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リアクション
一方、時間は少し遡る。
空京デパート前、広場の片隅に、占いの館風の小さなテントが設置されていた。
看板には『恋のおまじないチョコ』と書かれているが、当然のこと、インチキである。
三角帽子に魔女風衣装を纏ったリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)がそれを売っているその外で、客引きをしているのはララ・サーズデイ(らら・さーずでい)だ。
「はいはい、効果覿面正真正銘、魔法のチョコは本日限りだよ〜」
余り乗り気のようには見えないが、笑みを浮かべて客を誘う様子は中々堂に入っている。女の子もちらほらと足を止めたりしている中で、突如黒い光がララに向かって襲い掛かってきた。ぶらっくの放った、“バレンタイン・ヘイト”の光である。それは矢の様に形を変えると、そのまま真っ直ぐにその胸へと突き刺さった。
「……………………」
途端、にこやかだったララの表情が陰鬱なものに変わる。片膝を落とし、おお、と顔を覆って俯いた姿はどこかの劇団もかくやという大仰なポーズであるが、中々これが様になっている。
「恋人たちが華やぐバレンタイン。しかし私の心にはイバラの刺が刺さっている。それはルドルフ、愛した君が男色家だから……」
そのままのノリで、そんな事を言い出したものだから、黒い光は今やスポットライトと化して、周囲が何事かと集まってきていた。ちなみにあえて説明する必要もないだろうが、その君というのは勿論ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)のことである。
「ああ、ルドルフ。どうしてあなたはホモなのか……」
そう言ってララが崩れ落ちると、流石にテント前の異変に気付いたようで、リリが「どうしたのだ」と駆け寄ってきた。その視線の先では、俯いて何か黒い涙を流しているララの姿がある。
「血涙? いや……」
顔を近づけてその違和感を悟ったリリは、ララの涙を指で掬ってちらりと舌を這わせた。カカオの甘い香りと共に、一瞬だが脳をぐらりとさせる要素がある。
「チョコ……それも魔力入りなのだ」
「あらー……ぶらっくの影響で、血涙ならぬチョコ涙になってるみたいですねぇ」
その様子に、ひょっこりと顔を覗きこませたのはぴゅあだ。その気配に気付いたララは、がばっと顔を上げるとがしりとその小さな肩を掴んだ。
「君もバレンタインの精なら私の願いを叶え給え。ルドルフのホモを治してくれないか」
バレンタインで最もその力が強くなるというバレンタインの精ならもしや、と期待を込めて見上げたが、ぴゅあはふるふると首を振る。
「無茶言わないで欲しいですぅ。性癖は守備範囲外の話題ですぅ」
「何より公式せっ……」
「メッタメタにされたくなかったら、そのセリフはそこまでですぅ」
ぴゅあのにっこりと冷たい笑顔にセリフキャンセルを喰らったリリに変わって、再びがっくりと肩を落としたララが「私の心の痛みを知る者など何処にもいない」と演技がかった(が、本人は至って真剣である)口調で吐き出した。
「ルドルフ、君すら私の思いを知らないのだから……」
その肩に、そっと手を置くのはリリだ。
「泣くのだ、ララ。涙で呪いを洗い流すのだよ」
言葉はとてもパートナー想いのように聞こえるが、差し出された銀のボウルがその意図を明確に表していた。
(ふふふ、この魔力の篭ったチョコレートで、ホンモノの魔法のチョコが作れるのだよ)
と言うか既に顔が怪しかった。
その光景には、ぶらっくの方も思わずと言った様子で後ずさる。
「凄いヘイトだ……」
「というかシュールですぅ」
ぴゅあもこれは処置無しとばかりに肩を竦める中、ララはもうどこか逆方向にゲージを吹っ切ったような、壮絶な笑みを浮かべてぐっと拳を握り締めていた。
「世界中のホモを殺し尽くせばルドルフが振り向いてくれるに違いない! このチョコでホモを滅ぼしてくれる……!」
「あのな、何度も言うけど、オレの“バレンタイン・ヘイト”の性質はそういうのじゃねぇから」
