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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
雨音炉辺談話。 雨音炉辺談話。

リアクション



2


 外を見ると、今日も雨。
 梅雨時期だから仕方がないとはいえ、毎日続く雨に涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)は思わず息を吐いた。
 別に雨が嫌いというわけではないし、雨の日にしかできないことだって、ある。ただ、少し晴れ間が恋しくなっただけだ。
「今日も雨ですのね」
 ミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)も同じ気持ちだったのか、ぽつりと呟く。彼女の視線は窓の外につるされた、てるてる坊主に向かっている。
「天気予報では晴れでしたのに」
「外れることくらいあるさ」
「青い空が恋しいです」
 とはいえ、ないものねだりをしていても仕方がない。それくらい、聡いミリィもわかっているだろう。しばらくすると窓から離れ、ソファに座って本を読みはじめた。
 そう、こんな雨の日ならば、雨粒の音をBGMにゆっくり過ごすのも悪くはない。なによりミリィがいるのだし。彼女と、ゆっくりとした時間を共有したいと思った。
 涼介は、本棚から一冊の魔道書を取り出す。基礎魔術の魔道書だ。いつかミリィに教えようと思い、勉強しなおさなければと思うに留まり、積み本と化していた書物。
 しとしとと降り続く雨の音を聞きながら、ぺらり、ぺらり、ページをめくる。
 雨の日特有の静寂に包まれ、それは決して居心地の悪いものではなかったのだけど。
 ぐうぅ、といささか恥ずかしい、音。
 涼介は自分の腹を押さえ、時計を見た。とうに昼を過ぎている。これでは腹の虫も講義のひとつをあげたくなるだろう。
 くすくすという笑い声に振り向くと、ミリィがおかしそうに笑っていた。
「お昼にしましょうか、お父様」
「そうしよう」
 立ち上がる。ふと目に付いたマグカップ。本を読みながら飲んでいた紅茶。これに合うものにしようか、と考える。同時に、固くなったバケットがあったことを思い出す。ちょうどいい。
「フレンチトーストを作ろう」
「やった。わたくし大好物ですわ。ジャムも添えますの?」
「そのつもり」
「ふふ、楽しみ。ねえお父様? わたくしもお手伝いさせていただいて構いませんか?」
「勿論。さあ、作ろうか」
 二人並んでキッチンへ入り、エプロンを着けたら調理開始。
 まず、卵と砂糖と牛乳で卵液を作り、そこにバニラを垂らして香りを良くする。したならパンを漬け込んで、しばらく放置。バケットが卵液をしっかり吸い込んだのを確認のち、焼いたら完成。
 焼いている間に作ったサラダとカフェオレで、雨の日のスペシャルランチの完成。
 テーブルにそれらを並べ、食卓について、いただきますと手を合わせ。
「午後からは何をしましょうか?」
「そうだな。雨足が弱くなったら買い物に行こう。道すがら紫陽花を見るのもいいかもしれない」
「紫陽花! きっと綺麗に咲いていますわね」
「うん、きっとね」
 部屋の外は雨でも、室内の気分は五月晴れ。
 そして、午後からは雨のちスペシャル。
 この雨の日を、どうか良き日に。


