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大廃都に残りし遺跡~魂の終始章~

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大廃都に残りし遺跡~魂の終始章~
大廃都に残りし遺跡~魂の終始章~ 大廃都に残りし遺跡~魂の終始章~

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 第22章
 
 
「食べてもいいって言ってますわ」
 月来 香(げつらい・かおり)は、智恵の樹を見上げてそれだけ通訳した。樹と話をする事に成功したらしい。そうして実を収穫し、淡々とした表情でしゃりしゃりと食べる。最初にこの場に辿り着いた皆はもう食べているわけで、今更許可も無いような感じだが一応だ。
「……お?」
 芯まで食べきったところで香の頭に変化があった。白い月下美人の蕾がぽっ、と花開く。
「まだ1年経ってない気がしますが……、どーしたんでしょう?」
 マイペースに首を傾げる香。美央もはて、という顔をしていたがやがてひらめいた! と彼女に言う。
「智恵の実を食べたことで、年に1度とかではなく、いつでも覚醒モードになれるようになったのでは? どうです? やる気がわいていませんか?」
「……? よく分からねーですが、今なら何でも出来る気がしますわ」
「おおっ? 何だか効果がありそうだね!」
 香の様子に、花琳もちょっとわくわくしつつ実を取ってみる。
「智恵の実って、アリスの私が食べたら……グラマー体型になったり?」
「……智恵なのに、身体的変化か?」
 そこで、カリンが冷静に突っ込みを入れる。彼女自身は実に興味が無いのか、ただ眺めているだけだった。
「細けぇ事は気にすんな! だよ♪」
 明るくウィンクしてみせてから、花琳は実をぱくりと食べる。その前に「……お姉ちゃんみたいなナイスバディになるんだい」とボソッと言ったのだがボソッ過ぎて誰も気付かない。どうやら彼女は、海開きの日に『この子達はまだ子供なんだから』とか『成長したらぼんきゅっぼんになる可能性があるんだから!』とかプリムに言われたのを気にしているらしい。だが――
「あれえ? 変わらない?」
 胸とかお尻とかをぺたぺたと触ってみるが全くもっていつも通りだ。全くもってぺたんこだ。
「……だから基本、頭に作用すんじゃねぇのか? 多分、胸には効果ねぇだろ」
「えーーーーーーーー!!!!」
 もしかしたら効果があったかもしれない大佐の事は知らぬまま、花琳は叫ぶ。だが、やはり変化はないままだった。

「この智恵の実を食べれば、私も武装ユニットを使いこなせるようになるかな……?」
 ハデスと2人で何とかかんとか最奥まで来たヘスティアは、両手で包むように実を持っていた。恐る恐る、という感じで実を口に運ぶ。
 そして全部食べ終わると、六連ミサイルポッド以外の武装ユニットが動かせるかどうか試してみる。
 だが結果は――
(エラー。武装ユニットへのアクセスが拒否されました。アクセス権限がありません)
 機械的で無慈悲な声が、ヘスティアの耳を打つ。
「そんな……知恵の実でもダメなんて……」
「フハハハ! 心配するな! 武装なら天才科学者であるこの俺が今に使えるようにしてやる!」
 肩を落とす彼女に、ハデスは高笑いをして自信たっぷりに言う。
「……だから、お前は俺を信じていればいい」
「ご、ご主人様……」
 合わせられた目から、視線を逸らすことが出来ない。その時――とくん、とヘスティアの機晶石が高鳴った。
(警告。未知の感情プログラムを確認。修復プログラムで修正できません)
 途端に聞こえてくるのは、武装ユニットからのアナウンス。
「なに……? ご主人様を見てると、なんだか胸がドキドキする……」

