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【2020授業風景】すべては、山葉のために

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【2020授業風景】すべては、山葉のために

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  〜始発はメイド、さて終点はどこにある?〜
 
 
「涼司さん……でれでれしちゃって、もう、馬鹿極まりないですね。あーあ、鮪さんに会いたいなー」
 涼司達を冷めた目で見ながら、花音は大きな声でひとりごちた。そこに、ジェイコブ・ヴォルティ(じぇいこぶ・う゛ぉるてぃ)が近付いたところだった。
「あれを見ると気持ちも分かる気がするが……それにしたって、もう少し考えて行動したらどうなんだ?」
「……? 意味が分かんないんですけど」
 花音は怪訝な顔で彼を仰ぐ。演技ではなく、本気でそう思っているらしい彼女にジェイコブは言った。
「パートナーである以前に1人の人間だから、他に想う人が出来ることだってあるだろう。だからといって、食堂であんな事を言わなくてもいいと思うぞ」
「あんな事?」
「『あたしは誘わなくていいですよ! 一緒に行く人がいますので♪』」
 振り返ると、ベアトリクス・シュヴァルツバルト(べあとりくす・しゅう゛ぁるつばると)がこちらを向いていた。ボウルの中の白い何かを練っている。その隣では、遥が枝豆の実をさやから取り出していた。調理台の上に「白玉粉」という袋があるから白い何かは団子となり、最終的にはずんだ餅が出来上がるのだろう。
「……え? どうして知ってるんですか?」
「どうしても何も、シャンバラの学生で知らない者はいない。他校生も殆どが知っているだろうな」
「え、ええーーーーーー!?」
 花音は驚くと、次に恥ずかしそうに顔を赤くした。
「そんな……ちょっとのろけただけなのに、広まっちゃってるんですか!?」
 のろけ……!? 嫌味じゃなくて!? 最後通告とかでもなくて!?
 とか何人かが思ったとか思わなかったとか。
「悪気は無かったのか……ならば尚更、もう少し相手のことを考えたらどうなんだ? 山葉の立場になって考えても見ろ」
「涼司さんの立場……?」
 ジェイコブに言われ、花音はその意味を頭の中で転がすように首を傾げた。そんな彼女をしばし見下ろし、ジェイコブは実習へと戻っていく。
「……邪魔したな」
 他の生徒に声を掛けて調理に混じる彼から視線を転じ、ベアトリクスは言う。
「成程、貴公は今、幸せなのだな。ところで、『幸福量保存の法則』というものをご存知かな?」
「……?」
 花音は、心当たりが無い、という顔をする。
「まぁ、前世紀の後半から囁かれている実に取るに足らないまゆつばものの仮説なんだが……『質量保存の法則』『エネルギー保存の法則』と同じように、『この世』或いは『個人』の幸福の総量は常に一定であるという仮説だ」
「はあ……」
 話をしながらも、ベアトリクスは白玉粉をまるめていく。
「しかしこれに近年、新たな条件が追加されるとの見方がある。つまり『パートナー契約』だよ。パートナー契約を行ったものの間での幸福量も一定になる……ということなんだが貴公らの関係を見るにどうにも納得せざるを得ない状況なのだよ、これが」
「涼司の不幸っぷりは最近、とみに進行著しいですね。これはなかなか興味深い」
 そのとんでも理論に、遥は合の手を入れた。そして、涼司が戻ってくる。丁度、1人の生徒が冷蔵庫からペットボトルを出してきて――
「コーラがあったぜ! 息抜きにどうだ?」
 キャップに手を掛け、捻る。蓋が開いたその瞬間。
「必殺! メントスガイザー!」
 遥の合図を受けたかげゆが、メントスをボトルの口目掛けて発射させる。見事に着弾。
「うわっ!!」
 ダイエットコーラが泡になって噴出し、生徒の顔に――当たる直前、遥がサイレンサー付きのハンドガンからゴム弾を発射させた。ゴム弾はボトルを吹っとばし、涼司の顔に見事にコーラが直撃する。
「ぶふぉ!」
「りょ、涼司さん!?」
 花音は純粋に驚いたようだった。死角から行われた遥の所業には気付いていない。
「うわあ……あれ、べたべたになりますね。しょうがないなあ……」
