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電子の国のアリスたち(前編)-エンプティ・エンティティ

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電子の国のアリスたち(前編)-エンプティ・エンティティ

リアクション

「もうすぐ待ち合わせの時間かなあ…」
 遠野 歌菜(とおの・かな)は空京大学の友人を尋ねていた、しかし早く着きすぎて、相手はまだ講義中だった。
 空き教室で時間を潰してから、もうそろそろだろうと立ち上がったのだが…
「…あれ、ドアが開かない? どうして?」
 もちろん他のドアも試したし、鍵も確認した。ドアが古くて鍵が勝手に落ちたとは考えられないし、確かほとんどの鍵は電子制御なのだと聞いている。もちろん自分で鍵なんか触った覚えもないのだ。
「どうしよ…そうだ、携帯で連絡!」
 校内にいるはずの友人宛に何度もかけてみたけれど、何度試しても通じる気配がない。誰にかけてもアナウンスがおかしい。奇妙な状況に焦りがつのる。
 誰にかけてみても誰にも通じない、まさかという気持ちが勝って残しておいた選択肢、すがるような気持ちで、そこで初めてパートナーに掛けてみた。
「!! よかった…繋がった!」
『どうした?』
 電話の向こうでは月崎 羽純(つきざき・はすみ)が勢いに驚いて尋ね返してくる。
「あ、あのね羽純くん、大変なの! 突然部屋に閉じ込められちゃって…鍵が開かないし…」
『なんだと? 原因は? 何か他に気づいたことはないのか?』
「ええと、羽純くん以外に電話も繋がらなかったのっ、大学の友達にも通じなくって…」
『ちょっと待っていろ…切るなよ』
 一旦羽純が携帯を耳から離したのか、電話の向こうで誰かに話しかけている、何事か問答しているさまを遠くに聞きながら、歌菜はゆっくりと息を吐いた。
 (…あれ、不思議)
 凄く焦っていたはずなのに、羽純の声を聞いたら、心が落ち着いてきたのを感じたのだ。
『…どうも大学で何かが起きているようだ、他の学校には繋がるが、大学は駄目らしい』
「そうなんだ…じゃあ、大学内全体がこうなのかもしれないね…」
『とにかく、いいか? 今から俺が行く。何もせずそこから動くな、いいな? 今の場所はわかるか』
「うん、確か一般棟の教室で…階はちょっと…、うん、待ってる」
 羽純くんが来てくれるのだ! しかしその安堵に歌菜は浸ったままではいなかった。
「でも、このまま待ってるだけなんて、ダメだよねっ」
 辺りを見回して、何度も見渡してから、ようやく彼女は結論を出した。
「…やっぱりこの窓からしか、ないよね…」
 階はわからないといったが、窓から見える景色は、かなり高い。
 もし窓が破れたとしても、ここから飛び降りるのはちょっと…。
「うう…女は度胸だもんっ!」
 下に人はいないことを確認して、手近な椅子を振り上げた。ぐわん! と大きな音とともに窓ガラスに叩きつけられた。
 だが予想に反して、窓は一部が白く曇っただけでびくともしなかった。
「えっ…もしかして、防弾ガラス…? いや、がんばれば大丈夫なはず!」
 しかし防弾ガラスはその構造で粘り強く衝撃を受け止める、どんどんと白く曇る範囲が増えるだけで、窓の破れる気配は訪れなかった。


