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リアクション
chapter.5 一日目(四時間目・恋愛)
ようやくお昼が近づいてきた午前十一時。
ここまでの授業はお色気にセクハラ、爆発にホラーと実にバラエティ豊かなものとなっていた。そして四時間目は、さらにそこへ新たなジャンルが加わるのだった。
「いよいよだね、式部くん。あ、いや源氏くんか」
「やっぱ私無理ほんと無理こういうの無理だと思うだって無理じゃないこれ?」
教室から一旦出たメジャーと式部は、ドアの前でそんな会話をしていた。直前になって極度の緊張を覚えていた式部だったが、メジャーは笑って彼女に言う。
「なあに、大丈夫だよ、きっとうまくいくさ! さあ四時間目を始めよう!」
いつもの軽い調子で激励を送る彼に乗せられるまま、式部は教室の扉を開けた。
同時に、彼女を目の敵にしている少納言もまた、学校付近へと舞い戻ってきていた。
「今まで見てきた感じだと、一回教えた人はもう出てこないっぽいのよね。あの首の人も見当たらないし、たぶん大丈夫……」
言い聞かせるように呟きながら、窓から中を窺う。すると幸か不幸か、そこには今まさに授業を始めようとしている式部の姿があった。
「根暗女! あいつ、あたしを差し置いて何偉そうに人にもの教えようとしてんのよ……!」
少納言はぷるぷると体を震わせると、今度は懐から自身の著書、「枕草子」を取り出した。一体彼女は、何をするつもりなのだろうか。
◇
「え、えー、みなさん。はじめまして。紫式部……じゃなかった、光源氏です。どういうことか分かんないけど、恋愛について授業することになったので、よ、よろしく……」
それが、生徒たちの前に出た式部の第一声だった。ぺこっとお辞儀をして顔を上げると、早速質問が飛んできた。
「恋愛の授業とは、具体的に何を?」
そう問いかけたのは、遠藤 聖夜(えんどう・のえる)だった。受講生として部族たちと共に授業を受けていた聖夜は、これからどんな講義が行われるか、単純に聞いてみたかった。
が、恋愛経験の少ない式部は早速言葉が止まってしまう。元々、恋愛という科目は彼女には荷が重すぎた。
「な、何をっていやあのその……えーっと……」
式部の目は、激しく泳いでいた。その彼女に助け舟を出したのは、小野 小町(おのの・こまち)。聖夜のパートナーであり、式部と同じ平安時代を生きた歌人である。だが今の彼女は、幼い外見とクールな雰囲気を持った少女となっていた。
「私を差し置いて恋愛講義なんてするから、そうなってしまうんですわよ? 私が助手として、お手伝いしてあげますわ」
「えっ?」
式部は小町を見る。彼女は自分が小野小町の英霊であることを名乗ると、式部の隣に立つ。式部は表にこそ出さなかったものの、ほっと胸をなでおろした。
正直、自分ひとりで恋愛のいろはを教えるのは無理に等しい。何よりひとりだと心細い。人数が増え、しかもそれがあの絶世の美女と名高かった小町であれば式部がそう思うのも当然であろう。
「あ、ありがとう……」
式部の礼に頷いた小町は、とりあえず聖夜の質問に答えることにした。
「この光源氏さんは、数々の女性と激しい恋をなさったお方ですわ。ですので、その多くの恋の中で培った上手な恋の方法や、恋に困った時の対処法などを教えてくださるのですわ」
「なるほど」
すらすらと口から言葉を紡いでいく小町は、ちらりと式部の方に目をやった。彼女が「式部」ではなく「源氏」と紹介したのは、わざとだろう。あえて彼女が源氏ではないと察しつつも、付き合っているのだ。が。
「ちょ、ちょっと……」
式部は、やや困惑していた。先程の小町の言い方だと、どうもハードルがやけに上がった気がしたのだ。私は、上手な恋の方法も恋に困った時の対処法も知らない。
