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第二章:金鋭峰、建設する。


「役員の皆様、お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございますぅ。わたくし、この山場建設の筆頭株主の娘のサオリ・ナガオ(さおり・ながお)でございますぅ。御覧の通り、委任状もございますぅ」
 山場建設役員会議室。役員会の行われるこの部屋では、臨時会議が招集され全ての役員が集まり緊張した面持ちで事態の推移を見守っていた。 
 この山場建設の筆頭株主の娘が父親からの依頼で会社の様子を見にやってきたのである。
 ご機嫌を損ねては大変と、大石社長は媚を売った笑みを浮かべる。ここで筆頭株主に気に入られておけばこの後の展開も有利に進むのではなかろうかとの考えらしい。
「山場建設は従業員一同、日々業務に邁進してございますよ、ハイ」
 そんな彼をサオリは目を細めて見やって、柔らかな口調で言う。
「業績が芳しくないようですねぇ。パパのお話ではぁ、今年度決算で大幅な赤字を計上し、株価が低迷する事態となれば、臨時株主総会を開いて経営陣の責任を厳しく追及する……という事だそうですぅ」
「もちろん、業績改善のために日々努力を繰り返しておりますが、何しろ社内の和を乱す者がおりまして」
 大石は、山場会長と設楽専務に視線をやる。
「損失も、この二人が作り出したものが多くございます。勿論対応を考えておりますが」
「パパのお話ではぁ、それが事実なら、山場さんを解任して大石さんを会長にするというのも一つの手だが、それには他の株主も納得するだけの証拠が必要だ……という事だそうですぅ」
 サオリは伝える。会長解任を株主総会に認めさせたければ、現会長が不正等を犯しているという証拠を見つける事だ、とほのめかしているのは分った。大石は、ごくりと喉を鳴らしながら何か企む目つきになる。
「それから、監査役を紹介しておきますぅ。これもパパの意向ですぅ」
 サオリの紹介で部屋に入ってきたのは、彼女のパートナーの藤原 時平(ふじわらの・ときひら)であった。監査役とは役員を監視し監査する役職である。役員たちにとってはいやな存在なので、監査役を置かない会社も多い。厄介な人物が来た、と大石も眉をひそめた。が、商法上認められているので拒否はできない。
「藤原時平でおじゃる。なに、形だけでおじゃるゆえ、安心されよ」
 時平は役員たちを見まわし、ニンマリと笑みを浮かべた。
「パパのお話ではぁ、株主の信頼を裏切った役員とその協力者は、特別背任罪での刑事告訴と株主代表訴訟による民事上の責任追及の対象となる。役員諸氏には、その点をよく考えて、次の役員会において最善の行動をとって頂きたい……という事だそうですぅ」
 サユリは時平とともに、しばらく滞在する旨を伝え役員会を締めくくる。
「わ、わかりました。最善を尽くしましょう」
 大石は、もう時間がないことを悟った。もたもたしていたら、自分が責任を追及されるかもしれない。次の役員会で設楽専務だけではなく山場会長も解任してやろう、と考えていた。
 臨時会議は不穏な空気を残したまま終わった……。



 一方、その臨時会議を前後して。
「初めまして、大石社長。私、此の度アメリカより招聘されました企業コンサルティングアドバイザーのステラ・ウォルコットです。宜しくお願いします」
 この山場建設にローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が潜入するためにやってきたのは、金ちゃんたちがサラリーマンを始めてから数日後のことだった。
 葦原明倫館隠密科で培った特殊メイク技術で作ったフェイスマスク『スパイマスクα』を装着して軽く化粧を施し、顔を赤毛で垂れ目ながら優しげで知的そうな眼鏡をかけた色白の女性へと変身したローザマリアは、どこからどう見ても海外のバリバリキャリアウーマン、ステラ・ウォルコットであった。
 従って、大石社長も「オゥ! ハウドゥーユードゥー」とかわざとらしい英語で対応しながら社長室に招き入れてくれる。資金の運用についての案内という名目でやってきたのだが、ここまであっさりだと拍子抜けだ。かなり興味があるらしい。
「日本語で大丈夫ですわ、大石社長。十分にたしなんでおりますので」
 ローザマリアはクスリと上品に微笑んでから、秘書が運んできたお茶には目もくれずに、大石が腰掛けている机にもたれかかった。アメリカ人らしいフリーダムな所作でビジネスの話を始める。ちなみに、大石はソファーだ。美しいレディ・ステラと向かい合っての対面を期待していた大石は、ちょっとガッカリ気味の表情になった。
「実は私、元はボストンの弁護士事務所に籍を置いていた弁護士でして。アメリカ財務省……」
「なにか?」
 ローザマリアが怪訝な表情でいきなり言葉をとめたので、大石は首をかしげる。
「ちょっと失礼……」
 ローザマリアは、眉間に皺を寄せ何かを探すようにあたりに視線を配っていたが、やがて大石のデスクの下から盗聴器を発見する。
「社長……こんなものが……」
「……なんと!?」
