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リアクション
3/鍋を囲む諸模様
某月某日 コンロン 山村
鍋の中では、ぐつぐつと味噌仕立てのスープと、食材たちが煮えてきている。あとはこれを客室に持って行って、肉や残りの具材を各々入れながら食すだけ。──なんだけど。
「え? こっちは自分でやるから任せろ? 本当にいいんですか?」
問題は、もうひとつ。別の客室のためにこれから仕込む分だ。ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)は、調理にとりかかろうとしたところを引き留められて、若干困惑をしていた。
味付けも完璧だし。自分なりのベストを詰め込んだ鍋をつくる自信はある。実際、ここまで作ってきた。さあ次も、というところだったから、なんだか腰を折られたような感覚があって。
「大丈夫。その鍋、うちの主様のぶんでしょう? だったら私がつくるというのがこの企画の趣旨としても、道理としても適切なはずですし」
「うーん。そうなのかなぁ?」
たしかに、今からとりかかるはずだった鍋は目の前の相手──シアン・日ヶ澄(しあん・ひがずみ)とそのパートナー、瀬乃 和深(せの・かずみ)の部屋へと届けるためのぶんではある。
でも、別に。ひとつつくるのもふたつつくるのも、大して変わらないからこのままちゃっちゃと作りたいんだけどなぁ。それがネージュの、正直な気持ちで。
「ネージュ様ご自身のぶんは既に出来上がっているのでしょう? でしたら、どうぞ食べに行かれてくださいな。あとはこの私が」
「え。でも、片付けとか」
「すべて、お任せくださいな」
背中を押されるようにして、退出を勧められる。
どうしよう。……ま、あとでどうせ見に来ればいいか。冷静にそう判断し、ネージュは彼女の勧めに従うことにした。
部屋にはひと足先に、料理を運んでもらっていることだし。
じゃあ、ここはお言葉に甘えて。
「なら、お願いします」
ネージュの姿が、勝手口に消える。
十秒。二十秒。戻ってこないことを、シアンはじっくり待って確認をして。
「……さて」
その顔に浮かぶ、黒い笑顔。
ここは厨房。食材はもう、よりどりみどり。
「なーに、入れましょうかね?」
食えない腹いせと、笑わば笑え。和海のみが食べるそのイノシシ鍋は今、文字通り、シアンの煮るなり焼くなり好きにできる状況にあった。
*
「それでは……レディ!! ゴウッ!!」
目の前には、大きな包みがあった。
その中に何が入っているのかは、わかっている。……わかっていて、承知の上で大谷地 康之(おおやち・やすゆき)はそっちを選んだ。
というより、選ばざるを得ない空気だった。
空気は読むものでなく吸うもの、なんて貫徹できることは、そうそうない。
包みを開ければ、そこには案の定、特大のあんこぎっしり最中。しかも餅入り。ほらね、やっぱりね。知ってた、うん、知ってたよ。
そうだ。このメンツの中で対戦相手と自分と、ポジションを考えればこうなることは自明の理だったではないか。
何故だかする羽目になった甘いもの早食い対決。その対戦相手である少女、結崎 綾耶(ゆうざき・あや)のほうをちらと見返しながら、仕方ないと受け容れている自分に康之は若干うんざりする。
綾耶の開いた包みからは、エクレアが三つ。それもごく常識的な大きさの、小ぶりの、ミニエクレアといっていいサイズだ。
明らかに、こちらの不利。だがそれを康之は受け入れなければならぬ。その上で、勝負をせねばならない。
──本来であれば、たった今レディーゴーの掛け声を空高く宣言した相棒、匿名 某(とくな・なにがし)にしか与えられていないイノシシ鍋を分けてもらえるかどうか、その権利がかかっているからこそ。
「負けるかよ!! 行くぜっ!!」
ここまで露骨だといっそすがすがしい。某が康之に厳しく、綾耶に甘いことなど、わかりきっていたことではないか。
最中をむんずと、鷲掴みにする。ひと口では確実に無理だ。どのペースでいくか──……そう、頭の中で算段をつけようとした。しかし。
「……ん?」
某が、口をあんぐりと開けて目をぱちぱちやっている。同じく事のなりゆきを見守っていたフェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)もまた。
ふたりが見ているのは、康之ではない。その視線を追っていって、辿り着くのは、綾耶。
「はい!?」
その光景を見てしまったら、もうペース配分もなにもあったものではなかった。
もう、ない。なくなっているのだ。
綾耶の前にあったはずの、エクレアが。
さして綾耶自身は急いでいる風も、口いっぱいに詰め込んでいる風もなく。
気付けばもう、包みは空っぽ。
「ぬおおっ!?」
「あ、ちょ、康之!?」
やばい。なにこいつ。早いよ。早すぎるよ。魔神を──甘いものの魔神を見たような錯覚に陥りながら、康之も慌ててひとつめの最中を頬張る。
どうみたって、ひと口では収まらないそれを無理やり、口の中に押し込んでいく。
「し、死んじゃうよ?」
