百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

クロネコ通りでショッピング

リアクション公開中!

クロネコ通りでショッピング
クロネコ通りでショッピング クロネコ通りでショッピング

リアクション

 
 
 
 クロネコさんを追いかけて、クロネコ通りにやってきた。
 来てからだって、まだ走る。
 走って、走って、楽しんで。
 タイムリミットが来るその時までは。

 
 
 
 
 クロネコ通りで何買おう?


「ななななななななーなな!」
 立川 ミケ(たちかわ・みけ)に腕を揺さぶられ、何事かと見た先に立川 るる(たちかわ・るる)はクロネコさんを見つけた。
「あー、クロネコさんだ! えっと確か……『トラップ・トリック・トリップ!』」
 焦りながら呪文を唱えると、ミケを抱いてるるは茂みに飛び込んだ。
 正しい呪文を言ってクロネコさんに続けば、クロネコ通りへの道は開ける。ぽんと放り出されるように自分たちが通りに立っているのを知ると、るるは歓声を上げた。
「わー、ここがクロネコ通りなんだね」
 けれど、るるよりももっと喜んでいるのはミケだった。自分も黒猫だし、クロネコ通りにはずっと来てみたかった。何度かイルミンスールの森の中で例のクロネコさんを見かけたこともあったのだけれど、なーなーとしか鳴けないミケでは、上手く呪文を唱えることが出来なかった。
 るるが呪文を唱えてくれたおかげで、ようやく今回クロネコ通りに来ることが出来たミケのテンションは既にMAXまで上り詰め、振り切れている。
「ななななーななー!」
 嬉しくて嬉しくて嬉しすぎて、ミケは猛スピードで通りを駆けだした。
「あ、ミケ! 勝手に行っちゃだめだよー!」
 るるが慌てて追いかけるけれど、そんなことでミケの興奮は収まらない。人の間をすり抜けすり抜け、駆け抜けてゆく。
「ミケ、待ってよー!」
 走るミケをるるはひたすら追いかけた。
 
