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甘味の鉄人と座敷親父

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甘味の鉄人と座敷親父

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【三 舌先を、備えよッ!】

 大会開始の時間が迫る中、ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)カーミレ・マンサニージャ(かーみれ・まんさにーじゃ)は球場内事務室に隣接する応接室で、いささか緊張した面持ちでソファーに腰かけていた。
 ふたりは、ある人物と面会する約束を取り付けてあったのだ。
 不自然な程に重たい空気が室内に充満していたが、ややあって、室の扉がノックされ、次いで見慣れた顔がふたりの前に姿を現した。
「お待たせして、申し訳ありません。色々と立て込んでおりましたので……」
 入室してきたのは、ヒラニプラ貴族の中でも特に有力なひとりとされている、アレステル・シェスターであった。
 先月上旬、ヒラニプラ管理行政官を退いたばかりの彼女はヒラニプラ行政の表舞台から姿を消したとはいえ、その影響力はまだまだ健在であり、教導団の一士官に過ぎないニキータにしてみれば、雲の上の存在ともいって良い。
 しかし、過日の南部ヒラニプラ反乱鎮圧戦では、ニキータはアレステルから絶大な信頼を勝ち得るに至っており、アレステルとしては今でも気さくに話せる相手として、ニキータの存在を認識しているようであった。
 得難い人脈とは、こういうことをいうのであろう。
 だが、ニキータとカーミレが待っていた相手というのは、実はこのアレステルではなかった。
「それでは、早速ご紹介致しましょう。どうぞ、お入りください」
 アレステルの後半の台詞は、室外に控えていた人物に対してであった。
 果たしてニキータとカーミレの前に姿を現したのは、まだ十代半ば頃かと思われる、背の低い貴族子女の少年であった。
「ルイゼル・アジェン殿です。ルイゼル殿、このおふた方は……」
「存じ上げております。教導団エリザロフ少尉と、そのパートナーのマンサニージャ女史ですね」
 年齢には似つかわしくない程の、しっかりとした口調で応じるルイゼル少年に、ニキータとカーミレは別の意味での緊張感を覚えた。
 このルイゼルは、南部ヒラニプラ反乱鎮圧戦の最中で死亡した管理行政官ヴラデル・アジェンの甥であった。
 かつてはアレステルとは政敵同士であり、且つアレステルの仕掛けた策の結果、図らずもヴラデル自身が犠牲となるという事態にまで発展した経緯を考えると、このルイゼルがアレステルに同行してこの場に姿を現したというその一事だけをとって見ても、ほとんど奇跡に近しいといって良い。
 だが当のルイゼルは、淡々とした表情でこれといった敵意も示さず、アレステルに勧められるまま、ニキータ達と向かい合う格好でソファーに腰を下ろした。
「その、何といいますか……ヴラデル閣下の件につきましては、心よりお悔やみを申し上げます」
「お気遣い、感謝致します。ですが、どうかそのように、硬くならないでください。
 ルイゼルの言葉がどこまで本心でどこまでが建前なのか、ニキータには測りかねた。しかし当の本人がそのようにいい切る以上は、ニキータとしても腹を括るしかなかった。
「では率直に、用件に方に入らせて頂きますわ……お伺いしたいのは、ヴラデル閣下の紅茶の嗜好と、その技量についてです」
「お手紙で頂いた件ですね。それなら、御心配なく。アジェン家は伝統的に、紅茶に詳しい一族です。ほぼ全員が、それぞれの好みを持っているといっても結構です。そして叔父の好みや技量については、僕もよく心得ております」
 ルイゼルは、それらの情報を全て開陳するといい切った。
 ニキータとしては、アジェン家の紅茶という存在を今回のイベントに活かし、スイーツだけではなく、紅茶もセットで南部ヒラニプラの復興に繋げたいとの思いを抱いていたのだ。
 そのニキータの想いを、ルイゼルは穏やかな笑みで真正面から受け止めていた。
「僕としても、アジェンの紅茶技術がヒラニプラの民のお役に立てるなら本望です。叔父の死は確かに悲しい出来事ですが、いつまでもそのことだけに拘っていては、ヒラニプラに発展はありません」
(お見事……本当に、お見事ですわ)
 ニキータは、心の底から感心すると同時に、これが貴族というものかと、舌を巻く思いだった。
「ありがとうございます。私も個人的に色々と試行錯誤を繰り返していたのですが、何といいますか、そのぅ、あともう一味……でも決定的な何かが、足りない気がしておりました」
 カーミレの謝辞に、ルイゼルは淡々と頷き、相槌を返すばかりである。
 この後、カーミレは早速ルイゼルの指導を受けて、アジェン家の紅茶の淹れ方の作法について学ぶ為の時間を過ごすこととなった。