ぶらっくのツッコミは虚しく響き、現実には、リリが配ったそのチョコレートによってなんだかアニキな方々に「ちめいてきなダメージ」とやらが与えられたというが、それはまた別の話である。
襲うチョコに、呪われた(?)チョコが悲鳴を量産している中、それでも世間と言うものは中々したたかにバレンタインを盛り上げようと、あらゆるイベントは継続中のようだった。愛は全てを凌駕する、と呪文のように唱えているのが、お菓子メーカーをはじめとする企業であるあたりがとても生暖かい気持ちにさせるが。
兎も角そんなわけで、空京ラジオ放送番組も、勿論バレンタイン関連の話題でもちきりだった。
ヘイトをかき消そうとでもするかのような、明るくポップな恋愛曲が幾つか紹介されていき(その中に、ティアラの新曲があったことは一応追記しておくとして)、やがて一区切りついたところで、賑やかな効果音と共にパーソナリティがコーナーを切り替えた。
『はい、それでは本日のゲストコーナ、担当は騎沙良 詩穂(きさら・しほ)さんです、どうぞー』
『よろしくお願いします!』
明るい詩穂の声が電波に流れる。このラジオ番組の中で、毎回ゲストが司会を努めるというイベントコーナーに、今回は秋葉原四十八星華として、ゲストに呼ばれたようだ。
『それでは、ん、え? あー……はい』
軽快な音楽と共に、司会として口を開きかけた詩穂が不意に声をくぐもらせると、また別の効果音と共に『コーナーの途中ですが、ここで臨時ニュースです!』と声を上げた。
『ただいま、ぶらっく・ばれんたいん氏の“バレンタイン・ヘイト”の影響で、街中がパニックに陥ってる模様です。皆さんは、怪しげなチョコレート、暴れているチョコレートにはくれぐれも近寄らないように注意してくださいね!』
そんな騒ぎの中、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)とベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)と言えば。
「マスター、私、今年のばれんたいんはお世話になった方へもお渡し致したく沢山作りました故、その…ご一緒頂けますでしょうか?」
というフレンディスの言葉に、二人でチョコを配って回っている最中だった。
周囲の騒々しさの割に、案外のんびりとチョコを配りまわれているのは、ありがたいと言えばありがたい。だが、恋人同士で歩いているというのに、狙われないというのもなんだかもやっとするベルクであったが、フレンディスの方は気にした風もない。
(せっかくのVDなのに、二人っきりになる機会は何処行ったんだろうな……)
そんなベルクの心の声が届くこともなく、丁度タイミング良く出くわしたクローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)達“ソフィアの瞳”調査団の面々に、フレンディスたたっと軽快に近付くと、ぺこりと頭を下げていた。
「先日はお世話になりました」
去年末に開催されたゲームのことだろう、調査団のメンバーらしい男女が苦笑がちに頭をかいた。
「いやあ、あれは正直オレらも遊びすぎました、すんません」
「いえ、楽しませていただきました」
「それなら何よりだわ」
男性の方が頭を下げるのに、慌ててフレンディスが首を振ると、女性の方がほっと息をついて笑った。そうして和んだ所で、改めて調査団の面々を眺めると、人数こそかなり少ないが皆制服のように揃った作業着である。
「ところでその出で立ち……今日もお仕事なのでございますか?」
「ああ。ちょっとヒラニプラまで行って来るところだ」
クローディスが頷くと、男の方がわざとらしく溜息をついた。
「ツライッツさんがいりゃ、直ぐ着くし、オレらが行かなくてもいいんだけどなァ」
「あの人、出かけるって言ってたけど多分デートでしょ? 邪魔すると轢かれるわよ」
ツライッツ、というのは先日の戦車を運転していた方か、と思い出して、フレンディスは微妙な顔になった。確かにあの速度を出すような相手であれば、目的地までは直ぐだろうし、実際轢いた相手がいるだけの女性の言葉はちょっと笑えない。兎も角、お礼を言う目的は果たせたことだし、とフレンディスは「それでは、お引止めしてはなりませんね」と、持っていた紙袋を漁ると、ラッピングも様々なチョコレートを取り出した。
