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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

リアクション

第三章


「どこまで歩けば良いのかしら……」
 壁に手をつき、不安げにシェリエ・ディオニウス(しぇりえ・でぃおにうす)は呟いた。
「どう考えても、こんなに広いわけないのにね。もー、くたびれちゃうよー!」
 パフューム・ディオニウス(ぱふゅーむ・でぃおにうす)が同意し、頬を膨らませる。
「がんばろうよ、パフューム」
 彼女の背後から、半ばしがみつくような体勢で、アニス・パラス(あにす・ぱらす)がそう励ました。若干小声なのは、この場に、見知らぬ人間もいるからだ。
「方向は、あっていると思うのですが」
 感覚を研ぎ澄ませつつ、瑞江 響(みずえ・ひびき)が言う。
「案内をしてくださって、どうもありがとうございますわ」
「い、いえ。こちらも……頼みたいことが、ありますから」
 匂うような色気を振りまくトレーネ・ディオニウス(とれーね・でぃおにうす)に、丁寧に対応しつつも、やはりどうにも苦手意識が先にたってしまい、響の返答はぎこちなかった。
「頼みたいこと?」
「ああ。トレーネたちなら、わかるんじゃないかってさ」
 本来は響が尋ねるところだが、かわりに間にわってはいったのはアイザック・スコット(あいざっく・すこっと)だった。
「この笛の音が、レモを操ってるとして……取り上げれば、レモは戻るのか?」
「たぶん、だけど。そのはずよ」
 シェリエが答える。
「たぶん、か。それなら……それでも元に戻らない場合、対策はあるのか?」
「それは……」
 シェリエがやや言葉につまる。
「それは、お前たちの仕事だろう」
 佐野 和輝(さの・かずき)が、そう言い捨てた。
「レモといったっけ? 身の上には同情するが、俺――俺達の目的はフルートを手に入れることだからな。なに、大怪我したところで、そいつを思ってる奴らが助けてくれるさ」
「…………」
 つまりそれは、『フルートを手にするためなら、レモを傷つけることもある』と、和輝は言い切っているということだ。
「俺はレモを元に戻したいし、可能な限り三姉妹にも協力したい。だから、そのための方法を探りたいんだ」
 沈黙の後、響はきっぱりと、和輝に答えた。
「そうか。……そうやって思ってくれる存在がいるのは、良いことさ」
 和輝は、皮肉な笑みを口元に浮かべる。
 正直、和輝にとっては、レモなどどうでもいい。それに比べたら、三姉妹は、楽器の情報を提供しているお得意さんだ。もしも三姉妹になにかあって、得意先が減るのは困る。
(それだけだからな。別に、パフュームはまだ子供だし、姉たちにしてもいわゆる「後衛職」だから、三人だけでは不安だ。その、別に傷つくのが心配てわけじゃ……って、誰に言い訳をしてるんだ俺は?)
 自問自答しつつ、和輝は小さくこほんと咳払いをした。
「大丈夫ですわ」
 おっとりとした口調ながら、はっきりとトレーネは言い切った。
「正しい音色ならば、わたくしが知っています。ですから……ご協力をして、くださいませ」
 響が、いくらか緊張を和らげる。
「それならば、ありがたい、です」
「ねー、でもこの音、今はお化け屋敷みたいだよ。あ、そう思えばいいのかな!」
 パフュームが、名案を思いついた! とばかりに、アニスに笑いかける。
「お化け屋敷? それって、楽しいの?」
「楽しいよ〜。こう、わーーっ!って!」
 パフュームが突如ぎゅっとアニスを抱きしめ、アニスは「にゃは〜っ!」と声をあげた。
「パフューム!」
 遊びに来てるんじゃないのよ、とシェリエはたしなめるが、二人はきいていない様子だ。きゃっきゃと笑う二人に、和輝は先ほどまでの皮肉な笑みのかわりに、もっと慈愛に満ちた眼差しをむける。
 それをちらりと見やり、アイザックは思う。
 誰しも、自分にとって大切なものがある。アイザックには、それは、響なのだけれども。
 それを守りたいと、そう思うことが……なによりの力なのかもしれない。
 ただし……。
(レモを殺されるのは、困るけどな)
 なによりそんなことになれば、きっと、響が傷つく。自分がその手引きをしてしまったと、己を責めるだろう。
 引き続き、ホールへと続く道を探りながら、アイザックは和輝に対してもさりげなく注意を払うことに決めたのだった。

