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リアクション
第1章 交渉開始
空京を立った警察所有の飛空艇は、高度を上げ、雲海を越えてパクセルム島へと辿りつく。
本日は天気も気流も穏やかで、視界は良好、飛行はすこぶる順調だった。
それでも、搭乗者たちの表情が厳しかったのは、これからの交渉の厳しさを予想してのものだったろう。
近付くと分かるのだが、パクセルム島は尖塔のような形をしている。
つまり、水平方向より鉛直方向に全長が長い。簡単に言えば「縦長の」島である。
外部との唯一の出入り口とされる「飛空艇発着場」は、その縦長の島の、結構下の方にある。
発着場に着くとそこから長い、しかも結構斜度のある上り坂が、山肌を這うように伸びているのが見えた。この上に居住区域があるのだろう。崖に挟まれた狭い、そして長くてキツイ登り道は、なるほど、ここから侵入しようという敵を防ぐのには効果がありそうだ。相手が有翼種だった場合には別の工夫が必要だろうが。
この道の手前には閉ざされた門、そして屈強のものと思われる体つきに軽鎧を纏った2人の守護天使の門番がいた。
簡単には通さぬと言った構えだ。
飛空艇発着場には、役所の出張所を思わせる、小ぢんまりとしてはいるが品のよい感じの建物があった。
住民側の説明によれば、外部と何か商業的な取引をする場合に商談等で使うものとして設置してはいるが、滅多に使うことはなかったらしい。
そこに、6人の『島民代表』が待っていた。
当初、来るのは5人だと話していたのだが、
「彼は我らの自警計画において主要な責任を持つ者だが、最近健康を害しており、同席は難しいかと思われていた。
しかし、どうやら今日は少し回復したようでな。
この島の警備体制についての話、空京警察の方々は興味がおありだろうと思いましてな。彼に説明してもらうつもりで急遽呼び出しましたのじゃ」
島の長老と自らを称する守護天使の老人がそう説明した。長い白髪と、それに劣らぬ長い白髭という、絵に描いたような「長老」といった姿のその老人は、顔を隠すようにフードを深くかぶった背の高い守護天使の男を「自警団長のザイキ・メオウルテス」と紹介した。確かにどこか具合が悪そうに見えるのは、フードの下から見える唇辺りの血色の悪さのせいだろう。宜しく、と放った声も低く、それきり口を閉ざして、会議用の長机の向こう側の椅子に収まってしまった。
代表団はこのザイキと、長老クユウ老人、その補佐役だというマティオン・ルマという若い男以外に3人、まだ格段に若い男性がいた。長老の紹介では、警邏範囲によって3班に分かれている自警団の、それぞれの班の長だという。
このような島民代表団に対し、空京警察は、協力を申し出てくれた契約者たちを伴って、彼らとの談義の場に臨んだのだった。
「率直にお聞きしたい。今現在、この島へのコクビャクの侵攻はあるのですな?
警察の捜査官が訊ねる。
取り敢えず、交渉のしょっぱな、口切り役は警察に任せることにしていた。それがまぁいちばん穏当な手順であるし、今回の交渉で彼らが戦場を隠しているという事実の一番大きな裏づけである「スカシェン・キーディソンの自白」は、一応警察の責任の下にある情報であるからだ。
契約者たちは、初発はまず相手の出方を窺う意味でしばし聞き役に回り、各々出番を見極めてその時々に発言する、ということになりそうだ。
「正直、そのコクビャクなる団体がどのような輩の集まりで、警察の方々がどのような容疑でそれを追っているのか、それを我々は詳しく知らないが」
マティオンが語り出した。この一団のスポークスマン的立場にあるのはどうやら彼のようだ。
「率直なお尋ねだというのだから、こちらも率直にお返事した方がよさそうだ。
確かに、コクビャクだか何だかは知らぬが、不埒な魔族の侵入は何度かあった。
だが、貴公ら大陸の方々の懸念には及ばぬ。
この島は何千年もかけて、我ら一族以外の者を受け入れぬ土壌に作り替えてきた。
侵攻などとは大げさな言葉。ましてや侵略など、万に一つもあり得ぬことだ」
「受け入れぬ土壌?」
訝るような捜査官の言葉に、返したのはマティオンでなくザイキだった。
「もしや、貴公らは『結界』と聞いて、“人を弾く見えない壁”といった子供だましなものしか連想しかできないのだろうか?
