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●学長室にて

 学長室ではアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)卜部 泪(うらべ・るい)がしゃがみ込み、足元に横たわる怪ゴムの残骸(?)を調べていた。ゴムは、登場時の大きさが嘘のように縮まり、硬く黒く変色してしまっていた。もはや捨てられたゴミのようにしか見えなかった。
「それにしても『リアジュウシネー』とはどういう意味だろうか。サンスクリット語で書かれた古代文献にそのようなものを見た気もするが、言語学はあいにく専門外なのでな……」
「僭越ながら申し上げますと、充実している人をひがんでいるだけの発言だと思います」
「充実、か。確かに謎に遭遇し、学者としての私は充実したものを感じるが、それが男女の接触とどう関係があるのか……深淵なテーマのようだな」
「いえ、もっと単純にですね……」
 アクリトの真摯な姿勢は学究の人らしくて尊敬に値するが、それだけに、「『モテてるヤツがうらめしい』と言っているだけではないか」、とはなかなか説明しづらい泪であった。
「硝煙が籠もってよく見えないな。卜部君、すまないが窓を開けて……」
 とアクリトが言いかけたところで、二人の後方のドアが威勢良く開いた。
「今日は急な来訪者が多い日だな。大学内で起こっている事態の説明なら……」
 と言うアクリトがごく平然としているので、飛び込んだ司は胸をなで下ろしていた。
「が……が、学長がそこの彼女と、その……」
 学長室の窓から、アクリトと泪が抱き合うところ(だけ)を見てしまった司は、息せき切って駆けつけたのであった。ところがアクリトは、桃ゴムが襲いかかってきたところだけ見たのだと勘違いし、
「きみは姫神司君だったね。気にかけてくれてありがとう。我々は無事だ」
 と告げて床に転がるカチカチになったゴムを指した。
(「無事? 『彼女とはなんでもない、誤解だ』と言うことだろうか……それは良かった。うん」)
 司は司で一人合点して抜け目なくテーブルに目を向け、学長のランチタイムメニューをチェックしておくのだった。
「大の甘党らしいですねぇ」
 司に追いついたグレッグが、そっと耳打ちする。
「なんの話してるんだよ二人とも……」
 司とグレッグにやや遅れ、息せき切らして部屋にたどりいたヒューバートが、
「あ、学長、と泪先生」
 両者に挨拶したところで、彼の胸ポケットの携帯電話が音を立てた。
「失礼」
 電話を取って部屋の隅に移動する。どうやら相手は女性、それも親密な関係相手らしく、ヒューバートの声色は甘いものに変化していた。
「忘れてないよ、大丈夫」
 デート日時の確認でもしているのだろうか、微妙に上気してもいる。
「……え? ここで言えって? ふふ、甘えん坊だな。どうしようかな……」
 相手をじらしているらしい。ヒューバートが口元に笑みを浮かべた、その瞬間であった。
「リ、リアジュウシネー!」
 開いた窓から新たな桃色ゴムが、ドリルみたく錐揉みしながら飛来してきたのである。
 とっさに屈んだヒューバートの頭を逸れ、怪ゴムは司の背に迫った。
「危ないっ!」
 泪は声を上げ銃を抜いたが間に合わない。桃ゴムは司の顔面を覆う……ことはなかった。
「今日は急な来客が多くてな。目が慣れた」
 取り乱すこともなくアクリトは皿を取り上げ、はたき落とすようにゴムの尖端を撲ったのだった。ハニードーナツの載った皿だった。垂直方向からの強い力により、目に見えてぐにゃりとゴムは変形した。そしてゴムは制御を失い床に落ちた。床に落ちた蜂蜜の上に、泪の銃弾が次々と突き刺さった。ゴムの焼ける匂い、それに蜂蜜の香りが立ち昇った。
「いま、キャンパスに起こっている問題の原因はこれだ」
 アクリトは事態を説いた。彼の冷静な判断力、そして意外なほどの臂力の強さに、もうすっかり司は目と心を奪われてしまい、礼を言うことすら忘れた。桃ゴムは、「リアジュ……」と断末魔を上げながら縮み、やがてもう一体の残骸と同様の姿となった。