 そのとき。
 ひときわ、笛の音が大きくなった。
 まるで、邪魔者の侵入者達に、怒りをあらわにしたかのように。
「な、なに!?」
 オペラハウスが震え、……亡霊達が、その姿をあらわにする。
「きゃー!!」
 悲鳴をあげたパフュームをかばうように、和輝が立ちはだかる。
「そう簡単には、いかないってことか」
 小さく呟き、彼は目を細めて得物を構えた。



 オペラハウス、玄関ホール付近。
 そこでは、一端活路を開いた者達が、今度はそれ以上内部にアンデッドが入り込まないよう、防衛ラインとして戦いを続けていた。
 どんちゃん騒ぎは、ようやく静まったようだが、かわりに。
「……フルート?」
 あの禍々しい笛の音が、外にまで朗々と響き渡りはじめた。
「何なのこの音! ゾディ、すばる!」
 嫌な予感を覚え、ヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)は背後で戦っているアルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)と、六連 すばる(むづら・すばる)に目を向ける。
 すると。
「マスター?」
「…………」
 先ほどまで、果敢な戦いを見せていたアルテッツァの動きが、止まっている。その緑の瞳はじっと空を見つめ、微動だにしない。
「どうしたのですか!?」
 飛んできたスケルトンからの鉄矢から、アルテッツァを庇いつつ、すばるは必死で彼を見上げた。だが、そんなすばるの声にも、アルテッツァは答えようとしない。
「ゾディ、しっかりなさいよ!」
 レクイエムもまた、そう声をかけるが、反応は同じだ。
「ふふ、苦しんでる苦しんでる」
 一人、上空から高みの見物を決め込んでいるパピリオ・マグダレーナ(ぱぴりお・まぐだれえな)が、満足げな笑みを可憐な口元に浮かべる。
 パピリオには、この笛の音が、人を惑わせる類いのものだと直感的にわかっていた。そしてそれは、か弱い魂を痛めつけることも。
「……はーやく魂手に入らないかな〜?」
 プレゼントを待つ幼子のように、パピリオは期待に満ちた眼差しをむけた。
「なにがいるんですか? 一体、何が……」
 踏み荒らされ、折れた薔薇の垣根の片隅から、アルテッツァの視線はぶれない。その先を同じようにすばるも見つめるが、彼女にはただ、荒れ果てた薔薇園があるばかりだ。
 オペラハウスの内部であれば、見えたかもしれない。だがさすがにここでは、その幻――己自身の姿は、アルテッツァ一人にしか感知できなかった。
 『それ』は、アルテッツァの、十八才頃の姿をしていた。かつて、旅芸人の楽士であったころの。アルテッツァが、まだ、……深い傷を心に負う、その、前の。
 青年は、微笑んでいた。その瞳には、ただ、希望だけがあった。
『フィドルは、今も弾いてる?』
「たまには……演奏していますよ」
 アルテッツァの唇が動く。
「ゾディ、誰と話してるの?」
 再び、幻が問いかける。
『好きな人とは、今、一緒にいる?』 
「…………」
 それは、アルテッツァにとって、答えることはできない問いだった。
(ボクは……彼女は……何故、何故ボクはこのようなことになって……)
 目の前が歪む。吐き気がする。地面が頼りなく揺れ、立っていることすらままならない。
 崩れる。足場ではない、……アルテッツァ、自身が。
 しかし。
「マスター!!」
 アルテッツァを抱きしめ、崩れそうな自我を支えたのは、すばるの細い両腕だった。慈悲と僥倖の力が、アルテッツァを包み込む。
「アンタが死んだらアタシも死ぬのよ、ゾディ、分かってる? ……それはそうとぱぴりお、そんなところで見物してないで助けたらどうなの? アンタのやりたいことは分かっているわ、ゾディの命を奪うことでしょ?」
「……あら、魔導書、気がついちゃった?」
「そんなこと、アタシがさせないわよ! ……丁度浮いてるから【天のいかづち】喰らっとく?」
 そうパピリオをにらみあげるレクイエムの目は、本気だった。
「しょーがないなぁ、……ちぇー、残念」
 パピリオは渋々ながら、黒い計画はあきらめたようだ。
 一方、アルテッツァは、混乱からは逃れたようだが、気絶したままだ。
 そのため三人は、一端、戦線を離脱することにした。


