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うそつきはどろぼうのはじまり。

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うそつきはどろぼうのはじまり。
うそつきはどろぼうのはじまり。 うそつきはどろぼうのはじまり。

リアクション



3


 夜が明けて朝が来た。
 起きなきゃ遅刻する、という時間になっても皆川 陽(みなかわ・よう)は目を覚まさなかった。枕の傍に本を投げ出したまま、すやすやと寝息を立てている。
「起ーきーろーよー」
 ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)が間延びした声で呼びかけてみても微動だにしない。こりゃだめだ。ユウはふうと息を吐く。昨夜は遅くまで起きて本を読んでいたようだし、昼過ぎまで起きないだろう。
「ボクって単位大丈夫だったっけ?」
 起きないだろうと思いつつ、問いかけるように口にしながら服を脱ぐ。いつも着ている女物の服の代わりに、クローゼットから陽の服を取り出して袖を通した。鏡の前で違和感がないかをチェックする。あるはずがない。だってユウは陽自身なのだから。
「きみを立派な男にするのも大変だなー」
 どこまでが本音かわかりにくい口調で呟き、帽子をかぶった。髪型だけは、少し陽と違う。だけどこれで誤魔化せた。完璧な変装だ。いや、変装を解いたというべきなのだろうか。だって、普段している女装とメイクこそが、本当は変装なのだから。
 無造作に置かれていた陽の鞄を手にとって、陽になりすましたユウは、学校へと向かう。


「…………」
 テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は、手のひらに載せた指輪をじっと見ていた。
 愛と忠誠の証として陽に贈ったものだった。これを、先日、決闘の末に投げ返された。
(どうしろって言うんだ)
 守ってはいけないのか。守ろうとしてはいけないのか。想いを口にしてはいけないのか。そういう問題ではないだろう。
 守らなければいいのだろうか。それはありえない。だって自分は騎士だから。騎士の家系に生まれ、騎士となるべく育てられ、そして騎士として生き死んだ。自分が自分であるということは即ち騎士であるということであり、それを全否定されて受け入れられるはずがない。
 かといってただ反発することもできない。反発し合い、相容れぬ感情をすり合わせようともしなければその先に待つのは別れだけだ。それは、嫌だ。
 とはいえ具体的にどうすればいいかなんて解決方法は浮かばず、悩み続けてどれくらいが経っただろう。こうして陽と同じ講義に出席して、後ろの席からじっと彼を見つめ続けて、どれくらい。
(……あれ?)
 なんとなく、違和感を覚えた。
 なんだろう。わからない。授業そっちのけで陽を見る。違和感は、やはりあった。ただ漠然としていて、何がそれなのかまでは行き着かない。
 違和感の答えが出ないまま、休み時間になった。陽は級友と他愛のない話をしている。陽だ。あそこにいるのは陽だけど。
(だったらなんで、さっき変だって思ったんだろ)
 具合でも悪いのか。そうは見えないけれど、隠しているだけだったら?
(いや、陽だったらここぞとばかりに休むかな。家でずっとだらだらごろごろしてるんだ)
 その姿は簡単に想像がついた。そろそろ部屋着から着替えようよ、と言っても着替えなかったことだとか、昔あった日常風景も連鎖的に思い出す。
「…………」
 もうあんな風に、話すことも難しいのだろうか。
 笑うことは無理なのだろうか。
 別れたくないと、離れたくないと、望んでいるのはエゴなのだろうか。
 無言のまま陽を見つめると、視線に気付いたのかあるいはただの偶然なのか、陽がちらりとテディを見遣った。声をかけることもなく、一瞥だけして視線を戻す。
 陽の視線は無感情で、胸が痛んだ。もうどうしようもないのかと思って。
(どうすれば)
 きみと同じ道を歩けるのだろう?