              ◇◇◇◇◇◇

「若人が大志を抱き、危険に臨まんとする。それを救い導くもこの帝王の役よ」
 その頃、ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は神殿の中をキリカ・キリルク(きりか・きりるく)シグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)と進んでいた。『大商家の息子として、この世の全てのアイテムを直接見て扱えるようになって、世界一の商人になりたい』。そう言っていたというトルネを救出しようとアルカディア探索をしていたのだが――
 捕らわれざる者を使ったヴァルは、見事な程に罠に引っ掛からない。モニタールームにて9割以上の罠が解除された現在は兎も角として、それ以前にも彼は罠にかかることは無かった。特に、落とし穴など進行そのものを止めてしまいそうな罠などは総スルーで、ヴァル達は落とし穴の存在自体を知らない程である。飛ぶ鳥を落とす勢いとは正にこの事だろう。
 だが、すいすい過ぎて壁を壊す事も無く壁を壊すシチュエーションに出くわすことも無く、故にライナスとトルネの居た隔離部屋に飛ぶこともなかった。
「罠があるって聞いてたのに、全然なんにもないッス。これじゃあただのハイキングっスよ。どうしてそんなにすいすいと行けるッスか」
 歩き疲れたのか退屈なのかつまらないのかその全部なのか、シグノーはうんざりしたような顔で猫背ぎみにヴァルの後をついていく。
「それは帝王の経験と、そこから生まれる勘。何より己の選択に持つ自信だ。俺1人では全て解決出来ないから仲間の力も借りるが」
「……仲間って、自分達しかいないじゃないッスか……」
「いや、トルネ達を助けにこの神殿に来た全ての者が仲間だ。今、こうしてスムーズに進めているのも俺の力だけではない。彼等の力があってこそだ」
 揺らぎのない声でヴァルは言う。確かにそれはその通りで、発する言葉もあながち間違いではない。
「…………」
 ダンジョンを潜り抜けていくヴァルを、キリカは静かに見守っていた。彼を守ろう、と考え同行したが、ヴァルは頼もしく今のところ彼女が前に出るような事態にはなっていない。
 ――彼を見ていると、そのうち自分という盾の存在が必要無くなる日が来るんじゃないのか。そんな不安になる日も、ある。
 正面に立つ時には、顔には出さないけれど。
「――大丈夫。お前が思ってることにはならないさ。絶対に」
 その時、不意にヴァルが彼女に言った。静かな、靴音だけが耳に届く通路に良く通った声が響く。『絶対に』という一言には自信と、そして決意のようなものが感じられて。
 固有名詞を使っての台詞ではなかったがそれは確かに、キリカに向けられたもの。そう確信出来るから。
「……背中越しに、大帝の目で人の顔色読まないでください」
 だから、冷静な調子を保って言葉を返す。赤くなんてなってあげません、とそう思うが何故かうまくいかなくて。
「お、この階段で地下に行けるようだな」
 周囲が暗くなった事に、少しだけキリカは感謝した。

              ◇◇◇◇◇◇

『智恵の実』は、1つ2つと確実にその数を減らしていく。効果はまちまちのようだが影響を受けている者も確かに居て、何らかの不思議な力を持っているのは間違いないようだ。全く、世も末である。
「…………」
 ラスは『智恵の樹』の全体が見える場所に立って、暫く林檎狩りならぬ智恵の実狩りを見詰めていた。彼の表情からは何を考えているかは読み取れず……否、何となく分かる気はするが、エースとエオリア、その答えがはっきりするまで様子を見よう、と後ろで目配せをし合っていた。
「エオリア……あれ、どう思う?」
「そうですね……、あれは、真剣に……」
 そこでラスは、無言のまま護身用の名も無き小型ナイフを取り出す。一瞬緊張しかけたエース達だったが――
「よし……売るか」
 次に聞こえてきた言葉に、やっぱり、と、力を抜いた。エオリアは先程、「真剣に家計を考える主夫の目です」と言いかけていたのだがそれは当たっていたらしい。ナイフを使ってざっくざっくと果実狩りに励むラスを見ながら、エースは言う。
「……あれだよね、多分今までで、一番やる気出してるよね……。ある意味ピノちゃんの時より出してるよね……」
「……まあ、変に無茶する展開にならなくて良かったですね」
「一度あぶなかったけどね」
 2人は苦笑し合い、無事に終えることのできた1日に安堵する。
「人に注目して、何ほのぼのと笑ってんだ」
 持てるだけ実を抱えたラスは、そんな彼等に気付いて近付いてくる。
「お前らはこれ食わないのか?」
「うん、俺達は元々、智恵の実が目的じゃなかったからね」
「ふぅん……、ならいいけど。でも、気まぐれ起こして食ったりするなよ」
 自分の暴走監視が目的だとは気付かないまま、ラスはそれだけ釘を刺す。『アルカディアニ招イテヤル』というのは即ち天の国ならぬナラカへ行けという事だ。機械だらけの神殿――。何てことはない。理想郷とは、この神殿を造った者達が“偶々意味合いが合致した”から付けただけのことだったのだ。あの有名な果実とこの実は別物だろうし、摂取しても悪い方向に変化が起きた者はいない。だが、用も無いのに食べる必要も無いだろう。
 まあ、金儲けの才が欲しいと思わないこともないが。
「ん……?」
 そこで、ラスは開きっ放しの扉の傍に人影があることに気が付いた。黒いシルエットではあるが、顔の部分だけが能面のように白い。あの仮面男である。デパートの事件の後、森でファーシーから聞いた話を思い出す。特徴からしても、礼を言いたかったというファーシーの言葉からしても、彼女にバズーカを渡した男だろう。
「……おい」
 わざと死角から近付き声を掛けると、仮面男は「おっ?」と分かりやすく驚いた。
「実を取ってこいって寺院から命令でもあったのか? 仮面を取れば普通にあそこに混じれるだろーに……。そうそう、さっきはよくもやってくれたな」
「…………」
 智恵の実を垂直に放ってキャッチして。そんな事をしながら反応を待っていると、仮面男はやがて、声を発した。
「女子に怪我は無かっただろ? ならいーんだよ」
 言うや否や、ちょうど宙に浮いていた智恵の実を取ってラスの口に突っ込んでくる。
「……!」
 その拍子に、腕の中から智恵の実が幾つか落ちた。ころころと階段を転がり落ちていく。勢いで半分ほど実を飲み込んでから、ラスは仮面男に抗議の目を向けた。
「お前っ……、やっぱり……」
「きっとそれで、嘘が吐けなくなるようになるぜ」
 男はクール、というよりは“普段”に近い口調でそう言うと、落ちた実を1つ拾って暗闇の中に消えていく。
「嘘を? ……まさかな」
 彼を少しの間見送り、実を回収しようと階段を降りる。その足は途中で一瞬だけ止まり――それから彼は、3分の1位に減った実を腕に抱えて引き返していった。

