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炭鉱のビッグベア

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炭鉱のビッグベア

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第1章 吠える狼と予感の音 3

「要! こっち来るぞ! 気ぃつけろよ!」
「へーい、了解」
 罵声のように注意を喚起するパートナー、ルーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)の言葉を耳にして、若者は気だるげに答えた。一見、寝起きのようにも思われる。だが次点、白髪を後ろで束ねたその眠たげな若者は、頭上から振り下ろされたビッグベアの腕から、軽いバックステップのみで逃れた。
 彼の俊敏な動きに周囲が驚く間もなく、本人の口からはその場に似合わぬ感心めいた言葉が洩れる。
「おおぅ、こいつぁデカイ……食べ応え有りそうだなぁ」
「馬鹿なことばっかり言ってねえで、さっさと戦えや! 悠美香も、やるぞ!」
「ん、早く倒して終わりにしましょう」
 白髪の若者に対して、乱暴に命令する仲間に丁寧な返事を返したのはもう一人のパートナー、霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)だった。
 ビッグベアの大きさを目の前にしてようやくやる気を見せ始めた、己が契約者にして恋人――月谷 要(つきたに・かなめ)の姿を視界に捉えつつ、たおやかな金髪をなびかせて華麗に敵の攻撃を避ける。悠美香はそのままサイコキネシスと怪力の籠手を併用した、そのしなやかなプロポーションからは想像できないほどの馬力でビッグベアの腕に斬り込んだ。
 双剣――二刀一体のヒユリとシラユリが閃光の一瞬に烈風のごとく叩きこまれる。たとえその皮膚がいかに固かろうとも、幾度となく斬り込まれたからには傷だらけとなって無残な姿に変貌していた。
 そんなビッグベアを――地を叩いた両腕の隙間から改めて見上げると、巨体が間近に感じるというものだ。
(想像以上の大きさだけど……要ならこの位平気で食べちゃいそうね)
 実際に要が食べている姿を想像して、悠美香はクスクスと笑った。笑われた本人はなんのことかわからず首を傾げる。だが、どうやらすでに意識は熊肉奪取へと切り替わっているらしい。要はやる気を示すように可変型流体金属の腕で槍を造り、その穂先をビッグベアに向けた。
「さっきはハイコドたちに獲物を奪われたが、今度は俺が仕留める!」
「村のため?」
「もちろん! そして俺の空腹のためにっ!」
 半ば空腹解消のほうがメインになりつつあったが、それをツッコむほどの気力は他の仲間にはなかった。
 可変型流体金属の腕や脚が、剣、槍、槌といった武器に変形し、機械製っぽい翼から火炎放射を出したり、左眼からビームを放射しながら戦うその姿は、もはやどちらが化け物か分からなかったが、戦ってくれるならそれに越したことはない。とりあえず、いまのところは。
「畳みかけようかの、ガウル」
「――了解だ」
 その代わりといってはなんだが、そんな人外VSモンスターを背後にしながら、ガウルと辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は同時に地を蹴った。
 幼くも戦いの専門家にしてエキスパートの傭兵少女は、まずは手早く相手の頭上まで駆け上るとしびれ粉でその動きを封じた。もだえるビッグベアがこちらの姿を捉える間もなく、眺めの裾から飛び出たダガーで、瞬時に相手へ斬り込んでいく。
 その巨体を足場にして、無数の斬撃がビッグベアに叩きこまれた。
 次いで、刹那の視線はガウルのそれとぶつかった。それを合図として、金髪獣人は相手の懐に潜り込むと魔力に包まれた拳でその腹を貫く。破砕の音。内蔵が破裂するような、爆発力。しばらくして――ビッグベアはズンッと地面に倒れ込むしかなかった。