 
「黒猫?」
 走ってゆくミケに目を留めた後、違うか、と朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)は視線を元に戻した。
「なかなか感じのいいところだが……猫がたくさんいる訳ではないのだな。クロネコ通りというからてっきり……」
「ダーリンもそう思いました? リツも、ネコさんが通りにいっぱいいるんだとばかり思っていたのですよ〜」
「まぁ、せっかく来られたのだし、お店を見て行こう」
 残念がる朝倉 リッチェンス(あさくら・りっちぇんす)をなだめ、千歳は通りを歩き出した。けれど、そうして平静を保とうとしている千歳の肩が落ちているのを見逃すイルマ・レスト(いるま・れすと)ではない。
(千歳……きっとネコがたくさんいるテーマパークか何かと勘違いしていましたのね……)
 確かに紛らわしい名前の通りだと思いつつ、イルマはどこか寂しそうな千歳の背を見ながら歩いていった。
「何か良さそうな小物があるといいな」
 魔法は使えないから魔法物品は要らない。アクセサリーはつけないし……と、千歳は店を覗いてゆく。何か欲しいもの、と考えた千歳の脳裏に、つい先日割ってしまったマグカップのことが浮かんだ。
 アメリカンショートヘアの子猫が仰向けになってお昼寝している絵柄のマグカップ。大のお気に入りだったのに、ちょっとした拍子に割ってしまったのだ。思い出したら途端に罪の意識がぐわっとばかりにわき起こり、千歳は手を合わせた。
(ぬぅおー、ぬこたん……すまん、不甲斐ない飼い主で申し訳ない。どうか迷わず成仏してくれ……)
「……南無」
「千歳……?」
 涙ぐんで手を合わせている千歳に、そんなに猫がいなかったのがショックだったのかと思ったイルマだったが、その後すぐに千歳がマグカップを買おうと言い出したことで、疑問は解消した。
「はぁ、マグカップですか……」
 イルマの答えに力が入らないのは、どうしてここでマグカップなのだろうという疑問混じりだからだ。魔法街でなくとも、どこでも買える物なのに。けれど、
「そうだ、せっかくだから3人でお揃いのにしよう。私は一人っ子だから、お揃いのカップとかちょっと憧れだったんだよな」
 と目を輝かせている千歳を見ていると、こういう所が千歳らしいといえばらしいのだろうと納得する。
「ダーリン、リツの分も買ってくれるんですね。超嬉しいのですよ。場外ホームラン級なのです」
 リッチェンスは飛び上がらんばかりに喜んでいる。千歳とお揃いのマグカップを買ってもらえるのが、余程嬉しいのだろう。
「そうですわね。前のは子供つっぽすぎて千歳には似合わないと思っていましたの。できれば、もう少し落ち着いた柄のが……」
 言いかけたイルマの言葉は、
「どうせなら、すごく可愛い子にしよう。どんな子と出合えるのか楽しみだな」
 という千歳の台詞で途切れた。
「あの、千歳……お揃いだとすると、なおさら……あまり乙女チックにされると、使う方としては恥ずかしいですの。ね、リツもそう思いませんこと?」
 イルマは同意を求めてみたのだけれど、求めた相手が悪かった。
「ダーリン、イルイルはいらないそうなのです。せっかくのダーリンの好意を無下にするなんてお主も悪よのぉ、ですけど、本人の意思は最大限そんちょーされるべきですね。あ、でも!」
 はたと気づいてリッチェンスは手を打ち合わせた。
「そうすると、リツはダーリンとペアのマグカップでほっこりなのです。大感激なのですよ〜」
「リツは何を訳の分からないことを言っているのですか、黙りなさい」
 頭が痛くなりそうだと、イルマは片手を額に当てた。
「ちゃんと分かってるですよ〜」
「まったくもう……千歳、リツのことは放って……あら?」
 肝心の千歳がいないことに気づいてイルマは周囲を見回した。と、千歳はすぐ近くの店先で興奮したように店員と喋っている。
「これを3人分頼む」
「千歳? もう決めてしまったんですの?」
「ああ。どうだ、完璧な可愛さだろう。このこぬこたんは、カップの温度が温まるとぬくぬくして目を閉じるんだそうだ」
 実物の子猫を抱くように、千歳はキュートなマグカップを胸に抱え込んでうっとりとしている。これはもう何を言っても聞き入れてはくれないだろう。
「可愛いカップですね。でもリツはダーリンの愛がこもっているものなら、なんでも嬉しいのです。きゃー」
「可愛いだろう? 前のぬこたんカップの分も大事にしてやるからな」
「……確かに可愛いですわね、ええ、本当に乙女チックですわ」
 子猫柄マグカップを前に盛り上がっている2人を眺めつつ、イルマはこっそりとため息をついたた。
 
 
 
「あ、ほらミケ、服屋さんがあるよ。ちょっと見て……ってミケは服には興味ないかぁ。でも、なんでもいいからとにかく止まってー!」
「ななななーな、ななーん!」
 後ろ髪を引かれる思いでるるは可愛い服がありそうな店を振り返った。けれど今はミケを追いかけなければ。
「ミケー!」
 
