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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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第四章


 一度は途切れたその笛を、再びとりつかれたようにレモは唇に寄せる。
「やめろ、レモ!!」
 強くリア・レオニス(りあ・れおにす)が叫ぶが、レモの耳には届かない。再びあの音色が、ホールに響き渡った。
「レモさん、僕達の声が聞こえる!?」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)はそう呼びかけ、清浄化を試みる。だが、フルートの音は止まらない。……けれども。
「……レモさん」
 微かに。ほんの微かに、『超感覚』で出現した耳に、レモの声が聞こえた気がした。傍らでオオカミの姿をとっている白銀 昶(しろがね・あきら)にも、それは聞こえたようだ。互いに頷き、さらに二人は、レモの封じられた声に意識を集中させた。
 だが、笛の音に呼び集められ、一度は消えた幽鬼たちが再びその姿を現す。ホールの客席を埋め尽くすほどの、大群だ。それが、ある者は観客席をなぎ倒し、ある者は宙を滑るようにして、生徒達に迫る。
「一カ所に集まるのだよ!」
 リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が、鋭く声をあげた。
「こっちに!」
 レモと正面に対峙する、最も観客席の奥で、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が手をあげる。協力者や、他の生徒たちも、一端はそこに寄り集まったほうが、防衛には向いているだろう。
「大丈夫?」
 傷ついたグラキエスに、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が素早く治癒魔法をかける。意識は未だ戻らないが、流れていた血は止まり、顔色もややマシになったようだ。
 ある程度生徒たちが集まったところで、リリが叫ぶ。
「来たれ、ロードニオン・ヒュパスピスタイ(薔薇の盾騎士団)よっ!」
 現れた鋼鉄の軍隊。それは、幽鬼たちに対する、物理的な壁だった。もっとも、そう長くはもたないと、リリとてわかってはいる。ただ、しばしの結界としては、作用するだろう。
 だが……。
「葛!」
「マユ!!」
 ステージのレモは、一人ではなかった。いつの間にか、レモを守るように、マユ・ティルエス(まゆ・てぃるえす)南天 葛(なんてん・かずら)が、そこにいたのだ。
「なにをやってるんだい!? 葛、こっちにいらっしゃい!」
 ダイア・セレスタイト(だいあ・せれすたいと)が吠えるが、葛はなんの反応も示さない。
「あいつ……」
 ぎりぎりと、ヴァルベリト・オブシディアン(う゛ぁるべりと・おびしでぃあん)が奥歯をかみしめる。
 レモのことを聞いて、一人で飛び出していった葛を慌てて二人は追いかけたのだが、そのまま笛の魔力に取り込まれてしまうとは思っていなかった。
「マユ、しっかり!」
 ステージ上のマユに、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)も強く呼びかける。
「まいったな……」
 カールハインツが呟いた。幽鬼に混じるようにして、葛とマユもまた、生徒達に迫ってくる。このままでは、下手に戦えば、二人をも傷つけてしまいかねない。
「ばかずらのことなら、オレがなんとかする!」
 決意をこめて、ヴァルベリトがそう宣言する。誰にも傷つけさせないし、助けてみせる。それは、ダリアにしても同じだった。
「マユくんは、計画のキーだ。……頼むよ」
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)の言葉に、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は頷いた。
「援護いたします!」
 クナイ・アヤシ(くない・あやし)が、葛とマユの元へと飛び出す四人に、そう声をかける。守護天使の、その名に恥じぬように。
「ばかずら!!」
「ベリー、無理するんじゃないよ!」
 ダイアの制止も聞かず、一目散にヴァルベリトは葛の元に駆け寄る。間に襲ってくる幽鬼など、目にははいっていない。かわりに、「ごらぁぁぁ!!」とダイアが背後で咆哮し、幽鬼たちを蹴散らしている。
「おい!! ばかずら!!!」
 席をひょいひょいと飛び越え、ようやくたどり着いた葛は、無表情のままヴァルベリトに槍をつきつけてくる。だが、それすらも無視し、貫かれてもかまわないとばかりに彼は両手で葛の肩を掴んだ。
「!」
「レモのやつを好きなら、目を覚ませっ!!」
 葛がこんな風になったのは、ひとえに、レモのためだ。それが、わかる。わかるから、……ヴァルベリトには、辛い。
「レモを大事に思ってるやつがいっぱいいるように、ばかずらを大事に想ってるやつだっているんだよ!おばさんとか! ……オレ、とかさ」
 それじゃだめなのかよ。
 そう付け加えかけて、けれども、そうは言えなかった。
 かわりに、なぜだか涙が溢れてきそうになる。鼻の奥がつんとして、目の前が、歪んだ。
「その通りだよ、葛! 一緒に、帰りましょう」
 ダイアもまた、優しく葛に訴えかける。
「…………う゛ぁる。だいあ……」
 うまく舌がまわらないような、拙い声は、葛のものだった。
「葛!」
 ダイアが喜びにしっぽを振る。それから、急いで葛の襟元を加えると、奥へと避難した。あわてて涙を腕でぬぐい、ヴァルベリトもそれに続いた。

