言えば、この実習の意図も知らない。
 カマをかけてみようと、郁乃はわざと涼司の悪口を言ってみた。
「涼司って変態だよねぇ。よく花音は一緒にいられると思うよ。ちょっと怖いよねぇ、桃花」
「え?」
 桃花は一瞬きょとんとしてから、意図を察したように微笑んだ。
「涼司様は変態ですけどいい人ですよね。ただ残念なところが表に出すぎてるだけで……ですよねぇ花音様?」
「うん……変態でスケベで女好きで情けなくて、お人好し……あたし、怒ってはいるけど、嫌いってわけじゃないんだよ。でも、男としては、もういいかなって……剣の花嫁として涼司さんの側に居なきゃいけないけど、最近ちょっとうざいなって……。だって、涼司さんってね、あたしのこと、×××××んだよ」
「「…………」」
 郁乃と桃花は、その言葉の意味を理解するのに数秒掛かった。
「「えーーーーーーーーーーーっ!?」」
「それなのに、鮪さんについて悪口ばっかり言って……おかしいと思わない? 今まで散々……だから、あたしはもう涼司さんなんてどうでもいいって……使命も、鮪さんと果たせるんじゃないかなって思うんだよね……」
 そう話す花音に、郁乃は慌てて言った。
「か、花音……それ、多分誰も知らないよ……?」
「うん……みたいだね。今日、皆と話しててそう思った。別に、それはいいんだけど……涼司さんも一緒になって勘違いしてるとは思わなかったな……」
 それは本当に衝撃で、花音は本気で悩んでいるようだった。さすがに茶化せる内容ではなかったので、郁乃はちゃんと考えてアドバイスした。
「『愛とは相手を理解することから始まる』って……この間読んだ少女マンガに書いてあったよ。涼司は、花音のことを理解してないんじゃないかな? ……え、いや、×××××であってもさ、涼司は花音が大事な筈だよ」
「それは……分かってるけど……」
 桃花が続けて言う。
「まずは話をしないといけませんね。心は伝えないと分かり合えることはありません」
「…………」
 花音は笑みを潜めたまま黙考し、それから郁乃達に笑顔を向けた。
「そうね、そうだよね。全てを涼司さんに話そう。涼司さんの気持ちも、もう1度確認しよう。それから全てが始まるんだもんね」
 先程よりずっといい笑顔になった花音に、郁乃は安心して、ちょっとだけ嬉しくなった。桃花は言う。
「後悔のないように、祈っていますね」
「うん。あたし……涼司さんを探してくるね」

 今にもドラゴンに美味しく頂かれそうな出で立ちになった涼司は、とりあえずシャワーを浴びて外に出た。
「みんなが集まってくれたのは嬉しいけど……そうかあ……俺、ふられたと思われてんのか……」
 身体はさっぱりしたものの、頭はさっぱりしない。じゃなきゃなんなんだ、とこの台詞を聞いた全員が突っ込むだろうが、客観的事実だけを見ると涼司は厳密には「ふられて」はいないのだ。幻滅されている事は純然たる事実なのだが。
 では、涼司の主観として考えると……
「いや、でも、好きだと言ってくれてた女の子に冷たくされるのは……やっぱりふられたって言えるのか……。メイド喫茶……確かにメイドさんの名刺を集めてたし、今も持ってるけど……あそこまで嫌われる原因になってたなんてなあ……謝れば許してくれるかなあ……」
 はい、この台詞を読んでいらっとした方もいるでしょう。なよなよとしていてまあ情けない。つーか反省してんのかお前、と。そして、その独り言を耳にしてキレた女子がここに1人。
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はケチャップまみれで家庭科室を出て行った涼司を心配して彼を探していた。最近の花音の、涼司に対する態度はさすがにひどい。実習で心を込めて作った『元気が出るスタミナ料理』を持って、出会ったらちょっとだけ悪い所を指摘(おしおき)してから食べてもらうつもりだったのだが――
「……美羽さん?」
 ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)に無言で皿を渡すと、美羽は拳に則天去私を纏わせて涼司に向かっていった。
「なに腑抜けたこと言ってんのよ! 花音はずっとあんた一筋だったのに……ちゃんと花音の気持ちに応えてあげなかったあんたが悪いんでしょうがッ!!」
 正面からまず一撃。
「…………!!!」
 吹っ飛びかけた襟ぐりを掴んで腹に一撃。
「隠れてメイドカフェに通ったのもそうだけど!」
 ぼごっ!
「あんたが花音以外の女の子にデレデレしたり!」
 ずがっ!
「あんたが花音に隠れてエロ本を読んだり!」
 ばきっ!