 その頃には要たちの戦いも蹴りがついている。倒れ込んだビッグベアに片足を乗せながら、勝利のポーズを取る要を後ろに見ていたガウルは、逆に勝利の余韻に浸ることもせず戻ってきた刹那をねぎらった。
「刹那、助かった」
「礼にはおよばん。これが仕事じゃ」
 冷徹なまでの素っ気なさで返答してガウルの側を過ぎ去ろうとする刹那。ふと、その顔が振り返ってぼそりと言葉を付け加えた。
「ガウル……わらわは今回はぬしの味方じゃが……次に出会うときには敵同士であるかもしれん。そのことだけは、肝に銘じておくがよい」
「それは……貴様の意思でか?」
「いや――」
 正面に向き直った幼き傭兵の表情はうかがい知ることが出来ない。
「すべては依頼のままということじゃ。傭兵家業というものはそういうものよ」
 だがガウルは、彼女のその言葉に水面をただよう波紋のような響きが、わずかに込められている気がした。


 炭鉱に住まうのはなにもビッグベアだけではなく、闇に潜むコウモリや蛇たちが獲物はいないかと虎視眈々と瞳を光らせていた。だが、そんな生物たちに危機感を抱く必要がなかったのは、ひとえに五月葉 終夏(さつきば・おりが)がヒュプノスの声を発してそれらを眠らせていたからだった。
 淡い色合いの髪を後ろで一房に束ねているその少女は、ルートの先に潜むその動物たちを眠らせると、一仕事を終えた顔で振り返った。
「便利なものだな」
「便利って……別に小道具じゃないんだからさ」
 素直に感想を述べる金髪獣人に、終夏は肩を落とすように苦笑した。
「アハハハ……嬢ちゃんの歌声は小道具か。いや、こりゃ一本取られたね」
 そこにかかる笑い声は、彼女のパートナーである雨宿 夜果(あまやど・やはて)のものである。からかうようにして言う兄貴分のオッサンに、終夏はさらにくたびれた声を吐き出した。
「もう、夜果さんまでなに言ってるんですかー……」
「そう嘆くなよ、嬢ちゃん。嬢ちゃんの音楽っていう道具はすばらしいものだぞ。死者を贈る葬送歌にもなる。芸は身を助けるってね。さっきのビッグベアの顔を思い出せるか? 安らかだったろ?」
「そう……かな……?」
 彼の言う諺そのものは間違っている気がするが、誉められたことは素直に嬉しかった。
 先ほどこのルートに来る前に倒しておいたビッグベアたちに、彼女は供養を施しておいたのだ。せめて安らかに眠れるようにと、短く手を合わせてかすかな歌をそれに乗せた。彼女としては自己満足に過ぎないと思っていることだったが、それでも誰かがそのことを認めてくれたときは、やって良かったと感じる。
 ふと横目で見やったガウルが人知れずうなずいていたのを見てから、より終夏は自信が持てそうになった。
 そのとき、彼女の視界に映ったのはもう一人のパートナーであるブランローゼ・チオナンサス(ぶらんろーぜ・ちおなんさす)だった。鮮やかな金髪のロングウェーブをなびかせる花妖精は、まるで恋する乙女か保護者かのように、じっとガウルを見つめ続けている。
「ねえ、ロー」
「はい?」
 終夏が声をかけてようやく、ブランローゼは首を傾げるようにしてガウルから視線を外した。
「……そう言えば、ローはどうしてガウルさんについていきたいって思ったの?」
「どうして……ですか?」
 もともとガウルの手伝いをしようと提案したのはブランローゼだった。その理由まで詳しく聞くことはしていなかったが、ここにきて終夏はそのことが気になってきた。
「わたくし、興味がありますの。誰かの為に振るう拳が、他人のために振るわれる拳が、どれ程の強さを持っているのか……」
「誰かのため……に?」
「はい――強さとはいったい何であるのか……力とはいったい何であるのか……わたくし、彼がその答えに繋がる道筋に立っている気がするんですの。ですから……一緒に見てみたいと思うんですわ」
 ブランローゼのその言葉はどこか情熱的で力強さのある、真摯な言葉だった。
「そっか……うん、そうだね。ローの言うこと、なんとなく分かる気がするよ」
 まっすぐガウルを見つめるブランローゼに感化されたかもしれないが、終夏は彼女の語るそのことが、ガウルの背中に滲んでいるような気がした。
「ガウル、何を考えてるんスか?」
