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リアクション
第一章:習うより慣れろってね
さて。そんな来客たちを窓越しにちらちらと眺めながらも熱心にマナー講習に励む一団があった。華美な特設会場から少し離れた大広間は、スペースといい備品といいパーティー会場そっくりに作り変えられてある。有志たちが好意で用意してくれたものらしいが、まさか練習用の模擬会場までこんなに丹念につくりこまれていようとは。
衣装の着付け方から始まって、挨拶や立ち居振る舞い、テーブルマナー、優雅なトークの運び方など、覚えることはたくさんある。
「立ち姿勢からもう一度やり直しだな。きょろきょろしない。両手は前で軽く添えて」
セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、聖騎士というよりも教師のような口調で言った。彼女の目の前で緊張気味に立っているのは、恋人のセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)だ。白い光沢を放つイブニングドレスに結い上げられた髪はとても決まっているのだが、どうも少々おぼつかない感じだ。履いている真っ白なピンヒールに視線をやりながら、セレンフィリティは困惑した表情でセレアナを見る。
「あ、あの……。絨毯がふかふかしすぎていて歩きにくいんだけど」
「それなら私だって同じ条件だ。もちろん、他のみんなもな」
「そりゃ、セレアナはお嬢様なんだもの。これくらいは出来て当然だろうけど」
知らなかった……。どうして今まで教えてくれなかったの? とレンフィリティはちょっと不満げな目つきになった。セレアナも黒のイブニングドレスを纏っているのだが、よく似合っていた。仕草や雰囲気も上質で堂に入っている。そのセレアナは冷たく言う。
「その件と、セレンフィリティのマナーが頼りないのと関係ないと思うが?」
「……う、そりゃそうなんだけどさ」
セレンフィリティは練習用のグラスを受け取り、乾杯の真似をする。本番の会場では、この上に笑顔で談笑まで出来ないといけない。考えるだけで大変だ。
「うん。かなりよくなってきたんじゃないかな?」
そんなセレンフィリティにグラスを合わせたのは、百合園学院生の七瀬 歩(ななせ・あゆむ)だ。一つ一つの礼儀作法について詳しく説明してくれる講師役の女子生徒なのだが、気軽そうな口調の割には不慣れな生徒たちに対して熱心に付き合ってくれている。
「あまり細かく考えなくてもいいよ。もう基本的なところは十分出来てるから」
「そう言ってくれるのはありがたいが、甘やかすと本番でコケることになる」
セレアナの言葉に歩はクスリと微笑んで。
「そのときは、一緒にコケましょう。マナーってね、格式ばった型が重要なんじゃなくて、実はそういった相手への思いやりも大切なんだな。って、最近思うようになってきたの」
「うわ。それじゃ、お料理は食べないほうがいいかも。万一、こぼしたりしたら大変よね」
セレンフィリティはテーブルに目をやった。練習にも関わらず、本物の料理が並べられている。どれもおいしそうだった。
「殿方はたくさん食べてもいいんでしょうけど、レディはね……。お勧めは乾き物かな」
そう言って歩は小さなチーズを一つ取り口に放り込む。
「ん……、おいしっ。って、ちなみに今のは悪い食べ方の見本ね」
彼女の軽快な仕草に他の受講生たちからも柔らかい笑みがこぼれる。場が和んだ。
と……。いつの間にやら室内にはしっとりと落ち着いた音楽が流れ始めている。本会場とは別に、臨時の楽団がやってきていた。本格的だ。
「ではみなさん。社交ダンスの練習に移ってみましょうか」
先ほどまで別の受講生にマナーを教えていた百合園女学院生の冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が言った。彼女はドレスではなく執事服を纏っていた。男女両方のステップを踏めるということだろう。これはこれで似合っている。