だとしたら、『この島を守るもの』について想像が及ばぬのも仕方のないことだな。
貴公らが理解できるかどうかは分からぬが、それが事実なのだから他に言いようがない」
取りつく島もない口調である。のみではなく、こちらをバカにしているふしもある。
フードの下の口元は、冷笑を微かに湛えていた。
これは難局になりそうだ。やや及び腰になりながら話す捜査官の隣に座ったエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は内心深く息を吐く。
「しかしですね、我々は先ごろ――」
マティオンの冷ややかな態度に気圧された捜査官は、ややへどもどしながら、警察がスカシェンから聞き出した情報の説明をし始めた。が。
「そのようなたわごと、勝手に言わせておけばよい。
我らの島の平穏は破られはせぬ」
マティオンがぴしゃりと、話題を流れごとシャットアウトするように言い放つ。
あくまで「手出しは無用」というスタンスのようだ。
「では、話を変えて、確認させていただきたい。この島に『丘』は本当にあるのですか?」
捜査官のその言葉に、急に若い3人の天使がぷっと吹き出し、それぞれに意地悪そうにくっくっと小さく笑った。
「島には丘だけでなく、谷も崖も滝もあるよ、お偉い方」
1人が半笑いでそう言い、もう1人がさらに吹いて笑った。
「ムセ、ガーテア」
フードのザイキが、たしなめるように低い声で名を呼ぶと、2人は笑いを消して真面目な顔になり、もう1人もニヤニヤ笑いをやめて顔を引き締めた。
「失礼した。しかしお聞きの通り、単に地形の話だけなら、『丘』と呼ばれるものはもちろんある。
見ての通り大して広い島ではないが、何千年も前からの自然の風景が残っている。
だからこそ我々もここに抗して居心地良く住んでいられるのだからな」
そこまで話して、ザイキは一度、頭痛でも覚えたのか頭を傾げてこめかみに手を当てた。そういえば体調がよくないという話だ。
「――しかるに、貴公らの仰る『丘』とは、例によってそのスカシェンなる罪人の言うところの、我々の『一族の恥』が隠されているという場所の事なのであろう」
今まで何度も、警察からの島内調査の申し入れの中で聞かされてきたその言葉を放つザイキの、フードの下の目が一瞬ギラッと憎悪の光ったのをエヴァルトは見た。
「そんなものは――存在しない」
「しかし、実際に……」
「たとえ、そこで何か揉め事があったとしても、それはすべて内輪での問題。我らが解決すればいいことである」
きっぱりと言い放たれたその言葉は、「介入は認めない」という強い拒絶の意志を暗に秘めていた。
どうやら先方も、もうこれ以上警察に対して「『丘』に秘密がある」という事実自体を隠しておくのは難しいと考えているらしい。
交渉人を自任して話の落としどころを探っているエヴァルトには、それが感じ取られた。
だが、恐らくは彼らの体裁という点から、それを直接口にすることは憚られるのだ。だから、「分かっていてもそのことは口にするな」という圧力を暗にかけながら、さらにそこに近付くことを拒否している。
よほど、体裁とかプライドとかに拘る人種らしい。そこへの刺激を最低限に抑えつつ、彼らの心をほぐすことができるか。難局だな、とエヴァルトは心の内で呟いた。
「そろそろ、出ましょうか」
その言葉と共に『レッサーワイバーン』の背から差し伸べられた手を、少し恥ずかしそうに清泉 北都(いずみ・ほくと)は取った。
「ひとりで乗れるよ」
「風に流されたら大変です」
クナイ・アヤシ(くない・あやし)はしれっと言って、北都をワイバーンの背に乗せる。
パクセルム島周辺の調査を請け負った2人は、そうして出立した。小さな浮遊島が点在しているため、大きな乗り物ではなく小回りのきく飛行手段がいいとは聞いていたので、北都は『宮殿用飛行翼』を用意していたが、島の周辺はその上空まで及ばずともかなり風が強い。島が多い場所では気流も幾らか分散されるだろうが、広く開けた場所では風が塊でごうと吹きつけてくるような場所もある。勢いの強すぎない、飛行翼でも大丈夫そうな箇所に出るまでは、クナイのワイバーンに乗せてもらうことにした。