 呆れた顔をして、仕方無しにハンカチを手に涼司の方へ足を向ける。涼司は途端に、ぱあっと嬉しそうな顔をした。成り行きを見守る遥とベアトリクスだったが、彼の隣のリカインが予想外の行動に出たことで、状況は変わった。自分もコーラの被害を受けたというのに、まず涼司の顔を拭きだしたのだ。
「大丈夫? ほら、動かないで」
「お、おう……サンキューな」
 悪友であるリカインに優しくされ、涼司は戸惑いつつも試食用のテーブルに座る。
「…………」
 その様子を見て、花音はあっさりと踵を返した。涼司が、捨てられた子犬のような顔をする。平然と調理を再開した彼女に、ベアトリクスが言った。
「いいのか?」
「リカインさんがしてくれるなら、別にあたしが行く必要無いですし。手間が省けて良かったです」
 強がっている風にも見えるし、本気の発言のようにも見える。
 遥とベアトリクスは少し沈黙し――
「ところで、この枝豆は次にどうするんですか?」
 先に話題を変えたのは、遥だった。物問いたげな視線を送ってくるベアトリクスに、遥は言う。
「ここから先は、本人たちの問題ですから」

「シャツもべたべたになっちゃったから、替えをもらってくるね」
 リカインが家庭科室を出て行くと、七枷 陣(ななかせ・じん)が皿によそったビーフシチューを持って小尾田 真奈(おびた・まな)と共に涼司に声を掛けてきた。
「災難やったなぁ。ほれ、美味い飯食って元気出せ?」
 涼司はテンションの下がった表情で皿を受け取り、スプーンを使って一口食べる。その途端、くしゃっと泣きそうな――何とも情けない顔になった。
「うー……俺って、最近貧乏神でも憑いてんのかなあ。花音とうまくいかないだけじゃなくて、コーラかけられたり家の鍵落としたり眼鏡落としたり、学校入口に戻れたと思ったら名前が『メガネ』だったり……」
「ただの不注意も混じってるけど、後半のはある意味貧乏神やな……。まぁそのうち良いことあるやろ」
「そうか……?」
 顔を上げる涼司に、陣は頷く。そこに、花音がやってきた。
「何、また馬鹿な事に巻き込まれてるんですか? 涼司さんがぐだぐだしてるからあたしが変な誤解されるじゃないですか」
「花音……? 誤解って……言いたいことがあるなら教えてくれ! ちゃんと聞くから……話し合おう!」
「話し合うって、何をですか? 別に言いたいことなんか無いですし。ああ……1つありました。あたしの恋愛に、これ以上余計な……」
「お前、山葉以上にうざい」
 そこで、陣が口を挟んだ。花音は、は? というように片眉を上げて陣を見上げる。涼司に対する扱いは自業自得の部分もあり仕方ないと思うものの、それでも、一人きりのパートナーをぞんざいにしてる事にやや不快感があった。もう少し、接し方というものがあるだろう。
「気持ちは分からん事もねぇけど、流石に言い方が不味すぎるっての。今のもそうやけど、
食堂や決め台詞的な意味でもな」
「決め台詞……?」
「『もう帰ってもいいですよ』って言ってますよね」
 真奈の言葉に、花音はきょとんとした。ややあってから、目を細めて言う。
「ああ……確かに良く言ってますね。聞かれてたんですか? 本当に帰ってもいいと思ったからそう言ったまでですよ」
「花音……それって、俺が必要無いって事だよな……?」
「時と場合によっては、そういう事もあります。涼司さんだって、ありますよね?」
 幾分か声にとげを含ませる花音に、涼司は思い切り否定した。
「いや……無い!」
 花音は、思い切り冷ややかな視線を涼司に送った。
「ふうん……」
 調理に戻っていく花音から目を戻すと、陣は「あれやな……」と呟いた。
「あれ?」
「山葉、おまえメイド喫茶に入り浸ってたやろ。こうなったのも、てめぇが7割くらい悪いんやぞ?」
「メイド喫茶……」
「そうですねぇ。感情設定が親友に変わったのもそれからだったような気がしますねぇ」
 すっかり忘れていた、というようにぽかんとした涼司に、話を小耳に挟んだ八神 誠一(やがみ・せいいち)が後ろから言った。
「山葉さんはその時点で気付くべきだったんでしょうねぇ。彼女の変化は山葉さんには突然のように見えるかもしれませんが、兆候はもっと前からあったように思いますよ?」
「一度、花音が怒ってそうな事柄について考えてみたらどうや? で、一度ちゃんと謝るのも大事やろ」
「……あ、あれが原因なのか……?」
