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リアクション
「…………」
ドゥルジは少し離れた場所で、無言でアスカやオルベール、ホープたちのやりとりを見ていた。
そんな彼を、風馬 弾(ふうま・だん)は見つめる。
同じパートナーである彼らと一緒に騒ぐふうでもなく、一歩距離を置いているようなその姿は、どこかさびしそうにも、羨望しているようにも見える。
今、弾はチルチルたちの父親と同化していた。だからかもしれない。大人の男性の包容力ともいうべき感情で、彼をそのままにしておけないという気持ちが沸き上がる。
「どうかしたんですか?」
ほとんど衝動的に口をついた言葉だった。
ドゥルジが彼の方を向く。
「いや、べつに何でも…」
ない、と拒絶の言葉を言おうとして、何か思い出したように言葉を止めた。逡巡するような間を開けて、彼は何か決意したような目を弾へと向ける。
「なんだか変なんだ」
「と言いますと?」
「あいつらを見てると……ときどき、今みたいに何かが胸に巣食うんだ。あたたかくて、ふわふわしてて……なんとなく気持ち悪い」
「え? 気持ち悪いんですか?」
「だから、自分でもよく分からないんだ。すまない、分からないことを言って。ただアスカやシャミが、口に出さないとひとは分からないと言うから…。でも俺は、どうももともとこういうのがヘタらしい」
自嘲するようにドゥルジは口元をゆがめる。
人のなかで生きると決めた。だがそれは、人ともに生きるという意味ではなかったはずだった。
人間は人間同士で勝手に生きていけばいい。俺は俺だ。そんな思いがあった。
でもアスカやパートナーたちは何かにつけ、それを許そうとしない。
人を理解しろ、人に理解してもらえるように努力しろ、と折りに触れ、彼に伝えてくる。
「だけど俺は…………この感情を受け入れたら、何かが変わりそうで怖いんだ」
うなだれ、苦悩を吐き出すドゥルジを前に、いつしか弾の口元には笑みが浮かんでいた。
「変わることは罪悪?」
「え?」
「僕はキミに過去何があったか知らないけど。でも、キミが過去の自分と現在の自分の間で苦しんでいるのは分かったよ。
過去か、現在か。そのどちらかを選ばなくちゃいけない、キミはそう思ってるんだね」
スウィップのように。
弾は、このリストレーションの話を聞かされたとき考えたことを思い出していた。
そして目の前にいる彼もまた、少し違ってはいても、もう1人のスウィップなんだと。
「そして現在を選んだら、過去の自分を裏切ったり、否定することになってしまうんじゃないかと」
「そんなことは…。
そう、なのかな…」
心を読まれているような、なんとなく居心地の悪さを感じて、ズボンのポケットに両手を突っ込む。
「それを受け入れらるかどうかは、もちろんキミにしか決められないけど……僕はこう思うんだ。変わることは悪いことばかりじゃないって。
だって、この本のチルチル、ミチル兄妹もそうでしょ? いろんな国のいろんな人と出会う旅をしてきて、人からたくさんのいろんな思いを受け取って……絶対2人は第1章の2人から変わってる。探してた青い鳥は見つからなかったけど、だからってしあわせじゃないことにはならない。むしろ2人はあのころよりずっとしあわせなんじゃないかな。
キミはまだまだこれからも変わることになると思う。人と接する限りね。こうして僕と話した今だって、キミは変わってるよ。多分ね。だから早急に結論を出そうとしないで、まだ今は成り行き任せでいてもいいんじゃないかな」
