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■3


「イズールトも帰ったし、なんかイゾルデが暴れてるし俺達も帰ろう。別に単位在るし」
 通路では、初花に話しかけるジリヤのそんな声が響き渡っていた。
 樹を目指して歩いている幾人かの耳に、それらの名前が入ってくる。


「さて……面白い事になってきたね」
 様々な場所で流れる放送などから、事件を聞きつけた柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)が、吐息するようにそう呟いた。響いてきたイズールトという名を、脳裏で静かに反芻する。端整な顔立ちの中、その青い瞳に気まぐれそうな色を宿して彼は肩をすくめた。
 既に目視できる場所に、伝承にある樹と、一人の騎士の姿が見て取れる。
「……」
 黙々と隣を歩きながら、書籍に目を落としているのは、パートナーの柚木 瀬伊(ゆのき・せい)である。図書館の事情通としても名高い彼は、貴瀬が嗅ぎ付けた面白そうな出来事、とやらのため、振り回されるようにして書籍を渉猟しているのだった。元々読書家である彼は、知識欲が旺盛で、放っておくと一日中本に囲まれた生活をしている。
 そうではあるのだが基本的には、興味を持った事について深く極めていく彼を、貴瀬は放っておいてはくれない。次々に別の好奇の対象を提示していくのだった。が、元来の知的欲求が高いせいか、様々な情報を得るべく常に読書に勤しんでいる瀬伊は、ついついそれに付き合って、情報収集に努めてしまうのである。
「困っている人がいるみたいだし、解決の手伝いをしないとね」
 貴瀬が優しそうな笑みを浮かべながら、そう呟いた。
――不謹慎だけれど、少しわくわくするよね。
 そんな内心は押し殺して、パートナーへと彼は視線を向けた。
「トリスタンに、イズールト……か。瀬伊は知ってる?」
――何処かで聴いた気もする。
そうした心境で首を傾げた貴瀬の声に、唇を撫でてから瀬伊が嘆息した。
「トリスタンは円卓の騎士にも数えられる騎士の名と同じだ。――あるいは、トリスタンとイゾルデ」
「あぁ、そんな物語もあったね。トリストラムとイズールトだよね」
 瀬伊は生前、小早川隆景という名の智将であり、毛利元就にゆかりがある上、豊臣家の信頼も厚かった武士である。だが英霊となりこうして貴瀬と契約したおり、勝手に命名された『柚木 瀬伊』という名を、現在では使用している。ある意味、大人な彼なのだった。
「貴瀬が知っているとは意外だな」
 特技の博識を駆使するまでもなく応えた彼は、静かに本から顔を上げた。
「どうして?」
「日本では、トリスタンとイゾルデの名称で綴られる事が多い。イゾルデは独語、イズールトは英仏、諸外国ではイズーとされる事も多いようだ。トリスタンにしても、トリストラムと英訳される事もあるらしいが、トリスタンの方が日本では著名だろう」
「まぁ名前くらいはね。で、今蒼空学園で暴れているのがイゾルデなんだよね」
 興味深い――そんな表情で、貴瀬は頬を持ち上げる。
「嗚呼。そしてあそこに立っている噂の英霊――本当に英霊かは未だ分からないが、彼はトリスタンという名であるらしいな」
 そんなやりとりをかわした後二人は、騎士らしい青年と樹の正面へと立った。
 樹の横にたたずんでいる青年は、どこか追憶に耽るように遠い眼差しをしている。
「やぁ、お兄さん。そこで何をしているの? ……と、ごめんね。俺は柚木貴瀬だよ。よろしくね」
 何とはなしに、貴瀬が手を差し出した。
 それは先程の瀬伊が述べた『本当に英霊なのか』という声が、脳裏を過ぎっていたからでもある。だがその仕草は、実に自然なものだった。
「この樹を守っているのです」
 特にいやがるそぶりもなく、騎士は手を差し出し返した。
 その確かな手の触感を確認しながら、貴瀬は瀬伊を一瞥する。
「初めまして。俺は柚木瀬伊という。貴殿の名を尋ねてもいいだろうか?」
 改めて瀬伊もまたその手の感触を確かめようと、手を差し出した。
 すると握手を返しながら、騎士は静かに頷く。
「私はトリスタンと申します」


