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誰がために百合は咲く 前編

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第7章 ラズィーヤ


 席を外したラズィーヤは、彼女に用意された二つの個室のうちの一つ、応接室に戻った。元々豪奢な船内だが、特にヴァイシャリー風に整えられ、彼女が好きな青い薔薇も飾られている。来客を迎えることが多いだろうと、ソファと、特別ふかふかのクッションがたくさん用意されていた。
 そして席には、客が二人、座っていた。ラズィーヤに気付いて立とうとする彼らを、ラズィーヤはそのままで宜しいですわ、と制すると、
「ヴァーナーさんはもうお戻りになって結構ですわよ。助かりましたわ」
 彼らを案内し、また部屋を整え、管理していたヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)に微笑した。
 ヴァーナーは、はいです、と言ってぺこりと頭を下げると、部屋から出て行った。
「お嬢ちゃん、後で少し差し入れお願いねー」
 去り際に、声をかけられ、ヴァーナーは笑顔で承諾した。
「魂のオアシスだ……」
 ラズィーヤの警備にと、部屋まで同行した世 羅儀(せい・らぎ)が、ヴァーナーを見送りながら呟いた。
「……まさか、女の子を鑑賞に来たわけではないでしょうね」
 叶 白竜(よう・ぱいろん)はパートナーに目も向けず、声だけで注意する。
「彫像が喋った」
「……こほん」
 直立不動の姿勢のまま、目だけで、じろりと見やる。
「目が動いた。ヴァイシャリーの彫像は精巧なだけじゃなくて、凄いんだなぁ。……嘘だよ、睨むなよ」
「睨んでなどいませんよ」
 言って、白竜は視線をラズィーヤに戻す。彼女は羅儀を、いつもの微笑で楽しそうに眺めていた。
「可愛らしい女の子はわたくしも大好きですわよ」
 お茶会に来てからというもの、羅儀はお嬢様ばかりの女子高というものが珍しいのか、そわそわしている。
(とはいっても、百合園の女生徒の方が「男性に興味がない」ように見えるんですよね……。色々な意味で。期待をしない方が彼の為なのでは……)
 白竜は楽しげなパートナーに心中で軽い息を吐きつつ、自分の職務はあくまで警備、場の雰囲気の邪魔をすることではないと気を取り直した。彼が時に手を振ったりする羅儀とは対照的に、彫像のように立ったままなのも、その場の楽しげな雰囲気を壊すような軍服姿を遠慮してのものである。
 と、もう一つ。
 軍人以上に戦略家であると思われるラズィーヤの、その動向に個人として強い関心があったのだ。
 敵意からではない。団長や女王と同じく仕えるべき相手だとも思っている。ただ、彼女がこれから何を考え、何をしていくつもりなのか、興味があった。
 情報科所属であり、その教育の洗礼を受けたからかもしれない。いや、こういう質だから情報科を選択したのかもしれないが。
(そして、私の意図に気付かれるにせよ、気付かれぬにせよ……ここまで同行させたのは、どういう意味があるのか……)
 などと白竜が真面目に思考の波を揺蕩っている間に、ラズィーヤはソファに座って、彼女たちと対面していた。
 ──今日一組めの来客は、樹月 刀真(きづき・とうま)漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)だった。
「ツァンダからわざわざいらしたそうですけれど……わたくしに重大なお話がおありとか?」
御神楽 環菜(みかぐら・かんな)さんは現在空京からヒラニプラまで繋がっている線路をヴァイシャリー湖南端まで延ばそうとしています」
「パラミタ横断鉄道……ですわね」
「それを利用して空京からヴァイシャリーまでの交易ラインを構築できれば、パラミタ内海からの輸入品を空京を通じて地球へ販売したり、地球や空京からの交易品の輸出を活発に行う事ができると考えます。
 それらを受け入れ窓口に特化した倉庫区画と取引をする為の商談会場をヴァイシャリーが管理し、更にそれらの記録や事務処理をできる秘書役の輩出を百合園で行う事で今後のシャンバラの交易都市となる事はできませんか?」
「…………」
「御神楽さんはツァンダ家や空京、海京と繋がりがありますし、鉄道を引くための出資を含めたバックアップや積極的な利用をして彼女との繋がりを強めておく事も、今後ヴァイシャリーをシャンバラの交易窓口とする時に有利に働くのではないでしょうか?」
「そうですわね」
「鉄道を利用した交易の話が纏まりそうならばヴァイシャリーからパラミタ内海までの線路を引く話を御神楽さんへ持ちかけるのも良いですね……俺としてはこの話がうまく纏まって彼女の鉄道の価値が上がればそれで良いんです」
「持ちかける、というより。かつてヴァイシャリー家の領地であった場所、人が住む場所にレールを引くとなれば詳細は先方からご相談いただきたいですし……出資するならそれこそ、『彼女の鉄道』だけにはなりませんわ」
 ラズィーヤはコーヒーテーブルに置かれた資料の束を拾い上げた。
 月夜作成のその分厚い資料は、現在空京やヒラニプラが取り扱っている物・技術から、地球人や今回の交渉相手が興味を持ちそうなものをピックアップしたものである。
「お話の返答ですけれど、列車の計画については伺っていますし、将来的には仰られるようにするつもりでしたわ。今は準備段階ですから、お待ちいただければ嬉しいですわ──拝見させていただきますわね」
 ラズィーヤは白い指で資料をめくりながら、
「もうご存知でしょうけれど、まず基本的なことを申し上げますと、地球はパラミタの、パラミタは地球の物や技術に対しての期待が高いんですの。機械的な文明と魔法的な文明──機械と魔法のことですわ。そのままですわね」
「はい」
「例えば空京の特産品は……元々は小さなゆるヶ縁村でしたものね。現在の空京の姿──地球の技術が、そうと言えますかしら。天沼矛もありますし。
 ただ、契約を結んでいない地球人でも入れるようにする技術ですとか……必ずしも、お渡しすることが使用した方にとって良い結果を招くとは限らないものもありますから、慎重さが必要ですわね。これは逆も同じですけれど」
 たとえばパラミタに住む魔法生物を、珍しい愛玩用動物として地球に持って行ったとして、環境や飼い方が適していなければ、良い未来は待っていないだろうとラズィーヤは付け加えた。
「こういったことは、地球とパラミタの間だけとは限りませんわよね。勿論、鉄道を介して、沿線の住民の方々の生活が豊かになることは歓迎しますわよ。ただ、お互いの状況、正確な情報をお互いに知り、皆さんの心に留めてとどめていただくこと……ヴァイシャリーは、その役目も担っていると思いますわ」
 そう言ってラズィーヤは資料をテーブルに置いた。
「この資料は、今後お二人で御神楽環菜さんのためにお役立てになさったら良いと思いますわ。私としては……誰かのため、すべきことを選んで働く姿勢として評価いたしますわ」
 ラズィーヤは紅茶を一口含んで、面白そうな眼を刀真に向けた。
「……ですけれど。せっかく遠路遥々海までいらしたのですもの、帰りは急がず、ゆっくりとバカンスでも楽しんでくださいな」