              ◇◇◇◇◇◇

「ちっ……ダミーの智恵の実なんてどこにも無いじゃんかよー。しかも、何か迷ったし本物も見つかんないし……お?」
 地下2階の階段を見つけて暫く。リル・ベリヴァル・アルゴ(りる・べりう゛ぁるあるご)は暗い通路を1人歩いていた。何1つ予定通りいかなくてすっかりむくれてしまっていたが、本物の智恵の実だけは手に入れたいところだ。そして、あの3人の前で自慢気に食べてみせてやるのだ。
 そんな事を考えていたら、彼女の足元に赤い果実が転がってきた。
「? これ……、もしかして……智恵の実? 天の恵み?」
 ――何となく、どうぞ、と言われているような気がした。

「リルはどこに行ったんだろうね。まあ、ここで待っていれば会えるとは思うけど」
「電話してみたら? 案外、近くにいるかもしれないわよ」
「電話か。そうだね」
 シオンの何となしな提案に同意し、サリエルは司の懐から携帯電話を出す。リルが離れた事に気付かぬまま石化し、ここまで辿り着いてしまった。あの時のごたごたではぐれてしまったのだとは思うが、彼女1人で無事ここまで来れるか些か心配でもある。
「それにしても、本当にしゃべれる蛇がいるなんてね♪」
 耳に電話を当てるサリエルの傍で、シオンは戦闘の跡残る周囲を見回す。もうちょっと話してみたかった気もするが、消えてしまったものは仕方がない。それから智恵の樹を眺め、とりあえず当初の目的を達成することにして彼女は実に手を伸ばした。
 着信音が聞こえてきたのは、そんな時。
「あーっ、なんだこれ、でっかい樹だなーーーー!」
「赤い実が生っているだろう? あれが智恵の実だよ。って、リル、その手に持ってるのは……」
 ちょうど到着したところだったらしいリルに、サリエルは近付き説明する。だがそこで、彼はリルの持つ実に気が付いた。はて、どこで手に入れたのだろうか。
「あれが智恵の実? でも、お宝がこんなにいっぱいあるもんなのか? もっとこう、レアな……わかった!」
 リルは拾った実をサリエルに見せ、自信たっぷりに言う。
「この樹についた実がダミーなんだ! で、アタシが拾ったこれが本物!」
「え? リル、それは……」
 どこからどう見ても、樹に生っているのと同じ実だ。一体どこで手に入れたのか。
「いいじゃない、リルはその実を食べれば♪ ワタシ達はこれを食べましょ♪」
 智恵の実を2つ取ったシオンがサリエルに1つを渡す。
「1つでいいわよね?」
(そうですね……体は1つなのですからそれで良いでしょう)
 司が憑依された体の中からそう答え、サリエルが実を受け取る。智恵の樹が罠だと思っているリルは、変な効果が出てどうなっても知らないぞー、と思いながら彼等に言う。
「それじゃあ、3人で一緒に食べようぜ!」
 そして、シオンとサリエル、リルは同時に“全て本物の”実を食べた。
 その結果、シオンと司の脳裏に展開されたのは同じ記憶。視点だけが別人の、同じ情景。 眠ったままのイブという名の少女。リルとハルナという名の2人の少女。サリエル。加えて、シオンの視点では何故か司によく似た雰囲気の青年――恐らく医者だろう――が同じ空間で時を過ごしている。
(「…………」)
 司が直接思い描いた記憶を、サリエルは彼を通して感じ取る。それぞれに驚き言葉を忘れていたが――
「何、今の記憶? サリエルとリル? ……っていうかハルナって誰? ワタシ関係ないんじゃない?」
(シオンくんも同じ光景を? ……はて、私とシオンくん、関係ありません……よね?)
 司は不思議な気分になりつつ、次にサリエルの目を通してリルを見る。
(おや? 今日は新月でしたか? リルくんが急に15歳バージョンに?)
 10歳ほどの外見だったリルは、15歳位の少女の姿に変わっていた。本来なら新月の夜に目にする姿だ。
「んー? 何見てるのよ、ツカサ。あれ? 今はサリエルだっけ? ……まあいいや、用が済んだら帰りましょう」
 普段の変化とは異なり、寝ぼけたような口調だ。彼女は彼等を促し、智恵の樹から離れていく。頭に「?」を幾つも浮かべつつ、シオンとサリエルもリルに続いた。一部の記憶を垣間見たシオン達と違い、今のリルは全ての記憶を持っていた。それを知っているのは、まだ本人だけである。

