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chapter.12 二日目(四時間目・恋愛) 


 一方、本校舎の方は。
 教室に戻った生徒たち、そして式部が四時間目の授業、恋愛講義を再開させていた。
「え、えーと……恋愛っていうのは色々な形があって……」
 相変わらずどもりながらではあるが、式部はそれでもどうにか授業を進めていた。少納言が別校舎で授業をしていると知り、プライドが刺激されたのも大きいだろう。
 そんな彼女に、熱い視線を送る者がいた。
「ああ、おどおどしながら講義してる先生、可愛い……!」
 ぽうっとした顔でそう呟くのは、風森 望(かぜもり・のぞみ)だった。元より幼子を好む傾向にある望は、堂々とそれを扱った作品である源氏物語の著者、式部に憧れのような念を抱いていた。
「おっと、いけないいけない。先生の授業をちゃんと聞かないと!」
 とは言いつつも、望はどうしても、緩む頬を引き締めることが出来ずにいるのだった。
「だ、だからあのー、恋敵っていうのは本当に怖くて……」
 壇上の式部は、源氏物語からどうにか場面場面を引っ張り出し、それになぞらえる形で恋愛を語っていた。今彼女が思い浮かべている場面は、六条御息所と葵の上の争いあたりだろうか。
 そんな風に四苦八苦しながら授業を展開していく式部だったが、さらに彼女に、受難は降りかかる。
 そう、問題児の登場だ。
「なぁ先生! 俺、聞きてぇことがあるんだ!」
 式部が話をしていると、挙手と同時にそんな声が上がった。式部が目を向けた先には、真っ直ぐな瞳をした鈴木 周(すずき・しゅう)がいた。
「き、聞きたいこと? な、なに?」
 式部が尋ねると、周はまったく周囲を気にすることなく、堂々とその質問を口にした。
「源氏物語のことだけどよ、アレ、肝心のエロシーンがねぇ! ねぇんだよ!!」
「え、ええっ!?」
「頼むよ先生! エロシーンの詳細を教えてくれよ! 学びてぇんだ俺は!」
 その熱意は、無駄に本物だった。式部はすっかりこのセクハラクエスチョンに困ってしまう。もっとも、周に言わせればこれはセクハラではなく立派な向学心なのだそうだが。
 そもそも彼のその向学精神とやらは、中学二年の時に始まっていた。
「なあ、周、知ってるか?」
「え、なんだよ」
「学校で今日やって源氏物語ってあるだろ。アレ、かなりエロいんだってさ」
「マジかよ!」
 友人とのそんな会話で、周は目覚めた。早速読み進めようとした周だったが、キャラの名前はろくに読めないわ、やたら長いわで何度も挫折しそうになったのだ。
 それでも持ち前のエロスに対する情熱だけで、彼はとうとう読破した。しかも現代語訳などではなく、原典をだ。しかし読み終えた周を襲ったのは、虚無感だった。
 肝心のエロシーンがなく、ベッドインしたら翌朝になってるじゃねえかと。周は泣いた。泣きながら、しこしこ……もとい、よなよな妄想にふけっていた。
 それが、つい半月ほど前のことである。
「あれは悲しかったぜ!? 数年ごしの苦労が水の泡だ! だから俺は聞きたい、聞きたいんだ!」
 気づけば周はこれまでのことを思い出したのか、目にうっすら涙を溜めていた。純粋な少年の、悲痛な叫びである。
「き、聞きたいってなにを……」
「藤壺の胸はどうだったんだ!? 貧乳か、巨乳か!? サイズは?」
 悲痛な叫びではあるが、叫んでる内容は思いっきり下世話だった。さらに周はまくし立てる。