「あんたがスケベ心を出して女子更衣室に侵入したり!」
 ごしゃ!
「あんたが調子に乗って事件を起こしたり!」
 ぼきっ!
「あんたが事件解決の役に立たなかったり!」
 べごっ!
「優柔不断だったり! メガネだったり! 涼司が涼司だったり!」
 ばしばしばしばしばしばし!
「要するにあんたがダメダメなメガネくんだったってことが原因なんだよ!」
「…………!」
 涼司はもうぼっこぼこで声も出ない。ちなみに、涼司と美羽のレベル差は34である。
「もう、あんたの名前なんかダメガネくんで充分だよ!」
(ダメガネ……!!!)
 涼司改めダメガネくんは、そのぴったりな名前と、それ以上に殴られまくってぼろぼろになりぽろぽろと涙をこぼした。
「美羽さん……もうその辺で……」
 ベアトリーチェが言うと、美羽は振り上げていた腕を途中で止めて立ち上がった。
「そうだね。ねえ、少しは活が入った?」
「…………」
 少しどころではない。そして活どころかぐったりとするダメガネ君に、ベアトリーチェは預かっていた料理を提供した。れんげで掬って、一口。その途端、ダメガネくんは咳き込んだ。
「あら……殴りすぎましたか? すみません。美羽さんがご迷惑をおかけしてしまって……」
 ご迷惑はご迷惑だが、こちらは純粋に味に対するご迷惑だった。美羽が作ったのは『スッポンとニンニクの赤まむし漬け』……。美羽には思いやりがあっても、料理のセンスというものが無い。
「美羽さんはツンデレなので、本心では涼司さんを心配しているんですよ。これで元気を出してくださいね」
 次々にスッポンだのにんにくだの赤マムシだのをダメガネくんの口に笑顔で押し込んでいく。そうして、皿が空になる頃になって、彼女は言った。
「こうなったらダメもとで、花音さんにビシッと言ったらどうですか? 花音さんが惚れ直すような男らしい態度で、俺の所に戻ってこいって」
 ダメガネくんが奮い立つように、と、ベアトリーチェはやさしく笑った。

 ぼこられるは変なものを食べさせられるはで地面に大の字に寝転がって空を眺めていた涼司は、人の姿が見えないのをいいことに台詞練習に励んでいた。
「『俺の所に戻ってこい!』『俺の所に……』」
 なんだかデジャヴを感じないこともないが、一昨日の晩とは見える空の色と、気分が違う。ただただやけになっていたあの時と、グロッキーになりつつも色々反省し、花音に誤ってみようか、男をアピールしてやろうか、と思っている今では。
 そう、それで南 鮪(みなみ・まぐろ)から花音を取り戻して正気に戻すことが出来るのなら、男になってやろうじゃないか。
「俺の所に……戻ってこい!」
「山葉」
 その時、いつの間にやってきたのかウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)に覗き込まれ、涼司は慌てて口を閉じた。
「……ウ、ウィング……!」
「ぼこぼこになって何を言っているんだ? その顔では格好良い台詞が気の毒だな」
 ウィングは涼司を引き起こすと、彼を中庭に誘った。片手には大量の豆大福を持っている。ウィングお手製だ。
「少し、話さないか?」
「あ、ああ……」
 マムシの消えない後味を何とかしたい。豆大福につられたというのもあって、涼司はウィングの誘いに乗った。
「う、うまい……!」
「うちの神社の巫女さんたちにも大人気なんだぞ」
 涙を流さんばかりに口直しをする涼司に言うと、中庭の全景を見ながらウィングは続けた。
「お前と出会ってから、もう1年だな。部活動参観日に剣を交わしたが引き分けに終わり……遠泳大会では私が数秒の差で勝った。ファティと花音が勝手に賭けをしていたのには驚いたな。デスクエストでは、ログインしそこねて呪われ、私の女装写真が……ううっ!」
 女装写真だけではなく○○○だったり×××だったりという写真がばらまかれたことを思い出し、ウィングは泣きそうになった。
「ま、まあ……あれは不憫だったな……」
「お前に不憫と言われたらおしまいだ……。いや私のことはいい。何か、悩みがあるのだろう?」
「……俺……花音のこと、何もわかってなかったんだな……」
 それから涼司は、花音がメイドカフェについて怒っていたらしいこと。その他諸々の『男としては』普通の行いもその原因だと言われたこと、未だに絆値にこだわる花音の気持ちが理解出来ないこと、言いたいこと、やりたいことをやれと発破をかけられた事などを話した。
「そうか……」
 ウィングは話を聞き終わると突然立ち上がり、涼司に剣を投げ渡した。
「立て、山葉!」
 いきなり斬りかかられ、涼司は驚きつつもその剣を受けた。男を元気付けるなら食べ物じゃなく、熱い拳(剣だけど)だ。
 次々に剣を繰り出し、刃を交えながら挑発的に言う。
「君にとって、花音は何なんだ? ただのパートナーなのか、妹なのか、それとも……」
「あいつは……俺にとって……×××××なんだよ!」
「!?」
 その意外過ぎる言葉、加えて力の籠もった涼司の剣に、ウィングは体勢を崩した。再び襲い来る想いの乗った攻撃を、正面から受ける。
「そうか……いや、そうであるなら尚更! お前はそれを花音に……皆に言うべきだ。始めからそれが明確ならば、こんな事にはならなかった!」
 涼司の剣を押し返す。
「山葉よ、お前は花音の好意に甘えてはっきりした態度を取らなかった。それが今のつけになっているんだ。このままだと、お前は絶対に後悔することになる。一度手放したら、もう二度と戻って来ないのだからな……」
 ウィングは自分の過去を思い出しながら言い、続けて叫ぶ。
「だから今度は花音におまえの意志、想いをぶつける番だ。こんなところでうじうじしている暇があったら、さっさと行って男らしいところを見せてこい!」
 キィン!