某がぎこちなく言った通り。一個のでかさがとんでもないせいで、呼吸が詰まって死にそうだった。
差し出された水を飲もうにも、入って行かない。
「おお、鼻から」
フェイのいたってドライな反応の一方で、口から水が溢れて逆流する。
そうこうしている間に、だ。
「おいしかったです」
「あっ」
食べ終わったらポーズとってね! と事前に言われていた通りに、綾耶がスキーのジャンプ競技後の姿勢、テレマークのポーズをつくって立ち上がっていた。
魔神、圧勝。いや、魔神でもないけど。なんとなくその場の全員が、綾耶の威風堂々ぶりにその二文字がふさわしいように思えてならなかった。
「す、すごいな、綾耶。……どうやったんだ?」
「え。どうって……普通に? これといって特別なことはなにも?」
普通、なのか。それが。いくら女の子は甘いものは別腹、とよく言うとはいえ。対戦相手の康之どころか、某までも若干引いている。
「と、とりあえず……綾耶、勝ちってことでイノシシ鍋、あげちゃう。食ってよし。ってことで、いいね?」
康之に確認をとってくる某。ああ、いいともさ。たったそれだけを言う気力もなく、決選会場となった木陰のテーブルに突っ伏す康之。
「あ、それ……おいしそう。最中ももらっていいですか?」
「「まだ食うの!?」」
直後、声をそろえてつっこむ男二人。特大の最中に手を伸ばした綾耶はもう、おいしそうにぱくついている。
「うーん。でもお鍋はちょっとひとりじゃ厳しいかも……。フェイちゃん、一緒に食べてくれる?」
「あ、いいの? やりー。それじゃあお言葉に甘えて」
綾耶の誘いに、フェイがいけしゃあしゃあと応じ、康之に勝ち誇った顔を見せつける。
結局食えないのは、康之ひとりだけ。
「──あ。もうひとつ」
「……どこにそんなに入るんだ……」
「……おっかねえよぉ……」
もう、負けでいいです。がくりと、康之はそのままがっくりとうな垂れた。
*
そんな、四者四様の姿を遠く、レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)が実に愉快そうに眺めていた。
「どーですかぁ? ちゃんとカメラまわってますかぁ?」
僅かに離れた位置から、同じ方向へとむけてデジカムを回す佐野 悠里(さの・ゆうり)が見せたサムズアップに、満足げに頷いて。着込んだピヨぐるみをゆっさゆっさ、動く度に揺らす。
背後には、わざわざ今日という日のために旅館にお願いして設営してもらった焚き火。
風に煽られる火にその上で炙られているのは、大イボイノシシ。そう、丸焼きにされているまさに真っ只中だ。
それが焼けるのを、やはりわざわざ野外に持ち出してきた炬燵で、鍋をつつきながら待っている。佐野 ルーシェリア(さの・るーしぇりあ)はもう完全に酒も入って、出来上がっていた。
「いやあー、あの四人はすごいですねえー」
あっはっは。もう笑い方が完全に酔いどれである。
イノシシをいきなりレティシアが焚き火の上に吊るしたときにつっこみを入れていた面影なんてもう、どこにもない。
わざわざイノシシの中に生米と生卵をそのままぶちこんだレティシアに上げていた悲鳴は、どこかにいってしまった。
「早食い、大食い。特にびっくり人間なんてのは数字をとりますからねぇ」
「いやー、そんなの観て笑ってる女なんて、碌な女じゃねえですぅ」
かけてもいない眼鏡を、押し上げる仕草を見せるレティシア。ルーシェリアはもはやげらっげら笑っているだけ。
「……あのね、レティ」
そんな、いい気分のふたりのノリを押しとどめるように、それまで脇に控えて黙りこくっていたミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)が口を開き、声をかける。
「んお?」
「盛り上がってるところ、悪いんだけれど。その着ぐるみ、燃えやすいのよ」
あんまり、焚き火の近くではしゃぎすぎると。
「あー。わかってますよぉ。燃え移るっていうんでしょ? 大丈夫ですよぅ」
まったく、ミスティは心配性ですねぇ。
「いやね、ほらミスティはあざといからぁ。『……あの、いつでもパートナーのこと心配してるんですぅ』ってキャラが売りなんですよぉ」
「違う違う違う」
笑っている場合では、ない。
「燃えてるのよ。既に」
それはレティシアと、ルーシェリアが気付いていないだけ。
焚き火のすごく近くにいたから、あったかさと焦げ臭さに気付かなかった。
盛大に、炎上してしまうまで。
「う、おおおおっ!? あ、熱い!? あえええっ!?」
もうそれは、さながら火の鳥。
燃える、燃える。実によく燃えて、右に左にかけずりまわる。その様子に、変わらずルーシェリアは笑い転げる。
消さなくていいの? ミスティが悠里に問う。
「機材濡れちゃうでしょ」
「ああ……そう」
そっか。そういう扱いか。なら仕方ないね。
炎上するレティシアの一方で、焚き火にかけられていた丸焼きのイノシシから、その中に詰め込まれていた卵がひとつ、ころりと転げ落ちる。
「……あ。生まれた」
割れたそこから現れたのは、一匹のひよこ。
よちよち歩きのそれが進んで行く先に──小柄な影がひとつ、あった。