校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
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●ポートシャングリラ、心模様 ポートシャングリラでも、特にファッション関係の店舗が集まった一角。 高級ブランド店が軒並みバーゲンの札を出す中、そのどれとも無縁の、実用的だが安価、それだけにいくらか野暮ったいデザインの店を高円寺 海(こうえんじ・かい)は選んでいた。 「海くん、正面の『ジャンポール』ブランドでもバーゲンをやってるよ」 杜守 柚(ともり・ゆず)は念のため言ってみるのだが、 「いいんだ。ああいう華美な高級ブランドは趣味じゃない」 向こうもバーゲン中だから値段的にはそう極端な差はないはずなのだが、海ははなから好まないようだった。 本日、柚は杜守 三月(ともり・みつき)を伴い、海を誘って買い物に来ている。 柚は正面の店のショーウインドウに目をやり、『ジャンポール』の男性用コートを眺め溜息をついた。 (「あのコート、細身で海くんに似合うと思うのに……」) 黒いロングコートだ。少々ユニセクシャルなデザインではあるが、鋭角的な襟と袖口のデザインは格好良く、長身で肩幅のある彼の体型にもぴったりに見える。ハンサムなモデルがこれを着ている写真も飾られているが、海が着たほうがもっとずっと格好いいと柚は思った。 しかし海はそちらを一瞥だにしない。そもそもここまで、有名ブランドショップはわざと避けているように寄りつかなかった。まさかとは思うが高級ブランドに恨みでもあるのだろうか。 この日、買い物に行こうと誘ったのは海だった。年末の30日だったか、 「正月に、通学用のコートを買いに行こうと思ってる」 すり切れた使い古しのコート姿で海は言ったのである。続けて、 「来るか?」 と言ってくれた嬉しさで、柚は少し熱が出てしまったくらいだ。 もちろん彼が、単に友達として気楽に誘ってくれただけだというのは判っている。けれど嬉しいのは事実だ。嬉しくないはずがない。その日、帰宅するや来年のカレンダーをひっぱりだし、一月一日のところに花丸を入れた柚である。 (「そんなに嬉しいのなら二人きりで行けばいいのに……」) 三月も鈍感ではないので、柚が海に抱いている気持ちは十分に知っている。それどころか、あれだけ熱を上げている柚の様子を見ても、さっぱり彼女の気持ちに気づく様子のない海の天然っぷりには、呆れつつも感心していた。 (「そういや海って、兄貴が四人もいる男だらけの家庭環境で育ったんだよな。そのせいかな……?」) まあ、三月も海とは遊び仲間だし、ポートシャングリラに行くこと自体は楽しいので、柚に請われて彼もこうして付いてきているわけだ。 「悪いけど僕は『ジャンポール』に行っちゃうからね」 と断って、ちゃっかり柚と海を二人きりにして三月は正面の店に入った。 (「結構値下がりしてるし僕も買っちゃおうか、コート。でもいろいろあって迷うな……うーん)」 ふと三月は女性用のダッフルコートを手にした。雪色で可愛らしい。柚にはさぞや似合うことだろう。 (「柚にこれなんか提案してやりたいけど。きっと柚のことだから、海と同じ店で選ぼうとするだろう。……どうにかこの店に引っ張って来れないかな」) その頃、 「これでもいいか」 無造作に海が選んだのはビニールのスポーツコートだ。最悪とは言わないがあまりにも『通勤、通学に!』という感覚に溢れすぎていて特別感がない。普段着過ぎるというか作業着風だ。下手すると新聞配達みたいにも見える。 哀しくなってきて、ついに柚は言った。 「海くん、あ、あの……さっきも言ったけど、あっちの店も見に行かない?」 「いや、俺は……」 言いかけた海だが、柚の目を見て真剣な提案であることを悟ったらしい。 