 最後に思い切りぶつかりあうと、ウィングは離れて剣を収めた。
「……?」
 怪訝そうにする涼司に、彼は背を向ける。
「私は今、内海の畔、トリトニスというところに居る。何かあったら、頼ってこい」
 そして、そのまま去っていった。
「…………」
 呆然とそれを見送り、涼司は持っていた剣を見つめる。
「これ……もらっていいのか……? もらっとくか」
 その時。
「わひゃっ!」
 涼司はわきの下をくすぐられて変な声を出して剣を取り落とした。振り返ると、至近距離に五月葉 終夏(さつきば・おりが)の顔がある。
「へへー、びっくりした?」
「な、なにすんだ!」
 涼司が顰め面で抗弁すると、終夏は「んー……」と何か考えるようにしてから、楽しそうな顔で再びわきに手を入れてきた。彼が知る訳もないが、顰め面は逆効果である。
「わっ! うわわわわわ!」
 くすぐったさに、パペット人形のような変な動きになるが、訳の分からぬ攻撃への混乱が勝って、なかなか笑わない。
「しぶといなー。何が何でも笑わせるよ!」
 終夏は巧みな指使いで、わきの下から腰まで範囲を広げてくすぐり始めた。こちょこちょこちょ……
「…………わははははははっ! も、もう駄目だ、勘弁してくれ!」
 涼司はたまらずに、周囲の目も憚らずに笑い出した。
「はははははははっっっ!!!」
 目尻に涙を浮かべて半ば混乱しつつ腹を抱え、へそで茶が沸きそうな勢いだ。その彼の眼前に、終夏はひょいっとラッピングされた箱を掲げてみせた。
「はい」
「はははっ……ん?」
 涼司は、反射的にそれを受け取り、きょとんとした。リボンと包装紙の間には、四つ葉のクローバーが挟まれていた。
「……俺に?」
「他に、誰がいるのさ」
 笑って終夏が言うと、涼司はクローバーを指でつまみ、戸惑いながらもリボンをほどいた。蓋を開けると、中には眼鏡型のチョコが入っていた。涼司の掛けている眼鏡とそっくりだ。
「これ……バレンタインの時の……」
「あ、覚えててくれたんだ? そう、あの時のと同じだね」
 チョコを持って、思わずメッセージを探してしまう。だが今回は、グッドラックという文字も、『義理』という文字も入っていなかった。バレンタインでも何でもないのだから、『義理』は無くて当然なのだが……
「あ、悪い……俺、ホワイトデー……」
 一応覚えておく、と言っておいて、結局渡さずじまいになっていた。花音に渡そうと必死になって――
「んー? 良いんだよ? あんなの決まり文句みたいなもんだし。それよりさ、笑ったら、少し気分がすっきりしない?」
「え……?」
 言われて、初めて涼司は気付いた。もやもやとして、悲しくって、やけになって……いたのに、憑き物が落ちたような気分である。
「暗い顔をしてると悪いものが寄ってくるんだ。笑わないと身体にも悪いし……それに、笑顔は幸福を呼ぶ最大級の魔法なんだよ?」
「…………」
 日の光の所為、だろうか。終夏の顔がまぶしく見えた。
「悲しい事があったら悲しんだ後に声を出して笑おう。つらい事があったら落ち込んだ後に声を出して笑おう。そうすれば……向かい風だって追い風になるよ。だから、笑って」
 そうして、終夏は微笑んだ。
「君が笑ってくれると、私も嬉しい」