              ◇◇◇◇◇◇

 その頃、レン達は攻防から出てからの事をファーシーに話して聞かせていた。このアルカディアで彼女がどんな体験をしたのかも興味があったし、出掛ける前に土産話を所望されていたという事もある。彼等の冒険譚はスリル満点というよりはマスコットモンスター満点という感じだったが、サルカモの存在を知るとファーシーは身を乗り出した。
「サルとカモノハシを足して2で割ったような魔物? うわあ、その子達、見てみたかったなあ。うん、カモノハシっていうのがどんなのか分かんないから想像出来ないけど」
「悪い奴らじゃなさそーだったぜ?」
「そうですね……何だか憎めない顔立ちをしていましたよ。写真を撮っておけば良かったですね」
「カモノハシは……えーと、どう言えばいいんでしょう。確か、こんな感じです?」
 ザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)メティスが言い、うろおぼえながら、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が木の枝で土に絵を描いてみる。ノアは、片手に智恵の実を持ってそれを食べていた。その手が、ふとぴたりと止まる。
「? あれ?」
「……これは……」
 レンもまた、自身に起きた変化を察した。サングラスを外し……はしないが、その下の瞳からもう魔力は零れないのだ、という事が実感として分かる。ノアから分け与えられていた力が、本人に戻ったのだと。
「何だか懐かしい感覚ですねー。これが、智恵の実の効果ですか……」
 ノアは感心したようにそう言い、それから、先程まで近くにいたピノに向けて振り返る。
「ピノさんも食べてみませんか? 何か良いことが起こるかもしれませんよー、て、あれどこに……あ、いました」
 ピノは智恵の樹に登り、直接実を取っていた。風呂敷代わりにした上着の中に、幾つもの実を入れている。
「うん、あたしも食べるよ! 手が届かないから取りに来ちゃった」
「ピノちゃん、こっちこっち! マナカが配るよ!」
 樹上のピノに、真菜華が下から呼びかけた。実を受け取る姿勢の彼女に、「OK!」と実を投げていく。
「みなさん、智恵の実ですよー。欲しい人ー!」
「私にもください。手が届かな……なんでもないです」
「私も欲しいですの」
「わたくしもいただきますわ!」
「…………」
「わしにも1つ!」
「はいはい、順番ですよーっ! と!」
 ノルニルとエイム、ノートと、ホワイトボードに「ください」と書いた天樹ヒラニィ、と、真菜華は順番に配っていった。そして、最後に1個残るとそれを持って樹の根に座る。ピノも下に降りて、彼女の隣にくっつくように座った。えへへー、と顔を見合わせ、ピノは言う。
「美味しそうだねー。じゃあ、早速……」
「あっ……! 何をやってんだ、何を」
 早速、食べようとしたところで戻ってきたラスに背後から実を取り上げられた。
「「あーーーーーーーーっ!!!」」
「こんなもん食ったって頭は良くなんねーんだから諦めろ。何も変化が無くて伸び代が無いって泣くことになるぞ?」
「ひ、ひどいにゃーーー!」「ひどいよ、おにいちゃん!」
「それで、没収した分も持って帰るんですね〜」
「売るだけだ……って、まさか、食ったのか?」
「私は食べてないですよ〜」
 茶々を入れてきた明日香の傍では、エイムとノルニルが実を食べていた。明日香も食べたのではと思うのも仕方ないことだろう。
「美味しいですの」
「美味しいって……何か、効果は……」
「……? 何もないですの」
 きょとんとして答えるエイムとは違い、ノルニルは鼻を高くして嬉しそうに、皆に言う。
「身長が伸びました! 伸びましたよ!」
「「「…………」」」
 どこをどう見ても伸びていない。目視では1ミリくらい伸びたのかもとか思うが1ミリたりとも5000年前から伸びていない。100%気のせいだ。まあ、伸びたと思う分には幸せだし、黙っておいても良い範疇の事ではあった。