「お父さん!」
チルチルが向こうから駆けてきた。
弾は両手を広げて受け止め、抱き上げる。
「どうした?」
「これ見てよ! さっきサンタさんがくれたんだ!」
ぱっと開かれたチルチルの手にはミニカーが握られていた。小さいながらもリアルで、押して遊べるようにタイヤが回る設計になっている。
「そうか。よかったな」
「うん! ミチルはお人形もらってた。今度はお人形の家がほしいって言ってたよ」
「じゃあ作ってやらないと。今度一緒に作ろう。手伝ってくれるな?」
「うん、いいよ!」
満面の笑みでうなずくチルチルに笑顔を返して、弾は彼を下ろした。
「さあ、食事に戻りなさい。まだ途中だったんだろう?」
「どうして知ってるの?」
「ちゃんと見てるからだよ。いつだってね」
ミニカーを握り締め、イスの上に放り出してあった自分の皿へ向かうチルチルを、ほほ笑みで見送った。
「あの子がどう変わろうとも。しあわせになっても、ならなくても。たとえふしあわせになったとしても。どんな選択をしても、私のあの子たちに対する想いは変わらない。たとえ闇のなかでたった1人に思えるときがきたとしても、キミは独りじゃない。心の一部は常にキミとともに寄り添っていると、毎日抱き締めて伝えるんだ」
父親と同化していた弾が、ふいに同化を解いてドゥルジを振り返った。
「多分、キミのパートナーたちも、そういう思いでいると思う。だからキミは変わることを恐れないでいい。どんなキミになっても、彼らは受け止めてくれる。絶対」
「……ああ。そうだな」
大きく深呼吸する。
変わることを恐れず進むこの道が、自分にとってのしあわせに通じていると信じて。
今はただ、進んで行こう。
「――それでね」
ひと通り食事が済んでみんなのおなかもそれなりに満ち足りたころ。場は座談会になっていた。
テーブルを消して、座布団をクリエイト。狭い応接室にみんな円を描くように座り、チルチルとミチルを囲んで旅の出来事を聞いている。
話しているのは主にミチルだった。小さな子どもらしく、周囲の大人たちの注目を浴びることができてご満悦で、始終にこにこしながら猫のチレットを抱き締め数々の冒険譚を綴る。
「……というわけで、目が覚めたらわたしもお兄ちゃんもベッドにいたの。夢だったのね。魔女のおばあさんは向かいのお家のおばさんで、病気の娘さんは元気になって良かったんだけど……青い鳥が見つからなかったことは、ちょっと残念かな…」
ほうっとため息をついて終える。
そのとき。
ミチルと同化していたルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、いきなり同化を解いて立ち上がった。
「冗談じゃないわ! あんなにつらい思いをして旅をしてきたのに、結局青い鳥は見つかりませんでした、で終わるわけ!?」
「ルカ?」
やはりこれまたチルチルに同化して、紅茶片手に話を聞いていたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が驚く。
ルカルカは意を決した表情で庭へ飛び出した。
大体何よ? スウィップってば。ジーナは救えない? バカ言ってんじゃないわ!
パラミタがつながる前の、死んだらオワリだった現実と違ってね、今はナラカが確認されてるのよ!
この世界では、死は終わりじゃない。
英雄じゃないから表層意識は忘却の川を渡るだろうけど、無意識部分に残せるものも思いもある。
青い鳥がしあわせを運ぶ鳥っていうなら、この本の読み手やこの本に連なった人にもしあわせは届くはずよ!