「まあ行ってももいいけど……柚なら似合うのがあると思うが、俺にはどうだろうな」 半信半疑の口調で海は店を移動した。 どうやら食わず嫌いならぬ着ず嫌いだったようで、あまり裕福ではない彼は『ブランド店=高い』『似合わない』と決めつけていたらしい。 なので、 「へえ……」 柚が手渡したロングコートを羽織り、海は全身鏡を見つめ感心したような声を上げた。 「悪くないな。うん、間違っていたと認める」 「良かった。着てみるとまたイメージ変わりますよね?」 それにアウトレット品なので、バーゲンプライスとのダブルパンチで随分安いのだ。 あれだけ嫌がっていた割に、海はもう満更でもない顔をしている。 「似たデザインで女性向けもある。柚、着てみないか?」 「え、そうですか……?」 柚もコートを羽織って、海と並んで鏡に映してみた。 「お、お揃い……」 本当にお揃いだ。身長はずいぶん違うが、デザインが同じ雰囲気である。 傍目にもそれと判るほどに、かあっと柚は赤面した。 彼らの背中を眺めながら、一人、三月は溜息をつくのだった。 (「こっちの店まで連れて来れたのはいいが、なにやってんだか」) けれど、まずは一歩、いい雰囲気に近づいただけでいいとしよう。何より、頑固なまでに店のチョイスを変えなかった海を、動かすことができただけで上出来ではないか。 (「ま、少しずつ進展してくれればいい……」) この分だとまだまだ、柚の心が海に届くまで時間がかかりそうではあるが。 結局、柚はファー付きのロングコートを選んだ。色は純白、雪の妖精のようで上品だ。 「よく似合ってる。その……暖かそうで良い」 褒めるにしてももうちょっと言葉があるだろうが、海にはこれくらしか出てこない。しかし、海に褒められただけで柚は舞い上がりそうである。 一方、海は結局あの黒いロングコートを選んだ。柚の見立て通りマッチングは完璧だ。 「こっちのほうが暖かいな、着て帰ろう」 海は古いコートを丸めてゴミ箱に入れ、値札を外して買ったばかりのコートを着た。 「いいの選んでくれてありがとな、柚。それから三月、バッシュが欲しいって言ってたよな。見に行くか?」 最初嫌がっていたのが嘘のようだ。海は颯爽と歩き出した。 (「でも、困ってしまいます……」) 喜んでいる反面、柚はそう思っているのだった。 ここまで彼が格好良くなってしまうと、その容姿に惹かれて他の女の子が集まってくるかもしれないから。 ポートシャングリラ内にも、簡単ながら神社がある。 「今年もいいもの、たっくさん買えたことを感謝します!」 と、これに手を合わせているのは遠野 歌菜(とおの・かな)だ。 「成長したよねえ、歌菜。去年のここのバーゲンセールでは、圧倒されるばかりで私に付いていくことすらできず右往左往していたのが嘘みたい……なんだか感慨深いわ」 カティヤ・セラート(かてぃや・せらーと)はうんうんと、頷きながら歌菜を称えた。 「うん、カティヤさん! 私も主婦となった身、去年とは一味違いうよ! 二人でいっぱいいっぱい、福袋げっとしたよね♪ この袋なんか定価の十分の一の組み合わせなのに、靴も手袋もいいものばっかり! こんなに可愛いベルトまで入ってるんだもん」 びろーん、とか良いながら、荷物からブラウンのベルトを出して歌菜は上機嫌である。 「ふふ♪ 歌菜がベルトを欲しがっていたのは知っていたからね。あのブランドの福袋の場合、ベルトが入ってるかどうかはランダムなんだけど、そういうときは高速で振って調べるのよ。来年はこのテクもマスターなさい」 などときゃいきゃいはしゃぎながら、「一旦休憩にしましょう」というカティヤの提案で二人はフードコートに向かった。 ……いや、二人じゃなくて三人だった。 「もう少しゆっくり歩いてくれ。