「口で説明するよりも、実際に踊ってみて覚えたほうが早いですよ」
そう言いながら、小夜子は受講生の一人と向かい合い手を軽く取った。
「ご一緒していただけますね?」
「あ、いや、自分はまだ何もわかっていないので……」
ルディ・アッヘンバッハ(るでぃ・あっへんばっは)は、突然手を取られて目を丸くした。イブニングドレスとピンヒールにようやく慣れてきたところだと言うのに、まさかいきなり踊れとは。
「ゆっくりと踏んでみますので、あなたはは私の真似をしてついてきて下されば結構です」
「う、うむ、そうか。ステップを踏むより君の足を踏んでしまわないよう、気をつけよう」
小夜子に導かれ、ルディは足元を見ながら真似をしてそろりそろりと動き始める。
「基本はですね。正方形を描くように動くだけでいいんです。まず男性役は前へ同時に女性役は後ろへ。そして次に男性役は向かって左へ女性役は向かって右へ……一歩ずつ……」
単純な動きを確実に出来るようになることが秘訣、と小夜子。
それを見ながら、セレンフィリティとセレアナも向き合って手を取りゆっくりと歩調を揃える。気の利く楽団が、その動きに合わせて旋律を奏でた。
「そこのあなたも、見ているだけじゃつまらないでしょう。僕がお相手するよ」
清泉 北都(いずみ・ほくと)は、講師たちの作法をじっと観察しながら一人で練習しようとしている居待月 彰良(いまちづき・あきよし)を目ざとく見つけ、手を取った。
「俺はいい。ツレもあのザマだしな」
彰良は、タップダンスになりかかっているルディの足取りを、やれやれと見やる。
「大丈夫。あなたもあの人も、すぐに慣れて上手くなる。それとも、男の相手はイヤかな?」
「そういうわけじゃないんだが」
クスリと笑みを浮かべる北都に釣られるように、彰良も曲に合わせて踊り始める。
「うん、いい感じだね。気負わずにその形を出来れば十分だよ」
しばし踊ってみて、皆の飲み込みが早いことに北都は感心した。
「じゃあ、別のステップをやってみようか。……横にスライドする方法と、回転する方法」
北都は彰良の手を取ったまま、実演してみる。
「……こうやって、こう。コツは歩幅を小さくすることかな。動きは抑えるほうがいい」
「なるほど」
その動きを注視していたほかの講習生たちも、今度はパートナーを変えて別のステップに挑戦しはじめた。
ルディは相手を彰良に変え、新しいダンスを楽しむ。が、タイミングが合わずに彰良はヒヤリとした。意に反して動きが踊りではなくなってきているような気がする。
「……」
「……さっきからなぜ黙っている?」
「……止まり方、わからなくなった」
一瞬にして、緊張が走った。二人は、どこをどう間違えたらこうなるんだ、というようなスピンを描き始める。室内に小さな悲鳴が走った。
「……ちょっ、……誰か、止めて……!」
そんな二人を、歩と小夜子が受け止める。
「はい、お上手でした。気にしなくてもいいよ。それだけ熱意があったら相手にも気持ちが伝わるから」
歩はニッコリとルディの手を取って減速させた。ステップを踏んでポーズをとる。
「失敗は成功の元。本会場では二人ともきっと上手く踊れますわ」
小夜子も彰良を上手く元のダンスのステップに戻した。
息を呑んで様子を見守っていた受講生たちから安堵の声が漏れる。拍手で沸いた。
「そろそろいい時間になってきたね。みんなもここまで出来れば十分だと思う」
北都は、全員を集めもう一度これまでのおさらいをする。歩と小夜子は、その解説に従って完璧な形でダンスの見本を披露した。
「みなさん、気負わずに気楽にいきましょう」
もう一度室内は拍手に包まれた。
この練習は無駄ではなかった、と皆が思った。短い間だったが、他の生徒たちとも交流は出来たし、何より心の中に連帯感と安心感が芽生えてきているのがわかったからだ。
「では、本会場まではぼくがご案内するとしましょうか」
さて、いよいよお待ちかねのパーティーが始まる――。