「想いはナラカまで持っていけるわ!」
ぶん、と手を振る。
ルカルカのクリエイター能力が発動し、鳥小屋が出現した。
バタバタ、バサバサ、なかから大量の鳥のはばたく音や鳴き声がする。
「ルカ、いきなりどうしたんだ」
「見て、ダリル! 私達の鳥が青い鳥なら、この鳥すべてが青い鳥よ!」
追いついたダリルやほかの者たちの前で、ルカルカは鳥小屋の扉を開け放った。
はじめの数秒は何も起きなかった。
だが1羽がチョンチョンと跳ねながら出てきて、パッと翼を広げて大空に舞い上がる。
それを追うように、一斉に鳥小屋じゅうの鳥が飛び立った。
扉を押さえた向こう側のルカルカの姿が全く見えないほどの、大量の青い鳥が。
いまや街じゅうの空が青い鳥でおおわれていた。
何百羽、何千羽、いやそれ以上の青い鳥で。
その様子を見て、ダリルはひと言こう言った。
「ヒッチコック…」
「何よそれー!?」
「いや、昔の名作に鳥を主役に据えたパニックホラー映画があるんだ。当時それを見た子どもたちの多くがあまりの恐怖にトラウマを覚えたという――」
「そういうこと訊いたんじゃなーい!」
「いいからあれを見ろ」
「えっ」
ダリルが指差す先、空高く舞い上がった鳥は風をとらえ、空一面に広がり、やがて思い思いの方角へ散り始めた。
全ての家に青い鳥が舞い降りて、全ての家にしあわせが満ちるように。
ルカルカはそう願っているのだろう。
ルカルカへ目を移すと、彼女は満足そうに空を行く青い鳥を見ていた。
「暗いトンネルの先に光がある。闇の中で光を思って、青い鳥が灯りになって、光のある方へときっとあなたを導くから。
青い鳥、青い鳥。羽の色と同じ空の彼方へと、ナラカを経た来世へと、ジーナと一緒に行ってあげて!」
希望に満ちた声で鳥たちに言葉をかける。
正直、ダリルは懐疑的だった。
これはあくまで本のなかの出来事。現実世界に「青い鳥」は存在しない。全ての人間が平等に、不平不満なくしあわせを手に入れるなど不可能だ。また、こんな方法で狂ったジーナに届くかもあやしい。
だがそれでも。こんなにも目を輝かせたルカルカを見ていると、否定する気が薄れていく。
そして祈りたくなる。ルカルカの考える世界こそ、正しい世界であるように。
(ああ、ルカの願う世界は、こんなにも青い鳥で満ちているのだ)
ダリルの肩に、そのとき1羽の青い鳥が舞い降りる。
「きみが旅に幸多からんことを」
そっと願いを託し、ダリルは再び青い鳥を空へと放ったのだった。
「あれ、俺の鳥じゃないか?」
驚く少年の声を聞いて、ノエル・ニムラヴス(のえる・にむらゔす)はそちらを向いた。
いつの間にかチルチルとミチルがそこにいて、空飛ぶ1羽の青い鳥を見つめている。
「お兄ちゃん、本当?」
「うん、多分。あれ、そうだと思う」
チルチルは口笛を吹いた。
すると上空でクルクル回っていた青い鳥が降りてきて、チルチルの足元へとちょんちょん跳ねながら近付いてくる。それをチルチルは捕まえて持ち上げた。
「ああ、やっぱりこいつ、俺のハトだ。おかしいな? 昨夜見たときはこんなに青くなかったよな? ミチル」
「うんっ。不思議ねえ」
「不思議だなあ」
ためつすがめつ手のなかの青い鳥を見ている2人を見て、知らずノエルの口元に笑みが浮かぶ。
ノエルは母親となり、2人の元へ行った。
「チルチル、ミチル」
「あっ、お母さん」
「ねえねえ、見て! ハトが真っ青なの!」
「ええ、そうね。本当にきれいな青」
「どうしてこんなになっちゃったんだろ?」
「それはね、あなたたちが心の旅をして、以前のあなたたちとは違う心を持てたから。以前とは違う心で世界を見られるようになったからよ」
ノエルの言葉に、ミチルは目をぱちぱちさせた。
チルチルは分かったような、分かってないような表情で、もう一度手のなかのハトを見る。
「ふうーん」
「きっといつか、あなたたちにも分かるわ。きっと……すぐに」
ノエルは2人を抱き寄せ、そっと包み込むように抱き締めた。
ある晴れた日の朝。
街の広場では噴水に腰かけたぼさぼさ髪の青年高柳 陣(たかやなぎ・じん)が話をしていた。
親たちが教会で礼拝をしている間、幼い子どもの面倒を年長者が見させられることはよくあることだ。
彼の周りにはたくさんの子どもたちが集まっていて、どの子もひざを抱えて座り、行儀よく青年の話に聞き入っている。