 一方、マユは。
「マユ。お前が恐怖を振り切ってここまで来たのは、何の為だ? レモを助けるんじゃなかったのか?」
 呼雪は、マユの正面まで恐れを見せず突き進むと、まっすぐに目を見つめてそう呼びかける。
「そうだよ、マユ!」
 ヘルもまたそう呼びかけ、清らかな光でもって、マユを包み込む。その呪いに、マユが打ち勝てるよう。必死に。
(…………)
 その声と力に、マユの『意識』がぴくりと目を覚ます。
(……そうです、僕は……)
 勝手に身体が動く。したくもないというのに、呼雪とヘルを狙う幽鬼を、逆に助けようとしてしまう。大切な、大切な人を。傷つけてしまう。
(いやです……っ!)
 それは、自らが傷つくよりも、辛い。そして、その痛みに、マユははっとした。
(レモさんは……もう……)
 カールハインツを傷つけ、さらに多くの混乱をも招いた。その痛みを想像するだけで、たまらない気持ちになった。
(ダメ…です……レモさんが、これ以上、大切な人たちを傷つけちゃ……っ!)
 助けたい。
 レモを。
 もう。
「何もできずになくすのは、いやです……っ!」
 マユはそう、口にしていた。その途端、がくりと全身の力が抜ける。――マユは、呪縛を解いたのだ。
「……僕……」
 涙を浮かべるマユを、呼雪はそっと抱きしめてやった。

 笛の音色が、変わる。
 呪縛を解いた『絆』を、さも忌々しいものと思っているかのようだ。
 かつて澄んでいた音色は、今や低くひずみ、音というより低周波となってオペラハウス全体を震わせている。