「なるほどな。わたくしにも何か手伝える事があるだろうか?」
 彼を見上げる司の目の光は、どこか潤んでいるのであった。
「連中の捕獲、あるいは退治だな。空京大生として協力してもらいたい」
 うんうんとうなずき、さらに司は、落ちた桃ゴムの残骸を、もじもじと引きちぎりながら、
「アクリト学長。甘いものがお好きであれば、空京にあるチョコレート専門店などおすすめだぞ……その、今度わたくしと」
 などと言い始めたのでヒューバートは天を仰ぎたい気持ちで、
「ああもう! ほら、司ちゃん、空京大のピンチだ。俺たちもがんばるとしよう。学長先生、お邪魔しました。それじゃ!」
 と引き摺るようにして彼女を外に連れ出したのである。
「さてさて、ゴム退治ですか。そんな一日というのも良さそうですねえ」
 朗らかに笑ってグレッグも一礼し、学長室を後にした。

 司一行と入れ違いに、リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)が学長室に姿を見せた。
「何やら緊急事態ということですが」
 リュースは空大生、すらりとした長身、磨いた刃のような銀色の髪、切れ長の目に輝く瞳の色は南洋の海を思わせるコバルトグリーンで、すっくと上背を起こした立ち姿には、昔日の欧州貴族のような居ずまいがあった。生まれはドイツだが、ティアーレという姓の響きからして、先祖はイタリアの可能性もある。
 事情を知ると、リュースは一礼して請け負った。
「わかりました。訳の分からないゴムですが、空京大に仇なすとなっては静観できません。排除するとしましょう」
 くるりと背を向けると一分の隙も無い動きで階下へ向かう。目指すは購買、そこでリュースは大量のプリンを買い込んだ。手段は選んでいられない。カップ入りの駄菓子みたいなプリンから、高級志向の焼きプリン、土産用の箱入りまでとことん買い占めてレジに出した。
(「急がないとこの購買も襲われる可能性がある……」)
 随分とプリン好きなんだねぇ、と目を見張る年配の店員に、
「ええ。すごく」
 と微笑を残し、リュースは構内のベンチへ移動した。
「さて、今日は黒い服を着ていないしあいにく恋人とも別れた……そんなオレが呼び出せそうなのってこの色位なのでね」
 ここは本部棟、見学者の大半は専門施設のある学部棟へ向かっており、ここにはほとんど足を踏み入れていないようだ。それは好都合、青空の下、つぎつぎとプリンのパッケージを開ける。
 シュールな光景だ。目の覚めるような美男子が独り、冬の寒空の下でプリンを並べ、つぎからつぎへとパッケージを開けているのだ。付属品のスプーンでつまみ食いもしてみたりする。
「高級だから美味しいとは言い切れないのが、プリンの面白いところですね。格安のこれだって魅力的です。いや、むしろこの味のほうが好みかも……」
 と独言していたそのとき、背後に異様な気配を感じたリュースは、相手が手を出すより早く、その腕(?)を打ち据えていた。
 冬の空気をつんざいて、ぴしゃりと乾いた音がした。
「一体誰が何の目的でやってるのかは知りませんが、迷惑です」
 次の瞬間にはベンチより身を浮かせ、振り向きざま相手に鳳凰の拳を叩き込んでいる。
 リュースの目に入ったのはゴムだった。畳一畳ほどもあるゴム怪物が、糸の切れた凧のように吹き飛んでいた。カラメルそっくりの褐色、ピィッと甲高い音を発したのはそいつの哭き声だろうか。
「大体人のもん食おうとするなんて図々しいです。そういうバカタレはオシオキですよ」
 食べかけのカッププリンを手早くすくって口に入れると、匙を置いてリュースは睥睨する。
 いつの間にやら生まれていたのは、リュースとベンチを中心とした同心円。右から、左から、あるいは正面あるいは背後、見渡す限りの方面より、ゴム怪物が湧き出してきたのだ。
「オシオキされたい人から前に出なさい」
 リュースは静かに、宣言した。
「さもなければこちらから参ります」
 直後、リュースは即天去私を繰り出すのだった。