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【五 陸(おか)で語られた海の上の真実】

 軍港ケーランス
 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)のふたりは、オーガストヴィーナスがバッキンガムに搭載された経緯を探り出すべく、ケーランスの潜水艦建造用ドックとマーヴェラス・デベロップメント社の出張支局が入っているビルを、それぞれ手分けして調査していた。
(マーヴェラス・デベロップメント社のシステムで実害が出ていることは、海軍とて把握している筈……にも関わらず、海軍はこれをバッキンガムへの搭載を決定した。それは、何故?)
 ゆかりが見るところ、そこにはオブジェクティブ・エクステンションが抱えるリスクを遥かに越えるメリットがあると海軍上層部が判断したからだ、と考えている。
 それは、当然の帰結であったろう。
 対オブジェクティブ戦は極々一部のコントラクターが関わっただけに過ぎない、小さな事件であるともいえるのだが、しかし実際あの怪物達の能力は、全コントラクターに対して脅威となり得た。
 それでも尚、海軍はオーガストヴィーナスの開発とバッキンガムへの搭載を敢行した。
 何故か?
(建艦が最終段階に入った時点でシステムの欠陥が露呈し、予算とスケジュール的に作り直しが利かなかった……なんていう消極的な理由は考え辛い。何か大きなメリットがあるからこそ、上層部は強引に導入を決めた。でも、それは一体……)
 ケーランスの内陸方面へと連なる市道沿いのカフェテラスで、ゆかりはこれまで調べ上げた内容を記したメモに視線を落とし、ひとり渋い表情を浮かべて思案にふけっていた。
 オーガストヴィーナス導入の決定打となった原因が何なのか――それさえ掴めば、バッキンガムに対する今後の対処も大きく変わってくるのではないかという思いが、ゆかりの中に強く根付いていた。
 ゆかりがティーカップを置いた同じテーブルでは、マリエッタが調査内容を項目別に仕分け、相関図と関連リストを手早く作成している。
 こうして図面やリストにすることで、それまで見えなかったことが急に見えるようになるということは、憲兵科時代に何度も味わっていたことではあったが、情報科に転属しても尚、その手法は変わらない。
 ゆかりは、マリエッタが次々と書き上げてくる図面とリストを交互に見やりながら、ふと、あることに気づいた。
「バッキンガム建艦の最終的な責任者って……ウィシャワー中将なのですか」
 この分析は、ゆかりにとっては少々意外であった。
 機晶式潜水艦程の兵器を創り上げるということであれば、通常は内地の、もっといえばヒラニプラの教導団本部が決定し、責任を負うのが通例であろう。
 ところがバッキンガムに限っていえば、設計段階から完成に至るまで、一貫してウィシャワー中将が全ての責任者として名を連ねていたのである。
 これは一体、どういうことであろう。
「でもって、マーヴェラス・デベロップメント社側の責任者は……ジェイク・ギブソンってひとだね」
 マリエッタが手にしている資料では、一年前までは現場のテクニカルエージェントに過ぎなかった人物なのだが、その後いきなり昇進し、技術部総責任者としてブランチリードマネージャーとなっている。
 現在でも現場を総監督する為に、テクニカルエージェント時代と同じ行動を取ることが多いのだが、その一方で客先の責任者と直接折衝する役割も担っている。
 バッキンガムに搭載されているオーガストヴィーナス開発事業のプロジェクトマネージャーとしても、ギブソンの名はしっかり名簿に刻まれていた。
「ウィシャワー中将とギブソン氏……このふたりが全てのカギを握っているといっても、過言ではなさそうですね……」
「そのギブソンさんだけど、この街の別のレストランカフェで、中願寺っていうパラ実のコントラクターが会う約束を取り付けてあるみたい。覗いてみる?」
 マリエッタの言葉に、ゆかりは一瞬考え込む仕草を見せたが、ここでエージェント・ギブソンから情報が得られるのであれば、例え盗み聞きであっても構わないとの考えに至った。
「行きましょう。ウィシャワー中将は恐らく、そう簡単に実情を語ってくれそうにはありませんが、ギブソン氏なら或いは、可能性があります」
 ゆかりはテーブル上にお茶代の伝票と勘定を並べ、広げていた荷物を一斉に鞄の中へと突っ込むと、勢い良く立ち上がった。
 マリエッタも慌てて資料の山をまとめ上げて、ゆかりに続く。

 ゆかりとマリエッタが向かった先のレストランカフェでは、いつものように漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を身に纏った中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が、黒一色のスーツ姿の男性とテーブルを挟んで向き合う格好で、席を取っていた。
 相手の名は、ジェイク・ギブソン
 マーヴェラス・デベロップメント社の重鎮であり、オーガストヴィーナス開発の事実上の技術責任者とも呼べる人物であった。
「急にお呼び立て致しまして、申し訳ございませんでした、ジェイク・ギブソン様」
 綾瀬は一礼し、マナーに則った作法で謝辞を述べた。
 対するエージェント・ギブソンも、仰々しい程の丁寧な仕草で応じ、名刺交換まで進める程の徹底したビジネスマンぶりを発揮していた。