「マユ、これを」
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が、マユにリュートを手渡す。念のため、用意していたものだ。
「こんな音に、負けたくはないよね。まるで音楽になっちゃいない」
「確かに、そうだね」
 バイオリンを構えるフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)に、同じくバイオリンを手に、五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)が同意する。
 音楽を愛する者同士、通じるものがあるのだろう。
「三重奏か、悪くねぇな」
 ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)もまた、バイオリンをあごに挟み、優雅に弓を構える。
「ここで歌うことなんて、もうそうはないわよね……」
 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、葛の無事に安心しつつ、このホールで歌う機会に恵まれたことを、少しばかり喜んでもいた。
「せっかくだから思いっきり歌っとかないとな!」
 スレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)がにこにこと笑い、カールハインツとクリストファーは目をみあわせて苦笑した。とはいえ、この作戦の目的は、『上手く合唱をすること』ではないのだ。あくまで……『レモの心に響く』ように。
 フランツがバイオリンの弓を振り上げる。指揮ならば、お手の物だ。
「さすが、サマになっとんなぁ」
 邪魔しないよう、外野で彼らを守りつつ大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)が正直な感想を述べた。
 フランツの指揮にあわせ、静かに、リュートが音色を奏で出す。次に、そこに絡み合うようにして、バイオリンが重なっていく。
 五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)にとっては、初めて演奏する曲ではあるが、事前にクリストファーから楽譜を渡されているため、問題はない。編曲は加えられているが、おそらくは古いものだろう。素朴なメロディは、優しさに溢れている。
 その歌とは、クリスティーとクリストファーが、かつてレモに特訓をした、タシガンに古くから伝わる童謡の一種”だ。そのとき、伴奏をしたのは、マユだった。
 最初に歌い出したのは、クリスティーだった。
 だが、「え?」とカールハインツが驚くほど、その歌声は音程にあっておらず、時折歌詞に詰まったり、高音がでなかったりする。とても普段のクリスティーからは想像ができないほどだ。
 だがそれもやがて、カールハインツは理解した。……これは、まだ習いたてのころの、レモの歌声をそのまま真似しているのだと。
 やがてもう一度。民謡そのものは短いため、繰り返しのメロディーが奏でられる。次に歌ったのは、クリストファーだ。こちらは、クリスティーの段階からは少し進んだ、たどたどしくも、それなりに歌らしいものになっている。
(レモ。あのとき、忙しい中でも、一生懸命だったね)
 そう、クリストファーは歌いながら、心の中で語りかける。
(最初はどうなることかと思ったけど……マユのために、薔薇の学舎のためにって。レモくん、思い出して、そのときの気持ちを)
 クリスティーもまた、そう、心から願う。
 三回目の繰り返し。そこでいよいよ、リカインやスレヴィ、カールハインツ、東雲が参加する。それは、華やかな合唱となって、ホールへとのびやかに響き渡った。

「レモ。聞こえておるのだろう。多くの者同様、リリはエネルギー装置に多大な関心を抱いているのだよ。そしてレモは装置の鍵。この様な事があっては、皆『鍵』の扱いに慎重になるのだ。契約者達が『ウゲン』を滅ぼしても、レモに以前の自由な生活は戻らないのだよ」
 少しずつ、歯がかけるように減っていく鋼鉄の兵士の壁を維持させつつ、リリはそうレモへと呼びかける。
「私は信じるぞ、レモ。喫茶室での優しさ、気遣いこそが君の本質だと」
 壁を乗り越えてきた幽鬼を、光の力で切り捨て、ララ・サーズデイ(らら・さーずでい)もまた、そう声高に言った。
「リリも信じるのだ。だが、それだけでは足りないのだよ。レモ、戦うのだ。『鍵』は一時トラブルに見舞われても自力で復活すると世界に示すのだよ」
「そうだ、戦え。魂の気高さを失うな!」
 リリとララは、自身も戦いながら、そうひたすらにレモを鼓舞する。

「レモさんが、……応えてる」
 超感覚で、微かに拾い上げたレモの声に、北都が呟く。
「歌って、る……?」
 一緒に。負けたくないと。みんなが大好きだと。途切れ途切れに、時に外れながらも、レモは、その心の奥底で、必死にともに歌っていた。
 だが、その一方で、笛はさらに怨嗟に満ちた音色をふりまく。不協和音となるよう、わざと音をかえ、演奏をかき乱そうとする。一方で、さらにアンデットを召喚し、演奏者たちに襲いかかった。
 しかし、彼らの『音楽』は乱れない。
 それを守る盾は、幾重にもあった。