 
「兄ぃは何度もここに来たことがあるの? 僕ははじめてだけど、楽しそうなとこだね」
 ヴァルキリーの集落 アリアクルスイド(う゛ぁるきりーのしゅうらく・ありあくるすいど)が言うと、本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)はそうだなぁとちょっと遠い目になった。
「上手く買い物が出来た時は楽しいけど、失敗するとかなりがっくり来るんだよな。前回来たときに魔法道具関連を買ったんだけど、あれは久しぶりに失敗だった」
「失敗って何が?」
「何せ、魔道書なのに書いてあったのは『恋に効くおまじない1000』だったんだもんな」
「兄ぃ、それ試してみた?」
「いや。私はそこまで恋に飢えているわけではないから」
 どうせならもっと役立つ普通の魔道書が欲しかった、と涼介は苦笑した。
「じゃあ、今日は魔道書を買い直しに行くのかな。今度は中身をしっかり確かめないとねっ」
 どこかに本屋さんはと見回すアリアクルスイドに、涼介はこっち、と指さした。
「今日は魔道書ではなくて、前に来た時に見つけた洋服屋に行こうと思うんだ。たしかこの辺りに猫の形をした看板が……あったあった」
 涼介が指した看板には『シュバルツカッツェ』と記してあった。
「この間、チラッと見てよさそうだったからね。さあアリア、どんな洋服がいいかな?」
「えっ、ボクの洋服を買ってくれるの? うわ〜、兄ぃ、ありがとう」
 店に入っていくと、猫耳猫尻尾をつけたブティックの店主は涼介にそっけなくいらっしゃいませ、と言った。その後から入ってきたアリアクルスイドには、ようこそ、と笑顔の大盤振る舞い。実に分かりやすい性格のようだ。
「うわ〜、すごく可愛いお店だね。どの洋服にも猫が描かれてるんだ」
「はい、うちの屋号は黒猫を意味する『シュバルツカッツェ』ですもの。猫をモチーフとしたものを中心として取りそろえておりますの」
 そう言って店主は一番人気だという猫の顔に見えるエプロンを出して、可愛いでしょう、とにっこり笑った。
「うん。どれも可愛いね。ボクはどれを買おうかな……そうだ、店員さん、フードのついたローブってありますか?」
「ええ。とっておきのローブがありますわ。すぐに出して参りますわね」
 店主はそそくさと店の奥に引っ込んでいった。ローブを待つ間に涼介はアリアクルスイドに尋ねる。
「どうしてローブなんだ?」
「だって、兄ぃたちの使ってるローブはボクには大きいから。冬が来る前にボク用のローブがあれば、みんなでお出かけが出来るかなって」
 みんなでローブを来て出かけたい、とアリアクルスイドが目を輝かせているのを見て、それなら今度皆でどこかに出かけようかと涼介は思う。
 そこに店主がローブを持って戻ってきた。
「これですわ。フードのところに黒猫の耳がついているんですの。首の所の留め金には鈴。きっとお似合いですわ」
「いいな〜。兄ぃ、これ買ってもらってもいい?」
「アリアが気に入ったのなら何でもいいよ」
「わ〜い、兄ぃありがとう!」
 店主にローブを着せかけてもらったアリアクルスイドは、その場でくるっと回って嬉しそうに笑った。
 
 
 
「なーななーななー!」
「ミケ、待ってってばー。あ、あのお店ぬいぐるみ屋さんじゃない?」
 止まってくれる気配もないミケを、るるはまだ追いかけていた。
「ゆっくり見たいよー。でもでも、今は寄ってる場合じゃないんだもん。ミケーーー!」
 道の両側にある店には見てみたいものだらけ。けれどミケを放ってはおけず、るるはクロネコ通りを走り続ける。
 
