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第1章 朝の風景

 開店前の『カフェ・マヨヒガ』店内には、人が集まり、奇妙な活気があった。
「本当に、大丈夫かね……?」
 些か心配そうに、イーリー・ガルフィスは{SNL9998822#ラナ・リゼット}を見て尋ねる。ラナはにっこり笑って答える。
「ええ、大丈夫です。そもそも私では、そちらの方ではあまり力になれそうもなかったのですし」
 ラナが言う「そちら」とは、機晶回路の調査と研究のことだ。イーリーは、不規則な空間転移と場所移動を繰り返すカフェ・マヨヒガの機晶回路を調査・研究するために来店し、ラナはその手伝いをすることになっていた。だが、もとよりラナには機晶技術の知識はさほどない。本当に、単なる雑用係としてくらいしか役に立たないだろうと自分でも思っていた。
 しかし、今回機晶技術に心得があると自負するダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が自ら、イーリーの調査に協力したいと名乗りを上げてくれたのだ。専門技術のある人物が手助けしてくれるのなら、そちらはそれで事足りるだろう。
「買い出しにも、手は必要だと思いますし」
 カフェを切り回す機晶姫の一人・香羽 萱月(こうば かやつき)と、彼の手伝い兼護衛として一緒に行く柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)とともに、街へ出かけると、ラナは言う。彼の留守中、一人で客に対応するもう一人の機晶姫・香羽 鈴里(こうばすずさと)には、調理補助や接客などで手助けを申し出た者も多かったのだが、あいにくツァンダ辺りの地理に明るい者がいなかったらしく、萱月の助けを名乗り出たのは恭也だけだった。買い出しなら、買った荷物を運ぶのに人手も必要だろうから、と同行を決めたのだった。
「女性の方に荷物持ちなんて……カートもありますし」
 などと、萱月は苦笑しながら恐縮していたようだが、萱月に同行するのには警護の意味合いもあるのだ。
 二年前に出現したカフェ・マヨヒガが鏖殺寺院に目を付けられていたことは、イーリーとラナから聞いて、集まった契約者たちは皆知っている。彼らの狙いは店を丸ごと空間移動させる未知の技術を得ることにあるのだろうが、そのために機晶姫たちの身が狙われないとも限らない。そう考えていたので恭也は、いざとなったら荷物持ちだけでなく、不穏な輩と一戦交えるのも覚悟で買い出しに付き合うつもりだった。なので一見たおやかなラナの付き添いには一瞬だけ戸惑いを覚えたが、そういえば彼女は、魔鎧とされる前は腕の立つ騎士だったのだ。それを思い出し、恭也は考えた。向こうの出方が全く予測できない以上、一人では手に余る厄介事が起こる可能性も考慮すべきだと。
「いいじゃないか。三人で行こうぜ、萱月」
 不穏な事態を予測していることを窺わせないよう、なるべくあっけらかんとした口調で、恭也は萱月を誘った。ラナも、同意を誘うように萱月に微笑みかける。
「行きましょう、萱月さん」
「よっし、早く行こうぜ。卵買うんだろ? 早い時間の方が新鮮なの買えるぜ、きっと」
 二人に誘われ、少しためらうような笑みを浮かべていた萱月も、「分かりました」と頷き、二人についていくような形で外に出ていった。

 一方、厨房では、鈴里の手伝いを申し出たガレット・シュガーホープ(がれっと・しゅがーほーぷ)ディアーナ・フォルモーント(でぃあーな・ふぉるもーんと)らが、彼女を中心に調理の準備にかかろうとしていた。しかし、鈴里もやはり、善意の人たちを前に少し困惑した様子で曖昧な微笑みを浮かべている。
「ありがとうございます皆さん、けど、まだ……萱月が帰ってくるまで、開店は待った方が、いいかも」
 厨房では食料が全く足りていないのだ。パンは辛うじてそこそこあるが、店御自慢のフルーツは地下の植物の過剰成長で採りに行けないし、何より、
「朝はまだ、お茶を飲みにくるような人が、いないのでは……」
 今まで出現した場所では、あまり午前中の早い時間から店を開けたことがないのだ。
 だが、
「いえいえ〜、都会では早い朝でもカフェの需要はあると思いますねぇ」
 レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)が、のんびりとした口調ながら妙に確信ありげに言った。
 今までカフェ・マヨヒガが出現したのは、比較的僻地ばかりだったというデータは、手伝いに集まった契約者の間にも広まっていた。田舎では、毎朝家できちんとご飯を作って食べる食生活の方が浸透しているかも知れないが、都会はそうではない、と自信満々でレティシアは言うのである。
「だから、飲み物に付けるモーニングセットを出せば喜んでもらえるんですねぇ」
「まぁ、そうなんですか。けれど、今のままでは材料も少ないですし……」
「大丈夫ですねぇ。ほら、これがあれば」
「? クリームあんみつ用のつぶあんが、朝食に?」
「トーストに乗せて小倉トーストにすれば美味しい朝食になりますねぇ」
 厚切りトースト半量で実際以上のボリュームも出るし、朝から甘いもので脳みそも元気! と太鼓判を押すレティシアであった。
「朝食にはホットケーキも喜んでいただけますわ」
 ディアーナも朝食提供に意欲を見せる。パンがなくても小麦粉はある。卵と牛乳も今は多くはないが、朝のうちは他のもので代用してあっさりしたパンケーキ風にしてもいいのではないかと、鈴里に提案した。
「そうですね……じゃあ、皆様に喜んでいただけるのなら」
 二人の具体的な案、その明快だが心強そうな口ぶりに、鈴里は最初の躊躇にこだわることはなく、あっさりと頷いて当初の予定より早く店を開けることを承諾した。早速小麦粉を袋からあけてボールに出すディアーナ、トースターを温め始めたレティシアを横目に見ながら、ガレットも手伝いに動きだす。
「あの……俺、料理とか、お茶入れるのとかも手伝っていい?」
「お願いしていいんですか? ありがとうございます。皆さん、とても親切ですね」
「あ、いや……でも、この店の味とか、これだけは守らなきゃいけない味付けの決め手とか、そういうのがあるよね? そういうのってほら、変えちゃダメだよね」
「店の味、ですか? ……あぁ、材料の分量はお教えします。それを守っていただければ」
「え。……それだけなのかな? あの、気を付けることって」
「気を付けることは、お客様のお求めの品をお出しする、ということですね」
 にっこり笑って答える鈴里に、ガレットはちょっとぽかんとしてしまった。彼女の言葉はとても「当たり前」のことばかりだった。古風な感じをずっと通してきたらしいこの店にはもっと何かこだわりがあるのではないかと、身構えてしまっていたのだが……
(まぁ、案外そういうもの、なのかな)
 分量、か。彼らは、とてもシンプルなことだけを守ってやってきていたのかもしれない。気を取り直して、ガレットは戸棚から、長い年月使い込まれているらしい様子の茶漉しを取り出した。