「何の騒ぎだ?」
 空京大学の廊下を歩いていたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、前方で持ち上がった騒動の物音をいぶかしんだ。
 ばたばたと人が行ったりきたり、彼がやってきた後ろの方で、大声で合図をし会っている。
 防火ドアに人がたかり、その足下にはけが人もいた。
「今、突然シャッターがしまって、こいつが腕を挟まれたんだ」
 突然作動した観音開きのシャッターが学生の腕を挟み、周りの学生がシャッターを押し開けて助けたものの、そのまま鍵がかかってびくともしなくなったのだ。避難用の扉も同じく、非常時の用を果たさない。
「鍵が? それに警告もなしにシャッターが降りることなんてないだろう?」
「おかしいよな、それに大学のほとんどの鍵はコンピューター制御なんだ」
 となると、何処もかしこもこうであると疑った方がよさそうだ。
「わかった、何とかしてみよう」
 ピッキングを試してダメだとわかると、エヴァルトはガントレットを装着した。
「シャッターから離れろ!」
 一声渇波し、鍵の機構部分に轟雷閃をぶちかまし、ショートさせてコンピューター制御部分のみならず、ドアの根本のモーター部分までを破壊する。何の変哲もないただの鍵と化した所にもう一度ピッキングをかけて、今度こそ安全にドアを開けることが出来た。
「さあ…通ってくれ…!」
 安全に開けることが出来るといっても、モーター部分を破壊してしまってはスムーズにいくはずもないが、力仕事ならばエヴァルトはお手のものだ。
 すさまじい金属のこすれる音を立てながら、ドラゴンアーツでドアをこじ開けた。
 何度となく同じ作業を繰り返しながら、エヴァルトは考えていた。
「この様子だと、外部というよりも内部犯の可能性があるな」
 外部からでは、このように身動きをとれなくなる真似はすまい、こうして混乱を起こして内部から、つまりネットワークサイドから目的を遂げたか、遂げようとしているかだろうと考えた。
 彼には、今こんなことのできそうな能力を持った人物に心当たりはあった。
 (…まさかな、だとしてもなんの理由が…)
 そう、疑問はこの事態を引き起こすほどの衝動に尽きた。


「…人々の危機、すなわちヒーローの登場ですね…」
 クロセル・ラインツァート(くろせる・らいんつぁーと)が空京大学のそばにいたのは偶然だったが、彼はそれをまさしく運命と捉えた。
「イルミンスールのご当地ヒーローが参上しました! 人々の危機とあらば、私はどこにだって出張致しますよ!」
 堂々とマントを翻して(誰もそれに注目する余裕はないのが残念だが)近くの防火シャッターにとりつく。
 道中、無理矢理こじあけられたドアが目立つが、ドアはともかく、セキュリティシステムの類は手動に切り替えるシステムがあるはずだ。
「うーん、スマートじゃありませんね、やはりここはヒーローが呼ばれているのです!」
 慈悲のフラワシがそういった切り替えシステムを探っていくと、閉ざされた向こう側にそれらしき機構を発見した。
「おいそこの黒いの、何をしているのかはわからんがまだなのか!?」
「おおっと、急かさないでくださいよ…」
 ヒーローにはエレガントさも必要なのだ、殺気立つまわりに押しやられるように、クロセルはあわててサイコキネシスで機構を、…うっかり破壊した。
「ああっ………」
 その悲鳴に、人々の視線が集まる。しかしゆっくりとシャッターは開いていった。
「…結果オーライ!」
 そう、すべては開けば無問題なのだ。

 廊下をクリアしたクロセルは、次に慈悲のフラワシで人がいる教室を探って回った。
 そのうち一つで人の気配を見出した。
「閉じこめられたみなさん! ヒーローが助けにきましたよ!」
 しかし、ドアを開け放ったクロセルを、誰も注目しはしなかった。
 何故なら、もっと派手に出口をつくったものがいたからである。
「あれ程大人しく待てと言ったのに…バカ」
「あれ? 羽純くん…助けに来てくれたんだ…!」
 ワイルドペガサスに跨った青年が、窓から可憐な少女を迎えに参上仕っていたのだ。
 インパクトとしては、そうそう叶うものではないだろう。
 イルミンご当地ヒーローに、合掌。
「ひ、ヒーローなのに、見せ場を持って行かれましたぁぁぁ…」
 がんばれヒーロー! たぶん次もあるから!

「あ、アヤ…大変です!」
 神和 綺人(かんなぎ・あやと)が空大の図書館で調べものをしている時、クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が泡を食って駆け寄ってきた。
「どうしたのクリス、図書館は静かにしないとだめだよ」
「そんなことより! 私達、今この図書館に閉じ込められているんです!」
 それを聞いて綺人は視線をめぐらせた、次第にざわつきがはっきりとして、その中からクリスの驚愕の元になるキーワードを幾つも拾い出す。
「で、出られなかったら、どうしましょう…!」
 綺人はぎゅうと握られて白くなったクリスの手を握り、暖めるように包み込む。
「クリス、大丈夫だよ、落ち着いて。何があっても、僕がクリスを守るから」
 綺人の微笑みにふっと、クリスの肩の力が抜ける。そっと肩に額をつけ、深呼吸をした。
「…そうですね、アヤが一緒ですから、大丈夫ですよね。冷静にならなくては…」
「でも、困ったなあ…」
「え?」
「この後空京に遊びに行く予定が、潰れちゃったねえ」
 ぽかんとするクリスをよそに、のほほんとこの後のことを心配する綺人であった。