 それが何なのか、大石もわかったらしい。驚いた目でローザマリアを見つめた。が、やがて白状する口調で話し始めた。
「うむ……申し訳ない、レディ・ステラ。お恥ずかしながら、今我が社は派閥抗争などがありましてな。きっと敵対する側が仕掛けたものに違いない。お気を悪くされたらお詫びする」
「あら、気になさらないでください社長。私弁護士ですもの。派閥抗争くらい日常茶飯事ですわ」
 ローザマリアはフランクに言うが、実のところこれはパートナーのエシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)が仕掛けたものだった。エシクは、ローザマリアの影にこっそりと隠れながらこの部屋に入ってきていて、ローザマリアがデスクにもたれかかった時にデスクの影に隠れ仕掛けたものだ。社長室を盗聴しようとする目的なのではなく、発見させることによって信頼を得ようとの考え。こんなに簡単にいくとは思わなかったが、それは入り口のところに立っている社長の護衛のはずの関羽が全く役に立たず素通りさせてくれたからだ。
「……」
 エノクはらしくもなく、デスクの影でわずかに汗をかいている。その関羽がじっとこっちを見ているのだ。しかもスーツを着ていた。何事だ……と突っ込みを入れたくなるのを我慢する。
 どうやら、さまざまな思惑が入り乱れ、関羽が社長の護衛をすることになったらしいが、さすがに何かあっても彼を排除するのは不可能といっていい。まあ敵ではないだろうけど頼むから動かないでほしいと念じていると、ローザマリアが今度は社長の椅子に遠慮なく腰掛けて話を続ける。
「アメリカ財務省の大物から委託されて資金洗浄に関する事件を主に扱っておりましたの。とはいえ、私は使い走りみたいなものでしたが」
「ほう……、それはそれは……」
 大石は、そんなローザマリアたちの事情も知らずに、重々しくうなずく。その後、デスクのローザマリアから視線を外し、正面に戻した。
「それで、こちらの方が……?」
「ジョージ・スチュワートと申します、社長。英老舗保険会社役員を勤めておりましてな。何がしかのお役に立てるかと」
 これまでほぼ無視状態だったのは、髭も剃り落し髪を撫で付けパリッとスーツをまとったホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)であった。大石がステラばかり見ていたからだ。
 ホレーショは、構わず続ける。
「こう大きな企業ですと、業務も膨大でさぞや大変でしょう。そんな訳でミス・ステラの助っ人として私が此処に呼ばれたのですよ」
「だが、残念ながらうちは古くから付き合いのある保険会社がすでにあってな。今から外資の保険会社を使うとなると……どうだろうかな……?」
 大石は何かを期待するような口調で言った。要するに、参入したかったら袖の下をよこせといいたいらしい。
 ホレーショはおどけた表情で肩をすくめて見せた。ノーではなくイエスだ。イギリス紳士ははっきりとは口にしないものだ。大石もそれを察したらしい、ニヤリと笑う。
「やはり問題なのは、調査員の質だな。失礼ながら、御社は……?」
「もちろん、“優秀”なのが揃っておりますよ、社長」
 ここで大石の求める優秀とは、本当の優秀ではない。どれだけ調査がザルで保険金を下ろしてくれるか、ということだ。ホレーショもわかっているとばかりに返答した。
「弊社の損害保険はさまざまな角度からご検討いただけます。失礼ながら、御社は現在テロの被害に苦しんでおられるとか……。一度査定してみてはいかがでしょうか」
「うむ……そうだな……」
 意外なことに、保険金のほうに食いついてきたらしい。ありもしない事故で保険金が下りるかどうか、書類をどこまでごまかしてくれるのか……大石はそんな事を遠まわしに尋ねてくる。資金洗浄の提案をしようとしていたローザマリアは置いてけぼりになる。
「……」
 関羽がじっとこっちを見ている。もちろん味方、少なくとも無干渉なんだろうが、これだけ見つめられると、いつ社長がその視線に気づくか少々不安になる。訝しがられなければいいが……。そんな彼女をほうっておいて、話はどんどん進んでいく。あえて口は挟まない。
 地下の駐車場では、パートナーのグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が会話を録音し分析しているところだろう。テロリストと組んでの損害保険金詐欺。書類さえそろえれば、かなり面白い結果になるのではなかろうか……。
「ところで社長、失礼ながら先ほどの盗聴器ですが……」 
 ホレーショは、話のついでに助言する。
「出入りの清掃業者を雇い検察・特捜部が仕掛けさせた物で、派閥内の役員・社員の中にも捜査当局のパトロンが居ると小耳に挟んでおりますが……、大丈夫ですな?」
「私も注意は払っているが、なかなか敵をつかめないのが実情で……」
 大石のそんなせりふにホレーショは微笑んだ。
「お節介かもしれませんが、万一のときも考えてミス・ステラを顧問弁護士に雇われてはいかがですかな? 派閥抗争には強いですぞ……」
 これで、ローザマリアはしばらく社内を調査できそうだった……。