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誰がために百合は咲く 前編

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誰がために百合は咲く 前編

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第2章 守旧派と革新派


 来賓がホールに集まった頃。
「ここはこうして……っと、失敗失敗。えーっと、この紐をこっちにかけて……」
 スタッフ用に割り当てられた部屋の一室で、鋏を手に、リボンや飾りの詰まった鞄を肩にかけ、奮闘している少女がいる。
 彼女猫咲 ヒカル(ねこさき・ひかる)の前には可愛らしい花々。それをあちこちまとめたり分けたり。
「よし、できたっ!」
 できあがったのは野の花とグリーンをグラスに挿したシンプルで可愛い、フラワーアレンジメントだった。
 好きなお花をもっときれいにしたいと、最近始めたフラワーアレンジメント。難しいと思っていたけれど結構難易度にも差があることが分かってきて、何となくコツを掴み始めていた。
 シンプルで簡単で、しかも手のひらに収まるサイズのなら、早くたくさん作れるし、邪魔にもならない。
 甲板のカフェ風テーブルの中央に色違いのそれを一つ一つ置くと、ぱっと風景が明るくなった。グラスが涼しげで今の季節によく似合う。
「素敵ですね。アレンジ……もう、始められたんですね」
 ヒカルが声に振り向くと、そこにはこの前のティーパーティで知り合った女生徒がいた。のだが、ヒカルは誰だかしばらく分からなくて、目をぱちぱちさせる。
「え? えーっと、あ……、日高さん!?」
「おはようございます」
 ぺこりと恥ずかしそうに頭を下げたのは、生徒会選挙で会長に立候補した日高 桜子(ひだか・さくらこ)だった。
 一瞬見て分からなかったのは、彼女が以前見た大人しく清楚なイメージとは打って変わって、アップにして真珠の飾りで止めた髪に、ナチュラルで隙のないメイクにツーピース。少し大人っぽい雰囲気だったからだ。
「おはよう! えへへ、新入生だけど、きちゃった!」
「私も新入生ですよ。今日は立候補されるんですか?」
「ううん。でもちょっと選挙には興味があるんだ。お茶会スタッフになれば、役員候補の人たちのことがよく分かるかなーって」
「そう、ですよね……」
 桜子はちょっとどきり、としたようだった。このお茶会の相手は来賓の方々だけではない、ということを改めて認識したのだ。
「選ぶのは皆さんですから……」
「その話し方、戻ってますわよ?」
 話に入って来たのは、荒巻 さけ(あらまき・さけ)。こちらもティーパーティで同じ席になった少女だった。さけもいつものふわりとした髪をピシッと留めている。
「ごめんなさい、せっかく特訓していただいたのに」
「謝る必要はございませんわ。私は好きでしているんですのよ?」
 ──何となく放っておけないんですもの。
 さけは気弱そうな桜子の線の細い顔立ちを見つめた。
 守旧派の桜子のライバルは、見た目だけでなく大人しいのはこの前話して知っていた。対するライバルは革新派でエリュシオン帝国出身、取り巻きを連れた自信満々のお嬢様。生徒の全体も革新派に傾いているらしい。このままじゃ気持ちから戦う前に負けそうだ。
(でも、わたくしはどちらかと言えば守旧派の日高さんの意見により賛成できますし、ね)
「特訓?」
 ヒカルに聞かれ、桜子は頷いた。
「は、はい。話し方や振る舞いのレッスンをお姉様にしていただいたんです。それに……メイクまで」
「桜子はんだけやなく、さけや晶のヘアメイクもうちが担当したんどす」
 さけの隣で、信太の森 葛の葉(しのだのもり・くずのは)がにっこり笑う。
「いままでは伊藤春佳会長の背中を追いかけてきたかもしれませんが、これからは貴女がその背中で百合園生を引っ張っていくんだと思っていかなければなりませんのよ?」
 さけはポンと桜子の背中を叩き、
「頑張ってくださいませ、ね。気弱そうに見えますが意志がつよそうですし、きっと大丈夫ですの」
 にっこりと笑う。
「は、はい」
「では参りましょう。皆さんがお待ちかねですわ」
 促され、桜子は葛の葉らに見送られてお茶会会場のホールへと足を踏み入れた。
「わたくしたちがサポートいたしますわ。練習通り、なさっていただければうまくいきますわ」
「はい……!」