 その返答に二人が顔を見合わせた。
 そこへ、背後から歩み寄ってきたテスラ・マグメル(てすら・まぐめる)が声をかけた。
「何故、その樹を守っているのですか? 例えば、その樹にまつわる思い出があまりにも大きすぎるから、でしょうか」
 その流麗な声音に、貴瀬と瀬伊もまた振り返る。
「この樹は、大切な待ち合わせの場所だからなのです」
 静かに応えたトリスタンに対して、テスラが穏やかに頷く。
「本当に、その待ち合わせ場所は、間違いがないのですか?」
 蒼空学園に所属するテスラは、現在学園で騒ぎになっているイゾルデのことを思い出しながら、言葉を続けた。誰もが聞き惚れてしまうような華麗な声音が、辺りに響き渡る。
 ショートカットのテスラはサングラスを傾けた。元来視力が弱いため、屋内外とわずサングラスをかけているテスラは、繊細そうな容姿を彩る青い髪を静かに揺らす。
 テスラは内心考えていた。
――時同じく出現したイゾルデ。彼女は待ち合わせ場所に恋人が来なかったと叫んでいる。イゾルデが亡くなった恋人であると想像するのは、都合がよすぎるだろうか?
 改めてトリスタンに向き直ったテスラは、傍の木の根元に添えられている百合の花束へと顔を向けた。サングラス越しに確認できる陰影、そして、香り。その上、傍らにあるのは伝説の樹だ。
――これらから導き出されるのは、彼が、その恋人を亡くした人なのでは。
 あるいは彼もまた、その花束を供えているのではないのだろうか。そんな思いで、テスラは続ける。
「貴方が返事を返さないのは、それ以上に深い想いに囚われているからではありませんか」


 その言葉にトリスタンが顔を上げた。
 テスラの声に、貴瀬が頷く。
「そうだ……トリスタンは、彼女の事は知っている? ほら、毎朝君に話しかけている女性だよ」
 彼のそんな言葉に、騎士は首を傾げるようにしながら、大木を見上げる。
「いいえ。何の話しでしょうか? 私に毎朝挨拶をする女性……心当たりがありません。もしや――いや、まさか。ただ、待ち合わせ場所は、この木の下で間違いありません」
 トリスタンの答えを貴瀬達とテスラが聞いていると、そこへ歩が近寄ってきた。
「ごめん、よくわからないんだけど、この木にそんなに思い入れがあるって言うこと?」
 舞達から連絡を受けた彼女は、遠くから響いて聞こえたやりとりに腕を組んだ。
――うーん、いつもこの樹の前に立ってるって話だよね。何か理由があるのかなぁ?
 そんな風に考えていた彼女は、後ろで束ねた薄茶色の髪を揺らしながら近づいた。歩の声には、元気さが滲む明るさがあった。それはいつでも場を和ます元お嬢様の性分だったのかもしれないし、ゆるゆると争いよりも対話で物事を解決したい性格からの朗らかさだったのかも知れない。しかしどことなくしんみりとした空気に包まれようとしていたその場所は、彼女の声で明るく変わった。
――もっとも、その素直すぎる性格故に、彼女はあまり交渉事には向かないのだったのだけれど。
「そういえば、この樹に伝わるのって待ち人が来ないって話だっけ。もしかして、そのエピソードって騎士様が関係してたりします?」
 噂のこの大木には悲恋の伝承があったなと思い出しながら、彼女は黒い瞳を揺らしながら尋ねた。同時に、貴瀬達の存在に気づいて、一方後ろへ退く。彼女は、薔薇の学舎には王子様が集まっていると考えているのだ。それこそ白馬が似合いそうなカッコイイ王子様が集まっているような――そしてそれらに憧れるミーハー気質なのが歩である。
「この樹であることは間違いない――とすると、この記述が気になるな」
 そんな歩の心中など知ることはなく、瀬伊が貴瀬へと視線を向けた。
 彼は、『月の箱庭「ブラッディ†クロス」』というコミュニティに時折世話になることがある。そのコミュニティは多数の蔵書量を誇っていて、先程まで瀬伊が目を落としていた書籍も、そこから借り受けた書物だった。
――いわく、蒼空学園建設時に、深遠なるフォークロアを持つ大木を植林。
「えっと、つまりこの樹は、昔蒼空学園にあったっていうこと?」
 貴瀬の問いに、同学園に所属するテスラが腕を組んだ。
「確かに学園内には、植林のため芝を植えたという箇所があったように記憶しています」
「だけど蒼空学園ができたのって、木が生えた時よりもずっと最近じゃ?」
 歩が首を傾げると、瀬伊が頷きながら、書籍を皆に見せた。
「この本は、民間伝承を扱っている本なんだ。それによれば、近年漏れ聴く噂と、当時伝わっていた逸話は異なる」
 彼のその声に、テスラがトリスタンへと向き直る。
「貴方が知っている事を、私達に教えては頂けませんか?」