「どうです! これでもうバカとかヴァカキリーとか言わせませんわ! わたくしも……、……。……? ……あら?」
 アクアと望、山海経を前に自信満々に一口でノートは実を食べる。だが、自覚出来るような変化が訪れずに彼女は目を瞬いた。
「どうです! この智恵の実の効果で……、…………」
 言い直してみても、何も起きない。それを超スゴイ洞察力で察すると、ノートは何故か得意げに胸を張る。
「元から完璧ですものね!」
「智恵の実でも、どうにもならない程の馬鹿なのですね」
「智恵の実も困惑してしまったのではないですか?」
「な、何ということを!!」
 むきーっ、という擬音が聞こえてきそうな勢いでノートは悔しがる。山海経は地理書を片手に呆れた顔で3人を眺めていた。
「本当に、いつも通りじゃのう……」

「美味い!!!」
 そして彼女達の傍では、ヒラニィが一気に実を食べ切ってそう宣言していた。心から満足そうだ。効果は……こちらも何も無さそうだ。
「鳳明は食わんのか? 美味いぞ!」
「うん、でも数に限りがあるし、遠慮するよ?」
 苦笑しつつそう答え、鳳明は天樹に目を移した。実を食べた彼は、何か自分の喉あたりを触って首を傾げている。
「鳳明、僕、のどが……。……?」
「あ、天樹ちゃん!? 声、声出てるよ!!」
 テレパシーで話しかけたつもりが、無意識に声帯を震わせていたようだ。驚く鳳明の前で、あれ、と天樹は首を傾げている。まだ、現状に適応出来ていないらしい。

              ◇◇◇◇◇◇

「ダンジョンに来るのになんでザックの中におやつが無いんスか!」
 地下の暗闇の中、シグノーはまだ文句を垂れていた。というか、あれからずっと絶賛継続中でぶうたれている。その都度にキリカがまあまあと宥めるが、すぐに復活して不満を言い出す。おやつに関しては、どうやら、来る前に300G以下の間食物さえ却下されたらしい。だからハイキングでも遠足でもないから……と突っ込みを入れたいがこちらはほぼハイキングなので突っ込めない。実際、多分はらぺこなのだろう。
「シグノー……、探索を舐めてるのか?」
「勿論、舐めてないッスよ!」
 窘めるように少々厳しめにヴァルが言うと、シグノーは堪えた様子も無く即答した。むしろ、ドヤ顔で自らの主張を展開する。
「だからこそのおやつッス。困難な状況で精根尽きた時こそ、一滴の甘味。そう! バナナ! リンゴ! うま○棒! ダンジョン攻略の友、OYATSU! ……あれ?」
 う○い棒はチーズ味派らしいシグノーは、そこで鼻をひくひくさせた。
「……なんか、美味しそうな匂いがするッス」
 いつの間にか、3人は智恵の樹の近くまで来ていたようだ。開け放たれた扉の先に、赤い実をつけた樹が見える。
「は。リンゴ! あれはリンゴっスよ!」
 オナカガスキスギテ、シグノーは何も考えずに智恵の樹にダッシュした。実を取って迷わずにかぶりつく。そして――その実が林檎では無いということに今更に気付く。思い出したのは、かつての記憶。凶獣だった頃の、全て。
「どうですか? 味の方は」
 歩き追いついてきたキリカが、後ろから微笑ましげに声を掛けてくる。その声ではっ、と我に返り、シグノーは振り返った。
「…………え? あ、ああ」
 キリカ達と智恵の実を見比べ、シグノーは不器用に笑顔を浮かべる。いつもと――つい先程までと同じ自分に見えるように。
「……思ったほど大した味じゃないな。……ッス」
「「…………?」」
 ヴァルとキリカは、怪訝な顔で顔を見合わせた。