 
「良かった。合ってたみたい」
 クロネコさんの呪文を唱えた後、ちゃんと言えてたかどうかちょっと心配だったけれど、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は茂みに引っ掻かれることなく、クロネコ通りへとやって来られた。
 クロネコ通りにあるというお店の話は色々と噂で聞いている。行ってみたいというお店もいくつか心当たりがあるけれど……やっぱり自分の足で実際に通りを見て回るのが一番なんじゃないかと、歩はふらふらと通りを進んでいった。
 こっちにあるのはミニチュアの店。あっちの店先には箒がずらり。
 入ってみようかやめようか。
 そんな風に迷っているのも楽しくて。
 散歩を兼ねて店巡りをしていると、ショーウインドウごしにこちらを向いているぬいぐるみの黒々とした目と視線が合った。
「ぬいぐるみ屋さんかぁ……」
 昔、母が買ってくれたテディベアを思い出す。
 大きなそのテディベアを、ぎゅーっとしながら寝るのが好きだった。テディベアのふわふわした手触りと温かな柔らかさが一緒にいてくれると、安心して眠りにつけた。
 宝物だったそのテディベアは、引っ越しの時にどこかにいってしまった。どの箱を開けてもテディベアが見つからなくて、1人で眠った夜は心細くて寂しかったっけ……。
「……うん、ちょっと見ていってみようかな」
 ぬいぐるみたちに呼ばれるように、歩は店に入っていった。
「わー、かわいいなぁ。ウサギさんにリスさん、ペンギンさんまでいるー。こっちはカエルさん、野菜のぬいぐるみまであるー」
 どのぬいぐるみも可愛くて、店まるごと欲しくなってきてしまう。
 けれどどれか1つというならば……。
「やっぱり思い出のクマさんかなぁ。……よーし、君に決めた!」
 持ち帰るのが大変そうだけれど、あえて大きいテディベアを歩は選んだ。
 ……のだけれど。
「ん?」
 ふと後ろから裾を引っ張られている気がして、歩は振り返った。そこにあるのはぬいぐるみだけ。でもさっきはこんな位置にぬいぐるみは無かったはず。
「もしかして……君たちがあたしの服引っ張ったのかな?」
 持ち上げてみたけれど、もちろんぬいぐるみたちは答えない。まさかね、と笑ったけれどやっぱり何だか気になって、歩は結局、そのぬいぐるみも全部買うことにした。
「持つの大変だなぁ……けど皆可愛いし、ま、いっかー」
 もう他に何も持つ余裕はないほどのぬいぐるみを抱えて歩は店を出た。
 ぬいぐるみが本当に動いたのかどうかは分からない。けれどこれもまた、縁のようなものなのだろうから。
 
 
 
 クロネコさんを追いかけてやってきたクロネコ通り。
 通りに来てからは黒猫を追いかけて。
「なんだろう? ガラクタみたいに見えるけど……」
 走りながらでは良く見分けることも出来ない、ごたごたとした店先に首をかしげながら、るるはミケを追いかけた。
 
 
「無事来ることは出来たけれど、僕の求めるものはここにあるのかな」
 イルミンスールの森でクロネコさんを探し、魔法街へやってきた黒崎 天音(くろさき・あまね)は面白そうに通りを見渡した。手には薄い四角の木箱を持っている。
 木箱の中身は古王国時代に作られたオルゴールディスクだ。
「ケースは僕が作るとして……スターホイールとか櫛歯部分とか、ゼンマイの部品が見つかるといいんだけどね」
 大切そうに天音が抱えた箱を、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は幾分むっすりとした様子で見た。