 ホールでは既に来賓の方々は窓際の円テーブルに着き、ラベンダーのハーブティーを楽しみながら歓談をしていた。
 老人──椅子に深く腰掛け、咳き込みながら大きな宝石の付いた指輪を何本にも嵌めて身振り手振り話しているのが、エリュシオン帝国の商人・アダモフ
 その横にいる三十代ほどの男、分厚い書類をめくり、またテーブルの上に示しているのがその秘書・バレ
 やや向かい合うような形で座っている中年の男が、イルカ獣人の族長・ハーララ
 ハーララの娘ヤーナは心なしか椅子が少し遠い。
 二つの交渉相手の間には、ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)と白百合会の会長伊藤 春佳が座っていた。
「──それでは、しばらくの間お茶をお楽しみください」
 要人の顔合わせの挨拶が一通り終わると、春佳の声に来賓たちは立ち上がった。
 同時に見計らったように、ヴァイシャリーの商工会議所からやってきた商人たちが、アダモフやハーララを別の席に案内する。
 春佳はラズィーヤと何事か話していたが、その間にそっと近づいてきた副会長の井上 桃子に何やら指示を出す。
 桃子はそれを受け、先に部屋に入っていたアナスタシア・ヤグディンに──そして次にタイミングを計りかねている桜子の元へとやってきた。
「今回は、来賓の席をはっきり決めていませんわ。どうぞご自由におもてなしくださいませ」
 桃子はアナスタシアや桜子、そして他の候補者たちを元気づけるように微笑んだ。
 確かに会場は、どの席に来賓が座っても良いようにされていた。どのテーブルの側にも、花を飾ってあったり、商人が持ち込んだ彫刻や絵画等の美術品を飾ってあったりと、アダモフとハーララとが自由にシャンバラの文化に触れられるようにしてあった。
「特別なアピールなど必要ありませんわ。ね、皆さん?」
 アナスタシアは瞳を光らせて、同じ革新派の同志を見やった。
 豪奢なドレスを纏った面々は、お嬢様を体現したような人物たちで、全員縦ロールでもおかしくないような印象を受ける。
「それでは参りましょう」
 アナスタシアたちは、連れ立ってアダモフのところへと歩み寄っていく。アナスタシア自身がエリュシオン帝国出身であるから、アピールしやすいと考えたのだろう。
 彼女は祖国風の挨拶から始めて、アダモフの気を引いていた。
「本日はようこそおいで下さいました。こちらをどうぞ」
 それに、メイド──稲場 繭(いなば・まゆ)が、新しいナプキンを渡している。
「ありがとう。君は……百合園の生徒さんかね?」
「はい」
 こくりと繭は頷いた。百合園女学院の生徒はスタッフでありおもてなし側ではあるが、メイドとして来ている生徒は少ない。
「お冷をお注ぎしましょうか?」
「うむ、今はいい」
「何かありましたら遠慮なくおっしゃって下さい」
 繭は言いながら、身を少し引いた。今日はあくまでおもてなし。
 ついでに色々な話を聞いて、社会勉強になればいいなと思ったけれど、こうやってお客様と接するだけでも十分、ためになりそうだった。
 アダモフの隣に座ったアナスタシアとの会話から漏れ聞こえる内容は、聞いたこともない単語が躍って、わくわくする。
(でも、なんだかちょっと、アナスタシアさんがやりすぎな気もしますけど……)
 自分たちだけしか知らない話題だと、ハーララさんにはついていけないのではないだろうか。今一緒に会話をしているという訳ではないけれど。

「こちらはヴァイシャリー名産物の一つ、乙女が踏んだ葡萄を使用したワインですの」
 アダモフとハーララの前にワイングラスが置かれ、芳醇な香りを放つワインが注がれた。
「濃厚で上品な味が特徴ですわ」
「では失礼して、少しだけいただくか……」
 グラスを傾ける二人を、キュべリエ・ハイドン(きゅべりえ・はいどん)はじっと見つめた。
(ともかく、何らかの言質を引き出さなくては……まず、アダモフ氏からですわね)
 生徒会副会長として立候補した彼女は、革新派であり、帝国よりの考えを持っていた。
(守旧派は無視しているようですが、帝国の支援によって百合園は闇龍の甚大な被害から急速な復興を果たしたのは、歴然たる事実ですわ)
 正確に言えば、アイリスが東シャンバラ総督になり、帝国としての開発が進められたのがほぼ同時期……ということになり、支援とはまた少し違うのだが。
(それに、東西シャンバラに分かれていた時でも、最後まで帝国寄りの東シャンバラに与していた過去がありますわ。すでに帝国の文化、風習を受け入れる土壌は出来ていますもの)
 それをヴァイシャリーの民が心から喜んでいた訳ではないところもある。むしろ帝国と寺院の間に起こったこと、戦争のことを考えると、良い印象を抱いていない市民も多いのではないだろうか。ただ、既に受け入れさせられてしまった以上、他の都市と比較して、というのは確かだろう。
「ところでこういったワインや、皆様の貴重な品々……運ぶ航路には海賊がつきものですわね」
 キュベリエのパートナーである金死蝶 死海(きんしちょう・しかい)が、
「でも……ヴァイシャリーにはイコンがございますの。新型のイコンも開発中ですわ」
 死海がラズィーヤの返答を思い出す。彼女はその情報を、あえて隠す必要はない、とは言っていた。
「そのイコンは、水中稼働もできる予定だそうですわ。港にも置かれるのではないかと──」
「今日明日にでも、港にはセンチネルが配備されるそうですよ」
 死海の言葉を遮ったのは、書記に立候補している村上 琴理(むらかみ・ことり)だった。
 ガラスのポットに入った温かいフレッシュハーブティーを供しながら、
「緊急時には、また他のイコンも出撃できる体制になるかと思われます。きっと、新型イコンも配備されるでしょうね。でも、一つの船団に一つのイコンを付けて護衛するのは整備や補給の面でも現実的ではないように思えますし……、そんな仰々しいことを仰っては、大規模な取引をしなければならないと、困らせてしまいませんか?」
 ハーブティーの中身は、食べ過ぎても口をさっぱりさせ、胃腸を整える効能がある。全てヴァイシャリーの近くで採取されたものである。
「帝国はともかく、シャンバラ含め、まだ領海がはっきりしていない、こちらで把握していない海域は沢山ありますし……文明の発達度合いも様々です。そこにイコンが通りかかると、脅かしてしまいそうに、私は感じます」
 海軍が護衛の任に就くことを表明していますから、大丈夫ですよ、と彼女は言った。

