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第3章 熊と狼 3

「我撃ち出すは紫電の楔!」
 独自の魔法詠唱法によって発せられた紫電の雷光は、激しく稲光を発してビッグベアたちを横穴に誘導した。
 それを唱えるは一人の青年。淡い色味の金髪を後頭部で束ねているその青年――博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)は、さらに横穴の入り口に向けて掌をかざした。
「我が眼前に煉獄の扉!」
 再度、鮮烈な詠唱が唱えられる。
 すると、横穴の入り口は燃えさかる炎の壁によってその道を閉ざした。ビッグベアたちはそこに閉じ込められたまま、しばらくは出られないだろう。すくなくとも道を閉ざす炎の壁の魔力が尽きるまでは。
 それまで光精の指輪によってほんのりと照らされていた坑道に火の粉の鮮やかな光が灯る。
 それに照らされる博季は、静かに息をついた。
「終わりましたね」
「そーね……と言っても、逃げた連中もいるからそれは追わないと。数で攻められたらこっちもかなわないわ」
 リーズは振り返って坑道の奥を見つめる。
 博季によって誘い込まれたビッグベアたちはともかくとして、それを免れた他の巨熊は坑道の奥へと逃げていったのだ。
 リーズたちは互いの顔を見合わせてうなずき合うと、急いでそれを追いかけていった。しばらく走り込んだその先にあったのは、先刻、博季がビッグベアたちを誘い込んだような横穴――より大きなひとつの空間と化しているそこに、敵の気配を感じとって、リーズたちは駆け込んだ。
「さ、覚悟なさい!」
 予想どおり、横穴に隠れていたのは逃げ去ったビッグベアである。長剣を抜き放ったリーズが狙いを定めた。
「熊さんいじめちゃダメなのですよ〜!」
 直後、彼女の戦闘態勢を邪魔したのは巨熊ではなかった。横穴の奥――その影から飛び出してきた人影が、リーズの目の前で両手を広げて立ちふさがっていた。小さなその人影の後ろから、落ち着いた様子でもう一人が現れる。
「い、いったい何?」
「詩歌さん……それに緋影さん……」
 混乱するリーズを尻目に、その姿を認めた仲間のうち数名が、驚きに目を見張りつつその名を呆然とつぶやいた。
 契約者の月音 詩歌(つきね・しいか)と、そのパートナーである不知火 緋影(しらぬい・ひかげ)だというのは、その仲間たちの補足した情報である。
 乳白金の髪を揺らす少女は、気丈な瞳でキッと睨むようにしてリーズを見つめている。緋影と呼ばれる優しげな娘は、その少女の後ろから申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 なにごとか? そもそも、彼女たちはなぜこんなところに?
 いぶかしく眉をひそめたリーズがそのとき気づいたのは、ビッグベアの背後でかすかな鳴き声を発する存在だった。
「どうやら、このビッグベアの子どものようですね」
 同じくその存在を認めた博季が、確信めいた推測を口にする。
「熊さんたち、家族なの! 傷つけちゃダメですよ〜!」
「すみません、突然のことで本当に申し訳なく思っています。でも……お願いします。どうにか、この子たちを見逃してあげてくれませんか」
 詩歌をかばうようにして、リーズと同じ狼獣人の緋影が丁寧に懇願する。
「て、言ってもねえ……」
 皆に判断を任されているリーズは、困ったように答えた。さすがに、こんな展開になるとは予想していなかったようだった。
「そうだよー、リーズー! いいじゃんか母熊ぐらいさー。殺したら悲しいぞー。みんな泣いちゃうかもしれないぞー」
「おや、リクトが珍しくいいことを言う」
「バカはバカなりに考えてるってことだな」
 困っているリーズに対して半ば非難めいたことを軽い口調で言うのは、リクト・ティアーレ(りくと・てぃあーれ)だった。そのパートナーのワルター・ディルシェイド(わるたー・でぃるしぇいど)ヨハン・ゲーテ(よはん・げーて)が、それぞれに酷いことを酷いと思わない顔で言う。
「まあ、リクトじゃないが、俺もその点については賛成だな」
「同感。私も異論なしだ」
 二人が片手をあげて一言を付け加えてから、博季はリーズに頼み込んだ。
「リーズさん、僕も被害は最小限に抑えたいです。幸いこのビッグベアはいまは子どものことで精一杯のようですし……今回は……」」
「はあ……わかったわよ」
 その一言を皮切りに、詩歌たちはビッグベアの子どもへと駆け寄っていった。
「よかったね〜! みんな〜!」
「よかったなー! 熊たちー! おー、笑顔だみんなー! 笑顔って最強魔法だからなー! リーズにも伝わったんだなー!」
 まだ赤ん坊に過ぎないビッグベアは何が起こったのかまったく理解しておらず、愛くるしい顔をきょとんと傾げているが、詩歌たちは大喜びだ。それを見守りつつ、緋影は何度も頭をさげた。
「リーズさん……ありがとうございます。こちらのワガママを聞き入れていただいて……」
「別に……まあ、このまま倒しちゃうってのはこっちも気が引けるしね。博季やリクトの言うとおり、どうやら向こうも、子どもへの食糧があれば、他のビッグベアと違って無闇に襲おうって気があるわけじゃないみたいだし、この場は見逃しておくわ。さすがに巣のほうはどうにかしないといけないだろうけど……このビッグベアたちに関してはそのあとにでも考えればいいでしょ」
 これでも、別に赤ん坊を傷つけたいわけではないのだ。リクトの言うことそのままではないが、赤ん坊ビッグベアの笑みを見ていて、気が緩んだというのも、確かなことだった。
「なに……いまの声?」
 詩歌とリクトの喜ぶ声を弾き飛ばすほどの雄叫びが聞こえたのは、そのときだった。
「これまでにない獣の声でしたね。もしかして……巣のトップが?」
 戸惑う仲間たちのなかで、リーズとともに冷静に雄叫びを聞き取っていた博季が推測を口にする。
 確かにあの声の獰猛さ加減は並のビッグベアのものではない。だとすれば、もしやもう一方の分かれたチームが遭遇したということか?
「――急ぎましょう!」
 赤ん坊ビッグベアのことは詩歌たちに任せて、リーズは他の仲間を連れると急いで声のした方角に向かった。