「これが、智恵の実か……」
 トルネは智恵の樹を見上げ、残り少なくなった実を見詰める。この実を直に見たい。触りたい。感じたい。どんな物なのか知りたい――止まらない好奇心で走り、ライナスを連れてここまで来た。
 実際に目にすると、思ったほどの感動は無かった。湧き上がってくるような、輝きは無かった。目にした途端にそれは夢じゃなくて、想像上の宝物でもなくて、現実で。現実なのに、分からなくなった。
 ――ねえトルネ、もし本当にその実があったとして、見つけてどうするの?
 モーナの言葉を思い出す。
「俺は、どうしたいんだろう……」
「君がトルネか? 無事だったようで何よりだ」
 そこで、ヴァルが彼の背中に話しかける。トルネが少し頼りなさげな表情で見上げてくると、ヴァルは即座に自己紹介した。
「俺か? 俺は通りすがりの帝王だ」
「…………」
 トルネは何と言ったらいいのかと閉口する。
「それで、何を考えているんだ?」
 会ってまだ1分経つかどうかというところだが、ど直球に内側に入り込まれた。単純な台詞なのに、何故か全てを読まれている気がする。それは多分、声の力。
「……皆に心配をかけて、たくさんの人を危ない目に遭わせて。そこまでして、俺は本当にこの実を……」
 全てのアイテムを扱いたい。それは本当だ。夢焦がれる、将来の自分の姿。商人としてなら、実の特性を把握して持ち帰って、欲しいと思った人がいつでも買いに来れる、そんなアイテムにするべきなのに。
 きっとその人は、笑顔で店を出て行くから。
 それなのに、どうしてこんなに迷うのだろう。ちらりと、ほんの少し思ってしまった。これは、誰かに多大な迷惑をかけてまで手に入れる価値のある物だったのか? 自分の行動は、正しかったのか? そう思う彼に、ヴァルは言う。
「知恵は、先に起こる失敗を回避するための物だ」
「……?」
「そして、この世で最も良い知恵が何か教えようか。――それは、何もしないという選択だ。そうすれば、そもそも失敗しないのだからな」
「…………」
「知恵は、行動を伴うことで初めて意味を持つ。人、それを知行合一という」
「ち、ちこう……?」
 彼には少し、難しかったらしい。
「トルネ。思い立ち即行動に移したお前の決断をまずは褒めよう。失敗から学べる経験は、どんな知恵よりも替え難いものだからな」
 隣り合って並んで立ち、智恵の実を眺めながら話を続ける。同じ方向を向いていても、繋がるものはちゃんとある。
「そして、成功の秘訣を教えよう。決断することだ。苦難に立ち、自分の脳味噌を何度も引っ繰り返し、その上で、自分で決めるんだ。この世界、答えの無いことなどざらだ。かつての経験と逆の事が起こる事も多々ある。そんな中で決断するんだ。その上で、成功も失敗も全て受け止めるんだ。
 それこそが、黄金なんだよ。きっとな」
「…………」
 ――そう、先に進むのに迷いはいらないから。
 失敗を恐れて何もしないなんて、そんなの嫌だ。そんなの、何にも面白くない。ずっとずっと、満たされない。そうだ、失敗したら考えればいい。たとえ絶望しても心が折れても、考えて考えて、そして折れたものは、直せばいい。容易い事ではない。時間も掛かるかもしれない。でも、打開策はきっと、どこかにあるから。
 だから、俺は決断する。これまでと何も変わらない。思ったことは、実行するだけ。
「ライナスさん! この実の残り、持って帰るよ! ついてきてくれてサンキューな!」
 ライナスは、怪我をしてる皆と共に休憩していた。ルシェンがパワードバックパックから出した食糧を持っている。ルシェンは、続いて出した医薬品で皆の手当てなどもしていた。
「礼には及ばない。私も持ち帰るつもりだ。研究してみたいからな」
 話が一段落したのを見て取って、シグノーがヴァルに話しかける。
「事件が終わったなら、戻ろう……ッス。ほ、ホラ! 腹減ったッスもんね!」
 ス。とほの間でシグノーは慌てるように早口になった。
「ああそうだな。おやつでも食べに帰るか」
 念のために、と怪我人にメジャーヒールをかけていたキリカと目を見交わす。キリカは黙って頷いた。シグノーは智恵の実を食べたことで何か問題を抱えたようだが、自身で解決出来ることを信じて何も言わない。――その心持は、思春期の子を見守る親の心境に近いものなのかもしれない。

              ◇◇◇◇◇◇

「どう? 陽子ちゃん」
「これは……」
 そして、緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)も智恵の樹まで辿り着き実を食べていた。彼女が思い出したのは――極一部の記憶。記憶を失ったその原因。
 陽子は暗殺者の頃、自分の失敗で多数の味方を失っていた。それによってできた恐怖心を無くす為、彼女は所属していた組織によって記憶を消されたのだ。
「それ以外の事は、わかりません……」
 思い出した内容を全て緋柱 透乃(ひばしら・とうの)に話し、陽子は言った。
「……そっか。全部は思い出さなかったんだね」
「はい。でも……少しでも、これで前に進めたと思います」
「うん、小さくても収穫があればいい。そうだよね?」
 透乃はそう言うと、陽子と同じく実を食べていた月美 芽美(つきみ・めいみ)を振り返った。
「芽美ちゃんは? 何か面白い効果は出た?」
「……今のところは、何も感じないわね。でも、もう少し経てば、効果が分かるんじゃないかと思うわ」
 芽美が望んでいたのは、永遠に今の美貌と若さを保つこと。たとえ、その望みが敵っていたとしても、食べた直後では分からないだろう。
 だが――