*...***...*


 嘘をついても許される日があるのなら、月崎 羽純(つきざき・はすみ)を驚かせたい。遠野 歌菜(とおの・かな)はそう考えて、どんな嘘をつこうかと考えた。
 実は○○でした、とか、地球に帰ります、とか、そんなものじゃ騙されてくれない気がする。もう少し、歌菜自身が身体を張らなければ。
 そう、たとえば、転んだ拍子に頭をぶつけて記憶喪失になっちゃった、とか。
 思いつきだしベタだけど、いける気がした。ちょっと驚かせて、種明かし。そうすれば、過度な心配もかけないだろう。笑って許してくれるはずだ。
 思い至ったら即行動。歌菜は、羽純の姿を探す。見つけた。
「羽純くーん」
 呼びかけて、駆け寄る……途中、わざと転んでみせた。倒れたまま、動かない。
「何やってんだ。大丈夫か?」
 羽純の、苦笑混じりの声。返事はせずに、動きもせずに、引っかかってくれることをじっと待つ。
「おい、歌菜?」
 羽純の声が近付いた。倒れ伏した身体を抱き起こす。力強いなあ、と思った。騙そうとしているにも関わらず、どきどきしてしまう。
「歌菜」
 呼びかける声に、慌てて演技を再開した。「ん……」と呻いて閉じていた目を開ける。寝起きのようなぼんやりとした目で羽純を見、
「貴方……誰?」
 ぽつりと嘘を零す。
「私……って……誰だっけ?」
「……歌菜?」
 羽純の声に、真剣な色が含まれた。顔立ちも、神妙なものに変わっている。
 騙されてくれている。歌菜のことを疑いもせず、真っ直ぐ信じてくれている。それが無性に嬉しくて、胸がきゅんとした。
(ああ、感動……感動するような場面じゃないけど……!)
「歌菜、って……私?」
「ああ。遠野歌菜だ。……わからないか?」
「トオノ……カナ……」
「俺は、月崎羽純」
「ツキサキ……駄目、わからない」
「そうか……」
 悲しそうな顔で、羽純が目を伏せる。普段冷静な羽純は、こんな風にうろたえる様を歌菜であろうと見せることはあまりない。だからこそ嬉しかった。それだけ心配してくれているのだとわかったから。
 もう少し、あとちょっとだけ。
 羽純の反応を、表情を、見ていたくて。
「ここは浮遊大陸パラミタ。俺は歌菜のパートナーで、ずっとそばにいた」
「そう、なの……?」
「それから、記憶喪失の人間に言っても信じてもらえないかもしれないが……俺と歌菜は、夫婦なんだ」
「夫婦……えっ……?」
「……だよな。普通、そういう反応をする」
「……ごめん、なさい……」
 謝ると、羽純はどこか儚げな表情で笑った。色っぽいなあ、と場違いな感想を残す。そして同時に、自分が言い出しづらい状況に陥っていることに気付いた。
 少し驚かせるつもりだったのに、もうちょっと、と思っていたらいつしかすっかり本気で心配されていて。
(ど、どうしよう……)
 今すぐにでも、嘘だったと白状するべきだろうか。した方がいい。そう思っていたのに、羽純の方が一瞬早く口を開いた。
「失う前の記憶を話して聞かせれば、連鎖的に思い出すという話を聞いたことがある。……思い出してもらえるよう、努力してもいいか?」
(羽純くん……)
 こんなに真剣に向き合ってくれるなんて。思い出そうと、努めてくれるなんて。
「……うん……」
 種明かしをしようとした口から出てきた言葉は、嘘の上塗り。


 羽純は、ゆっくりと話し始める。
 契約当初のこと。
 打ち解けて行くさま。
 共にこなした仕事の話。
 結婚式のこと。
 一緒に食べたケーキがどうだったとか、そんな些細なことまで。
(羽純くん、こんなことも覚えてくれてるんだ)
 歌菜が忘れかけていたようなやり取りまで、羽純は覚えていた。もしかしたら羽純は、どんな小さな出来事でも忘れていないのかもしれない。
「記憶がないとしても、歌菜は歌菜だ」
 話が一区切りついたところで、羽純は静かにそう言った。
「俺の大事な妻だ」
 優しい目で、歌菜に微笑みかけながら。
(……記憶がなくても、私のこと……好きで、いてくれるんだ……)
 そのことに思い至って、目の奥が熱くなった。涙が浮かぶ。
(やばい)
 泣く、と思った時にはもう、泣いていた。
「歌菜?」
 どうした、と羽純が頭を撫でる。その感触が、あたたかな手が、余計に涙腺を刺激する。
「違うの……」
「何が?」
「ごめん。ごめんね、羽純くん」
「だから、何が?」
 嘘なの。言おうとして、喉が一瞬引きつった。だけど言わなければならない。本当のことを言って、きちんと謝らなければ。
「嘘なの」
 切り出しに成功すれば、あとはすんなり言葉は続いた。
「エイプリルフールの、嘘なの。ちょっと、驚かせたくて言っただけなの。
 記憶なんて失くしてない。羽純くんとの大事な思い出、失くすなんてできないよ……!」
 泣きながら羽純にしがみつくと、羽純は歌菜を抱き締めて背中を撫でてくれた。
「ごめんね……」
 自分はなんて、ひどいことをしたのだろう。ひどい嘘をついたのだろう。謝ることしかできない。
 許してもらえるだろうか。許してもらえなかったらどうしよう。呆れられたら? 愛想尽かされたら? 考えるだけで、怖い。
「本当にごめんなさい。許して。なんでもするから……!」
 必死に訴えるが、羽純は答えてくれなかった。
(怒ってる?)
 そりゃそうだ。自分が悪いことは自覚している。申し訳なさと怖さで、また泣きたくなった。
 が、羽純の肩が震えていることに気付いて、涙が止まる。
(え、え?)
 まさか、泣いてる?
「羽純く――」
 心配して声をかけると、「ふふっ」と笑い声がして。
「あはっ、はははは!」
 楽しそうな笑声が、響く。
「……あれ?」
 展開に、ついていけなかった。どういうことだろう。怒られても仕方がないことをしたのに、笑われている。それも心から楽しそうに。
「……え? どういうこと?」
 混乱する頭で考える。導き出される答えは、ひとつしかなかった。
(まさか……)
「……騙されていたのは、私……!?」
「大正解」
 笑いすぎて顔を赤くしながら、羽純が言った。歌菜は、羽純以上に顔を赤くして羽純を叩く。
「ひ、ひどい! ひどいよ、羽純くん!」
「どこが?」
「騙すなんて……!」
「先に嘘をついたのは歌菜だし、俺は嘘をついてない」
「……それって」
 記憶がなくても。
 そう言っていた羽純の声を、言葉を、思い出す。
 全部本当なら、歌菜のことを想って心配したことも、かけた言葉も、全て真実なのだから。
「歌菜が本当に記憶喪失だったとしても、俺は同じことをした」
「……ずるいなぁ」
 怒れるはずがない。
 許さないはずがない。
 羽純の方が、歌菜より一枚も二枚も上手なのだ。
「来年はもっといい嘘、期待してる」
「うう……頑張ります」