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【逢魔ヶ丘】かたくなな戦場

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【逢魔ヶ丘】かたくなな戦場

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第4章 踏査


 散らばった小島の間を、風が吹く。

 この浮遊島群は本当に、最初に大きな塊だったものが何か大きな打撃によって砕かれて飛び散ったかのような、細々とした散らばりで、よそ見しながら高速飛行していたら、すぐどこかの小島にぶつかりそうだ。
 『六熾翼』で飛行する十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)は、島にぶつかることも、時折突発的に吹きすぎる強い気流に流されることもなく、その中の一つの、比較的大きな島に降り立った。
 他の島と違い、何か人工物らしきもの――積み上げられた石の山のようなものが見えたからである。
「これは……建物跡か?」
 石を積んで作った壁の跡のように見えるが、破壊されて崩れている。
 何を作った跡で、どうして壊されたのだろうか。
 他に何か手がかりはないかと見て回っていると、石壁の影から人影が現れた。ハッと身構えたが、
「おっ……と」
「あ……」
 相手は、同じく周辺調査をしている北都だった。
「やっぱり、ここが気になるよね。というか、ここぐらいしか、めぼしい建物跡はないし」
「あらかた見て回ったんだが、そうだな、他に大した形跡はなさそうだな」
 北都はクナイと手分けして、要塞の離発着跡や人工的な形跡がないかを、島しょ内を見て回っていた。
 宵一もまた、超高度の空の厳しい環境を想定して、「エクソスケルトン」とパワードスーツの各パーツを身に着け、散らばった小島を幾つも見て回っていたが、めぼしい成果はなかった。
 ただ、時々、風や何か自然現象で出来たとは思えない抉れや穴や、何か重量のあるものが接触した跡のある地面や岩山のある島に出くわすことはあった。コクビャクの移動要塞だか飛空艇だかの、接岸の跡かもしれない。
「一応その跡がある島をメモして、この周辺の地図を作製すると……」
 調査の結果をマッピングして銃型HCに打ち込んで作った周辺の地図を、北都は示して見せた。
「なるほど、跡を辿ると、奴らの航跡に繋がるかもしれんな」
 宵一は、気流の流れに注意をしていた。コクビャクは浮遊島郡内の高度の空域で乱気流に影響されない航路を知っているかもしれない、と考えたからだ。
 出来る限り高度の空を飛んで体感した、要注意の気流の場所などを逆に北都に教える。そんな風に2人で情報交換をした後、一通りこの崩れた石壁の残骸の周りを見て回ったが、特に収穫はなかった。
 北都は一旦パートナーと落ち合うため島を離れて飛び立った。
「……さて。じゃあ次はどうするか……」
 大きな収穫はなかなかないが、踏査されていない小さな島はまだまだある。頭を掻きながら宵一が何気なく振り返ると、少し離れた所にある小島に佇んでいる、パートナーと少女の姿が見えた。


「元気がないわね」
 ヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)が声をかけると、ぼんやりと佇んでいた少女――魔鎧「刀姫カーリア」は、リボンで束ねた髪を風になびかせながら振り返った。
 島外調査に出ようと、自分でどこかから人工翼を用意してきたはいいが、あまり性能の高いものではなかったようで、超高度の空を突発的に襲う強い風によたよたと吹き流され、風を避けて小島の一つで休んでいるのを宵一とヨルディアが見つけて、一緒に来ないかと声をかけたのである。2人とは何度もいろんな場所で会っているので、カーリアは別段抵抗も見せず、よほど一人で飛んでいるのに疲れたのか、素直についてきた。
「疲れたの?」
 ヨルディアの問いに、カーリアは首を横に振った。
「景色を見てただけ」
 カーリアの前には――いや、前だけでなく360度のパノラマで、小石のように浮遊島を浮かべた果てしなく広がる天海の絶景がある。
「……。確かに凄いわね、この風景は」
 ヨルディアはそう言いながら、カーリアの隣に並んで、彼女が向いているのと同じ方向に顔を向けた。
 ――この探索以前から、カーリアが何か悩みを抱いている様子なのを、ヨルディアは気にかけていた。
 ひとりで目的に向かって突っ走っていくという生き方をしているカーリアは、己の内にあるものを人にさらけ出すことが不得手なように見えた。
 けれど、今。
 果てしない光景に向けた目に宿る素直な表情の幼さ、警戒心の薄い顔つきの柔らかさ。今この時この場所でなら、他の時よりも少しだけ、打ち明け話をしやすいかもしれない。横目でカーリアの顔を見て、ヨルディアはそう思った。
「何か……悩んでる?」

