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第三章

――第一部のイベントが終わり、第二部への準備が急ピッチで行われている。
 つい先程まで、激闘が繰り広げられたリングは今現在スタッフの手により解体作業が行われている。
 ロープ、コーナーポスト、リングに敷かれた緩衝剤等、各々のパーツが移動させられていく。これらはこの後、別の場所で使用される。
 殆どのパーツが撤去されつつある中、観客達はその光景を眺めていた。その一人である芦原 郁乃(あはら・いくの)が、ふぅと溜息を吐いた。
「惜しかったですわね」
 え、と郁乃が振り返る。声をかけてきたのはエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)であった。
「先程の試合ですわ。パートナーだったのでしょう?」
「え? あ、ああ。うん、そうだね」
 突然声をかけられ、咄嗟の反応に遅れ、郁乃があわあわと返す。
「で、でも本人は満足してるだろうし、いいんじゃないかな?」
「うむ、確かにあの試合なら悔いはないだろう。勝っても負けても、やり切ったのならな」
 エレナの隣にいた足利 義輝(あしかが・よしてる)が、一人で納得するようにうんうんと頷いた。
 慰めてくれるような態度に郁乃が苦笑する。郁乃が吐いた溜息を、エレナと義輝は『パートナーが負けて落ち込んでいる』と思っているようであった。
 実際は郁乃が試合前、『勝てたら次試合やった場合参加してあげてもいいよ〜』と言ってしまったことに対する安堵の溜息だったのだが。
「あ、そう言えばそっちは誰か試合するの?」
「うむ、これから行うらしい……と、話をすれば何とやら、だな」
 義輝が視線を向ける。視線の先にあるのは、施設のプール。
 プールサイドに集まる者達が居た。これから行われる、リング無き試合、ノーリングマッチの参加者。
「へぇ……ノーリングマッチに出るの……で、誰?」
 郁乃が問うと、エレナが答えた。
「背中にファスナーがある選手ですわ」
「……は?」
「いえ、ですから背中にファスナーがある選手がわたくし達のパートナーですの」
「いや、そんな背中にファスナーがある人なんているわけがあ、居たわ
 郁乃の目に映った一人の選手。その選手の背には、しっかりと大きなファスナーが装着されていた。

 第二部、特殊ルール試合。まず最初に行われるのは、ノーリングマッチ。
 リングを撤廃し、スパ施設のプールサイドがバトルフィールドとなる異色の試合である。勝敗の決着はフォールのみ。ギブアップ、反則裁定は無し。
 この試合に参加表明したのはプールという事で水着をコスチュームにしたミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)、レオタードにリボンと新体操の格好をした鳴神 裁(なるかみ・さい)、何故か背中に大きなファスナーが着いたリングネーム【海音☆シャナ】こと富永 佐那(とみなが・さな)。そしてプロレスリングHCから天野翼の計四名。
 四名がプールサイドで対峙し、ゴングが鳴り響いた。
 さて、この試合形式は先ほども言った通り特殊なルールとなっている。特殊な点は『リングが無い』という事。
 リングが無い、となると通常のプロレスにおけるロープワーク、ダイビング技といった行動に制限がかかる。更にギブアップ無しルールであるが、ロープが無いという事はブレイクが無い。関節技を極められた場合の逃げ場がという事だ。
 そして最も重要なのは投げ技。地面は緩衝剤が敷かれたリングとは違い、ボディスラムのような基本技でも大ダメージを受けるのは必須。
 その様な要素が並ぶ中、観客に魅せる試合を行うのは難しい。その要素をマイナスではなく、プラスに持っていく発想が必要となる。
 だが普通は多少なりとも戸惑いが出る物である。そう、普通なら。

「いぇああああ!」
 ミルディアが【龍の咆哮】を用い、龍の鳴き声の様に観客にアピールすると、プールサイドにある休憩用の机に飛び乗り、ダイブ技を狙う。
「おっとぉ、それじゃボクは倒せないよぉ!」
 ミルディアの攻撃を裁が新体操の様にしなやかに動き、避けつつキックを放つ。
「そして油断禁物っ!」
 その勢いのまま裁はミルディアに追い打ちをかけず、離れていた佐奈に狙いを定め、椅子や机をパルクール仕込みの動きで飛び越える。
「確かにその通り、迎撃ですっ☆」
 だが佐奈は裁が飛び掛かってきたのを狙い、カウンタースピアーで迎撃。裁の身体にタックルで突き刺さると素早く相手を倒し、自身の身体は横に流す。
「ふっふっふ、油断大敵……きゃあッ!」
 体勢を立て直した佐奈に、今度はミルディアがダイブで降り注ぐ。日よけの傘の上からのダイブは十分な威力があり、佐奈も溜まらずダウンする。
「いえー! やったぞー!」
 ミルディアが龍の鳴き声のように叫び、こぶしを上げると観客から歓声が上がった。
――三人とも、この試合形式に普通に順応していた。