*...***...*


 この間買った雨具は、未だ新品のままノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)――通称ノルンの前にあった。
 真新しいレインコートに、真新しい傘。それから真新しいレインブーツ。
 黄色ベースで統一された、可愛らしい雨具たち。
 早くこれを着て、差して、履いて。外を出かけてみたい。
 そわそわ、そわそわ。
 ノルンは窓の外を見る。
 窓の外は、しとしとぴっちゃん、雨模様。
 ――チャンスです。
 雨なのだ。雨具を着けねば外出できない。
 ノルンは、こっそりと拳を握った。
 さあ、さあ、出かけようと誘ってきて。
「…………」
 しかし、期待や願いと裏腹に。
 神代 明日香(かみしろ・あすか)は一向に外出する気配がなかった。
 掃除をしたり。
 洗濯をしたり。
 なにやら手の込んだ煮込み料理を作り始めたり。
 洋服の、裾の補修や加工を始めたり。
「…………」
 ちらちらと様子を窺って、そわそわと動向を気にしてみたけれど。
 明日香は、気付いているのかいないのか。たまにノルンと目が合っては、にこーと微笑み、作業に戻る。
 ああ、気付いてくれていない。
 わかりやすいところにレインコートをかけて、玄関にはレインブーツと傘を置いたりもしているのに!
 何も言えないでいたら、明日香はこのまま作業に熱中し続けるだろう。つまり、埒が明かない。これではせっかくの雨も上がってしまう。
 なので、決めた。
「明日香さん、明日香さん」
「はい?」
「出かける用事はないんですか?」
「出かける用事……ですか」
「はい。明日香さんが忙しいなら、私が買い物に行ってきてあげてもいいですよ」
 お買い物、と明日香が単語を反芻した。それから、くるりと部屋を見回す。
「え〜とですね〜」
「はいっ」
「買出しをしてこないといけないものがあります」
「なんなりと、どうぞ!」
 びしっ、と背筋を伸ばす。
 さあお出かけだ。新しい、可愛いものを着けて、お出かけ――
「イルミンスール内で手に入るものです」
「………………え」
 まさか。
 雨具を使わずに行ける場所で、まかなえてしまうとは。
 がっかりした。せっかく、せっかく使えると思ったのに。
 だけど、言ってしまったからにはやるしかない。ああもういっそ、室内でも着て、差して、履いてしまおうか。別に誰かに迷惑をかけるわけではないし。……傘は迷惑かもしれないけれど。
「いってきま……」
「それとですね、これが必要なんです」
 がっくりうなだれ背を向けた途端、声をかけられた。メモが渡される。書かれていたものは、外出しないと手に入らないもの。
「……!!」
 ぱぁっ、と顔が明るくなったのが自分でもわかる。
「はい、任せてください!」
 気をつけて行ってくださいね、という明日香の声を背に受けて。
 鼻唄交じりに、外に出る。


*...***...*


 空京、聖アトラーテ病院。
 ここは、ほんの少し前に戦いの舞台となった。
 戦いの最中、アトラーテ病院に勤めている面々や患者たちには避難勧告が発令された。
 そして、戦いが終わって少しして。
 一時的に別の病院に収容されていた患者たちが、病院に戻ってくることになった。まだ、戦いの爪痕の残る病院へ。
 爪痕の修復に、幾人もの人が借り出されていた。
 壊れた外壁を直したり。
 敷地内の、えぐられた芝生や花壇を元に戻そうとしたり。
 それ以外にも、
「心のケアが必要だ」
 と、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は言った。
「心のケア?」
 夏侯 淵(かこう・えん)は、ダリルの言葉を繰り返す。ダリルは無表情に頷いた。
「突然の魔物の出現と避難は、小児病棟の子供たちの心に傷を残した」
「そう、だよな……」
 それは、少し考えればわかることだ。まだ幼い子供たちにとって、あの事件はどれほど恐ろしかっただろうか。
「だから、ルカたちはここに来たんだよ」
 淵に、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は微笑みかける。
「子供たちが事件で負った心の傷を、少しでも癒したりするためにね」
 だから手伝ってね、と淵とカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)に、言う。淵とカルキノスは顔を合わせて、それからひとつ頷いた。
 二人の協力も得られたことだし。
「だから、ダリルは無理しなくてもいいのよ?」
 ダリルに、言う。
 ダリルは小児科が……というより、子供の扱いが、苦手だ。能力的にはどの科も担当できるのだけれど、どうにも『子供』が駄目らしい。
「素直に甘えよう。他の場所を見回ってくる」
「はーい、いってらっしゃーい」
 手を振って送り出しながら、ふと思った。
 以前までのダリルなら、今ああして行ってしまうことに疑問はない。
 けれど、今のダリルは。最近の彼は。
 ――もしかしたら、子供たちを一緒に見てくれたかも。
 効率等を考えると、絶対にありえない選択だけど。
 なんとなく、そう思ったのだ。