「……それを手に入れてから、随分楽しそうだな」
 これを手に入れて以来、天音は夜の手遊びと称して、古ぼけたオルゴールディスクの錆を落としたり、目を細めて眺めたり、と宝物のように扱っている。その様子がブルーズにはどうも面白くない。
「おやブルーズにはこの浪漫が感じられないかい? 古王国時代に生きていた人々が耳にした音色が、5000年の時間を超えて蘇るかもしれないんだよ」
 ブルーズの不機嫌さえも楽しんで、天音は店を探し歩いた。
 探すのは、一件がらくたに見える商品を扱っている店や古道具屋だ。どこかに壊れたオルゴールが眠っているかも知れないし、がらくたの詰められた箱の片隅にひっそりとスターホイールが転がっているかも知れない。
 ブルーズとしては本屋の品揃えを見てみたいのだが、天音から目を離したらどこへ行ってしまうか分からない。仕方なく、天音の後について店を巡っていた。
「これなんか使えそうじゃないかな?」
 良さそうな部品を見つけると、天音は白い手袋をつけた手で箱からディスクを取りだし、慎重にサイズを確かめる。合いそうに思えるものが見つかることもあれば、合わせてみたら全く違っているものもあり。そうして部品を合わせていくことによって、よりこのディスクのオルゴールに近づける気がする。
「オルゴールの部品探しかい? だったら掘り出し物があるぜ」
 天音のしていることに気づいた店員が、奥から仰々しく持ってきたのは櫛歯だった。
「どんなオルゴールにもぴったり合う魔法の櫛歯だ。な、便利だろ?」
「便利だけど無粋なものの筆頭という気もするけどね」
 櫛歯は使われない音が省かれていたり、よく使う音が複数あったりと、オルゴールによってまちまちだ。再現するのが難しいだけに、そんな便利なものがあるのならもってこいではあるのだが……何かつまらない。
「買っていくか? ちっとばかし難はあるが良い品だぜ」
 店員の声は後半はぼそっと小さくなる。
「その、難の方を先に聞かせてもらえるかな?」
「まあ、たいしたことじゃない。この櫛歯を使えるのはたった1度きり。使ったが最後、そのオルゴールのすべての部位は歪み、2度と聞こえなくなるだけさ」
「それが『ちっとばかし』とはね」
 途端にばつの悪そうな顔になる店員に、天音はつい笑ってしまった。
 そういえばブルーズはどうしているかと思い出し目で捜してみると、店先にある土鍋を矯めつ眇めつしている。
「ふむ……これはなかなか良さそうな土鍋だな」
 真剣に土鍋を見極めようとしているブルーズに、天音はそれを買うのかと聞いてみた。
「ああ。手頃な大きさだし、何かに使えぬかと思ってな……店主、この土鍋はいくらだ?」
「へい毎度あり〜!」
 店員が告げた金額は、土鍋にしては少々高めだった。
「存外高いな」
「とんでもない! この土鍋は一度温めたらなかなか冷めない魔法の土鍋だ。燃料代を考えたら、この金額でも安いくらいだ」
「便利だね。……で?」
「や、別に難はないぜ。ただ……なかなか冷めないから片づけに困る、って前の持ち主がぼやいてただけだ」
 天音に促され、店員は早口で説明した。
「ふむ、保温機能つきか。難はあるようだが買ってみるとしよう」
 ブルーズは少し考えた後、その土鍋を購入した。
「折角だから今晩はこれで鍋にしてみよう」
「僕は普通の寄せ鍋とか好きだよ。楽しみにしてるね」
「ああ任せておけ。冬はやっぱり鍋が一番だ」
 天音にリクエストされすっかり機嫌を直したブルーズは、今日の鍋に何を入れて食べさせようかとあれこれ考えを巡らせるのだった。
 