「空蝉の尻の形はどうだったんだよ! でかかったのか? 安産型ってやつか? それともスレンダー!? あの時はどんな体位で……」
「ちょ、ちょっとまず落ち着いて……」
 むしろ泣きたいのは式部の方だったが、とりあえず彼女は周を落ち着かせた。さて、この目の前の少年の疑問に、どう答えようか。まさか藤壺のバストサイズはね、なんて話すわけにもいかない。
 式部が困り果てていると、そこに助け舟が出た。
「先生を困らせるようなことはやめるんだ!」
 優等生的な発言をして、席を立ったのはアーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)だ。その隣ではパートナーのマーカス・スタイネム(まーかす・すたいねむ)が、不思議そうな顔でそれを見ていた。
「あれ……アーヴィン、どうしたんだろ。大抵こういう時って、なにかやらかすと思ってたんだけど……」
 マーカスはいつものアーヴィンを顧みると不安でいっぱいだったが、予想に反しアーヴィンは至極真っ当にこの場を収めようとしていた。
「そんな恥ずかしい発言を、授業中にしていいと思っているのか!」
 式部を庇うかのように、委員長的ポジションから発言するアーヴィン。こういうポジションのキャラが出てくると、当然次に出てくるのは新たな問題児である。
「じゃあ、質問を変えればいいんだろ? ぜひオレは式部先生に聞きたいね。人に教えるほど恋愛経験豊富なら特にだ。先生は、一体今まで何人の男を虜にしてきたんだ?」
 式部を困らせるのが目的であるかのようにそんな質問を投げかけたのは、弥涼 総司(いすず・そうじ)だった。
「と、とりこって……!」
「どうした先生、顔が赤いぞ」
「いやちがっ、これはそのっ」
「おかしいな、先生くらいの人ならあんな恋やこんな恋もしてきたはずだろ?」
「うー、あのー、そのー……」
 すっかり返答に詰まった式部は、顔を真っ赤にし、俯いてしまった。無理もない、彼女はあくまで恋愛小説を書いた作家であり、恋愛の達人ではないのだ。
「先生をからかうのはやめるんだ!」
 すかさずアーヴィンが止めに入るが、総司は堂々と反論する。
「俺はからかってなんかいない。本気だ。俺は本気で、先生のことを知りたいんだ」
 しれっとナンパまがいの発言をする総司。これにはアーヴィンも怒りが頂点に達する……かと思いきや、彼の反応は今までと違っていた。
「あのな! 先生を知りたいのは、こっちだって同じだ!」
「え?」
 思わず隣のマーカス、そして言い争っていたはずの総司までもが素っ頓狂な声を上げる。そこでアーヴィンの目的が、うっすら見え始めた。
 さてはこいつ、式部に気に入られたがってるな、と。
 あわよくば、契約しちゃいたいくらい思ってるんじゃないかと。
 そう考えれば、先程からやたらと式部の肩を持つのも、納得がいく。そこに望も乱入し、一気に場は混乱していった。
「なんでしょう、あなたたちは。授業じゃなく先生のことばっかり。あ、ところで先生、サインもらってもいいですか? 本当にリスペクトしてるんです。特に若紫をさらうくだりとか」
「お前もかよ!」
 全員にツッコまれ、望は慌てて色紙を引っ込めた。
 式部に憧れている望、そして式部と仲良くなりたいアーヴィン。対するは、式部を困らせたい総司。そしてエロシーンを
知りたくて仕方ない周。式部は彼らを見て思った。
 もう好きにしてくれ、と。
 なんだか自分の授業だけ食いつき方がおかしいことに落胆しつつ、気を取り直し授業を再開しようとする式部だったが、
さらに授業はこの後混迷を極めていくこととなる。