 カーリアはしばらく、黙っていた。やがて、空の風景に目を向けたまま、
「サイレント・アモルファスに、ペコラ・ネーラより大事なものができるなんて、思わなかった」
 ぽつんと言った。
 サイレント・アモルファス――キオネと卯雪のことを言っているのだと分かった。
 前にシャンバラの大荒野であったことを言っているのだ。その時一緒にいたヨルディアはすぐ思い出した。
「……彼は、ペコラ・ネーラのことも大事に思っているんじゃないかしら」
「……そうだと思う」
 カーリアは呟くように同意すると、視線を落とした。
「あたしが悪かったんだよね」
 ヨルディアはカーリアを見た。
 卯雪が攫われたことに自分の言動が関わっている、と感じて罪悪感を覚えているのだと分かった。
 卯雪の魂の中にある「ペコラ・ネーラ」の魂の欠片を取り出すために、卯雪を殺すのもやむなしとカーリアは発言したのだ。そうしないと、魂の欠損を埋めるためにペコラを装着し、そのために狂戦士化していると思われるヒエロを元に戻すことができないからだ。ヒエロが元に戻らなければ、同じ魂を分かった魔鎧「千年瑠璃」を救えない。
 それを聞いてしまった卯雪は動揺して逃げだし、無防備になったところを拉致され、今も行方が分かっていない。恐らくはコクビャクの下に監禁されているのだろう。
「あたしは」
 カーリアが口を開いた。
「あたしは、どれか大事なものを一つ選べと言われたら、選んだあとで、選ばなかったものをあっさり捨て去ることができる。
 でも、アモルファスは、ペコラも大事だけどあの娘も大事だった。だから選べなくて悩んでた。
 ……きっと、あたしみたいに考えるののほうが、世界では『変』って言われるんだろーな」
 風が吹いて、カーリアの目が揺れる。
「ヒエロが一人の蛇狂女(シュバリス)の魂を2つに分けなかったら、あたしは生まれなかった。
 あたしは、一つの完全なものが欠けた、その欠片なんだ。
 一つの完全なひとにはできるような、世界に適応した生き方なんて、できないのかもしれない」
 その言葉にヨルディアが答えを返そうと口を開くより先に、突然カーリアはさっと、ヨルディアから少し距離を取った。そして、後ろで結んだ髪に手をやったかと思うと、括っていたリボンを解いた。次の瞬間、それは大剣に姿を変え、ヨルディアに見せつけるようにかざしたカーリアの手に収まっていた。
 ヨルディアは、ちょっとだけ戸惑ったが、何も言わずただカーリアを見つめた。
 カーリアが自分に本気で刃を向けるとは考えなかった。
 それがカーリアに分かったのだろう。すっ…と腕をおろし、しかし刃をヨルディアから見えるようにかざしたまま、

「分かる? これ。前より小さくなってる。こないだアモルファスにも言われた。最初はあたしの体の倍もあったのに」

 少し寂しそうに言って、それから剣を完全に下ろした。
「そんなに……大きかったの?」
「うん。風に削られる岩みたいに、だんだん小さくなっていくんだ。
 これはもともと、蛇狂女に欠けられた呪いの結晶。
 これと、あたしと千年瑠璃。これが最初は、一つだった」
 刃を、いとおしむように左手でさすって、カーリアは目を閉じた。
「ずっとひとつでいられたら、きっとこんなにいろいろ悩むこともなかったんだよね」

 だから、自分の手で、この大剣で千年瑠璃を刺し通した。
 無理矢理に一つに還ろうとして……
 結果、今、千年瑠璃は死に瀕している。

 ヨルディアは何か言おうとしたが、声を出す前に口を閉じた。
 話の腰を折ってもっともらしい慰めや諭しを口にするより、心に詰め込んでいることを全部話させようと思った。
 それで、じっと、先を促すようにカーリアを見つめ続けた。