 
 
「わ、正統派。魔法の杖のお店がある。魔法街で買った杖って、それだけでうまく魔法が使えそうな気が……って、ミケ、ちょっとは話を聞いてよー!」
「な!」
「返事までさぼってるー!」
 だいぶ疲れてきているのを感じながらも、るるはミケを見失うまいと足を急がせるのだった。
 

 イルミンスールの森でクロネコさんを見かけたら、どうすれば良いのか分かってる。
「トラップ・トリック・トリップ!」
 神代 明日香(かみしろ・あすか)ノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)は声を揃えて呪文を唱えた。けれどエイム・ブラッドベリー(えいむ・ぶらっどべりー)だけは、
「猫さんですの」
 呪文を唱えることも忘れてクロネコさんに見入っていた。
 ああやっぱりと思いつつ、明日香はエイムの腕を取ってクロネコ通りに引っ張り込んだ。無事にクロネコ通りにやってくると、エイムは呪文を唱えなければいけなかったことを思い出し。
「トラップ・トリック・トリップ、ですの」
「エイムさん遅いです」
 『運命の書』ノルンに注意され、でも来られて良かったですの、とエイムはにこにこと答えた。
「みんなで来られて良かったですぅ。何を買いに行きましょうか〜。ノルンちゃんは欲しいものはありますかぁ?」
「魔法街で買うのなら、新しい魔法の杖が欲しいです」
「それはいいですねぇ」
 明日香は頷いて、今度はエイムに何か欲しい物があるかと尋ねた。
「欲しい物……欲しい物……」
 エイムは悩んだ挙げ句、ノルンを正面から抱き上げようとした。当然、ノルンはそうさせまいとエイムの腕をかわして逃げる。
「……逃げないノルン様が欲しいですの」
 しょんぼりと肩を落としてエイムは主張した。
「そんなものクロネコ通りでも売ってるはずが……あっ」
「よいしょ、っと〜」
 後ろから伸びてきた明日香の腕に抱きかかえられ、ノルンは足をじたばたさせる。
「明日香さん、下ろしてください」
「正面からは無理ですよ〜。コツは後ろから素早く、足がつかない高さまで持ち上げることですぅ。はい、どうぞ〜」
「ありがとうございます。嬉しいですの♪」
 明日香からノルンを渡されて、エイムはご満悦だ。ノルンは逃れようとするけれど、地面についていない足は空中をばたばたするだけだ。
「エイムちゃん、余りしつこい事すると嫌われちゃいますからねぇ。ほどほどで下ろしてあげて下さい〜」
「嫌われるのはいやですの」
 しぶしぶエイムはノルンを下ろした。ととっ、と即座に距離を取って警戒するノルンに、エイムはとても寂しそうな顔になった。あまりに寂しそうなので、ノルンはエイムの手を取った。
「抱き上げるのはダメですけれど、手を繋いで歩くのはいいですよ」
「ノルン様の手、ちっちゃくて可愛いですの♪」
 さっきまでの落胆はどこへやら。エイムは再びご満悦状態に戻った。
「では、ノルンちゃんが欲しいといった魔法の杖を買いに行きましょうか〜」
 手を繋いでいる2人を微笑ましく眺めると、明日香は通りを歩いて杖の店を探した。
 見つけて入った店では、奥の方から店の人がちらっと顔を覗かせて、おどおどとまたひっこんだ。随分人見知りが激しいようだ。
 横にくっついて説明されるよりゆっくり選べるかと、3人はそれぞれ杖を探し始めた。
 デザインもサイズも多種多様。手のひらに収まってしまうくらいのシンプルな小杖から仰々しい装飾のされた錫杖、何かの儀式にでも使うのか、1人では持ち歩き出来そうにないものまで揃っている。
 どれにしようかと探す中、最初に決めたのはエイムだった。
「とっても可愛い杖ですの。私はこれにしますの♪」
 エイムが見せたのは、白とピンクがねじったように縞になっていて、先が丸くカーブした杖だった。カーブに近い辺りに大きなリボンがついていて……。
「何かに似てますねぇ」
「キャンディーケーンですか?」
「ああ、ノルンちゃんそれですぅ。美味しそうだと思ったんですよね〜」
 うんうんと頷いた後、下部がアンティークな鍵のような形状になっている杖を明日香は選び出した。
「私はこれにしてみます〜」
 やや長めの杖の頭には翼のような細工がついている。それはイルミンスール魔法学校の校長室でエリザベートが腰掛けている椅子のデザインと似通っていた。
 2人が決めた後も、ノルンは真剣に杖選びをしていた。身体が小さいから大きな杖は似合わない。装飾が多すぎれば実用的ではなくなるし、かといってシンプルすぎるのも寂しい。
 手にとってはふってみて、ようやく選び出したのは、紅水晶を綴った王冠が頭についている華奢な杖だった。
 杖を代金と引き替えると、店主はエイムの持つ杖を指さしてぼそぼそと小さな声でこう言った。
「異なる2つを……合わせる杖……溶け合わず、けれど共にある……」
 ノルンの杖に対しては、
「夢を見る杖……夢見せる杖……」
 明日香のものには、
「開くもの……羽ばたくもの……無限の空に……」
 と呟いて、大急ぎでまた店の奥に戻っていった。これだけ人見知りだと客の相手をするのも大変そうだ。
「ありがとうございました〜」
 耳の端っこしか見えなくなった店主へ声をかけると、明日香たちは買ったばかりの杖を手に通りに戻ったのだった。
 
 
 