「攻撃は、最大の防御。……オペラハウスは、夢を紡ぐ空間ですから、モンスターの類にはご遠慮いただきましょう」
 レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)が、演奏者たちを狙うアンデットに、ひらりと襲いかかる。彼女だけではない。
「よーし、思いっきりやるぞー! ほらシロ、お前も行くんだよ」
「ご、ご主人様!? 我は後方支援で……
 ンガイ・ウッド(んがい・うっど)の抵抗を無視し、リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)はふわふわな猫の首根っこをひっつかむと、幽鬼たちのなかに放り込んだ。
「動物虐待反対〜!」
「的だらけになって、楽だろ?」
 雑に言い放つと、リキュカリアはその手に熱い炎を呼び出す。東雲の演奏の邪魔など、決してさせはしない。
「仕方あるまい、我がエージェントのため」
 しっぽをぼさぼさに逆立てつつも、ンガイは小さな手にライフルを持ち、思い切り乱射する。
「……快感っ」
「うっとり呟くな!」
 レイチェルが突っ込みながら、ンガイがはね飛ばしたアンデッドを、炎で焼き尽くしていく。
クナイ・アヤシ(くない・あやし)鬼院 尋人(きいん・ひろと)もまた、彼らを守るために、その力をふるっていた。
 尋人の呼び出した神聖な光が輝き、幽鬼たちをひるませる。同時に、光り輝く槍が繰り出される。
 ――その一方で、尋人は心の中で、ウゲン・タシガン(うげん・たしがん)に対して、語りかけていた。
 聞こえているかは、わからない。今彼がどうしているのか、知る術はないのだ。それでも、……あまりにもウゲンとうり二つで、それでいて、『違う』と尋人にはわかった。こうして目の前にいても、そう思う。
 あの、絶対的に孤独な、誰をも受け入れない、完全に閉じた世界を見つめている瞳。それが、今目の前の少年には、ないからだ。
(ウゲン……今回の事に君は本当に関わっているのか? 今このパラミタでまた何かが起こっているのは感じている。君はそれに関して何か知っているのかい?)
 だが、返答は、ない。
 どこまでも、彼の気配は、ただ、遠いものだった。


 その一方で、レモに近づこうとする生徒たちもいた。
 とにかくその手から、笛を奪わなければならない。
 
「レモ少年、俺様の声は聞えているか? キミの、力になりたい。助けが必要ならばこの俺様の手を取ってほしい」
 アーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)が、呼びかける。
「レモ君、こんなに心配してる人がたくさんいて迎えにきたんだよ。だから、ちょっとソコから出てみない?」
 テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)に守られつつ、皆川 陽(みなかわ・よう)もそう呼びかける。
 歌声と、合唱と、呼ぶ声が混じり合う。
「──で、だから何や?」
 それらを見下ろし、ホール客席二階のバルコニーで冷笑を浮かべていたのは、瀬山 裕輝(せやま・ひろき)だった。
「お前がウゲンとかゆー奴になったところで、意味なんてあらへんやろ。いっそなってまったほうがええんやない? その程度の存在ってことやろー」
 裕輝にとって、レモなどどうでもいい存在だ。まぁ、ウゲンもついでにどうでもいいのだが。
 浮遊して近づいてくる幽鬼には、容赦なく対処しつつ、裕輝は高見の見物を続けていた。
 ただ、少量の毒のように、レモを煽りながら。
「こんだけ迷惑かけてもうたら、戻ったとこでしゃーないわな。いや……戻る場所なんて、もうあらへんかぁ」
「そのくらいに、しておきなよ」
「…………」
 剣呑な眼差しで、裕輝は振り返る。そこには、ぎしぎしと軋んだ音をたてて動く、一体の魔鎧がいた。ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)だ。
「なんなん? オレがなにしようと、勝手やろ?」
「まぁ、そうなんだけどね」
「見ればわかるで……悪党やないか、お前」
 裕輝の反論に、ブルタはまた、ぎしぎしと楽しげに笑った。
「そう見られるのは慣れてるよ。疎まれるのも、警戒されるのもねぇ」
 それは、いっそそれを快感としているかのような、倒錯的陶酔を感じさせる口調だった。もっと罵り、否定すれば良いと言わんばかりの。
「…………」
 かまう興味が失せ、裕輝はブルタに背を向ける。その痩せた背中に、ブルタは囁いた。
「いいけど、たぶん君の声は、届かないと思うよ?」
 ――今はまだ、レモの意識は、ほんの微かにしか目覚めていない。
 先ほどから、ブルタは繰り返し繰り返し、テレパシーでもって語りかけ続けていた。
 実際に姿を見せる必要はない。ただ、心の奥底に、刷り込みのように残るよう。
『ボクにはキミが必要だ……ここがキミの居場所でありキミはレモだ……他の、何物でも無いんだよ……』
 深海に降り積もるマリンスノーのごとく、ただ、繰り返す。
 その言葉は、ブルタにとって真実だ。彼には、レモが必要だった。
 そして、同時に、オペラハウスを取り囲む薔薇園の薔薇たちも、ブルタの願いをききいれ、レモにさざ波のように声を送り続けていた。
 だが、まだ。
 レモの精神にかかったロックは、外れない。
(あと少しなんだけどね……)
 ブルタはそう、妖しく瞳を光らせた。



