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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3

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■2−2

「マッチはいりませんかー?」
「暖炉の火付けにマッチ、料理の火付けにマッチ、ランプの火付けにも最適ですー」
「フランス製火打ち石よりも簡単に、火をおこすことができますよぉ」
「ほーら。ちょっとこするだけで火がつくんですっ! お手軽お手軽〜」
 大通り中、いたるところにあふれ出たマッチ売りの少女たちが通行人に向かっていっせいに売り口上を連呼する中。

「おい、おまえら!!」
 ビシィ!!

 新谷 衛(しんたに・まもる)は腰に手をあて胸を張り、通りのど真ん中で声を張り上げた。
 教導団仕込みの声量に、少女たちだけでなく通りにいた全員が足を止め、彼女を見る。

「いいか、オレの言うことをよく聞け! オレには分かる! おまえたちは全員、1人残らずダイヤの原石だ!! そのミニスカからすらりと伸びたカモシカのような足! 透き通るような肌! 白魚のような指! 将来有望そうな形の良い双丘!! あいにく今はまだ固いが、そのふくらみかけのつぼみのようなところがイイ! そそる! というやからも、まぁいるにはいることだし!!
 オレがおまえたちにピッタリの、いい職場を教えてやる!! そこで働け!! オレの目に狂いはない!! おまえたちはそこで将来ナンバーワ――」

「何を言っているか、このバカ魔鎧ーッ!!」

 ライトニングブラストーッ!!

「はばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ!」

 至近距離から林田 樹(はやしだ・いつき)の強烈な雷電攻撃を受けて、ぷしゅーっと口から黒煙を吐き出しつつ衛はその場に倒れる。

「年端もいかぬいたいけな青少年に、言うにことかいてどこで働けだと?」
 ポキポキ指の骨を鳴らしながら背中を踏み敷く。
 もう一度言ってみろ、奈落の底の底まで突き落としてそこから二度と這い上がってこれなくしてやると、背後に背負った阿修羅像が言っている。
 それでも衛は果敢に(無謀に?)も反論を試みたっ!
「だ、だっていっちー、この時代のこんなところじゃそういうところの下働きが一番割り良くねぇ? 良い主人に当たれば料理も覚えられるし、うまくいきゃあ教育だって受けれる! 寒さに震えたり飢えることもないし、何より気前が良くなった酔っぱらいがたんまりチップくれるぜ! 昔気前良くなっちまったオレ様が言うんだ、間違いねぇ!」

「ほう、女給ですか」
 緒方 章(おがた・あきら)がすらりと抜いていた刀を納める。
 どこから出したその刀? とか言ってはいけない。ここは本の世界で彼らにはクリエイター権限が<以下略

「だ、そうですよ、樹ちゃん。首をはねるのはひとまずやめにしましょうか」
「…………!!」
 にっこり笑ってとんでもないことを言う。今その寸前だったのかと、衛は心臓がバクバクだ。
 しかし樹の鬼の表情はわずかも崩れなかった。
「騙されるなアキラ。居酒屋の下働きに将来有望な胸だのナンバー1だのが関係あるか? 第一、酔っぱらいがうろついている場所で未成年に女給をさせて、危険がないなど言ってもだれも信じないぞ」
「あ、そうですね」
「その酔った客に気前よくチップを出させるために、何をさせようと考えていた?」
 くい、とあごを持ち上げられる。
 敵の追究は容赦なく厳しい…!
 衛はぎゅっとこぶしを固めた。
「だ、けど、飢えるよりマシなんじゃねぇ? 死ぬよりずっとずっとマシだろ? よくさぁ「死んだ方がマシ」とか言うヤツいるけど、そんなこと絶対ないんだ! それは本当の飢えや死を知らないヤツが口にするたわごとなんだ! 死んだらそこで全部オワリなんだよ! どうやったって何もできないんだ、何ひとつ! だからどんなことをしたって、底辺を這いずったって、ひとは生きてる方が万倍もいいんだ!」

「魔鎧、おまえ…」
 衛の迫真の言葉に押され、樹は言葉を切る。そっとこぶしを包み込み、そしてささやいた。
「だから身売りしろというのは、いくらなんでも飛躍しすぎじゃないか? 
 なぁ魔鎧よ。おまえはそんな目でしか女を見られないのか?」
「……あ、ははははは……っ」
 樹のマジな目を見て、さーっと衛の面から血の気がひく。

「アキラ、抜刀」
「はい、樹ちゃん」
 ちょっとお灸をすえてやろうとした樹だったが、そんなこと、衛に通じるわけがない。きゃーっと逃走に移ろうとしたときだった。
「あの…」ためらいがちな少女の声が樹の背後で起きる。「あの、マッチ、いりませんか……?」
 おずおずと差し出してくる少女のあかぎれだらけの手を見て、ふうと樹は息を吐いた。