 病院内にある、多目的ホールに子供たちは集められた。少人数で全員を相手するには、こうするのが一番いい。
「絵本読むよー。聞く子はこっちにおいで☆」
 桃太郎の絵本を手に、子供たちへと呼びかける。幾人かが、わっと周りに集まった。
 読み聞かせをしながら、ルカルカは周りの様子も確認する。
 積み木で遊ぶ子。
 ぬいぐるみでごっこ遊びをする子。
 一人で絵本を読む子。
 ばたばたと、落ち着きなく走る子。
 それを捕まえて、こっちで遊べと止めるカルキノス。
 他にも、元気そうな子は淵のところではしゃいでいる。
 ――こうして見ると、元気いっぱいよね。みんな。
 だけど、その内側には入院を必要とする病気を抱えていて。
 同時に、トラウマも抱いている子が幾人かはいると思うと複雑で。
 ――せめて、今だけでも。
 楽しい気分にしてあげられたら。
 笑顔を、浮かべさせてあげられたら。
 なので、読み聞かせも素直には進めない。
 ところどころでアドリブを入れて、面白おかしく話すのだ。遊び心を取り入れて子供たちを楽しませるのは、昔図書館のボランティアをしたときに経験済みだから慣れている。
 アドリブ満載の桃太郎は、子供たちに好評だった。反応を見て、ルカルカも笑顔になる。
「おしまい」
 笑顔でぱたん、と絵本を閉じて、気付く。背後にある人の気配。
 振り向くと、ダリルがいた。
「どうしたの?」
「休憩をもらったから様子を見に来た」
「そっか。院内の様子は?」
「どの病棟も大変な状況だよ」
 ダリルの顔には、僅かながら疲労の色が見えた。
 ――そういえば、昨日は泊まりだって言ってたっけ。
 お疲れ様、と声をかけようとしたけれど、
「容態が悪化した者もいれば、PTSDを引き起こした者もいる。当分続くだろうな」
 とてもじゃないけれど、まだ言っていい状態ではなかった。口をつむぐ。
「それに……」
 話はまだ続くようだ。ダリルでも、こうして誰かに話をしたいときがあるらしい。
 ――これも、変化?
 なんて考えるのはここまで。あとは、ダリルの話を聞こう。
 カルキノスを手招いて、この後配ろうと思っていたギフトの詰まった袋を渡して、改めてダリルに向き合った。


「……で、俺らが配るのか?」
「おう。少しくらい手伝ってやろうぜ」
 淵と、打ち合わせにもなっていない打ち合わせをして。
「よう、チビども。いいもんやるぜー」
 カルキノスは声を張り上げた。「なになに?」と、子供たちが目を輝かせて寄ってくる。
「ほら並べ、順番だ順番」
 ひとりひとつずつ、手渡していくのは動物形態のギフト。
 スズメ、ツバメ、ペンギン……多種多様のギフトに、子供たちがはしゃぐ。
「ひゃー、うるせ」
「見も蓋もないこと言うなよ。ん、何。ギフトの遊び方? あー、こうして膝に乗せたりなー……」
 淵は、上手いこと子供たちが遊ぶのを誘導してやっていた。配り終えたカルキノスは、もうやることはやったかな、とその場に寝そべる。たまに翼や尾を揺らしていると、そっちの方に興味を引かれた子供が数人、寄ってきた。背中に登ろうがなにしようが、止めることはない。そもそも登ったって危なくないように寝そべっているのだ。なんてことは、別に口に出したりはしないけど。
「おう。登れ登れ」
 竜だって、別に怖くないんだぞ、と。
 俺で少しは慣れとけよ、と。


 一方で淵は、ギフトペンギンを見て思った。
 これを使って、何かできないかと。
「…………」
 そしてダリルを見、決めた。ペンギンをダリルにけしかける。直後、
「あの兄ちゃんも仲間に入れてやろうぜ」
 子供たちに呼びかけた。わっ、とダリルに向けて、子供たちが突っ込んで行く。
「なっ……」
 ルカルカと話をしていたダリルは反応が遅れ、あっという間に子供たちに囲まれた。ルカルカが、困ったわねー、と困った様子もなく、言う。
 元凶である淵は、ダリルを見てにやりと笑うだけ。
「淵……っ!」
「必要だろ? 実戦」
 睨まれても、いけしゃあしゃあと言ってのける。
「何事も経験ってな。頑張れ」
 その後、ダリルが余計にぐったりとして持ち場に戻って行ったのは言うまでもない。
 けれど、最後の方ではいくらか子供たちの相手も上手くなっていた。ルカルカが隣にいたおかげもあるだろうけれど。
 ああやって、無理にでも実戦を重ねていけばいつか小児科の担当も苦ではなくなるのかもしれない。
 ルカルカにそう言うと、「きっと遠くない未来そうなるわ」と笑っていた。