 終夏たちの会話を耳にすることなく、先導して物思いにふけるように黙り込んでいたガウルに、大人びた声音と子どもっぽい響きが混じった声をかかったのは、そのときだった。
 横を見やると、そこにいたのはシグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)――ただし、ガウルの知る頃とは違って大人びた姿になった彼だった。話を聞くところによると、なんでも智慧のリンゴとやらを手にしたことで失われた記憶と体を取り戻したらしいが、詳しく知ることはなかった。むろん、それは話せば長い話になるということもあるが、ガウルにはその他にも、その過去に触れることが躊躇される思いがあった。
 きっと彼は、自分と同じなのだろう。ならばそこに改めて聞く意味はないし、時がくればシグノー自身から話してくれることも分かっているつもりだ。似た境遇にあるのだということは知りつつ、奇妙なバランスで二人の空間はそこにあった。
 そういえば、この子どもっぽいしゃべり方と大人な声音の不思議な混ざり合いは、彼が意図してやっていることか? それが、彼がこれまでの自分を受け入れようとしているように見えて、ガウルには少しまぶしく映った。
「いや……昔の自分では、考えられないと思ってな。こうして、皆とともに歩けることが」
「はは、そうかもしれないッスね。自分も同じッス。あ、でもその様子からすると……まだ迷ってる……?」
「…………」
 ガウルは黙り込んだまま何も答えられなかった。むろん、シグノーもあえてそれを問い直すようなことはしない。ガウルは改めて、自分から別の質問を口にした。
「シグノー、君は…………君は、見つけられたのか? 答えというものを」
「さー、どうスかねえ……見つかったと言えば見つかったッスし、見つかってないと言えば見つかってないッス」
 はぐらかすような答えだが、事実、そうなのだろう。
 出会った頃とは違って青年の姿になった金髪の狐獣人は、暗幕を振り払うような笑みで笑った。
「ま、自分は自分。ガオルはガオルって感じでやるしかないッスよ。マイペース。己のやり方で、それでも尚且つ急いで」
 そういうものなのか……。
「ふはははっ。ガウルよ! いまは大いに悩め!」
 自分の中でシグノーの言葉を反芻する狼獣人の若者に、地鳴りのような尊大な態度の声が聞こえたのはそのときだった。
「何処へ行こうと、何をしようと、それ自体は答にならない! 行動により得る経験と知見、そして感情。それを全て、受け入れたときに、はじめて見えてくるのだ。外の世界ではない、お前の中にな……だがそれは、別に孤独な道じゃない。道は重ならなくとも交わる事で、気付ける『何か』がある。己一人で拓けない道を拓くように、互いが照らし合うように」
 仁王立ちで腕を組みながらそう語るのは、帝王ことシグノーの契約者のヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)だった。
 いかにも偉そうな態度だが、そこに悪意や害が感じられず、むしろ当たり前のように思わざる得ないのは、彼が帝王に生まれ帝王として生きるゆえんか。
「気付いているだろう? お前が手を差し出せば応えてくれる人の存在を。そして、彼らが何故お前を助けようとするのか!」
 いつの間にか周りの仲間の視線も帝王に集中しているが、当の本人はむしろ気持ちよさそうに――というか、やはり当たり前のように豪然な態度を崩さなかった。
「そろそろ答えを見つけようか、ガウル」
 静かになった声音が、真剣みを帯びてそう伝える。そして彼は付け加えた。
「お前の答えを……お前自身にしかない、答えというヤツをな!」
 周りが呆然としている中、高笑いをあげながら帝王は身を翻してルートの先に向かった。やっちまったと言わんばかりに顔を手で覆うシグノーは、苦笑しながらガウルをフォローする。
「ま、まあ、帝王もガウル、あんたの身を案じてるんスよ。自分の答え、見つかると良いッスね」
 帝王を追いかけていったシグノーの背中を見送って、仲間たちのざわつきが収まってから、ガウルは再び歩き始めた。
 答えと聞いて浮かび上がる脳裏の光景は――輝かしい頃の剣戟に彩られていた。