「さあ、ここなら風雪も吹きこまない。少しはマシだろう」
 少女を連れ込んだ路地奥、自らの体を最後の盾としながら、樹はやさしく少女に話しかけた。
「は、はい…」
 少女はできるだけ身をすくめて答える。警戒しているのではない、ひとの目の届かない路地で何かされるのではないかとおびえているのだ。そうと悟った樹はできるだけ少女をおびえさせないよう、しゃがみ込む。
「私は旅の芸人上がりの軍人だ。今はこうして軍に身を置き、生計を立てているが、昔は街や村を回っては芸を見せることで糊口をしのいでいた。ちょうどおまえと同じぐらいの歳のころだ」
「わたしと……同じ…?」
「そうだ。はやり病いで村が全滅して、生き残ったのは私だけだった。そこを通りかかった一座に拾われたんだ。そこで私は、女の身では何か一芸がないと生き残ることは難しいと教わったんだ。
 少女よ、おまえには得意とするものは、何かないのか?」
「わたし……」
 少女はうつむいた。
 じっと両手を見つめる。
「わたし……分からない。だって、ずっと、ずーっと、マッチを売ってたんだもの」

(そうか、この本は今、雪の降る大晦日のシーンから先はないんだったな)
 そしてそのシーンでは、少女はマッチを売っているのだ。

「おまえ、母はいるか? 父は?」
「お母さんは、ずっと前に死んじゃった。お父さんはいるけど………………忙しいの…」
「そうか」
 小さく消え入りそうな声で答えた少女の目に痛みが走ったのを見て、樹はそれ以上問うのはやめた。
 振り返り、路地の入口で壁にもたれた章を見る。
「アキラ」
「うん」
 章が脇に差し込んでいた手を解くと、新聞が出てきた。働き口を探すには、新聞の募集欄を見るのがてっとり早い。
「アホ魔鎧の言うことも、まぁ間違いじゃないよ。住み込みになれば、屋根の下で飢えずにすむ。ただ、彼女はまだ10歳にも満たないし、学もない。数を数えることもできないとなると使い走りもカフェの女給も難しい」
 そうなると、どうしても勤め口は限られてしまう。そしてそこに、いい労働条件を見つけるのはほぼ不可能に近い。
 男の子なら作業場で助手といった力仕事もあるのだが。

「……樹ちゃん、僕はね、くやしいけど、あのアホの言うこと、あながち間違ってないと思うんだ」
 この路地に入って早々、彼は簡単に少女を触診させてもらった。おびえさせないよう、服の上からだけれど、それでも少女が骨と皮だけで、顔色からも貧血気味で栄養失調に陥っているのがはっきり分かった。
「あいつの言うようなことをすればこの子は今日からだって飢えずにすむし、きっと暖かい場所で、きれいな服を着てすごせる。
 でもね、それを選んでほしくないんだ……まだ路上でマッチを売ってる方がいいと思ってしまう…。あいつに言わせりゃ、僕のわがままだってことになると思うけど、そんなの、悲しすぎるよ。
 多分、その子の父親もそう思ってるんじゃないかな」
「アキラ…」
「ごめん、樹ちゃん」
「いや、いい」
 ぽんと肩をたたいて横に並ぶ。無言で大通りを見る2人の前には、大勢のマッチ売りの少女の姿があった。
 この全員に良い職を見つけるなんて、不可能だ。
 己の無力さを噛み締めている2人の前、衛が元気よく道を横切っていく。

「ねえねえ、そこのせらりん! ちょーっと今から酒場に行って、稼ぐ気ない? ちょちょいとメイクしちまえば、ガキンチョだってばれないって! 相手は酔っぱらいだしさ! あ、それとも手っ取り早く娼館ってのもあり――」

 そこで突然横殴りするものすっっごい突風!!
 突風は都合のいいことに、衛だけを天高く吹っ飛ばした。

「あーーーーーーれーーーーーーーっ!?」


  GJ! 天の采配!


