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黒薔薇の森の奥で

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第二章 黒薔薇の森にて

「ウゲンがそんな子供だとはねぇ」
 八雲からの報告を受けて、弥十郎はそう呟いた。
 弥十郎は、薔薇学の諜報機関代表として、ウゲンを探しに出向いていた。しかし、インテリジェンスとしてラドゥに連絡したものの、黒薔薇の森にいる吸血鬼やその他の闇の者にはそう簡単に伝播しなかったようだ。現に、だんだんと、周囲には吸血鬼の気配が濃厚になりつつあった。そのため、慎重に行動を続けている。
 しかし、弥十郎としては、あえてイエニチェリを放棄したウゲンという人物に対する興味と、同じくらいの腹立たしさを抱いていた。たった四歳でその地位を手に入れて、そしてそれを放り出した。
「どういうつもりだったのかな」
 弥十郎には、想像もつかない。方向を探りつつも、弥十郎の足はやや速く動いていた。そんな弥十郎の肩を、軽く熊谷 直実(くまがや・なおざね)が叩いた。
「なに? おっさん」
「熱くなってるぞ。割れたくなければ固くなれ。ハードボイルドだ」
 いつもの口癖を言いつつも、直実は、この森へ出向く前のことを思い出していた。
 直実は八雲から、『弟を、頼む』と真摯に頼まれている。離れて行動するのが、心配なのだろう。
(本当に、兄弟とは良いものだ)
 しみじみとそう思うが、それを直実は顔にも口にも出すことはしなかった。
「その先の植物は、危険かと思いますわ」
 不意に、弥十郎の左胸に下げられた、赤いイヤリングが喋った。
 ……正しくはイヤリング型メモリーカードであり、魔導書の賈思キョウ著 『斉民要術』(かしきょうちょ せいみんようじゅつ)
 日頃は森の近くの薬草園にいるのだが、森の生態に詳しいのではないかということで、今回は同行している。
「ありがとう、あねさん」
「いいえ」
 斉民は嬉しげな声で、そう答えた。……実際、彼女自身は、森の内部の植物について知る機会を得たのが嬉しいのだった。
 注意された毒草を避け、弥十郎は直実と連れだって、さらに森の深くへと進んでいったのだった。