「何だか凄い場所だね。こんなところに、何千年もの間、同族だけで住んでいるなんて」
強い風に逆らいながらも悠然と飛んでいくワイバーンの背から見えるパクセルム島を見ながら、北都は呟いた。
そこは本当に「孤島」だ。
他の種族との交わりを禁ずるという守護天使の島。
(……)
島の位置を『銃型HC』にマッピングして入力する作業のため、目を下に落として視界から島の姿を消す。
「……僕とクナイの関係も、あの島の人達から見れば『穢れ』になるのかな」
ワイバーンの横を音を立てて過ぎていく風の中、北都はぽつりと小さく呟く。
「……。私があの島出身で無かったことに、ほっとしています」
何気なさげにクナイが言った。
「確かに、血脈を守る事は大切でしょう。
でも、血と愛とを天秤にかけたなら、私は愛を選びます」
狂的なまでに誇りに固執する一族だと、キオネは言っていた。
その生き方を幸せとも気高いとも思えない者は、決して少なくはないだろう。
「何度もしつこく頼み込む無礼は詫びます」
一族の秘密に触れるような話題に映ってきたことで、少しいらだちを見せてきた様子の代表団に対し、捜査官たちに代わってエヴァルトが口を開いた。
「我々も、このような美しい場所に、血生臭いものがあるとは信じたくないのですが、可能性がある以上は調べねばなりません。皆様のためでもあるのです。
余所者を嫌う気持ちは分かります、ですが、今はそう言っている場合ではありません。
……皆様は御存じないかもしれないですが、コクビャクとはそれほどの警戒すべき相手なのです」
とにかく、この天使たちに、警察を信用してもいいと思ってもらえなければ、コクビャクの捜査は手詰まりだ。
そのためにはとにかく誠心誠意を見せ、相手の心を少しでも開くしかない。
エヴァルトは、真っ直ぐ訴えかける。
「我々がしたいことは、貴方がた一族の誇りを傷つけることではありません。
この捜査のために、貴方がたの大切なものを犠牲にするつもりはないのです。
……信じることが、到底できないのは承知の上です。私とパートナーが、人質として残ります」
「――って、オレまで!? ひでー!!」
声を上げたのは、いきなり言われた当のパートナー、ベルトラム・アイゼン(べるとらむ・あいぜん)である。
エヴァルトについてきたはいいが、何となくかんげいされていないムードに当惑していたところ、魔族が嫌われているという「どアウェー」な場であると知って衝撃を受け、まぁ仕方がないしエヴァルトの邪魔になっても何なので隅で大人しくしていたところに、この言葉である。一瞬、自分はこのための要員だったのか!? と考えてしまった。
エヴァルトの真摯な言葉に、守護天使たちは耳を澄まして聞き入っていたようだった。その言葉をどう受け取ったのか、それはすぐには分からない。
だが、「人質」という言葉が出ると、皆は驚いたように目をぱちくりさせ……それから、例によって若い3人が素早く視線を合わせたかと思うと、1人がぷっと吹き出し、それを合図に3人が笑い出した。
その反応に面食らうエヴァルトに、先程ムセと呼ばれた童顔の若い守護天使が、面白そうに指先で目尻を拭ってこう言った。
「いや、貴方たちがここに残るのは別に勝手だけどさ。
そうまでして島の中に入っても無駄だよ。多分、一瞬で動けなくなるよ。
補佐様が言ったでしょ? 結界は土壌と一体化してるって。そういうことだよ」
「ムセ、口を慎みなさい」
補佐様と呼ばれているらしいマティオンが冷ややかに言うと、再びムセも他の2人も笑いを止めた。
――土壌と一体化した結界。それは一体どのようなものなのか。分からないが、彼らはそれに絶対の自信を持っている。
エヴァルトは、再びこちらの話を聞くような態度で静寂を作って待ち構えている守護天使たちに目をやる。
(これはやはり、一筋縄ではいかなそうだ)
それぞれの顔を見渡す。
フードを目深にかぶったザイキだけは、表情が分からない。
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