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リアクション
●異変の予兆
被害を受けているのは見学者だけではなかった。空大生に対しても分け隔てなく、怪ゴムは襲ってくるのである。
「うっし! とりあえず実験道具とか機器の整備は完了っと……」
医学部。CTIスキャンのセッティングを終えると、受付まで走りながらラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)はシャツの上に黒のスーツを羽織った。彼は医学部の案内係兼説明担当者だ。時間はぎりぎりになってしまったが午後の見学会にはなんとか準備を間に合わせたのだ。ボタンを留め、胸ポケットのハンカチを引っ張り出し、軽く前髪を手でセットし直しておく。
(「なんか騒がしい気もするが……気のせいか?」)
ちらりと窓の外に目をやる。キャンパス内でなにか騒動でもあったのだろうか。
だがそれを気にしている余裕はないだろう。今日のラルクは医学部の『顔』である。優秀な学生を確保できるかどうかは自分にかかっているのだ。
「見学者の為にもきちんとした紹介ができればいいんだけどなー」
自信を出せ、俺――と己に言いきかせる。恋人の砕音・アントゥルースの言葉を思い出して自らを鼓舞した。砕音はよく、「ラルクの説明は判りやすいな」と褒めてくれるではないか。砕音が相手のときとは勝手は違うが、見学者には丁寧に接したいものだ。
「さて、おいでになったかな見学者が……って!」
医学部受付に姿を見せた影を見て、ラルクは歩みかけた足を急停止させていた。
「なんだこいつは!?」
ゴムのような形質の白いアメーバ状物質だ。しかもこいつは、有無を言わさずラルクに飛びかかってきたのである。
「とりあえずぶん殴る!」
スーツで決めていてもラルクの本質は武道家、腰の入ったストレートパンチで、怪ゴムを弾き壁に叩きつける。打撃を受けたゴムはべったりと伸びて、徐々に収縮していった。
「こういう怪しい入学者は募集してないぜ。おい、聞いてるか?」
顔を上げたラルクは凄絶な笑みを浮かべている。両の拳は胸の前、脇を閉じてファイティングポーズを取った。いつの間にか受付に、同様の白ゴムアメーバが大量に押し寄せていたのだ。
「どうしても邪魔する気なら、薬の実験台にでもなってもらうとするかな。安心しろ、せいぜい睡眠薬と栄養剤くらいしか試さねぇよ。未知の相手に怪しいもんを試すほどマッドじゃねぇつもりだ」
かかってこい、と右手で招いたラルクに、次から次へと怪ゴムが襲いかかった。だがそのような直線的な攻撃、ラルクにとっては児戯に等しい。拳、拳、また拳、ラルクはゴムを弾き返し、あるいは叩き落とし、さもなくば天井へ吹き飛ばした。緊張をほぐすには丁度良い、見学者の案内ができるようになるまで、しばしウォームアップを楽しむとしよう。
姫神 司(ひめがみ・つかさ)は既に転入手続きを済ませ、空京大生の身分を得ていた。とはいえまだ入ったばかり、役立つこともあるかと思い、この日は説明会に参加していた。
「東西の関係について、空京大学は中立を保っている。学べぶべきことも多かろうかと思ってな……」
説明会に赴く際、司はそう言って涼やかな笑みを見せたのだった。
「司ちゃん、久し振り。元気そうで安心したよ」
ヒューバート・マーセラス(ひゅーばーと・まーせらす)も彼女に同行していた。彼が司と行動を共にするのは、ほぼ一年振りのこととなるだろうか。久々に見る司は物腰も口調も、かつての彼女より一回り成長したように感じられた。世界の大局を俯瞰するような言葉も、今の司にはよく似合っていた。
(「立派になったね。司ちゃん」)
ヒューバートは自分のことのように嬉しく思った……のは、説明会が終わるまでのことだった。講堂から出るや開口一番、
「……父に似ているな」
冬の旭日のようにほんのりと頬を染め、司は言ったのである。アクリト学長が壇上に上がって以後、司は最後まで片時も彼から視線を外すことができなかった。文字通り釘付けだったのだ。
アクリトは、その全てが完璧だった。爽やかで熱意にもあふれた語り口、毅然としながらも懐の深さを感じさせる物腰、多少のユーモアを交えながらの弁舌には、高い教養と知性が感じられた。
ヒューバートは落ち着かない気持ちになった。アクリトを偲ぶ司の目は、まるで恋する少女のそれではないか。いや、『まるで』なんてものではない、これはあきらかに恋心の芽生えだ。
グレッグ・マーセラス(ぐれっぐ・まーせらす)が、軽い驚きを感じながら口添えた。
「えっ、お父上ですか?……ああ、そういえば少し厳しそうな表情といい、雰囲気が似ていますね。お髭もあんな感じですし」
「そうだろう。わたくしはこれから……学長を表敬訪問したいと思う」
はにかみ、うつむきながら、司はそんなことを言い出した。これに対し、
「いいですね。お供します」
好天の日の白い雲のように、グレッグは優しげな微笑を浮かべたのである。
「おい……」
ヒューバートは目を丸くした。なんというか、黙って見ているわけにはいかないとも思った。ここで一言もの申すのは義務だ。グレッグの背中を押して、司の眼前に立たせ声を上げる。
「司ちゃん! 狼どころか毛まで刈り尽くされた羊のような奴とはいえ、コレも一応男だよ? 今まで、そんな反応欠片も……っ」
ところがグレッグも司も、いまいちピンとこない顔をするばかりだった。
「……はぁ。何となく何気に酷い事を言われている気がするのですが」
「グレッグは怒ってもよいと思うぞ。それに、わたくしとグレッグがそういう仲になる事はあり得ぬな」
ごく当たり前、という口調で司は告げて、
「ええ、そうですよねぇ」
グレッグも穏やかに微笑むのである。
「そういうわけなので、行くぞ」
「参りましょう」
司とグレッグは足早に学長室へ向かった。
「なんか簡単に片付けられた……っ」
釈然としないことこの上ないものの、仕方なくヒューバートも彼らに続いた。
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