その時である。アクシデントとは重なるものなのか、教室の外から不意に大きな声が聞こえてきた。式部がちらりと覗き見ると、そこにはなんと、大声で自身の著書を読んでいる少納言の姿があった。
「春はーあけぼのっ!!! よーよー白くなりゆく山際ー!!!」
まるで体育祭の応援合戦さながらのボリュームで叫ぶ少納言を見て、生徒たちはがっかりした。
これでは、うるさくて授業が出来ないと。そしてそれは当然、少納言の狙い通りだった。
「あんたなんかに授業させてたまるかっつーの! 少しあかりてー! 紫だちたるー!!」
「う、うるさくてこっちの声が聞こえないですわ……」
小町もこれには参ったのか、耳をふさぎながら溜め息を吐く。しかし肝心の式部はといえば、正直少しほっとしていた。
あれ? これで授業しなくてもいいんじゃないの? とこっそり思っていたのだ。
だが、生徒たちは式部らの講義が聞きたいのだ。そこで元々彼女の授業を受けようと思っていた者たちの一部が、少納言対策に乗り出した。
その中のひとり、琳 鳳明(りん・ほうめい)は少納言の姿を見るやいなや、彼女に声をかけた。
「あ、もしかしてあなたが清少納言さんですか!?」
「え? そうだけど、あたしのこと知ってんだ。へえ」
満更でもなさそうな顔で答える彼女に、鳳明は話す。
「源氏さんに、小町さん、それに少納言さん……恋愛のエキスパートがこの教室にこんなにたくさん集まってくれるなんて、嬉しいですっ! ぜひ私に、色々教えてください!」
三人の平安人を見回し、目を輝かせる鳳明。どうやら彼女は、今誰かに恋をしている真っ最中なようだ。自ら恋愛指南書とやらを持参してこの授業に臨むほど、その気持の入れようは本物だった。
「色々って、何ですの?」
少納言に出番を取られてはかなわないと、小町が鳳明に尋ねる。すると彼女は、指南書をぺらぺらとめくり、該当のページを指差した。
「ここに、『いい雰囲気をつくりだし、きせーじじつを作ってしまえば、後は野となれ山となれ。結婚まで一直線です』って書いてるんですけど、いい雰囲気ってどういうものか教えてほしいんです!」
「ていうかこの本ちょっと書いてることが……既成事実って」
本を覗いた式部が、引き気味に言った。まあお前の書いた本も大概だろという話だが。
「既成事実って、なんか変な意味なんですか? 私中国出身だから、まだ難しい日本語が分からないんです」
「おそらくですけれど、そこは知らなくても良い部分ですわ」
小町が答えると、鳳明は「そうなんですね……」と納得しつつ、さっきの質問を再度口にした。
「いい雰囲気って曖昧だから、実際どんな雰囲気のことを言うのか知りたいんですっ。ここはぜひ、イイ男代表な源氏さん、男の人にモテすぎて困るって評判の少納言さん、そして絶世の美女と言われている小町さんの三人に実演をお願いできれば!」
「できれば、って気軽に言うけどそんなの……」
式部が断ろうとするが、鳳明の顔は無邪気な期待に満ちていた。
「そんなの朝飯前ですかっ!? すごい、さすがお三方! 恋愛に一点の妥協も許さない皆さんならではの、『いい雰囲気』をよろしくお願いします!」
完全なる無茶ぶりだが、鳳明にもちろん悪気はない。彼女は純粋に、目の前の平安歌人たちを敬い、実演するところを見たかっただけなのだ。
が、当の三人はすっかり困ってしまっていた。
「ちょっと根暗女! あんたが恋愛授業とかやるから、いと意味わかりがたしことになってるじゃない! どうしてくれんの!?」
「わ、私に言わないでよ……あなたが勝手に乱入してきたのも悪いと思うんだけど」
「どうやらこうなった以上は、やるしかないようですわね」
腹をくくったのか、三人は鳳明のリクエストに応えようとそれっぽい芝居をしてみせた。
「とりあえず、根暗女、あんた一番女として魅力ないんだから、男役やりなさいよ」
「み、魅力ないって失礼ね……いやでもまあ、源氏だから。男役とかそういうことじゃなくて、私源氏だから」
「となると、三角関係ですわね」