『そんなわけで始まりましたノーリングマッチ。実況は翼選手と代わりまして私卜部 泪(うらべ・るい)がお送りいたします』
『解説は先程に引き続き私、和泉空』
『えー泉空さん、翼さんが試合に参加となりましたがどのような理由で?』
『ふ……私のチョキの勝利』
『じゃんけんで決めたんですね。えーそれでは試合についてお聞かせください』
『このルール、リングが無い分普通の選手にはどう動けばいいか戸惑うもの。けど参加者はほとんど選手じゃないから、面白い発想力を見せてくれるはず』
『現に順応してますからね。どのような戦いを見せてくれるのか、見物です!』

「本当に順応しすぎだよ……」
 呆れた様に翼が呟く。
 ミルディアは相手の技を受けつつも【龍飛翔突】を用いたジャンプで、プールサイドにあるテーブルや椅子といった様々な物を足場として利用したダイブ技を。
 裁はリボンを使った新体操のような動きや、パルクール仕込みの動きで相手を翻弄しつつ、得意の派手なキックを見せていた。どちらも見た目の派手さで観客を沸かせている。そして――
「ていっ☆」
 背後から佐那が翼をクラッチ。後方に反り投げればジャーマンとなる。
 翼は佐那の手を取り逆に背後に回り込む。だが佐那も翼の手を取ると、今度は背後に回らず取った腕を脇固めの形に極め、押し倒す。しかし極りが甘い。それもそのはず、佐那の狙いは腕ではなく、押し倒す事。このまま押し倒し、グラウンドで頭も極めるクロスフェイスに持ち込もうとしていた。
 だが翼は倒された瞬間、前転し極りが浅い技から抜けて起き上がる。
――佐那は相手に仕掛けつつメインは返し技狙いのスタイルであった。それも一瞬の隙を突いた押さえ込みではなく、相手へダメージを与える物を選んだやり方だ。食らってはひとたまりもない。
 油断ならない相手であるが、翼の頭には別の思考が入り込んでいた。
(……あのファスナー、開けたらどうなるんだろ。やっぱり人が入ってるのかな?でも着ぐるみには見えないよこの人――ま、まさか開けたら『中に誰もいませんよ』的な展開に!? み、見たいけどナイスボートはまずいよ流石に!)
 思い切り雑念であった。

『むぅ……翼、余計なこと考えてる』
『そうなんですか?』
『うん、今『私、気になります』って顔してる。多分あのファスナーが原因。中の人などいない、で通せばいいのに。試合に影響しないといいけど』
『さてその試合ですが、どうやら動きがありそうです!』

 膝を着く裁を見たミルディアがかけ上るのはプール監視台。高さは十分、見下ろして叫ぶ。
「よぉーし! 大技、いっくぞぉー!」
 そしてダイブ。だが、
「カウンタぁー!」
狙い澄ましていたかのように、裁がリボンを構えると顔を狙って振るう。ダメージではなく、目に当てることが狙いだ。
「うわっと!?」
 顔に当たり、一瞬空中でバランスを崩すがミルディアが何とか着地した瞬間、裁が踏み込んでくる。
(来る!? 受け切る!)
 ミルディアが取った行動はガードではなく、衝撃に身構える事であった。特殊であるがこれはプロレス。相手の攻撃は受けて耐える物、というのがミルディアのプロレスに対するポリシーであるが故の行動であった。
(来るとしたらこの人はキックな筈。それを耐えて反撃に――)
 だが身構えるミルディアに襲い掛かったのは、
「てぇッ!」
裁が所々で使っていたリボンの柄による突きであった。キック主体の戦闘で構成していた裁であったが、それはこの突きのカモフラージュ。
「あぐ……ぅ……ッ」
 思わず胸を押さえ蹲るミルディアの背後に裁が回り込むと抱える様にクラッチし、抱え上げる。
「いっくよぉー!」
 そして後方へと落とす。自身の肩と胸で支えるハイアングルのバックドロップ。咄嗟にミルディアが受け身の準備に入る。
「うぁッ!」
 だが着地点は固い地面。受け身の意味はほとんど為さない。地面に叩きつけられたミルディアの全身に衝撃が走る。
 そのまま裁が覆いかぶさるが、起き上がる事が出来ない。ミルディアはそのまま、カウント3を聞く事となる。

