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うるるんシャンバラ旅行記

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うるるんシャンバラ旅行記

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(……やっぱり、来なきゃよかった)
 箱岩 清治(はこいわ・せいじ)は、内心で呟いた。
 シエロ・アスル(しえろ・あする)に用意された浴衣は、紺地に灰色のストライプ柄の浴衣だった。そこに、黒の帯を締め、品の良い江戸仕立て風のうちわをさしている。それは、清治のチョコレート色の肌と、薄茶色の髪を、上品に引き立てていた。
 だが、清治はずっと、浮かぬ顔のままだ。
「清治様、どうぞ」
 アスルが差し出したマンゴージュースを受け取りはしたものの、相変わらず、窓の外に広がる景色にも無反応なままだ。
 もうすぐ花火が始まるらしいが、それすらも、なんだかどうでもいい。
(相変わらずだな、あの、レモって子)
 観覧席の外れに腰掛けた清治は、ちらりと、楽しそうに外を指さしているレモを見やる。ジェイダスだけでなく、他の生徒たちもみな、おとり巻きさながらに彼を取り囲んでいた。
「ちやほやされて、やっぱりお姫様みたい」
 小さく呟く。誰も聞いてないのは、わかっていた。
 ここに来たのは、ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)と話す機会があればと思ったからだ。もしも会えたら、勇気を出して謝ろうと思っていた。あのとき、「八つ当たりをしてごめんなさい」と。
 なのに、当のルドルフはタシガンに残っているとあっては、意味がない。
 そうだ。結局、いつもそうなのだ。
 現実はいつだって、うまくいかない。
「僕は、どうしたらいいのかな」
 清治は、すぐ側に控えているシエロにそう問いかけた。
 明確な答えを期待していたわけではない。ただ、そう口にせずにはいられなかっただけだ。
 本当は、レモのことだって、特別嫌いなわけじゃない。
 むしろ、あの輪の中に入れたらと思っているくらいだ。
(でも、無理なんだよ)
 清治にはそれが、痛いほどわかっている。
「僕は地球でもずっとこうだったし、急に変わることなんてできない」
 ぎゅ、と。マンゴージュースを握る手に、力がこもる。
「……清治様は、お変わりになりたいのですね」
「わからないよ。だって」
 無理だもの。その言葉を、清治は飲み込む。しかし、シエロは優しく言葉を添えた。
「急には無理でも、少しずつ人は変わることができるのだと、私は信じています。たとえば、ですが……学舎へお戻りになったら、まずご学友の皆さまに、朝のご挨拶から始めてみてはいかがでしょう」
「挨拶……?」
「はい」
 清治は戸惑った。確かにそれくらいなら、できるかもしれない。けれども、急に声をかけたところで、返事なんかしてくれるんだろうか。
 すると、そこへ。
「よかったら、どうかな?」
 目の前に差し出されたかき氷に、清治は驚いて戸惑う。シエロではない手の主を見上げると、浴衣姿の清泉 北都(いずみ・ほくと)が立っていた。赤いシロップのたっぷりとかかったかき氷は、いかにも涼しげだ。
 どうやら、クナイ・アヤシ(くない・あやし)とともに、皆の分を用意してくれたらしい。
「……あ、ありが、とう……」
 絞り出すようにそう答えると、清治は一端ジュースをシエロに預けて、かき氷を受け取った。
「どういたしまして。もうすぐ、花火が始まるそうだよ」
 北都はそう言うと、残りのかき氷を運んでいく。その後ろ姿を、清治はかき氷を手にしたまま、ぼんやりと見送った。心臓が、まだ、落ち着かない。
「清治様」
 シエロが微笑み、清治を見つめていた。その調子ですよと、そんな風に。
 やがて、大きな音とともに、花火があがる。
「…………」
 ひとくち、甘いかき氷を、清治は口にしてみた。
 まだ変われるなんかわからないし、今はもうこれ以上、考えたくない。
 だけど。
 花火はとても綺麗で……かき氷は、冷たくて美味しかった。
 たぶん。今までで、一番。


