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黒薔薇の森の奥で

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黒薔薇の森の奥で
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(なんだろう、ざわざわする……)
 ひくり、と清泉 北都(いずみ・ほくと)の耳が動いた。耳といっても、超感覚によって生えたタレ犬耳のほうだ。くるんと丸まった愛らしい尻尾は、緊張にやや膨らんでいるようにも見える。
「北都? どうしましたか」
 クナイ・アヤシ(くない・あやし)がそう声をかけた。互いに禁猟区のスキルを発動させてはいるが、油断はならない。とくに、この森では。
(吸血鬼や触手などに、北都を穢されて堪りますか!)
 それが、クナイの正直なところだ。北都のように頼りなく可愛らしい少年、吸血鬼からすればさぞかし極上の菓子に違いない。
「ううん……けど、二度目でも、やっぱり嫌な感じがするねぇ」
 緊張はしつつも、のんびりした口調で北都が返す。
 森は暗く深く、しかも地形も入り組んでいる。二度目とはいえ、さっぱり道筋はわからないままだ。
「いったいなんだって、こんなところに眠っているのかな」
「よほど誰からも見つけられたくなかったのでしょうか」
「そう……かもね」
 頷いたものの、北都にはよくわからない。これほどの深い森の奥に閉じこもらなければならないほど求められるなんて、そんなのは想像もつかないことだ。
 愛される、求められる。そのどちらも、自分には縁がない。ずっとそう思っていた。
 この森に行くことに、それほど抵抗感がなかったのも、多分そのせいもある。美しいものを愛するという吸血鬼が、自分を相手にしたがるだなんて、とうてい思えなかったからだ。だけど。
「北都、足下をにお気をつけて」
「え? ……わ!」
 地表まで張り出した太い木の根に足をとられ、重心を崩した北都の身体を、やすやすとクナイは抱き留めた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう」
 北都の礼の言葉に、クナイは微笑んだ。そんな表情を見るにつけ、なんだか北都は、よくわからない感情を覚える。くすぐったいような、慣れないような。不快ではないけれども。
 ああ、でも。クナイと出会って、こうしてそばにいて、ひとつだけ変わったことに気づいた。
 もし……もしも、吸血鬼が自分を求めてきたら。昔は少しくらい我慢出来たのに、今は凄く嫌な感じがする。何故そう思うのか、北都自身にも判らないけれど。
(僕は、弱くなったのかな)
 名刀『ゆる村』を握る手に力をこめ、ふぅと北都はひとつ息をつく。それから、少し前を行く二人に目をやった。
 ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)と手を繋ぐ、和服姿の久途 侘助(くず・わびすけ)の姿がある。
 吸血鬼のソーマの感覚を頼りに、聖地を探しているのだが、肝心のソーマは方向音痴という欠点があった。安定材料になるかは謎だが、ひとまず侘助は手を繋いでおくことにしたのだ。
「黒薔薇の森って言っても、まだそんなキレイなものは見あたらないな」
 侘助はそう言うと、のんびりとあたりを見回した。
「侘助。油断大敵だぜ」
「それはわかってるが………ソーマだって吸血鬼だろ?」
「吸血鬼っていったって、色々いんだよ。俺は少なくとも、気に入れば誰でも彼でも襲ったりしないぜ」
「そりゃそうだろうけど、俺にとっての吸血鬼はソーマだし……。その、何て言っていいかわからんけど」
 言いよどむ侘助に、やれやれとソーマは肩をすくめた。ただでさえ侘助は身体が弱いのだから、無理はさせたくないのだ。だが、それをそうと素直に口にするソーマでもなかった。
「どう? ソーマ。なにか感じるかなぁ?」
 北都にそう尋ねられ、ソーマは振り返った。
「なんとなくは、な」
 その瞬間だった。ぴんっと北都の耳が反応する。クナイが「下がれ!」と叫んだ。
 ――現れた吸血鬼たちは、くすくすと耳障りな笑みをもらしながら、彼らを取り囲んでいた。
 相手にするには、数が多すぎる。
「一旦、下がりましょう」
 クナイの勧めに北都は頷き、侘助も同意した。目的はあくまでウゲンを探すことで、戦うことではない。
 しかし、なんとか逃げのびたものの、吸血鬼たちの攻撃に侘助は足を負傷してしまっていた。一時、北都を逃がそうと、足を止めたせいだ。それを助けたのは、ソーマだった。
「大丈夫?」
 北都が心配げに侘助の顔を覗き込む。「大丈夫だ」と侘助は答えるが、見た目より傷は深いようだった。
「……ったく。無茶するからだ」
「うわっ、ソーマ!?」
 忌々しげに呟いてから、ソーマは侘助の身体を抱え上げた。驚く侘助に、ソーマは強く言い切る。
「他の奴に食われそうになってんじゃねーよ。お前は俺の味だけ知っていればいいんだ」
「……そ、っか」
 そう言うと、侘助は素直に笑みを浮かべ、ソーマの首に腕をまわした。
 とは、言うものの。負傷者を連れてこれ以上の探索を続けるのは難しい。彼らは、これ以上進むのをあきらめることにした。