『裁選手のバックドロップが炸裂! これにはミルディア選手立てないッ!』
『気合と共に乳で投げるハイアングルバックドロップ……でもそれを名乗るのならばもうちょっと乳が欲しいところ(じー)』
『……何故か泉空選手が私を見ている気がしますが……おっと、試合はまだまだ終わらない!』

 立ち上がった裁に襲い掛かったのは、翼。飛びつき両足で裁の頭を挟むと、旋回しつつ自らの体重を利用し振り回し、プールへと投げる。
 頭を挟まれたまま、裁はプールの中へ。そのまま翼は裁の足を抱え、ウラカンラナの完成。
 裁がもがくが、フォールを逃れるというより呼吸の苦しさによるもの。完全に水没した裁は起き上がろうにも翼に抑え込まれてしまう。
 漸く呼吸ができたのは、3カウントを取られ技を解かれてからであった。
「し、死ぬよあれは!」
「ご、ごめんなさい」
 危うく溺れかけた裁が翼に詰め寄る。流石に悪かった、と謝る翼。
「よそ見すんなー☆」
 そんな二人に、佐那がプールサイドからのムーンサルトでのボディプレスで襲い掛かる。何故か裁まで巻き込んだ。
「ぼ、ボク関係ないよね!?」
「あっはっは、めんごめんご☆」
 てへぺろと全く悪びれた様子無く佐那は翼を捕らえるとプールサイドへと引き上げ転がし、そのままプール監視台に上る。
「水産っ☆シャナっシャナっにしてやんよ〜☆」
 そして、最上段から身を丸める様に前方回転しつつ飛び降り、着地直前に身を広げる。

『監視台最上段からのファイヤーバードスプラッシュ……おっと! 翼選手これを躱す! 火の鳥の飛翔は墜落に終わった! そのまま翼選手は追い打ちに……かけない?』

「いたた……あっ」
 うつ伏せに倒れる佐那に、翼が屈みこむ。だが普通なら引き起こすなり、関節を極めるなり、フォールをかけるなりするのであるが彼女が取った行動はそのどれとも違う。
「ファスナーは……だめですっ☆」
 佐那の背中のファスナーを下ろした。

『えーと……翼選手、シャナ選手のファスナーを下ろしました』
『……相当気になってたみたい』

 開かれたファスナーから覗かれた物は、内臓でもなく虚空でもなく、何者かの背中であった。
 その何者かが、這い出る様に立ち上がる。まるで蛹の羽化の様な形で、中から赤いリングコスを来た佐那(生身)が姿を現した。
「ふふふ、このオーバーボディを脱ぐことになるとはね」
「ああ、うん、やっぱりそれコスチュームだったんですね」
「そうそう。そういうわけで……第二幕始めようか!」
 佐那が着ぐるみを脱ぎ捨てる様に飛び出ると、そのまま翼にレッグラリアットを放つ。
「くぅ……ッ!?」
 咄嗟に対応ができず、受け身を取りダウンする翼。
「さて、決めるよ!」
 そのまま翼を捕らえると、佐那が背後から両手首を捕らえた。
「く……ッ!」
 翼がその場に留まる様に堪える。だが、佐那が取ったのはそのまま身体を捻り、翼の腕を極める事。背中合わせになり、翼が屈むような体勢になった。
(この体勢……拙い!)
「必殺! リップル☆スランバー!」
 叫ぶと同時に、佐那倒れ込んだ。堪え切れずバランスを崩し、佐那の背中に翼は押し潰されるような形で倒れ込む。アンプリティアー、今はキルスイッチと呼ばれる顔面や頭を叩きつける技である。
 その先にあるのは地面。腕は極められ、使えない。
 結果、頭から地面に叩きつけられることとなる。
 鈍い音が響き、うつ伏せに倒れる翼。その翼を転がし、佐那が仰向けにする。
 翼はぐったりとしたまま動かない。叩きつけられた際に切れたのか、額から鮮血が流れ出していた。
 そんな状態で佐那のフォールを返せるわけも無く、カウントが3数えられゴングが鳴り響いた。

『試合終了! リング無き試合を制し、最後まで残ったのは海音☆シャナ選手! 最後はコスを脱ぎ捨て非情な危険技で翼選手を葬った!』
『額から流血……こうしてはいられない!』
『あ、泉空選手何処へ!?』
『急がないと消毒の痛みをぷるぷると涙目で耐える翼が見れなくなってしまう!』
『……えー、泉空選手がどこか行ってしまいました。さて、次の試合も生き残り戦! 水上リングでのガントレットマッチ! 果たして最後まで残る選手は誰か!? 開始まで少々お待ちください!』