 刀真と月夜が部屋を辞し、三人だけになって。廊下からテンポの速い足音が聞こえてきた。
「……」
 警戒しカーマインに手を伸ばす白竜。だが「失礼します!」の声と共に飛び込んできたのは和泉 真奈(いずみ・まな)ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の二人だった。
 真奈からはアダモフの処置と警備の状況、ルカルカからは秘書の件を聞いたラズィーヤは、手にした扇を開いた。
「承知しましたわ。この薬は軍医さんにお渡ししましょう。それから、フランセットさんに言って、秘書のバレさんは『丁重におもてなし』してくださいませね」
 こうして、薬はアダモフの持病の処置に使われ、秘書は軍によって個室でのおもてなしと楽しくもない会話を──事実上の軟禁状態となった。
 秘書の狙いは、ヴァイシャリーとの交渉の場で不祥事を起こせば帝国に有利になること、上手くいけばアダモフを葬り、自分が会社の地位を継ぐことにあったという。
 秘書は暑いだろうからと、アダモフから上着を一度預かった時にそこから薬を抜き去ったのだ。アダモフの個室にも折を見て入り、荷物から取り出すこともできたし、普段は持ち歩く予備も、今回は本国から持参しなかった。
 後に彼はアダモフに身柄を引き渡され、共に本国に帰ることになるが、それなりの罰を受けることになるだろう、ということだった。