「……カルマ」
 ジェイダスに許可をとり、巨大な水晶柱……エネルギー装置『カルマ』の前に立ったハルディア・弥津波(はるでぃあ・やつなみ)は、そっとその表面に手をあてた。
 なんの反応も、異常もない。けれども、それは、眠っているだけかもしれない。
 もしかしたら、カルマにも感情があるのではないか、というのは、レモの口ぶりからハルディアは推察していたことだった。意志の疎通はレモでなければ無理かもしれないが、こちらの声は、もしかしたら、聞こえるかもしれない。……いや、そう、願う。
「もし君も、レモ君が元に戻るのを望んでくれるなら……一緒に願ってくれないかな。常世の国の下にある本来のナラカは、根源の世界。何処にいても、僕達は繋がっているんだ……」
 額を押しつけ、目を閉じる。ひんやりと堅い水晶に、一心にハルディアは祈り続けた。
 少しでも、レモと相対している人たちの助けになるように。
「なるほど……」
 しばらくハルが祈り続けていると、ジェイダスがそれに気づき、しばし考えてから、ハルディアの隣に立った。
「カルマならば、レモと心で会話することはできるだろうな。危険な賭だが……もしものときは、頼んだぞ」
 ハルディアと、そして、控えているエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)にそう言うと、ジェイダスは単刀を懐から取り出す。
「ジェイダス!? なにを……」
 驚くラドゥとエメの前で、ジェイダスは表情ひとつかえないまま、その手のひらに一条の傷をつけた。見る間に赤い血がにじみ、手首へと伝い落ちる。
「さぁ、目を覚ませ。おまえ自身のためにも」
 ジェイダスの命、その一部である血は、ウゲンがかけたカルマの鍵だ。だが、暴走の危険をもはらむため、ジェイダスの言うとおり、あくまで緊急事態においての、賭だった。
「続けろ」
 ハルディアに呼びかけを続けるように指示しつつ、ジェイダスは血に濡れた手のひらを、水晶へと押しつけた。
「……カルマ、レモに呼びかけてくれないかな。戻ってきて、と」
 再度、ハルディアが囁く。
「…………」
 一同が固唾をのんで見守る中、異変は起こった。
「ジェイダス様!」
 エメがジェイダスの小柄な身体を守るように、全身で抱きしめる。水晶柱が、徐々に内側から光を宿し、やがて、眩しいほどの輝きが溢れ出す。
『……、…………、…………』
 ほんの微かに、なにかが、聞こえた。言語としては理解できない。だが、カルマの声だと、ハルディアには感じられた。
 レモを呼んでいる。自分たちと、同じように。
 ますます輝く水晶の光は、やがて一本の筋に収束し……光の槍となって、放たれた。

 オペラハウス。その、ステージの上に。
 
『レモ。
 そんな音には、耳をかたむけてはなりません。
 歌声を聞いて。ハーモニーを感じて。
 みんなの声が、あなたを、呼んでいるのですから……』