配役が決まり、彼女たちは鳳明や生徒たちの前でやり取りを始めた。
「今日の歌会は、とても楽しかったですわね」
「そ、そうだね、うん」
「源氏様、この後のご予定は? もしお手すきでしたら……」
「ちょっと待ちなさいよ、何源氏の君を誘おうとしてんの? この後はあたしといとなまめかしき情事を」
「ま、まあはしたない。源氏様、かようなおなごではなく私と」
「うん……あの……ええーっと……」
「だーからー、この人はあたしと楽しいことするんだから邪魔を……ってなんだこれ!!」
突然、少納言が両手をあげ素に戻った。どうやらお怒りの様子だ。
「あれ、お芝居は」
「するかっ! ていうかなんで根暗女が嫌いなあたしがこいつのこと好いてる真似しなきゃなんないのよ! しかもこいつ、さっきからどもってばっかだし! いとどもりし!」
少納言がわめき散らしたことで、これ以上お芝居を続けることは不可能となってしまった。結局鳳明の知りたかった「いい雰囲気」とはまったく逆の雰囲気しか出来上がらかったのであった。
相変わらずわめく少納言と、うっとうしそうな目でそれを見る式部。もっと授業をして楽しみたい小町。三人の意図は、いまだバラバラであった。
そこに割って入ったのは、なんとこれまた平安時代に関係する人物だった。
「そなたたち、平安時代とはもっと穏やかな文化であり時代でござるよ」
そう言ったのは、滋岳川人著 世要動静経(しげおかのかわひとちょ・せかいどうせいきょう)。魔道書である世要動静経は、その時代に書かれた書物なのだった。
「ああ、行っちゃったか世要……ああなったからには止まらないだろうし、平穏無事に済むようにだけはしないとな」
すっかり平安ムードへとなった教室の座席で、そう呟いたのは、世要動静経の契約者である大岡 永谷(おおおか・とと)だ。永谷はそう言った後、すっと彼女たちのいる方――教室の前の方へと歩き出した。
ちなみに永谷は、なぜか巫女の姿である。平安っぽさに合わせてのことだろうか。歩き方も、本職のそれらしくすり足で音を立てない歩き方だった。なんという芸の細かさだろうか。
「世要、あまり争いごとになるようなことは……」
後ろからそっと声をかけようとする永谷だったが、世要動静経は気づいているのかいないのか、永谷の願いを無視するように平安トークを展開していった。
「実際の平安時代でも確かに、和泉式部のような奔放なことは好まれたでござる。ただ、奔放の意味を履き違えてはならないでござるよ。どこぞの好色おっさん好き腐女子や陰険ババアは、特異であるから目立っただけということを忘れてはならないでござる」
「あ、あぁー……」
やっちゃった。永谷は思わず目をつむった。前半部分はまだしも、後半部分が完全に悪口である。当然、言われたふたりは黙ってはいない。
「ちょっと何よあんた! いきなり出てきて好き放題言っちゃって! いとムカつきし!」
「腐女子って……マイナー誌のくせに……」
興奮するふたりとは対照的に、小町は冷静に世要動静経に対処した。まあ、ひとりだけ悪口を言われていなかったのが大きいだろう。
「ふたりとも、落ち着いてほしいですわ。わざわざ出てきたからには、きっとこの方も何か教えたいことがあると思いますわよ」
小町に話をふられた世要動静経は、待っていたとばかりにその内容を話す。
「奔放が好まれたとはさっき話した通りでござる。そこでわらわは、房中術を中心に教えたいでござる」
「ぼ、房中術って……俺もう知らないぞ」
房中術。平たく言えば、アダルティなことに関する技のあれこれだ。永谷は意味を知っていただけに余計に恥ずかしかった。
「ちょっ、何言ってんのよいきいなり!」
「ちょうどいい機会でござるから、プレイボーイだと妄想している式部と行かず後家の少納言もわらわのためになる授業を聞くでござるよ」
「聞くかー!!」
少納言が枕草子で思い切り引っ叩くと、世要動静経はそのまま窓を突き破ってすっ飛んでいった。