「それが全てでは無いでしょうけれど、際たるものではあると思います」
 うなだれる涼司に、真奈は続ける。
「趣味嗜好を否定するわけではありませんが、TPOは弁えなければ。花音様も涼司様もお互い様です。反省しないといけませんよ?」
 涼司は、ちらりと花音に視線を送った。花音のてきぱきとした動きで、調理はスムーズに進んでいく。彼女は料理が得意なのだ。
「おかわり、要りますか?」
「ああ……」
 空になった皿を渡すと、真奈と陣は一旦涼司の傍から離れていった。誠一は彼に向き直る。
「ここまで進行してしまっては、最早、自分の都合で相手を縛り付けているだけ、と言えるかもしれませんよ? いっその事、契約を解消するべく動いてみてはどうです? 一時的な事であり一例だけとは言え、双方無傷で契約が解消された例もありますしねぇ」
「そんな……そんな事考えられるかよ!」
 花音から持ちかけられた契約だったとはいえ、今となっては大切な人である。地球時代の妹的存在であった女の子に似ているというだけではない。ここ最近、彼女を守るという強い自信が揺らいでいたことは確かなのだが……
「これも、選択肢の1つということです」
 涼司に詰め寄られている、という現象など無いかのように、誠一は緩い笑みを保ち続ける。こうなった事に本人の責任がなかったとは言い切れないだろうが、今の精神状態では何もできないだろう。こうして発破をかけることで、涼司が動くきっかけになればそれで良い。
 自分でも、似合わない事をしているという自覚は有った。まあバレンタインの時にはどさくさの中でオフィーリアの殺人チョコを処分してもらったし、その借りを返せればということである。
「……自分のやりたい事なんて自分で勝手に決めたら良いんですよ。それに対してどう動くかも自分で決めて、突っ走ればいいんです。迷ったら周りの誰かに相談すれば良い、少なくともここにいる人達なら見捨てたりはしないでしょうしねぇ」
 室内を軽く振り返る。
「彼等の多くが、山葉さんの事情を知って、山葉さんを元気づけようとしています。この実習は、山葉さんを心配したルミーナさんが企画したものなんですよ?」
「え……?」
 涼司は驚いて、改めて家庭科室を見渡した。楽しそうな顔、真剣な顔、なにやらパニクっている顔。そのすべてが、この時間を涼司のために使っているわけではないだろう。交流を深めたかったり、純粋に調理実習を楽しみたかったりという者もいる筈だ。しかし、それでも……
 暖かいものが、胸の内に広がっていく。こみ上げるものがある。
「その喜びも悲しみも、希望も絶望も、怒りも嘆きも、自分で選んだ自分だけのもの。……昔聞いた言葉の受け売りですけどねぇ」
 そう言って、誠一は踵を返した。おかわりを持ってくる真奈達とすれ違う。
「ん? 戻るのか?」
「言いたいことは言いましたからねぇ。そろそろ退散させてもらいますよ」
 差し出された皿を感動した瞳で受け取ると、涼司はそれを一気に食べた。そこに浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)が来てアイス珈琲のコップを差し出した。家庭科室の設備を全力で使って淹れた珈琲である。絶対に口には出さないが、知人が落ち込んでいる姿は見たくなかった。
「珈琲でも飲んで、元気出してください。最近は結構暑くなってきていますから、アイスにしてみました。どうぞ」
「ありがとう……!」
 キンと冷えたコップを受け取り、一口飲む。
「美味い……」
 するりと、何も考えないままにその言葉は口をついた。嬉しそうに微笑む翡翠。
(落ち込んでいる時は甘い口当たりよりも、こちらの方が良いかと思いましたが……正解だったようですね)
「ふふふ、なんたって、珈苦味の後に残る僅かな甘みと心地よさは人生の味、だそうですから」
「…………」
 陣と真奈、そして涼司はきょとんとして翡翠を見た。妙に間の抜けた沈黙が訪れる。
「……えーと……」
 困ったように頬を掻く翡翠に、少し精気の戻った涼司がにやりと笑う。
「気障過ぎて、ちょっと鼻につくな」
「言われると思いましたよ……や……」
(あれ?)
 ぐすんと心で泣いた翡翠の言葉が、ぴたりと止まる。
(そういえば、メガネ様のフルネームって何だったかしら? や……や……)
 そう、や……そうだ!
「……ヤマト様」
「ちっがーう!」
 涼司の力強い突っ込みが、家庭科室に反響した。