「先日は、お世話になりましたので、これを……」
「ん? ああ、そうか、今日はバレンタインデーだったな」
お礼やら感謝やら、意味合いは色々分かれているようだが、所謂友チョコと言うものだろう。
そのチョコレートたちに一瞬首を傾げたが、友チョコと言う文化が流行りだしてからは、同性から貰うことも珍しくないこともあって、色々ありますから、と取り出された色とりどりなチョコから甘さの余り無いものを選んでもらうと、クローディスは少し笑った。
「ありがたく頂くよ」
そうして、ほんわかとした空気に包まれた、その時だ。
「っと、危ね……っ」
咄嗟に、ベルクがフレンディスの腕を取って引き寄せた。その直ぐ脇をひゅっと振り下ろされた鉄パイプ……ならぬ、チョコレート製パイプが通り抜ける。同性同士のカップルも多いだけに、今の光景はラブだと判断されたらしい。だが、反射的に構えたベルクの横を、通り抜けざまのついでのように吹き飛ばし、猛スピードで駆け抜けていく姿があった。
「ん? あれって……」
横を走り抜けていったのは、ベルク達にも見たことのある人物だった。遠野 歌菜(とおの・かな)と、月崎 羽純(つきざき・はすみ)、そしてディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)に手を引かれたアニューリス・ルレンシアだ。その肩にひっついているのはアルケリウス・ディオンだろう。
「……何だあれ」
一同があっけに取られて見ていると、その後に続くのは大熊 丈二(おおぐま・じょうじ)とヒルダ・ノーライフ(ひるだ・のーらいふ)だ。どうやら、ラブラブなオーラを発している歌菜やアニューリスたち、暴徒達に追われているらしい彼女等を守っているらしい。
「バレンタインは女の子にとって、神聖な…とっても大事な行事なんですっ! 年に一度、好きな人に告白する大事な切欠の行事なのに、それを台無しになるなんて、絶対に許せないのです!」
「こんな文化があるとは知らなかったな……」
憤慨する歌菜の横で、道中、丈二とヒルダにバレンタインデーと言うものを説明してもらったディミトリアスは、妙に冷静に呟いた。こんな、と言う中にはこの暴動も含まれていたが、その説明は面倒なので省かれてしまうと、ちらりと向けられた視線を受けて、アニューリスはにっこりと何故か嬉しそうに笑った。
「私は、トゥーゲドアの町で聞いたよ。勿論用意はしてあるけれど、この調子だと渡すのは難しそうだね」
何故そこで笑う。
と一同は一瞬同じツッコミが過ぎったが、ディミトリアスの方は「それは困る」と平然としている。慣れのようである。二人の上下関係が垣間見えるようであるが、今はそこに深く追求している場合でもないのである。
『……この調子だと、行く先々で襲われることになりそうだな』
「流石に纏めて薙ぎ払うわけにはいかないな……」
アルケリウスの呟きに、ディミトリアスは微妙な顔だ。蹴散らすことが出来ないわけでもないが、彼らは敵なのではなく、単にバレンタインに対する悲哀が増幅されて暴徒化した、ただの一般人である。迂闊に手を出すことも出来ない。
難しい顔のディミトリアスに、丈二は「大丈夫であります」と声をかけた。
「ディミトリアス殿、アルケリウス殿、後ろは自分達が守りますので、アニューリス殿(のチョコ)をお守りください!」
「すまないが、頼む」
ディミトリアスが申し訳無さそうに言い、小さな超獣姿のアルケリウスも器用にその頭を下げて見せたのに、丈二は視線を後方へと向けたが、その心中は実は穏やかではなかった。
去年まではヒルダからチョコを貰えていたのに、今年はまだ貰えていないのだ。当然、それを当人に聞くわけにもいかず、もやもやが喉に溜まっているのである。そもそも2人の契約関係は、丈二の勘違いから始まったものだ。
(ヒルダが本当に好きな人が現われてもおかしくない……何て事はないと思いたのでありますが、思いたいのでありますが……)
もやつくものが振り払えずに、首を振った丈二の隣では、ヒルダもまた、同じようなもやもやの中に沈んでいた。
(三時のおやつの時に渡そうと準備していたんだけど、なにこの惨状?)