「――ま、まぁ、やっぱりあれは論外として」
 自分まで吹っ飛ばされてはたまらない。衛の身に起きた出来事にちょっぴりおじけづきながらも、章がつぶやく。
「老子の言葉に『人に魚を与えれば1日で食べてしまうが、人に釣りを教えれば一生食べていける』というのがあるんだ。自分で自分の糧を得る力を身につければ1人でも生きていけるというのは間違いじゃないし、それを教わるのも、全然遅くはないと思うよ」
 と、路地奥の少女を振り返る。

 自分たちに全員は救えない。あっちはほかのリストレイターたちに任せるとして、自分たちはせめてこの子くらい救おう。

「今ね、募集欄にお針子の口があるのを見つけたんだ。きみ、針仕事できる?」
 章の言葉に少女は首を振った。
「そっか。じゃあ教えてあげる」
 上を向いた章の手に、布やハサミ、糸のついた針が現れる。
「はい、樹ちゃん」
「えっ!? 私か!?」
 いきなり針と布を差し出され、あわてる樹に章は当然とばかりにうなずいた。
「だって僕が縫い物できるわけないでしょ」
「って、私が得意だと――」
 じーっと期待の目で見つめる少女に気付いて、樹は言葉を止めた。
 何を教えてもらえるのか、わくわくしている目。少女の小さな手が、白布をさらりとなでる。
「きれい…。お母さん……いつもこういうの、してた…。お母さんみたいね?」
 布を見つめる少女を見下ろし、ため息をついて。樹はその場に座り込んだ。
「いいか? よく見てろよ。まず基本の運針からだ」





「マッチ、マッチはいりませんか?」
 セレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)扮するマッチ売りの少女は、懸命に声をかけていた。
 だがだれも彼女の声に応じて足を止めようとはしない。
 まるで面倒事はごめんだとでもいうように足早に前を通りすぎ、ちらとも視線を投げようとしない。
(まるで、透明人間にでもなったみたいね)
 はーっとかじかんだ指先に息を吹きかけ、少しでも感覚を戻そうとする。
 そうしてあらためて大通りを見渡した彼女の視界の隅を、赤い物がよぎった。

「!?」
 思わず二度見。
 それは、赤いサンタクロースの衣装を着た、巨大な白猫だった。

(……いくらなんでもこれはあり得ないでしょう。こんな猫がいたら、街の人が大騒ぎです)

  ――訂正。猫の着ぐるみでした。ですので全然普通サイズです。


 サンタクロースの格好をした、まるまると肥え太った白猫の着ぐるみを着ただれか、は、セレスティアが自分を見つめていることに気がつくと、ニヤリと不敵に笑って前を通り過ぎた男に突進をかけた。

「おにーさん、マッチ買って」
「うわっっ!! お、おまえ、何だ!? 不気味な――つーか、それ完璧時期遅れだろっ!?」
 今は大晦日! クリスマスは1週間も前に終わったぞ!?
「いいから買って。買ってくれるまで、つきまと……ねばっちゃうわよ、ワタシ。ねばり腰には定評があるの「如月のよいにゃんこくん、キミはだれより崩れない強靭な腰の持ち主だ」って」

 うふっ。うふふふふっ。

「それ、意味が違うだろっ!」
「そんなことより、ねぇ、マッチ。買ってってば」
「そう言われても……って、うわーーーーーっ!! おまっ、そのせ、せせせせせ、背っ!!」

「え? 背?」
「だれか助けてくれーっ!!」
 はじめのうち、白猫サンタに度肝を抜かれていた男だったが、すぐに白猫サンタの後ろからたとえようもない陰惨な気配が立ちのぼるのを感じとり、脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「あら? どうしたのかしら?」
 くるっと自分の背中を振り返るが、そこにはくくりつけてあったオベリスクしかない。
 そしてそれは、触れているだけで彼に心地よさを与えてくれる物だった。
「やぁねぇ。何もないじゃない。
 おにーさん、待って。マッチ、買って」
 白猫サンタはふふふと笑いながらおそるべき速度で逃げる男を追って、大通りから去って行った。


「……あれは少女でも、リストラでもないと思うのですが…」
 ただの押し売りでは?

  ――同感です、セレスティアさん。


「まぁでも、うちのアキラもリストラになっていないという点では似たりよったりかも」

  ――いえ、それは大分違ってると思います、セレスティアさん。


 肩をすくめ、マッチ売りに戻ろうとしたセレスティアは、ふと、路地に並んだいくつかの雪だるまを目にとめた。
 それは、やがてこの雪がやんで日が照ったとしてもできるだけ長持ちするように、との考えからか、建物の影になるようわざと並べて作られているように見える。
「アキラったら、こんな所にも作ってたんですね」
 近寄ってみると、その雪だるまたちは最初に見て思ったほど状態がよくなかった。顔から雪が崩れ落ちていたり、手が片方なかったり、馬車の泥跳ねを浴びていたり。
 そういうのを、セレスティア扮する少女はもとの状態へと戻していく。
 欠けたところには雪を足し、泥ははらい落とし、なくなった手のかわりにはマッチを指して。

「ないよりは、いいわよね」

 1歩2歩と下がって、具合を見て。「うん」とうなずくと、またマッチ売りへと戻っていったのだった。