「し、式部先生。私も質問していいですか……?」
 自信なさげにそう発言をしたのは、リース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)である。式部と同じようにどもりつつ言う彼女に、式部は少し親近感を感じた。何より、他の生徒たちより大分まともな気がしたのだ。
「ど、どうしたの?」
 式部が尋ねると、リースはその内に抱えていた悩みを吐き出した。
「わ、私、その、仲良くなりたい人がいるんですけど、その、私引っ込み思案で人と話すの得意じゃないし、話してる時に言葉もよくどもっちゃうから、仲良くしたい人とうまく話せなくて……」
 なるほど、そのために式部の恋愛講義に参加したというわけだ。リースは、この人ならきっと悩みを解決してくれるはずだと信じていた。
 男の人はどんなことをされたら嬉しいのか、男の人が話していて楽しい話題は何なのか。リースは、そんなことを知りたくて仕方なかった。
「デ、デートの時とか、お、男の人とど、どんな話して、ど、どういうことしたりしてるんですか!?」
 リースがそう質問すると、式部はやはり難しい顔になってしまった。デートの時と言われても、自身にデート経験がまったくといっていいほどないのだ。わかるはずがない。
「ふ、普通の話でいいんじゃない……? その日あったこととか……」
 とりあえず無難そうな答えを返してみる式部だったが、リースはそれでは満足しないようだ。
「そ、そういうのも、いいと思うんですけど、もっと、男の人の気を惹ける話とかそういうのが知りたいんです!」
「えぇー……」
 式部はもう、答える言葉が見つからなかった。そんなもの知ってれば、とっくに自分が実践してる。
「式部先生、どうして答えてくれないんですか? わ、私何か困らせるようなこと言っちゃったんでしょうか……?」
 おずおずと話すリース。困っていたのは事実だが、それをリースは、あさっての方向に勘違いしてしまった。
「……はっ! そ、そっか!」
「え、な、なに!?」
 突然閃いたとばかりに声を上げるリースに、式部は驚いた。彼女は顔を赤らめながら、式部に自分の至らなさを話す。
「れ、恋愛講座って言っても、そ、その、れ、恋愛って男の人と女の人同士だけがするものじゃないですよね!」
「……え?」
「お、男の人と同士とか、お、女の子同士とか……先生はそっちの人だったんですね!! そうですよね。わ、私、ニホンのことはあまり良く知らないんですけど、ニ、ニホンのお姫様って男の人とあんまり、あ、会えなかったって言うし、女の人ばかりのお屋敷もあったらしいですもんね!」
 かなり斜め上の反省をするリースを、式部が慌てて否定する。
「いや、違う違う! それは違うんだけどね! なんていうかそういう世界もあるけど、私はそうじゃなくてっ」
 ブンブンと手を振る式部は一刻も早くこの話題を終わらせようとするのだが、そこにあろうことか、アーヴィンが食いついてしまった。
「何っ!? それは本当ですか先生! そういえば、源氏物語も、後半は匂宮×薫を書こうとして打ち切られたとか何とかという話を聞いたことが!」
「な、何それっ、そこで聞いたのそんなの!?」
 途中まで抜群の好感度をキープしていたアーヴィンだったが、ついそっち方面の話題が出たため、乗っかってしまった。この時式部は、結構リアルに引いていた。
「そ、そんなの書くわけないでしょ」
「あれ? じゃあ夢だったのかな? 確かこんな感じで……」
 そこからアーヴィンは、あろうことか己の妄想から膨らんだ匂宮×薫の絡みを文章に書き記し始めた。