去年までは、バレンタインデーとクリスマスがごっちゃになっていて、前夜に丈二の拳銃のホルスターにチョコを入れていたのだが、今年になってそれが間違いだと気付いたヒルダである。丈二が今年まだチョコを貰えていないのはそれが原因なのだが、当人が知る由は勿論なく、ヒルダはヒルダで、朝から丈二がチョコのことなどどうでもよさそうな素振りをしているのが、胸の辺りでじくじくと蝕んでいるのである。ともすればうっかりヘイトに毒されそうなそのもやつきは当然、二人の連携にも影響していた。
「……っ、ヒルダ!」
「あ……っ」
丈二が弾幕を張り、トドメはヒルダがさす、といういつものパターンも上手く決まらない。それもまた、二人の心中をかき乱す要因のひとつだ。
(誰か他の人の事でも考えているのかな。それとも単に丈二にとって役立たずになっただけなのかな……)
心に苦いものがまるで染みのように広がっていけば、同じ疑いは丈二の中へも感染していく。
(ヒルダの心が自分から離れたために……いえ、そんなはずは)
考えまいとすればするほど、それはゆっくりと思考を侵食していき、集中力を乱すのだ。
(戦場では雑念を捨て、敵を倒すことをだけに集中しないと!)
首を振って切り替えようとするが、ぶらっくのヘイトの光は自身でも判らないほどにじわじわとその心を揺さぶってくる。
(ヒルダとの関係が雑念? 何を考えているのだ……)
そんな彼らの葛藤や、暴徒達との追いつ追われつの逃走劇、そして周囲でも繰り広げられている阿鼻叫喚なバレンタイン戦争に、クローディス達がさっさと離れた方が良さそうだ、と苦笑する中で、フレンディスはおっとりと首を傾げた。
「? ばれんたいんはお祭りも開催されるのでしょうか?」
「まあ……お祭といえばお祭か?」
クローディスがベルクと顔を見合わせると、互いに何とも言えない苦笑を浮かべたが、フレンディスは気付いていないようだ。その目をきらきらさせると、ぱんと手を叩いた。
「修行も兼ねて良いと思います。主催者の方々に、『お疲れ様ですちょこ』をお渡しに行きませんと!」
「やっぱりそう来るかー……」
ベルクがガックリ肩を落とした所を見ると、日常茶飯事のようだ。本人達が納得しているなら良いか、とクローディスたちもあえて突っ込みを入れる気配がない。いや、入れようよ。そんな心の声は勿論届かないのである。そして、その時には既にフレンディスは飛び出してしまっているのである。
「……まったく、とんだバレンタインだな」
普段と違って戦闘モードに入る様子の無いフレンディスの代わりに、暴徒達を相手にするのは必然ベルクの役目だったが、発動した悪夢が与える「チョコなんか貰えた事ない」的な超悲しいメンタルへのダメージは、確かに攻撃の足止めは果たしてくれるものの、振り返ればガックリ膝をつく暴徒のヘイトなオーラは寧ろ更に悪化しているようにしか見えない。そりゃまあ当然であるが。
「これ、ヘイトが増してるんじゃねえの?」
その呟きは皮肉にも、ぶらっくの感想と全く同じなのだった。
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