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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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第1章 はかりごとの夜


「……今夜は大人しく眠ることにするわ」
 レベッカ・ジェラルディが絵画を盗もうとしたことを問い詰められ、部屋に残した言葉は、それだった。
 だが、彼女がフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)の部屋の中に入った気がすると……そうアナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)が告げたので。
(何だろ、変な感じがする……)
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は腑に落ちないような、妙なざわめきを胸に感じながら、廊下の薄暗がりに歩みを進めた。
(大人しく眠るって、嘘だったのかなぁ? 何の用があるんだろう?
 だって婚約者って妹さんだし、妹さんが喋れないからレベッカさんが来たって言ってたけど……フェルナンさんのこと混乱させてるのがレベッカさんなら、本当は結婚させたくないみたいにも取れちゃう)
 レジーナ・ジェラルディがフェルナンの婚約者で、レベッカが入れ替わりに来て、フェルナンは先に寝室に行っていてそれを知らない。なら、何で夜中に……?
 仕事のために購入したとはいえ、城ではないのだ、そう広くない。考える間もなく歩はすぐに目的の扉に辿りつく――と、目の前でカチリと、鍵の音がした。
 開いたのか。閉じたのか。鍵を捻ったのはフェルナンか、レベッカか。
 自分の足音、聞こえていたからだろうか。それとも偶然か。
 ぐるぐる疑問符が頭のなかを回ったけれど、歩は思い切って真鍮のドアノブに手をかけた。
(婚約者さんなら、色々邪魔したらさすがに悪いけど、お姉さんならあたしたちともそんなに立場違わない気がするし)
 これがレジーナさんの耳に入ったら、嫉妬するかなとか、どうしようという心配はあるけれど……。
 ドアノブを捻る。……開いた。
 歩はなるべく明るい笑顔と声で、部屋の中に足を踏み入れる。
「え、えっと、フェルナンさんのお部屋で何かするんですか? 夜に二人きりはちょっと危険かなーって思うので、あたしもご一緒します!」
 踏み入れて――目の前の光景に、その顔がぱあっと赤くなる。
「えっ、えっ!?」
 さほど広くない寝室にの暗がり、ベッドサイドに灯されたランプに浮かび上がったのは、レベッカの白々とした肌だった。
 彼女の足元には、脱ぎ落され丸まった布。今、まさに下着に手をかけていた彼女は、首だけ向けて歩を見た。
(お、お邪魔しました……じゃなくって……)
 パニックになりかけた歩だったが、契約者としての歩は、大量にばらまかれた違和感に、ここから去ることを選ばなかった。
 というか、レベッカが何かをしようとしてるなら、むしろ邪魔になった方がいい。
(えーと、何故か鍵が開いてて、服脱いでて、フェルナンさんは……)
 もう一歩、二歩。足を踏み入れる。そこで見えたフェルナンの顔は、ランプの明りにうっすらと照らされていたが、眠っているように見えた。
「……フェルナンさん。フェルナンさん……?」
 呼びかけてみたが、答えはない。代りに歩に向けて一歩踏み込んだのは、レベッカだった。
 その足音は、皆無。彼女は無表情のまま掌をかざすと、歩の方に向けて、何事か詠唱を始めた。
「眠りの精よ、その砂を瞼にふりかけ……」
 一瞬、歩の両目に映る景色がくらりと傾いたが、彼女は首を軽く振って気をしっかり持つと、フェルナンに数歩で駆け寄った。
「フェルナンさん!」
 やはり答えはなかった。深い眠りに入っているらしい。
 何も危害が加えられていないことに少し安心したが、逆に眠っている無抵抗の彼に魔法をかけたのだろうことは推測できた。
(……何のために、って、いいことなためじゃないよね。これってもしかして……)
 レベッカを見やると、彼女は拾い上げたネグリジェを身に着けると、歩と位置を交代し、扉を背に立っていた。
「……殺人者を庇うなんて、よほどお人好しな女の子なのね」
「あたしはフェルナンさんがそんなことする人とは思いません。むしろ、あなたが何でそんなこと……」
 フェルナンは、まだ彼女がレベッカであることを知らない。寝ている状態で、もし朝起きて隣に裸の彼女がいたら――、たとえ彼女がレベッカで、しかも窃盗犯だろうと、何らかの責任を取ろうとするだろう。
 それは、誰と? レジーナさんと結婚させる? レベッカとして結婚する? ううん……そこまでして結婚したい理由ってなんだろう?
「……妹さんのためですか? それとも家のためですか? 何でそこまでして」
 その言葉に彼女は、唇を可笑しそうに歪める。
「私はお人好しじゃないの。ただ、途中で利害が一致する可能性はあるわ。『父』とも『妹』とも、契約者ともね」
 彼女は一歩、後ずさる。
「そうよ。私が、『本物』のレベッカ・ジェラルディ……!」
 狂おしげに宣言したかと思うと、彼女は反転して廊下に飛び出る。慌てて歩が扉に駆け寄ると、彼女が窓から暗闇に身を躍らせるところだった。
 追いかけようかと思ったが、家をこのままにしておくわけにはいかない。
 歩はフェルナンを起こすと、呼びかけた。
 やがて小さなうめき声とともに、彼は目を開けた。


「……大丈夫ですか?」
 フェルナンが着替えて階下に降り、昨夜から今までの出来事一通り事情を説明した歩は、彼を気遣った。
 一方、フェルナンは、少々、気まずそうでもあった。
「大丈夫です、琴理ちゃんたちを信じましょう」
「お恥ずかしい所ばかりお見せして、申し訳ありません。本当に……ありがとうございます。
 ……ええ。もう大丈夫です。パウエル家のご令嬢にも頬を叩かれたことですし、そろそろしっかりしなくては、今度は何をされることか」
 彼は今まで自分の感覚に自信が持てなかったことを告げると、少し考え込んで、
「どういった成り行きであれ、レジーナ嬢が婚約者であることには違いがありません。
 自身の汚名を晴らし潔白を証明するためにも、彼女を苦しみから解き放つためにも……俺にはやるべきことがあります。
 ……ジルド様を誘き寄せる準備をしておきましょう。議会にもお願いして……そうですね、たとえば――ジェラルディ家が放火に遭った、というのはどうでしょう?」