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リアクション
秋の夜に舞う姫。
秋の夜の月は綺麗だ。
夜空を見上げて、椎堂 紗月(しどう・さつき)はほうっと息を吐く。
冷えた空気はとても澄んでいて、空は月明かりで明るい。
いい夜だ。
――ばーちゃんに習った舞踊でも踊ってみっかな。
普段はそんなこと思いもしないけど。
こんな夜なら、舞ってもいいかな、と思って。
それに、たまには踊らないと質も落ちてしまうだろう。いずれ実家を継ぐ身としては避けたいところだ。
着物と化粧で盛装して、髪もしっかり結い上げて。
ふわりと外に舞い降りて、向かう先は森の中。
――さすがに人に見られるのは恥ずかしいからな。
こっそり、こっそり。
観客は、月と星。
――十分だろ。
舞うには、それだけいれば。
けれど、その舞を見ている人が居た。
椎堂 アヤメ(しどう・あやめ)。
今日みたいな静かな夜には散歩に限ると外に出てみれば、月下に舞う美人が居て、足を止めてみたところ美人は自分のもっとも愛する大切な人で。
声もかけず、息をすることすら忘れて見守った。
ゆったりと舞う、紗月の姿。
優美だとか、気品溢れるだとか、雅やかだとか。
賞賛する言葉はたくさん出てきたけれど、どれも何か物足りない。だから言えない。そして言葉も必要なく思えた。
手の動きひとつ、結われた髪の動きにまで気をかけているような完成された舞に、ただただ目を奪われる。
紗月の舞が終わって初めて、息を吐けたと思う。
「……ん?」
そして、その息の音で気付かれたようだ。
「アヤメ。何だよ、いつから見てた?」
照れ笑いのような表情で、紗月が言う。舞っていたときの、手を触れることも叶わぬような美はない。
それを残念に思うと同時に、少しほっとした。知っている紗月だ。アヤメが知っている、いつもの紗月。
「さあな。そんなに長くは見ていない」
もう舞うようには見えなかったので、アヤメは紗月の隣に歩み寄った。月明かりに照らされた彼はとても美しい。
「舞踊か」
「ん? ああ。実家、継ぐことになると思ってさ。踊っておかなきゃーって。あ、実家ってあれな。ばーちゃんの田舎にある、椎堂の実家。頭首を継ぐように言いつけられててさ」
「舞わなければいけないのか」
そんな、義務感からやっているようなものには見えなかった。自然な綺麗さがあった。
「うん。でも俺、踊るの嫌いじゃないしさ。こんな綺麗な月の夜にはああしてお月様に感謝してみてもいいだろ?」
「ああ。良かった」
「……って言われると恥ずかしいから嫌だったんだけどなー」
紗月がはにかむ。事実だ、と零すとまた笑った。
笑い声が止むと、静寂が流れた。アヤメから話を切り出そうとはしなかったし、紗月も静寂に身を委ねているようだった。
「いつかは実家継がなきゃいけないんだよな」
不意に、ぽつりと紗月が言った。視線で嫌なのか、と問う。問いに、紗月は首を横に振って否定した。
「ばーちゃんには散々世話になったし、椎堂の家が嫌いなわけでもねーから。嫌じゃないんだ」
「なら何が引っかかっている?」
「椎堂の家は代々女が頭首勤めてたからさ。頭首になる以上は女として振舞わなきゃいけねーんだ。そこがちょっと。
……あ、でも本当に嫌がってるわけじゃないんだ」
気がかりがあるだけなのだろう。口ぶりから、それは伝わってきた。だからアヤメは首肯する。
「わかってる」
「あ、そ?」
「もう長い付き合いだからな」
「それもそうか。うん。そだな。ありがと、アヤメ」
「どうして礼が出る」
「なんとなく?」
ふん、と鼻を鳴らし、アヤメは立ち上がった。
「帰るぞ。あまり夜風に当たると、冷える」
「うん」
紗月が立ち上がったのを気配で感じてから歩き出す。
「アヤメ」
「何だ」
「話聞いてくれてありがとな」
「別に」
礼ならむしろ、こちらから。
――いい舞だった。
だけど伝えるには気恥ずかしいように思えたから、秘密にしておく。
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