「――というわけで、持ち主にしあわせを運ぶ青い鳥は世界じゅうに散らばって、世界じゅうの人の元に舞い降りました。それで世界じゅうの人々はしあわせになりましたとさ。おしまい。
何か訊きたいことあるか?」
「はいはいはーーーいっ!」
青年の語尾にかぶさるように、一番前に座っていた木曽 義仲(きそ・よしなか)扮する少年がまっすぐ手を挙げた。
「おっ。威勢がいいな。よし、まずおまえからな」
「さっき世界じゅうの家にって言ったけど、俺の家にはいないぞ? 青い鳥はどこにいったんだ?」
「それは難しい質問だな。多分、屋根裏か庇の下辺りじゃないかな」
「屋根裏にいるのはスズメで、庇の下は、ツバメなら見たことあるな」
ニヤ、と少年と二重写しになった義仲が笑う。
(くそ。こいつ、分かっててやってやがるな)
「簡単なことだ。おまえにはその鳥が青く見えないからだ。お話のなかのチルチルとミチルもそうだったろ?」
「じゃあ、いつか俺にも見えるのか?」
「もちろん」
答えたのは、長い髪を1本の三つ編みにして垂らした少女に扮したティエン・シア(てぃえん・しあ)だ。
手には冷めないよう布をかけたかごをかけている。なかに入っているのはおとなしくお話を聞いていた子どもに配るための、手作りの菓子だった。
それと知っている子どもたちは、彼女が来たのを知った瞬間、わっとわれ先に少女の元へ群がる。
「順番よ。ちゃんと全員分あるから、けんかしないで」
陣の前に残ったのは少年と、そして青い鳥の話に魅せられて、お菓子よりも話の方に興味がある数人の子どもたちだけだった。
「さっきの続きだけど」
「ん? ああ」
「本当に、いつか俺にも見えるのか? みんなにも?」
「本当だ。みんな多かれ少なかれ、生まれる前からしあわせの力を持っているのさ。青い鳥と同じように。だから、おまえが大きくなって、チルチルたちのようにいろいろ経験して本当のしあわせが分かるようになったら、おまえにも青い鳥が分かるようになる」
「チェッ。しあわせなんて言われたって、分かんないよ。そんなの目に見えないじゃん」
後ろの子どもがつまらなさそうにこぼした。
そのぼやきを少女が聞きつける。そして、かごのなかの菓子を1つ取り出し、その子に差し出した。
「はい」
「ありがとう、おねえちゃん」
「ほらね。今、あなたは私をしあわせにしてくれたわ。ほほ笑みかけたり、ありがとうって言ったり。それを聞いた瞬間、ひとはしあわせになるの。当たり前の、どこにでもある素敵なしあわせ。
だから、私も言うわね。受け取ってくれて、ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
少女から菓子をもらった子どもたちが、順々に口にする。
少女もお返しに口にする。
全員が笑顔になった。
「ね? しあわせを感じるのって、とても簡単でしょう?」
「……確かに、青い鳥のようだ」
その光景を見て、少年が言う。
「ひとはみんな、誰かをしあわせにする秘密を知っているの」
「そしてひとはいつか死を迎え、思い出のなかに生きて、やがて未来へとたどり着く。次のしあわせのために」
青年が言葉をつなぐ。
「本当か?」
振り返ったとき、少年はかすかに青白い光に包まれていた。
彼の姿に少女は涙をにじませる。
「ここにあなたがいるんだもの。間違いないわ」
青年が少女の肩を抱いた。
分かっている、思いは同じだと言うように。
「みんな、この世界に新しく生まれるために死ぬんだ。
おまえもまた生まれてこい。その時を待っている」
――分かった。今の言葉、たしかに伝えよう。
それはもはや、言葉ではなかった。
胸に直接響いてくる、小さな約束。
少年は今や完全に青い光のなかにいた。輪郭線がぼやけ、光に溶けてしまったように見えた次の瞬間、光のなかから青い鳥が飛び立つ。
そしてその青い鳥を追うように、何十羽という青い鳥が一斉に舞い上がった。
青い鳥は世界じゅうにいる。
今も、どこにでも。
ひとが見ようとさえすれば、いつでもそれを見つけることができる。
世界じゅうに向かって飛んでいく鳥を見送って、2人の兄と妹は、ずっと空を見上げていた。
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