 天 黒龍(てぃえん・へいろん)は、気配を感じて足を止めた。主を守るように、同じく気配を感じたのだろう紫煙 葛葉(しえん・くずは)が、彼を守るように前に立つ。
 先を歩いていた鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)が、「どうした?」と黒龍を振り返った。瀬戸鳥 海已(せとちょう・かいい)もまた、足を止める。
 彼らは、薔薇学の生徒たちではない。噂を聞きつけてこの森へとやってきた、他学校の生徒だ。
 天沼矛に現れたという鏖殺寺院のイコン搭乗者が元薔薇学のイエニチェリであったという情報は、ジェイダスにもたらされると同時に、他の組織にも極秘に伝わっていた。そして、その男は現在黒薔薇の森へと向かっているとの情報。そして、薔薇学生徒たちへの命令をあわせて考えれば、なんらかの真実がこの森に隠されていることは明白だ。
 黒龍は、過去に薔薇学と鏖殺寺院の間に何があったのかを、教導団としても知らずに放っておくわけにはいくまい…そう思い、以前この森を探索したという虚雲の協力を得て、森を進んでいたのだった。
 一行は、三名がブラックコートで気配を消しているため、今のところ吸血鬼の襲撃にはあっていない。かろうじて数度、脆弱な化け物との小競り合いがあったのみだ。
 しかし、ここに来てとうとう、吸血鬼に発見されてしまったのだろうか。……そう、微かな緊張が走る。だが。
「誰だ。とっとと出て来やがれ」」
 海已のハンドガンが火を噴き、大木を揺らす。その瞬間。
「うに゛ゃああああああぁぁっ!!!!」
 情けない悲鳴とともに転がりでてきたのは、黒龍と同じくシャンバラ教導団のレフ・ゼーベック(れふ・ぜーべっく)だった。
「び、吃驚したぁっ!! へっちゃんかよっ!!驚かすんじゃないよぅっ!! ゆゆゆ幽霊かと思ったでしょっ!! 第一アンタ! いきなり銃なんて撃って、当たったら死んじゃうじゃんかよぅ!!」
「なんだ、レフか。……そこまで驚くこともないだろうに」
 黒龍があっさりと言ってのける。
「はーい! いきなり銃ぶっぱなされて驚かない人がいたらあってみたいでーす!」
 この場合はレフのほうが正論かと思うが、この場に同調してくれる人間は哀しいことにいなかったようだ。
「天さん、それは?」
「え、『それ』って俺のこと? ヒドくない?」
「私の教導団の仲間だ。レフ・ゼーベック」
「へっちゃんもそこはスルーなの!?」
「それはそうと、レフは何故ここに?」
 さんざんつっこんでいたレフだったが、黒龍に問いかけられ、途端におどおどと視線をさまよわせる。
「や、その。この森に危険な吸血鬼がいるって聞いてさぁ。美幼女とか美少女が襲われていたらラッキー……じゃない、救うべきかと思ってね。あ、違うよ!? そしたら道に迷ってびくびくしながら隠れてたとかそんなんじゃないよ!?」
「…………」
 他四名の視線の温度が氷点下に下がっていくのを感じつつも、レフは「そっちこそ、なんで?」と果敢に尋ね返した。
「鏖殺寺院のイコン搭乗者の関係者が、この森の奥にいるらしい。その情報を元に、虚雲に道案内を頼んでいたところだ」
「教導団にもおかしな奴がいるもんだ」
 海已が半ば呆れたように憎まれ口を叩く。
「いっとくがロリコンじゃないし!」
「そんなこと誰も言っていないだろう。それより、そういうわけで私たちはさらに探索を続けるつもりだが」
「や、もちろん協力するよ。鏖殺寺院のこととなったら、ほっておくわけにはいかないもんな」
 うんうんと腕組みをしてレフは言うが、どう見ても『一人ぼっちになるのが嫌』なだけの様子だ。
 やれやれ、とすくめた黒龍の肩に、葛葉の手がかかった。そこには、筆談用のメモがある。
『先へ進もう。それと、まだ気配がある』
 葛葉を見上げた黒龍に、葛葉は一度頷いてみせた。注意しろと、そういうことだろう。
 ……事実、数歩進んだ先に、吸血鬼たちは待ちかまえていた。
「ずいぶんお賑やかですね」
「見ればなかなかに可愛らしい方もいるようだ」
 黒の礼装に身を包み、幹の陰から現れたのは三人の吸血鬼だ。そのうち一人が、海已を見やり、「おや。下僕になりさがった吸血鬼もいる」とあからさまな挑発をしてきた。
「うるせぇ不細工が」
 煙草に火をつけ、口にくわえたまま、海已は悠然と挑発仕返してやる。
「ここは俺と海已が。おまえにはやるべきことがあるんだろ?」
 黒龍にそう言うと、虚雲もまた、一歩前へ出た。
「しかし……」
 二人だけにまかせるわけにはいかない、と断りかけた黒龍を、葛葉の手が止めた。『任せておけ』とその目は告げている。
「大丈夫、俺は全力でへっちゃんたちの無事を祈るよ!」
 そう胸をはるレフ。ようするに『なんにもしないよ』と限りなく同義語だ。実際、彼の足はじりじりと後退を始めていた。
 海已のハンドガンが激しい発射音をたてる。虚雲のカタールもまた、霧を切り裂くように閃いた。
 一旦は離れたほうが吉だ。そう判断し、黒龍と葛葉もその場を退いた。仕方ない、今回の探索はあきらめなければならなそうだ。
 ……当然、レフは逃げた。
 
 海已の弾を足に受け、吸血鬼の一人がよろめく。その隙に距離を詰め、海已は吸血鬼の頭を掴むと地面へとたたきつけた。
「弱ぇな」
 これじゃあ、歯ごたえがないにも程がある。吸血鬼が、呻きながら顔をあげた。せめて同族と哀れみを請おうとでもするように。あるいは誘惑のつもりなのか。
「男色の気は毛頭ない。うぜぇんだよ」
 そう吐き捨て、海已はハンドガンで吸血鬼の頭を吹っ飛ばした。
 だが、虚雲のほうはそうもいかなかった様子だ。残った二人に同時に狙われ、四方八方から伸びる手を交わすうちに、気づけば海已との距離もあいている。
「……ぁ、……っ」
 息が乱れる。不意を突かれ、吸血鬼の一人の手が、背後から虚雲をとらえた。
「戦いに乱れた顔よりも、快楽に乱れた顔のほうが好みですよ」
「是非見せていただきたいな」
 耳元で両側から囁かれ、ぞくりと肌が粟立つ。
「ふざ、け……っ」
 制服がはだけ、素肌があらわにされる。一人の手を交わそうとすれば、もう一人の指が絡みついてくる。さながら蔓が蔓延るように、それは執拗で、しかも容赦はなかった。
 ただでさえ敏感な肌は、本人の意思とは別に、次第に熱を帯びてしまう。
「副会、長……、たす、け……」
 意識が途切れるその少し前に、微かに銃声が聞こえた気がした。しかし、虚雲にはもう、その後のことはわからない――。