「ちゃんと自分の始末は自分で付ける。ヒエロを取り戻して、千年瑠璃は必ず助ける。

 ――でも、それが済んだら、その後はどうすればいいんだろう」

「千年瑠璃がヒエロと幸せになって……
 この剣もいつかは、飴みたいに小さくなって消えちゃうかもしれない……」

 カーリアの手の中で、大剣はリボンに姿を戻した。
 急に力が抜けたみたいに、カーリアは地面にぺたんと座り込む。風に吹きさらされた、あるかなしかの芝の草は冷えている。
「あたしはどうすればいいのかな」

 眼前に広がる、果ての見えぬ空のパノラマ。
 空漠とした荒野にも似た、何もない、軛もないが受け止めるものとてない見当たらない無限の光景。
 その光景は、心に悩みを抱える者には響きすぎるのだ。
 いかにも、自分がちっぽけな、頼りない存在に思えてしまうのだ。


「悩むことには、それだけで意味と価値があるわ。けど、」
 ヨルディアはカーリアと並んで座り込んだ。
「完全である人なんていないし」
 体を寄せると、2人の間を割って抜ける風の冷たさが消えていく。
「孤独は剣を振るってまで心に隠さなきゃならないものじゃないのよ」
 そうしてしばらくの間、並んで風音に耳を傾け、雲の流される上天の風景を眺めていた。



 ――――「……ありがとう」
 小さな声が、聞こえた。








 パクセルム島の最下部近くにある、綾瀬らが見つけた、小島に建つ小屋。
 それは、剣の切っ先のように伸びた最下部の影に隠れて見えにくい位置にあった。明らかに、外部の目に立つことを避けた立地である。
 小島は島に寄り添うようにごく近くにあり、守護天使であるパクセルム島の住人なら、大して手間もなく島からこの小屋に飛んで移ることだろう。
「結界の穴、とは関係ないかもしれませんが、何かありそうですわね」
 綾瀬は呟き、微笑んだ。彼女が言うまでもなく、秘密の匂いが立ち昇る光景だ。
「施錠されているかも知れませんが、参りましょう」
「大丈夫だよ、ボクが扉に突っ込んでぶち破るから」
 3人が舞い降りた小島からも、その島に渡るのは容易かった。妨害するような位置の小島も、彼女らを吹き流してしまうような暴流もなかった。

 しかし。

「……? 何でしょう……」
 小屋に近付こうという時になって、綾瀬は「違和感」に気付いた。
 振り返ると、さっきまで扉をぶち破ると意気込んでいたベリアルが、口をへの字にして眉間に皺を寄せている。
「ベリアル?」
「う〜ん……なんっか変な感じがする……足がズーンと重くなるような、いや〜な感じ……」
「ドレス? 貴女はどう?」
「私も重苦しい、嫌な感じがするわ、少しだけ」
「じつは私もですの。嫌ですわね、急に体重がいくらか増えたみたいな」
 綾瀬はわずかに眉を顰め、それから首を傾げた。
「……重力操作?」
 それから、まさか、と小さく首を振り、小屋へと歩いていった。
「扉のある場所に、人の出入りがないわけがありませんものね」
 小屋はぼろだったが、さびれてぼろくなったというよりは、もともと粗末な作りの小屋らしい。
「鍵は……かかってないようですわね」
 ベリアルが突撃する手間はなくなった。綾瀬がノブを回し、扉を押すと、立てつけの悪いその扉は音を立ててきしりながら開いた。

「……」
 小屋の中は、思ったより広いようだった。
 だが、暗かった。明り取りの窓が足りていない。
 小屋の中には、家具らしいものは何もなかった。ただ、床に何かがごろごろ置かれていた。
 それは、時折身じろぎしながら、ごろごろと緩慢に動き、低い、苦しげな唸りを出す。
 ――人だ。布をかぶった人だ。人体の影にしては何か膨れて見えるのは、背中の翼だ。これは守護天使たちだ。

 綾瀬の脳裏に一瞬浮かんだのは、「隔離病棟」という言葉だった。