 とりあえず手分けしてあたりを検分し、綺人達は以下のことを見て取った。
 図書館は、リラックスしやすいように、ドアや建具に温かみのある木の素材を多く使っている。そのためドアそのものは、手動でも開けられたが、その代わりに頑丈な防犯用のシャッターが降りている。蔵書には貴重な資料をも扱うために、他とは違うコンセプトでセキュリティが組まれていた。
 サンルーフなどで自然光を取り入れるため、窓の多い建築だが、抜かりなく防弾ガラスだ、音が違う。非常口もがっちりと閉ざされ、天井に見える空調のエアダクトは包帯猫のミィちゃんが、途中で頑丈なフィルターに阻まれて不満げに帰ってきた。
「今のところこんな感じかあ、セキュリティの異常がおきて、鍵という鍵がことごとくロックされているのかな。エアダクトは悪くないと思ったんだけど」
 そのときミィちゃんが、なにかを主張した。
「え、フィルターだけじゃなかったって? …おしり? ってなんで?」
「…アヤ?」
 なにか聞き逃してはならない気がする単語を耳にしたクリスの視線が、ちょっと冷たかった。


 歴史の調べ物をしに空京大学の図書館にやってきていたグリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)は、なんとエアダクトに詰まっていた。
「ああもう、なんでこんなところにフィルターがあるのよ! さっさと助けに来なさい大助!」
 包帯猫のミィちゃんが遭遇したおしりとは、実は彼女のことである。
 閉架に納められた資料を見ている間に鍵が閉まったのだ、出入り口は自分が入ってきたところだけ、資料保存のために窓もなにもなく、環境を一定に保つためのエアダクトだけが外に通じていた。
 外といっても、開架へ移動するまでが限界で、頑丈な空調機能を備えたフィルターが外界を遮断していたのである。
 一応彼女も、閉じこめられたとわかったときは、パートナーと連絡をとって助けを待つ構えだったが…
「こういう時こそ落ち着かないとね。でも、待ってるのもヒマ!」
 ということである。
 かんしゃくにまかせて無理矢理フィルターをどうにかできないか格闘していると、流石にもーあかんわとばかりに彼女のいた部分のダクトが外れ、ガラゴロンと盛大な音を立てて転げ落ちてきた。
「いいっ…たたた…」
「…お怪我はないですか?」
 尻餅をついたグリムを、ちょうどそれを目撃した綺人たちが助け起こした。
「ありがとう、怪我はないわ」
「あなたも閉じ込められてしまったのですか?」
 うなずきながらほこりを払い、グリムは朗らかに宣言した。
「大丈夫、すぐに助けは来るわよ。むしろ私たちで解決しちゃう?」

 そんな暢気なことをパートナーが豪語しているとは露知らず、四谷 大助(しや・だいすけ)は連絡をもらってから、大学にやってきて校内をひたすら駆け回っていた。
「くそ…何でアイツはいつもあちこちで事件に巻き込まれるんだ…!」
 あちこちでシャッターに阻まれ、シャッターをこじ開けようとする面子に手を貸す。大助はいくつかポイントを通過してきて、ある共通項を見出していた。
「校内の仕組みは蒼空学園と似てるな。だとしたらセキュリティの配線が何処かにあるはずだ……この壁か?」
 壁がすべて金属で覆われていることはなく、大工セットでなんとか壁を壊して、すぐにシャッターに繋がる機構を探り当てた。
「おっと、これは通信ケーブルだな…、こっちの線を切って、電源を強制オフ…っと」
 しかし制御機構を黙らせて、手動でなんとかなるようにはなっても、ピッキングはできなかった。
「うがー! 結局力づくで行くしかないんだな!」
 幸い他にシャッターを開けようとする人々がたどり着き、大助は配線のことを教えて回った。その中には力自慢もいればピッキングスキルを持っている人もいる、有効活用してくれそうだ。
「さて、グリムは今どうしてるかな…あ」
 大助は、うっかり現在地がわからなくなっていた。
「…迷った。何処なんだここは…、すいませーん! ちょっと聞きたいんだけど、図書館って何処にあるか知ってる?」
 幾度も遠回りを繰り返して、時に障害をクリアすることに夢中になり、行き先を見失ってしまっていたのだ。