すっかり賑やかになった教室内で、式部と少納言は依然変わらず揉めていた。
妨害してきて、授業が中止になるならそれはそれで構わないが、好き放題言われたままではプライドが傷つく式部と、とにかく式部を目の敵にしている少納言。
平行線をたどるふたりの争いを終わらせるべく、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)はふたりにある提案を投げかけた。
「このままでは埒があかないと思います。そこでどうでしょう、おふたりに、歌を詠んでもらうというのは」
「歌?」
「はい。日本には和歌という素晴らしい文化があり、せっかくこの場に著名な歌人が揃ってらっしゃるのです。同じお題で歌を詠み、それをここにいるシボラの皆さんにどちらが良かったか判定してもらっては?」
「まあ、いいけど……」
「あたしがこんな根暗女に負けるわけないじゃない!」
祥子の提案を、ふたりが同時に呑んだ。彼女はそれを見て、にっこりと笑ってお題を出す。
「ではお題です……そうですね、『シボラ』『べべキンゾ族』『パパリコーレ族』のいずれかひとつでどうでしょう。あ、シボラは自然の多い土地ですし、『自然』でも構いませんよ」
それを聞いたふたりは、同時に脳を回転させ歌を考え出した。祥子はその間に、生徒たちへ和歌について説明をする。
「聞いての通りです。これから皆さんには、どちらの歌が好ましく感じたか、判定をしてもらいます。和歌についてもう少し説明をしますね」
祥子がすらすらと和歌の決まりごとなどを話していく。
この流れは、彼女が描いた通りのものだった。
原始的な生活をするシボラの原住民に、文化を――それも和歌という文化を教えようと思ったまでは良いが、うまく伝える自信まではなかった。
そこで祥子は、少納言が乱入してきたのをこれ幸いと、歌詠み対決をさせる流れに持っていったのだ。日本有数の歌人として名を残した式部と、一時代における美的理念を成立させた少納言。
このふたりが歌を詠み合えば、シボラの生徒たちにとっても面白い授業になるだろうと思ってのことだった。
祥子が和歌のことを一通り話し終えた時、ちょうどふたりが「できた」と手を上げた。
「では、そうですね……まずは、式部さんからどうぞ」
「え、選んだお題は『ベベキンゾ』で」
言ってから、式部が短歌を詠んだ。
「脱いでまた着る日まれなる暮らしのうち やがてまぎるる恥となりいて」
それは、自身が源氏物語の中で詠ませた歌のセルフカバーであった。意味としては、「今脱いでいる服、それを着る日は稀でしょう。そんな生活の中でそのまま紛れ込んで消えてしまいそうな羞恥心です」といったところだろうか。
正直生徒たちに意味はそこまで伝わっていないだろうが、なんとなくうまいことやったんだな、的なものは理解されていた。
「ふんっ、相変わらず辛気臭い歌! あたしの歌も聞けっつーの! パパリコーレで詠んだから!」
次は、少納言の番だった。彼女が詠んだ歌は、式部とは対照的に清々しいものだった。
「マジおしゃれ何その格好その衣服 どこで買ったのいと気になりし」
たぶんまったくうまいこと詠んではいないのだが、分かりやすさという点では式部よりも優っていた。
「な、なにそれ……真面目に詠んでるの?」
「馬鹿にすんなし! いとムカつきし!」
「え、ちょ、ちょっと……」
生徒たちの判定を待つ前に、喧嘩を始めてしまった式部と少納言。慌てて止めに入る祥子だったが、もうふたりは判定などどうでもよくなっていた。
「あのですね、これは勝ち負けというより歌の素晴らしさを知ってもらうということが目的で……」
「脳天気女!」
「根暗女!」
ふたりの罵り合いは、授業終了の鳴き声が聞こえるまで続いたという。
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