匂「お前、まだ浮舟のこと根に持ってんのかよ」
薫「根に持ってるっていうか、そういうのは困るなって思っただけで……」
匂「困る? それを言うなら、俺だって困ってんだぜ」
薫「え? なんで?」
匂「お前が、困ってるからだよ」
薫「え? え?」
匂「まだ分かんないのか? 浮舟にちょっかい出したのなんて、本気なわけないだろ」
薫「じゃあ、どうして……」
匂「……言わせんなよ。妬いてほしかったんだっての」
薫「匂宮……!」
匂「薫っ」

「ちょっ、ストップ、ストップ!」
 どこまででも書き続けそうな勢いのアーヴィンの手を、マーカスが慌てて抑えた。
「なにやってんだよもーっ! ごめんなさいごめんなさい、後で思いっきり叱っておくんで……」
 式部に平謝りするマーカスと、色々な意味で残念そうなアーヴィンを見ながら式部は思った。
 もうこれ、この人が授業すればいいのに。

 しかし、あくまで講師は式部である。
 どうにかリースの誤解を解こうと懸命に会話を試みる彼女だったが、相変わらず周はエロシーンエロシーンうるさいし、総司は総司で「オレはずっとあんたのことを見てるからな」と口説いてくるしでまったく集中できていなかった。
 とどめとばかりに彼女をからかいだしたのは、リースのパートナー、桐条 隆元(きりじょう・たかもと)だった。
「おぬし、本当に式部か? 先程から、答えられぬことばかりではないか」
「う……そ、それは」
 本物なんだけど、無理矢理恋愛の授業させられてるだけなんです。そう返したくても返せない。式部が唇を噛み締めていると、隆元はさらに式部をからかった。
「恋愛講座を開くほどだ、さぞ経験は豊富なのであろう?」
「ま、まあ……」
「では、式部殿。初めての経験などはいかがであった?」
「はじめ……え、ええええっ?」
「どうした、声を荒らげて。初めてはやはりみんな、緊張するものか?」
「い、いやあのそのほら今まだ昼だしそういうことは……」
 すっかり気が動転した式部を見て、隆元は思わず吹き出しながら言葉の真意を話した。
「んん? 何を勘違いしておる。わしは初めて手を繋いだことについて聞いておったのだが」
 にやにやと笑う隆元。
 式部は「こんな生徒ばっかり!」とついには不貞腐れだしてしまったのだった。

 その後、唯一最後まで味方らしいポジションにいてくれた望の提案で、和歌についての講義をすることとなった。正直、恋愛なんかを教えるよりよほど気が楽だ。式部はようやく、安堵の表情を浮かべた。
 そんな式部とは対照的に、小難しい顔をしていたのは望のパートナー、ノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)である。
 彼女は自分の契約者が持ち出した流れであるにも関わらず、和歌の講義にまったく馴染めずにいた。
「どうしました、お嬢様?」
「い、いえほら、わたくし、貴族は貴族ですし文学の心得もあるのですけれど、さすがに他国の古典まではちょっと……」
 どうやらノートは、和歌の理解にてこずっているようだった。
「お嬢様、五七五七七で情景とか自分の思いをまとめる、それさえ出来れば問題ないですよ?」
 望からアドバイスを受けるものの、ノートはうんうんと頭を抱えている。さらに、苦心の末にできた彼女の歌は、なんとも小学生チックなものだった。
 ――シボラまで 来てやってるのは 勉強で シボラでやる意味 ありますのかしら
「これは良い出来なのでは? さあ望、遠慮無く感想を言っていいですわよ」
「……お嬢様、せめて音は五七五七七にしてください」
 何から修正していいか分からず、望はとりあえずそれだけを言った。
 その後も、続々と生徒たちの歌はできていき、それを式部は微笑ましく眺めていた。ただ一部、周のように変な歌もあったが。ちなみに彼が詠んだ歌は、次のようなものだった。
 ――エロシーン 教えてくれよエロシーン そんでできれば 実践したい
「……」
 式部はただ、かわいそうな瞳で周を見ていた。

 そうこうしているうちに四時間目終了の鳴き声が聞こえ、ようやく式部は重責から解放された。
 ほっと一息つく彼女の元に、望が歩いてくる。
「ん? ど、どうしたの?」
「先生、これを……」
 言って、望が差し出したのは、一首の短歌だった。式部はそれを目で追う。
 ――上衣(じょうい)より 焦がれし朝日 望むるは 紫(ゆかり)のごとき わが身あさまし
 意訳するならば、「これまで思い続けた若紫から、会ったばかりの紫式部に恋焦がれてしまう自分の姿は、移り気な紫陽花の様で、浅ましさに恥じ入る想いです」といったところだろうか。
「……へえ」
 式部はもう姿が見えなくなった望が、さっきまで立っていた場所に視線を落とすと、それからその歌が書かれた紙にペンを走らせた。
 そこには、小さく赤い丸が描かれていた。