荷物が崩れる」 主婦となった歌菜の夫、すなわち月崎 羽純(つきざき・はすみ)が、二人の後から付いてくるのだ。 初売り、女二人男一人となれば、荷物持ちにされるのが男性の宿命である。今年一年の分、とばかりにドカドカ福袋を買った二人のために、大量の荷物を抱えて羽純は歩いている。無論自分用の福袋もあるとはいえ、 「……なぜひたすら福袋ばかり買う?」 と、そこら辺問いただしたい彼だった。(普通に「楽しいから」とか言われそうだが) フードコート入口付近で、羽純は急に足を止めることになった。 全速力で駆けてくる男とぶつかりそうになったのだった。男は一瞬振り向いた。白い衣装に鉢巻き、エプロンには『うどん・剛力公園』などと書いてある。うどん屋の若い店員だろう。変な店名だ。 (「うどん屋も走る新年、か。年末は蕎麦屋が忙しく、新年はうどん屋が忙しいのだろうか……」) 歩き出そうとした羽純は、また目の前を若い男に塞がれた。見ればさっきのうどん屋店員だ。走り去ったと思いきや戻ってきたのか。 店員は足を止めて、 「さっきこっちに、オレが走ってこなかったッスか?」 と、荒い息をしながら羽純に聞いた。 「いや、わけわかんないこと言ってるのは判ってるッス。オレと瓜二つのヤツなんスよ!」 双子の兄弟なのかもしれない。 「ああ、それならあっちの方向に行った」 福袋を下ろし、最初の店員が走っていった方向を指すと、 「ありがとさんッス!」 若い店員はつっかけ姿で走っていった。なんだったのだ、あれは? フードコートにり、歌菜の横に座って羽純は告げた。 「……うどん屋の店員が同じくうどん屋の双子の弟を追いかけてるのに出くわした」 「え? 羽純くん、うどん食べたいの? カティヤさんから美味しいアイスクリームショップを教えてもらったから買ってこようかと思ってたんだけど」 「ああ、俺もうどんよりアイスがいい」 アイスと聞いて、羽純はあっさり、さっきの奇妙な出来事を忘れた。 「羽純くん、甘いもの大好きだもんね」 「俺が買いに行こう」 立ち上がろうとした羽純を、歌菜とカティヤが止めた。 「荷物持ちのお礼だよ♪ これくらい行くって」 「そうよ、少しは休みなさい」 羽純には積極的に意地悪を言ってくるがこんな好意を示すのが気になったが、とりあえず彼は従うことにした。 「じゃあ任せた。味はなんでもいい」 待っててねー、と歌菜が去り、二人きりになったのを確認すると、まるでそれを待っていたかのようにカティヤは席を立った。 「さて……私は先に帰るわ。荷物は全部引き受けるから、夫婦仲良く初詣にでも行ってきたら? さっきの小さな神社じゃ風情もなにもないでしょ?」 「そうか」 (「そういう気遣いは出来る奴なんだよな……」) 羽純は珍しく、彼女に感謝の気持ちを抱いていた。 「すまない。礼を言う」 「羽純にお礼を言われるのは悪い気分じゃないわね」 「それは、どうも」 ここでカティヤは、はい、と言って手を出した。 「そういうことで、タクシー代」 「チッ、感心して損した……」 まあこのほうがカティヤらしい、と妙な納得もしつつ、羽純はそれなりの額を渡したのである。 「あら、多いわね?」 「釣りはお年玉だ」 ふふっ、と笑ってカティヤは鼻にかかった笑みを残すと、荷物を抱えてタクシー乗り場へ去る。さすがに重い。しかしこの重さは充実の証でもある。 タクシー待ちの列に並びながら、ふと思った。 (「いいわよね……二人で居たいと思える相手がいるって。私も今年はそういう人を見つけたいかも……」) 「なーんてね」 小声で呟く。 そのとき、とぼとぼと肩を落として歩いてくる青年の姿が眼に止まった。前掛けにはうどん屋の名前が書かれている。 (「うどん屋の店員……あれ、なにかさっき羽純が言っていたような……?」) このときタクシーが来たので、カティヤはそんなことは忘れて乗り込んだ。