(最近人を殺してなくてストレス溜まってるから殺す相手が欲しいわ……賊とか出てこないかしら……)
 智恵の実を食べた帰り道。芽美はそんな事を考えながら帰路についていた。とはいえ、この神殿には出口が無い。とりあえず、グーラが一度踏み、入口に飛んだ罠があるところを目指して向かう。
「お頭、本当に智恵の実なんてあるんすかねえ」
「さあな、だが本当にあるんなら儲けもんだ。まあいいじゃねえか。これだけの神殿だ。智恵の実がなくても、何かしらお宝があるだろうぜ」
 そこで、まるで彼女の思考を読んだように前方からやってきたのは、棘つきの石で出来た帽子を被った、棘つきの棍棒を持った髭面の大男率いるムサく汗臭い空気満々の男の集団だった。ざっと、20人位はいるだろうか。
 お頭と呼ばれた男は、ナリこそ雑魚臭のする盗賊然としたものだったが、そこからは確かな実力を感じられた。神殿内の空気の影響もあるだろうが、謎の遺跡に入る度胸や、これだけの手下に慕われているというのは何かあるのだろう。
「あぁ? なんだ? お前ら……」
 お頭は透乃達を見て足を止める。
「智恵の実なら、残念ながらもう無いよ! 皆が食べちゃったからね!」
「はあ? 何言ってんだあ? ふざけたことぬかすとやっちまうぞ?」
「……やっちまう? 大歓迎だよ! 智恵の実があるとかないとか、関係なかったね! どうせ先には行けないんだからさ!」
 そう言うと、透乃はお頭の正面に立った。それと同時、陽子と芽美がその手下達に迫っていく。陽子はアボミネーションを手下達にかけておののかせ、アンデッドの朧と美凜にも指示を出しながら凶刃の鎖【訃韻】を介してアルティマ・トゥーレを使う。
「翔羽流星脚! ……あら?」
 そんな中、芽美は龍飛翔突を手下の顔に思い切り繰り出し、蹴り飛ばした。その動きが、一瞬だけ止まる。元々、偶に自分で考えた技名を叫びながらスキルを放つことはあったが今のは無意識である。
 その彼女に、手下が一斉に襲い掛かってくる。向こうも彼女達が手ごわいと思ったのか、容赦が無い。その彼等に、芽美は則天去私で対抗する。
「聖破流星拳! ……って、また?」
 吹っ飛んでいく手下達をよそに、芽美は自分の拳につい目をやる。……これも無意識だ。もしかしたら、智恵の実を食べて美貌と若さを保てるようになったのではなく――
 厨二性能が上がったのかもしれない。

              ◇◇◇◇◇◇

「後は脱出するだけね! アクア! ファーシー! こっちよ!」
 先導する衿栖と、脱出の時が一番危険だから、と最後尾を務める朱里の間をアクアとファーシーを始め残っていた皆は歩いていった。入口に戻る罠は樹から比較的近く――だからこそ、彼女達は盗賊達の存在を、その彼等の行く末を知らない。
「衿栖は元気ですね……。ファーシー」
「? 何? アクアさん」
「貴女も元気なのは良いですが、あまり無茶はしないでくださいね。機晶石が幾つあっても足りません」
「…………?」
 ファーシーは言われた意味がよく解らなかったようだ。叱られた気もするけど……
 開け放たれた扉から漏れる光の所為か、地下2階は若干明るくなっていた。或いは、サルカモ達がこっそりと照明を灯したのかもしれない。
「……そっか、心配してくれたんだ」
 理解が追いついたのは、ワープ罠に辿り着いた時だった。

 ――入口を出ると、空はすっかり晴れ渡っていた。湿度を含んだ夕方の風が、彼女達を迎えるように吹き過ぎていく。
「うーん、空気が美味しいなー!」
 未散は思い切り伸びをして、のんびりと鼻歌を歌う。直ぐに帰らずに神殿前に留まっているのは殆どが身内で、彼女も素を出せるようだ。
「て、あ、あれ?」
「み、未散くん!?」
 鼻歌を聴いて、衿栖とハルが驚いた。文字通り、耳を疑うという表情だ。未散自身もびっくりしたようで、固まっている。「も、もう一度!」と請われるままに未散は歌い、2度目にして3人は確信する。
「な、なんと! 今まで聴くに耐えなかった歌が上手くなっておりますぞ!」
「聴くに耐えないって……で、でも、やったー!」
 ハルの失礼千万な言葉に一瞬憮然とするも、未散も喜んで声を上げる。
「これで『歌がヘタな王座決定戦』に出なくて済むー! 私、歌で弄られるの大嫌いなんだよな! あれ……でも……」
 そこで未散は、はた、とある事に気付いた。
「上手くなったってことは今まで下手なことを盾に断ってたアイドル歌手の仕事も受けなくなるんじゃ……。なんだこれプラマイゼロじゃん……」
 そして、あっという間にしょぼーんとした。だが、がっくりする未散とは違い、ハルはもう大喜びだ。
「これで今まで断ってた歌手の仕事も出来ますな! いやーめでたい! アイドルとして大躍進ですぞ! やりましたな未散くん! 衿栖くん! ツンデレーションのプロモーションもどんどん進めて行きますぞ!」