 一度は押し切ったと思えた戦況だが、浅く見えた沼の底がぬかるんだ泥だったかのように、思わぬ長期戦を強いられている。
「……もうやだ」
 ぽつりと、箱岩 清治(はこいわ・せいじ)が呟いた。
 三井 静(みつい・せい)らとともに、後方支援を勤めていたが、それもそろそろ体力の限界だった。
 スキルもまだ使い慣れていない。冷や汗で身体がべたべたするのも、不快きわまりなかった。
(アンデッドたちはいつまでわいてくるの? いつになったら終わるの?)
 本当は、こんなこと、どうだっていいのに。
 だけど、新入生の自分は、参加しなくてはいろいろと後で困るだろう。そう思ったから、来たにすぎない。
「大丈夫か?」
 ついにぶらりと両手を下げた清治を見とがめ、ルドルフが尋ねる。だが、今はそんな言葉すら、うすっぺらなものとしか清治には感じられなかった。
「僕みたいなひよっこまで駆り出すなんて、よほど切羽詰まってるんだね」
 皮肉な口調で言うと、清治は鼻で笑って続ける。
「そんなにレモって子は大事にされてるんだ。まるでお姫様みたい」
「清治様」
 シエロ・アスル(しえろ・あする)が、そっと清治をたしなめる。だが、ルドルフは首を横に振って、『かまわないよ』とシエロに目で応えた。
「そうだな。確かに、彼は大事な生徒だよ。けど、それは君も同じことだ」
 ルドルフはそう言うと、ぽんと清治の肩に手をおいた。
「やめてよ。僕のことなんて何もわからないくせに!」
 その手を払いのけ、清治はルドルフに八つ当たりをする。
「どうせ僕なんか、日本人なのにこんな肌の色だしさ、不気味だって思ってるんでしょ。レモは白くて綺麗だもんね。だからって、こんなことに巻き込まれて、本当にいい迷惑だよ!」
「清治様、お言葉がすぎます」
 あくまで優しく、シエロは清治を押しとどめようとする。こんな時に頭ごなしにしかりつけても、逆効果だとわかっているからだ。
 すると、ルドルフは答えた。
「疲れたのなら、休みなさい。無理をする必要はないんだよ」
「そんなこと言ったって、後でサボったって言うんでしょ」
「……なぁ。どうして君はそんなに、ハリネズミみたいになってるのかな。可愛いらしいけども、そう言う君のほうが、痛そうに見えるよ」
「…………」
 清治は咄嗟に黙る。そんな清治に、ルドルフは微笑むと、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)に彼を休ませるように頼んだ。そして、振り返ると。
「それと……ジェイダス様と同じ肌の色を、僕が不気味だと思うはずがないだろ? むしろ、とても綺麗だと思うよ」
 そう言い残し、ルドルフは他の生徒たちの様子を見に立ち去った。
「清治様。お言葉に甘えて、少しお休みになりましょう」
「……かっこつけて。嘘ばっかり」
 清治はそう皮肉に呟き、しかし、ぎゅっとその手を握りしめていた。
「そうかな」
 そう、口を挟んだのは、案内を頼まれたヴィナだった。
「ルドルフ校長は、嘘をつく人ではないよ」
「…………」
 信頼をたたえた瞳でそう言い切られ、ますます清治は、やるせなさげに顔をしかめた。


 不気味な笛の音は、未だ鳴り止まない。