「あのクロネコは!」
 クロネコさんを見かけたカレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)は慌てて呪文を唱えると、一緒に歩いていた八坂 トメ(やさか・とめ)の手を引いて茂みに飛び込んだ。
「ちょ、ちょっとおねーちゃん?」
 訳が分かっていないトメが焦った声を出す。いきなり茂みに引っ張り込まれたらたまらない……と思ったのだけれど、気づけばそこは賑やかな通り。
「ここどこ?」
 きょとんとして見回しているトメをよそ目に、カレンは久しぶりのクロネコ通りに飛び跳ねんばかりだった。
「やったー! もう二度と来られないかと思ってたよ」
「おねーちゃんは前にもここに来たことがあるの?」
「うん。以前一度だけね。その後、もう一度来たいと思って、何日もイルミンスールの森を探したんだけど、その時は全然クロネコさんを見つけることが出来なかったんだ〜」
 諦めかけていたのに、忘れた頃になってひょっこりクロネコさんに会えたのだ。思わぬ邂逅に嬉しさもひとしおだ。
「行きたいお店があるんだけどいいかな?」
「いいけど、何のお店に行くの?」
 聞き返したトメに、カレンはもう歩き出しながら以前来た時のことを話した。
「前来たときは物珍しくてね、色んなお店を回ったんだ。その中でも特に気になったのが、古びた小さな建物の本屋さん。それも、看板もなくて扉も閉まってるから、中に入らないと本屋さんって分からないんだよね」
「看板もなくて扉も閉まってるのに、中に入ったの?」
「だって、そういうとこの方が面白そうだもん」
 けろっとしてカレンは言った。
「でも本屋さんかぁ、いいなぁ。ミルムにあるような、楽しい絵本がいっぱいあるといいなぁ」
「きっとあるよ。そのお店、外観のわりに中は凄く奥行きがあって、何より、イルミンスール大図書室でも見たことがないような珍しい本が沢山あったんだよ〜。前もたまたま目についた本を手にとって読んだら面白くって。主人公の女の子が未知の大陸を舞台に立ち回る冒険活劇! って感じの内容だったんだけど」
「おねーちゃん、その本、立ち読みしただけ?」
 そんなに面白いなら買えば良かったのに、と言うトメに、そうなんだよね、とカレンは答える。
「ボクも買おうと思ったんだ。でもそしたら本屋の主人のおじいちゃんがね、『それを買っていくのかい……?』って、すごく寂しそうな顔で言うもんだから、つい買いそびれちゃって」
 でもやっぱりあの本が欲しい。今度こそ買って、あの続きがどうなったのかを知りたい。
 次にここに来られるのはいつになるか分からないし、いつ元の世界に戻されるかも分からないのだからと、カレンは足を急がせた。
「ここだよっ」
 カレンは民家のような家の扉を押し開けた。細い通路の両側に天井まで届く本棚があり、隙間無く本が並んでいる。
「うわぁ……建物や本棚はすごく古いけど、本自体はきれいだね。ちゃんと手入れされてる気がする」
 トメは口を開けて本を見上げていたが、その中で1冊の本から目が離せなくなった。棚から出してみると、それは優しい色で描かれた絵本だった。ぱらぱらとめくってみたが、内容はとても面白そうだ。
「この絵本、ミルムでも見たことないや……買っちゃおうっと。おじいちゃん、この本下さ……」
 言った途端、店主は逃げ出した。
「なんで逃げるの? 待ってー」
「この本、今度こそ買いたいんだよ〜」
 トメとカレンは本を持ったまま、逃げる店主を追いかけた。おじいさんと言っても良い歳なのに、恐ろしく足が速い。
「もしかして、ここの本に愛着がわきすぎて、お客さんに売りたくないのかなぁ?」
「ええ、そんなの困るよっ」
「よーし、あたしもこの絵本が好きってアピールするために、売ってくれるまで追っかける!」
 本棚で出来た迷路のような通路を、2人は店主を追って追って、走り続けるのだった。
 
 
 
 通りでも追いかけっこはまだ続いている。
「はぁ、はぁ、あれ、本屋さん、はぁ……」
「な、な、な、な……ん」
「もう、諦めて、止まろう、よ」
「なな、な!」
 ほとんど根比べと化してきているるるとミケの追いかけっこ。果たして勝者はどちらに?
 