「ふ〜」
 ……もの凄い温度差の2人に苦笑しつつ、衿栖は一息ついてファーシー達に笑顔を向けた。
「なんとか無事帰ってこれました。危なかったけど、楽しい冒険でしたね!」
「うん……楽しかったわ!」
「終わってみれば、というものでしょうが……」
「もう! アクアったら相変わらず素直じゃないね!」
 朱里はアクアの背中をばん! と叩く。本人は手加減したつもりだったのだが、十二分に威力があった。
「……アクア」
 何処か嬉しそうに、楽しそうにファーシー達と先を行く朱里の背を見ながら咳き込んでいると、そこで天樹が話しかけてきた。筆談ではなく直接、その綺麗な声で。
 鳳明やヒラニィは衿栖達と一緒に前を歩いていて、天樹達の会話を気にしている様子はなかった。
 ずっと聞きたかった事。武装を全て排除された――戦う力を失った彼女に、聞きたかった事。考えていた事を全て喋り伝えた時、天樹はそれだけで疲労を感じた。喋るのって、疲れるんだな……。
「今までの自分を、変えられたか……ですか?」
 天樹はこっくりと頷く。アクアは暫く黙って歩き、それから話し始めた。難しい問いでもあるし、簡単な問いでもある。
「貴方の身体能力というものは……元からあった先天的なものですか? それとも、後発的なものですか? 『超能力を得た代償』という事は前者のような気がしますが……」
 彼女は淡々と、話を続ける。
「私は、繰り返される実験の中で様々な武装を施され……、そうですね、機晶姫というよりは人の形をした兵器と言ってもいい状態でした。そして、1人になって部下を持って……ある程度自由になった私は、その武装を忌み嫌いながらも自分の盾として利用してきた」
 その頃彼女は、憎しみと不信と怒りと、人への恐れで満ちていたから。山田太郎を始めとして、人に価値は無い。皆、私利私欲に走って破壊する。利用する。私達をモノとしか見ない人間達。己をモノとしか見れなくなった自分自身。
 ――その中で、ファーシー……なぜ貴女は、そうも幸せそうにしているのですか?
 全てが嫌いだった。特に、自分と同じ運命を辿っていた筈のファーシーの笑顔が、許せなかった。
 でも――
「私の武装排除に私の意志はありませんでした。その殆どが――私が動けず、話すら出来ない時に起こった事です。私は確かに、失った。戦う力を、能力を、その時の流れの中で。ですが――失望はしませんでした。喪失感はありましたが……」
 全てを失うという感覚。途方も無い、穴に落ちたような虚無。
「私は多分、あの時安心していたのだと思います。虚無の中で、力を抜いていたのだと思います。だから、失望と喪失感とは違うのだと思います」
 失望とは、全てが暗くなること。手離し難い何かを、それが無ければ自分が保てなくなる位に大切なものを失った時。手離そうと決めた時――。希望を失くした時、自我を持つ者は失望する。
 そうならなかったという事は、私は多分――
 どこかに希望を持っていたのだろう。僅かな僅かな、砂粒のような希望を。
「私は何も変わっていません。ただ……知っただけです」
 そうして、彼女は立ち止まる。
「知れば、その物事に対する捉え方も変わる。そうではありませんか?」
 変わりたいとは思わない。それは、自分を『個人』として見てくれていた『彼』を否定することにもなるから。
「私は失望を捨てて、今、此処に立っているのだと思います」

              ◇◇◇◇◇◇

「ローザ……」
 誰も居なくなり静かになった智恵の樹の傍で、エシクは目を覚ました。介抱していたローザマリアに向けて、まだぼうっとした様子ながら彼女は言う。
「思い、出しました――私は、あの時この姿になった。アルヘナ・シャハブ・サフィールという少女は消え、剣の花嫁エシク・ジョーザ・ボルチェへと作り変えられた――」
 そして、エシクは微笑みを浮かべた。
「ローザ、感謝します。これで漸く、訣別出来そうです」