「私たちも行きましょう」
 細身の燕尾服を着こなしたさけのパートナー・日野 晶(ひの・あきら)が、桜子を促す。
 アダモフの隣にはまだハーララがいる。晶たちは、絵画の前の席に座る「二人」に近づいた。
 桜子は息をすうっと吸って、静かに吐き出す。視線、目線、それに声の調子。さけに教わったことを思い出した。
「──失礼いたします。紅茶は如何でしょうか」
「お願いするよ」
 アダモフがアナスタシアから目線を挙げて、ハーララも絵画から視線を戻して、桜子を見上げた。
 応じて晶が彼らの前に置いたのは、海をイメージした薄いブルーのラインが入ったティーセットだった。
 晶がポットからお茶を注ぐ間に、桜子は事前に練習した台詞を繰り返す。
「うん? あらかじめミルクが入っているのかね?」
「こちらは、二種類の茶葉をブレンドし、ミルクで抽出した紅茶です。クセが少なく味わい深いエリュシオン産のものと、さわやかな香りの高いシャンバラ産のもの。ミルクはシャンバラ産の上質なものでご用意しました」
 さけとしては、海での交易と、より良いよりよい品物を数多く提供する意思があること、立場は対等なものだということを示唆するつもりのラインナップだった。
 けれど、それだけではない。
「一種類だけでも勿論美味しく召し上がれますが、ブレンドによって、今までにない味と香りを楽しんでいただけると思います」
「ほう」
 アダモフは感心したように頷いた。ハーララも物珍しそうに口を付ける。
「うちの部族には紅茶を飲む習慣はないんだがね……うん、美味しいよ」
「ありがとうございます」
 桜子は控えめにほほ笑んだ。
(アナスタシアより一歩リード、かな。ちょっとアナスタシアたちがイラついてるみたいだが)
 自称猫の手を貸しに来たシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)は、新しい氷を、隅っこに置かれたジャーに継ぎ足しながらその様子を見ている。
 お茶会のスタッフ、といった柄ではないようにも思えるが、今は天御柱学院に短期留学中だが、もともと百合園生。選挙の様子が気になって来てみた。
 パートナーであり、こちらは立ち振る舞いが板についているリーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)もシリウスと顔を見合わせ小声で会話を交わす。
「守旧派と革新派の対立……革新派の有利と聞いてはいましたが、守旧派も負けてはいませんわね」
「どっちが勝っても負けても、悪いようにはならないと思うぜ? ちょっと革新派の……エリュシオン派閥だっけ、あっちは勝気そうだけどな」
 ま、流石に今喧嘩しないだろ。なってもオレが止めるけど、とシリウスは言い。
「わたくしたちとも長いお付き合いになるのですものね……ただ、それは落選した方たちも同じですわね」
 せっかくエリュシオンとの和睦が成立したのだ。滅多なことにならないにしても、あの戦いが校内で繰り広げられる、というのは悲しい。

 ──その思いは百合園の他の生徒も同じだったのだろう。
 シリウスたちが注目している守旧派と革新派の他にも、中立の態度を表明する立候補者も次々に現れていた。
 ぴりぴりしかけた雰囲気を取り持つために、他の候補者たちがアナスタシアたちに声をかける。
 また間を取り持ち公正を期すための選挙管理委員を志願する生徒が、スタッフとして参加して目を配っている。
 選挙に関わる生徒にとってのお茶会も、単なる立候補者の争いではなくなっていた。
 「誰が選ばれるにせよ、これで安心して次代を任せられる」。
 現生徒会役員のメンバーは、彼女たちを見ながらそう感じていた。