 いよいよ、甘味の鉄人開催の時刻となった。
 プレイグラウンド本塁付近に設置された特設ステージ上では、何故か黒いタキシードと黒いマントを羽織ったキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)が、物凄いドヤ顔で仁王立ちになっている。
 その手にしたマイクを口元に近づけるや、キャンディスは会場内に詰めかけた観戦客や審査員席のお歴々に対して、いつもとは違う渋みの効いた(というか、無理矢理渋そうな色を搾り出した)声で語り始めた。
「ミーの気が確かならばぁッ!」
 今、キャンディスは『記憶が確か』ではなく、『気が確か』といい切った。
 間違っているのか、本気でそういっているのかは、本人でなければ分からない。
 会場内はキャンディスの真意を測りかねて、何ともいえないざわめきがさざ波のように、左右へと広がってゆく。キャンディス自身は全く気にしている様子は、欠片も見られなかったが。
 だがいずれにしても、この最初のひと声からしてこの大会が、ちょっと普通ではない方向性を孕んでいる事実を、会場内の全てのひとびとに印象付けたことは間違い無さそうであった。
「スイーツの歴史は遥か数千年、或いは数万年にも及ぶとされているネッ! 人類創世の太古から、ひとびとは甘味を求め、甘味に快楽を見出していたネッ! あらゆる料理に歴史あれど、スイーツこそ最古の料理のひとつといっても良い筈ネッ! そのスイーツを今、ここで、真の強者と呼ばれる者達が互いの力と技を競い合わせて最高の傑作へと昇華させる瞬間が来た訳ネーッ!」
 やたらひとりでテンションが高いキャンディスに対し、会場全体が妙にドン引きしているような雰囲気が漂っているのは、気のせいであると割り切ることにしなければならない。
 ともあれキャンディスは、挨拶になっているのかなっていないのか、よく分からない口上で大会の開会を宣言した後、特設入場ゲートに向かって、物凄い勢いで指先を向けた。
「それでは早速、挑戦者達の入場ネーッ!」
 キャンディスの咆哮に合わせて、消防士を題材にしたどこぞの映画のBGMが会場内に流れ、特設入場ゲートから大会参加の選手達がぞろぞろと姿を現してきた。
 スタンド席からは一斉に拍手が沸き起こり、取り敢えずキャンディスの妙なオープニングは忘却の彼方へと葬り去って、本当の意味で大会の開始を祝福した。
 エントリーは全部で、15組。
 予選はみっつのリングを使用し、各リングには5組ずつが配置される。
 尚、リングは正方形であり。
 簡易キッチンは各辺に1セットずつが設置されているから、各リングとも1組ずつ、簡易キッチンが割り当てられない形になる筈なのだが、そこはそれ、ケージデスマッチの利点が活かされていた。
 即ち、ケージの上にも簡易キッチンが1セット設置されており、まさに上下左右、三次元での戦いが展開される運びとなっていたのである。
 繰り返すが、この甘味の鉄人はスイーツコンテストである。
 そこだけは一応、覚えておかなければならない。
「成る程……これがスイーツコンテスト、というものなのですな」
 審査員席で、感じ入ったように何度も頷くジーバス太守だが、明らかに、間違った理解であることは誰の目にも明らかである。
 ただ、どうやって訂正してやったものか、というところがよく分からない。
「そ……そう、ですね。エンターテイメントとしての大会開催という意味では、確かに正しいかも知れませんが……」
 護衛兼案内役としてジーバス太守の後方に控えるサイアス・アマルナート(さいあす・あまるなーと)が、妙に引きつった笑みを湛えながら、幾分微妙な表現でお茶を濁した。
 それなりの規模とスタッフを揃えて開催されている大会だけに、権威はある方かも知れない。
 だが進行やルール等を含めて、これが正当なスイーツコンテストであるといい切れるだけの判断材料が、サイアスにも持ち合わせていなかったのが本音であったろう。
「しかしあの司会進行役、少し訛りが強いですな。何故あのような御仁がマイクを握っておるのか」
「いや、まぁ、元々はSPBの審判ということでして、野球場を舞台としたイベントならば自分がジャッジの場に居なければおかしいという妙な理屈で、あの役を射止めたようです」
 サイアス自身、ジーバス太守相手に野球の話なども出来れば、とも考えていたのだが、しかしまさかこのような展開と話題で野球の話を絡めることになろうとは、夢にも思っていなかった。
 一方のジーバス太守は、そんなものかね、と軽く流す程度であった。
(野球に対して、変な印象を持たれなければ良いのだが……)
 サイアスが内心で心配したのも、無理からぬ話であったろう。