 
「クロネコ通りですか。せっかく『ネコ』なんて名前を冠した場所なのですから、ネコらしく散歩のひとつでもしたいですね」
 サクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)はそう白砂 司(しらすな・つかさ)に持ちかけたのだけれど、いつもならサクラコに引きずり回されてくれる司は、今日は珍しくノーの返事をかえしてきた。
「俺は本屋に行く。ここならば珍しい錬金術のレシピもあるかもしれない。そうでなくとも変わった本くらいあるだろう」
「でも楽しそうなお店がいっぱいですよ。お散歩しながら見て回ったらきっと楽しいですよ」
「今日は我が侭も聞かない。俺の好き勝手にさせてもらう」
 賑やかな通りを回ってみたくて、サクラコは粘ってみたけれど、司は断固として言い張ると、さっさと古本屋を探して歩き出してしまった。
 クロネコ通りにいられる時間にはタイムリミットがある上、その時間がどのくらいなのかさえ本人にも分からない。何か目的のものを手に入れようというのなら、無駄にできる時間はないのだ。
「今日のところは黙ってついてってあげますけど、埋め合わせはしてもらいますからねっ」
 日頃自分が振り回しているのは棚にあげ、サクラコはふてくされ気味に司について行った。
「思った通りだ」
 古本屋に入った司は思わず唸る。魔法街ともなれば稀少なレシピも手に入るだろうという狙いは当たっていた。真贋は不明だが、もしこれが本物ならば司の研究の大きな助けになりそうな難解な錬金術レシピがちらほらと見られる。
 司が本に集中しているのを横目に、サクラコは退屈そうに手近な本をぱらぱらめくった。
 サクラコは物語好きで語り部を趣味にやっている……とはいえ、口述筆記が主。古文書は眠くなるので好きではない。何か面白そうな本はないかと思ったけれど、どうもこの本屋にはサクラコの趣向に合いそうな本はなさそうだ。
「本は嫌いじゃないですけど、どーしても難しいと眠く……」
 ふぁ、とあくびをかみ殺しはしたけれど、サクラコは大人しくしていた。
 司は予想していた以上の掘り出し物に驚きつつ、購入の目星をつけようと真剣にレシピを見比べていた。が、その目がふと店のカウンターに留まる。
「……桜?」
 こんな季節に、と疑問に思いながら店主に聞いてみると、
「これは朽ちることのない桜の枝なんですよ。綺麗でしょう?」
 と桜の枝を生けた花瓶を司の方に近づけてくれた。桜からは特に力は感じない。
「似たような品なら見たこともあるが、力ある欠片であるそれとは違い、純粋な植物のようだな」
 ほのかに紅を帯びた白い花は満開間近で時を止めたように咲き盛っている。それを見ていたらこの枝を、ひどく眠そうにしていながらも、我慢して付き合ってくれているサクラコへの贈り物にしたくなった。
「この桜を売ってもらえないだろうか」
「これをですか? 構いませんけれど」
 店主はどこか面白そうに桜の枝を売ってくれた。
 代金と桜の枝を引き替えに……した途端。
 司とサクラコはクロネコ通りから放り出されていた。今回の滞在は非常に短かったようだ。
「本……」
 肝心なものを買えず、司は呆然と呟いた。けれど。
「これは買い物に付き合ってくれた礼だ」
 朽ちぬ桜の枝を渡すと、サクラコは嬉しそうにそれを受け取った。
 桜の枝を物珍しそうに眺めているサクラコを見て、司は苦笑を漏らす。
「これもまた巡りあわせ、か」
 稀少なレシピを手に入れ損ねた落胆と、サクラコに喜んでもらえた嬉しさとをない交ぜに。
 
 
 
 走り続けたるるの目の前が揺らぐ。
「もう……ダメ」
 くらっ、としたと思った途端、周囲の風景は森に戻っていた。
 ミケも自分が元の世界に戻ってきたのに気づいて足を止める。
「ななーん?」
「良かった、やっと止まってくれたー。……って、るる達、何しにクロネコ通りに行ったんだろうね」
「ななななな」
 るるとミケの初クロネコ通りは、マラソンで始まりマラソンに終わったのだった――。