「ありがとな」
 こっそりと、カールハインツが北都に告げる。
 自分は甘いものが苦手だから、あいつにやってくれと、カールハインツが頼んでいたのだ。
「どういたしまして」
 そう微笑み、北都はレモとマユにも、かき氷を手渡しに行く。クナイは、ジェイダスとラドゥにすすめているようだ。昶は今は、レモの足下で丸くなっている。
「頼られるいいお兄ちゃんしてるじゃないか。レモくん以外にもとは、このこいどろぼうめ」
「は? オマエんとこのパートナーを奪う趣味はないぜ」
 南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)に肩をつつかれ、カールハインツは露骨に顔をしかめた。
「っていうか、せっかくおそろいの浴衣作ってきたのにさー」
 ぶちぶちと光一郎は文句を言う。そんな当人が着ているのは、紺地にでかでかと七夕 笹飾りくん(たなばた・ささかざりくん)が舞い飛ぶ、ポップと言えば相当ポップな浴衣だ。
「仕方がないだろ。海京でもらっちまったんだから」
「じゃあ、わかった。あの浴衣は、お楽しみにときにだな……」
「…………」
 カールハインツの視線が、相当に冷たいものになる。「きゃ☆」と光一郎は自分の身体を抱きかかえるようにして、笑ってごまかした。
「いやいや、そんなことよりぃ! 見ろよ、素晴らしいだろ?」
 ばっと光一郎は視線を窓の外に向け、カールハインツにむかって斜に身体を傾ける。その動きにつられるようにして、カールハインツも窓の外に目をやった。
 夜空にまた、大輪の花が咲く。
「確かに、きれいだな」
「ああ。この角度が一番なんだ。俺が
 キリっとポーズをとる光一郎に、カールハインツは絶句した。
「なんなら、この花火をバックにだな、こう……」と、さらに浴衣の襟元をはだけようとする光一郎を、「いい加減にせんかっ!」とオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)の手(ヒレ?)が駿足で叩いて止める。
「オットー。いたんならもっと早くコイツをな……」
「お、おう」
 もとから赤と白の錦鯉のオットーだが、さらにその白い部分まで、うっすらと今日は赤い。
「この格好が、だな……」
「なーんだよー、俺様のナイス見立てじゃん」
 光一郎はむくれる。オットーは、最初は笹飾りくん浴衣を当然勧められたものの、そちらは拒絶することに成功した。が、かわりに用意されたのは縞の藍葉の浴衣に、芭蕉段織の金茶の帯だ。様になっているが、この年ではキツい、攻めに攻めたものだと、オットーは恥じらっているのだ。
「ま、まぁ……似合ってるぜ?」
 気休めとは思いつつ、カールハインツはそう慰める。
「貴殿にはまだわからぬ。『俺さまのパートナーなら年を理由に守りに入らずこのくらい着こなせ』と言われたものの、むむむ「ギムレットには早すぎる」年頃の光一郎にはTPOには年齢も含まれること、むしろ若さを理由にしたノーガード戦法が許される年のほうが短いことなど理解できまい……」
 切々とそう訴えられ、カールハインツはそれはそれで困ってしまった。
「いやまぁ、だからな……」
「まぁまぁ。あ、そうだ。せっかくだから俺様が特製ドリンクを作ってやるし!」
 そう、鼻歌交じりで光一郎は担いできたクーラーボックスに向かう。暫くして持ってきたのは、爽やかな色合いのカクテルだった。
「酒はまずいんじゃないのか?」
「これはぁ、サラトガ・クーラーつって、ノンアルコールカクテルなわけ。どーぞ」
 差し出されたグラスを受け取ったものの、カールハインツは訝しげだ。
「おかしなものが入ってないだろうな」
「ないない!」
 まぁ、本音をいえば、せっかくだからウォッカでもぶち込んで、酔ったカールハインツからあることないこと聞き出したいという欲求はあったが……。
(あとでお仕置きされる系のイタズラはやめとこう)
 うんうん、と光一郎は一人で頷いている。
「レモくんにも持っていこうかね。あ、カールも一緒に行く?」
「俺はいい。ようやくガキのお守りも終わったみたいだしな。あいつは立ち直ったみたいだし、もういいだろ」
「……ふーん」
 そのわりに寂しそうに見えるのは、まぁ気のせいということにしておこう。光一郎は、にんまりと笑いつつも、そう思った。