 さすがに場所が場所であるだけに、綾瀬は開けっぴろげにオーガストヴィーナスの詳細について質問することは避け、表向きはマーヴェラス・デベロップメント社の一般的な業務内容に関するインタビューを取る、という具合に振る舞っていた。
 しかしその裏ではエージェント・ギブソンに対してテレパシーを飛ばし、本音を裏でお聞かせ下さいと申し入れるという手の凝りようであった。
 これに対しエージェント・ギブソンは、綾瀬の気遣いに心の声で謝辞を返した。
『お気遣い、痛み入ります。実は近いうちに重大な報告が、公な形でケーランス総督府からヒラニプラの教導団本部へと届く手筈になっておりますが、それまでは私としても大っぴらに事実を披露する訳にはいきませんのでね』
 矢張り、と綾瀬は内心でほくそ笑んだ。
 バッキンガム失踪と、艦内に出没する謎の敵の出現には、裏があった――エージェント・ギブソンの返答を受けて、綾瀬は早々に確信を得るに至っていた。
『では単刀直入にお尋ねします。今回の事件の目的は、何なのですか?』
『質問に質問を返す形で恐縮ですが、シベルファーの渡り島、というのを御存知でしょうか』
 いきなり聞き慣れぬ名称が脳裏に飛び込んできた為、綾瀬は表面上は平静を繕っていたものの、内心では幾分動揺していた。
 そんな綾瀬の様子を伺いながら、エージェント・ギブソンは更に思念の声を続ける。
『パラミタ内海の各地の漁村や船乗り達の間では、口伝の形で継承されてきている伝説の島、ということになっておりましてね。その名の通り、内海の各地を渡り歩く島でして、その存在も未確認である為、海図にも載っていない島なのです』
 要するに、移動する島だ、とエージェント・ギブソンはいう。
 定位置を持たない為に海図にも載っていないが、しかし伝説に残されているからには、何がしかの形で存在していた、と彼は続けた。
『この渡り島は、元々は単なる幻影の存在に過ぎず、実体を持たないが為に、伝説の域を出ませんでした。しかしながら、渡り島はある技術を外部から吸収することで実体を得ることに成功し、本当に移動する巨大な島としての物質的存在となり得たのです』
 この時、綾瀬はごくりと喉を鳴らした。
 表面上はマーヴェラス・デベロップメント社の一般業務内容をインタビューしている形に過ぎないのに、その表情は極めて真剣そのものであった。
『その、ある技術というのはもしかして……』
『そうです。オブジェクティブ・エクステンションです。渡り島は物理接触点を持つ本当の物質的存在としての地位を獲得しました。そして更にいうなれば、渡り島は意思を持つ島でもあります。それもかなり好戦的な、極めて危険な意思を持っているようです』
 その攻撃の矛先は――シャンバラ王国に向けられた、とエージェント・ギブソンは説明する。
 ウィシャワー中将は、シベルファーの渡り島の存在とその脅威を早くから察知してはいたのだが、伝説の存在に過ぎない渡り島に対して、教導団本部は正式な調査要請を再三に亘って拒否していたのだという。
『予算の問題、そして単なる伝説に対して国軍が仰々しく動くことへの批判を避けたかったのでしょうな』
『でもウィシャワー中将は何故、渡り島の脅威を早々に知ることが出来たのですか?』
 綾瀬のこの疑問は、尤もな内容でもあった。
 エージェント・ギブソンは僅かに気の毒そうな表情を浮かべ、ちらりと総督府の方角に視線を向けた。
『ウィシャワー中将の御家族が、個人のヨットでクルージングの最中、運悪く渡り島に遭遇しましてね……後はもう、詳しく語るまでもないでしょう』
 成る程、と綾瀬は内心で頷いた。
『渡り島を確実におびき寄せ、その存在を明るみに出す最速の方法は、オブジェクティブ・エクステンションを搭載した艦を渡り島の移動コースに走らせ、電磁同期波動にて誘導する以外にありませんでした。ウィシャワー中将は軍法会議にて自らが断罪されることも覚悟の上で、バッキンガム建艦を決意されたのです』
 敢えて潜水艦という形式を選んだのは、渡り島の電磁波が海上にはほとんど放出されず、その大半が海中伝播である為であったから、だという。
『では、質問を変えます……オーガストヴィーナスは人体での制御は可能でしょうか? もし前例が無いということであれば、私自身が実験台となることも、やぶさかではないのですが』
『生憎ですが……はっきりいって、不可能です。オーガストヴィーナスは最初から、コントラクターの脳波を受け付けないように設計してありますので』
 元々が、渡り島を誘い出す為だけに設計されており、オブジェクティブに近しい映像体を支配下に置いた状態で機能するよう開発されたという話であった。
『しかしながら、オブジェクティブが危険な存在であることに変わりはありません。その点も加味して、ウィシャワー中将はバッキンガム撃沈命令を出したのですがね』
 オーガストヴィーナスの試験運用云々という理屈でコントラクターをバッキンガムに乗せたのは、オブジェクティブに近しい映像体の初期起動の為にはコントラクターの脳波が必要だったからであった。
『ここでお話しした内容は、総督府からヒラニプラに公式報告が渡った後であれば、大々的に広めて頂いて結構です。そうすることで渡り島の脅威が方々に知れ渡りますし、何よりウィシャワー中将ご自身がそれを望んでおられますからね』
 その言葉を最後に、エージェント・ギブソンは席を立った。