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リアクション
2.庭園の人々
タングートの都の西の一角には、落ち着いた庭園がある。
敷地面積はそれほど広くはないものの、タングートでは数少ない季節を感じられる場所として、都の人々の憩いの場所だ。
鳥が鳴き交わし、小さな花が咲きみだれている。その東屋の一つで、鬼院 尋人(きいん・ひろと)はぼんやりと景色を眺めていた。
視界の端には、囲碁のようなゲームに興じている女悪魔たちや、竹細工の鳥かごにおのおの鳴き声自慢の小鳥を持ち寄っている者たちが見えている。
「……オレ、このままじゃいけないのかなあ」
タシガンのために一心に尽くしてきた尋人だが、その地下にこのような、ある意味正反対の国があるということは、驚きだった。
そして、今となっては――よき協力者として、互いに手をとりたいと願う上では、そうそう『女性が苦手』とも言っていられないだろうか、とも思う。
「でも共工さんへの対応は、きちんとできたと思いますよ」
西条 霧神(さいじょう・きりがみ)が、そう尋人を励ましつつ、暖かいお茶をさしだした。
薄い磁器の器に入ったそれは、ゆったりと立ち上る白い湯気とともに、不思議な花の香りを漂わせている。
「これは?」
「先ほど、紅華飯店でいただきました。なんでも、タングートではポピュラーなお茶だそうですよ」
「そうなのか」
紅華飯店には、挨拶に立ち寄ってきていた。
もう用意ができるから、と花魄は言ってくれたが、尋人が辞退したのだ。
タングート流のご馳走に興味はあるが、味覚障害があり、味のわからない自分では、花魄たちをかえってがっかりさせてしまいそうで、遠慮したのだ。
ただ、それを理解している霧神は、かわりに桃まんをお弁当代わりに包んでもらった。もちろん、もらうだけではなく、タシガンから食用ハーブや中華料理にあうハーブティーを選んでプレゼントもしている。
「ありがとうございます!!」
珍しい食材を前に、花魄は大喜びで、桃まんだけでなく肉まんや月餅のようなお菓子など、たくさんのお土産をくれた。
「どうぞ、尋人。まだまだたくさんありますし」
「うん」
そのうちのひとつの桃まんをすすめられ、尋人は頷いて口にする。味そのものはよくわからないが、その暖かさや匂いはわかるし、霧神の淹れてくれたハーブティーとよくあっていることも感じられた。
なによりも、そこにこめられた、花魄の感謝が伝わってくるようだ。
「……仲良く、うまくやっていきたいな」
桃まんを食べながら、ぽつりと尋人は呟く。
タシガンとタングート、そのどちらも、守りたいというのは尋人の決意だった。
まだまだお互い、理解していかなければいけないことも多いかもしれないけれど。伝わる暖かさは、同じ心をもったもの同士だとたしかに尋人に伝えてくる。
「きっと、大丈夫ですよ」
相伴をしながら、霧神がそう口にする。
「そう、だな」
たしかに、街を歩き、ここでこうしてお茶を飲んでいても、街の空気は平和そのものだ。多少、好奇の目線を感じこそすれ、かつてほど排他的な敵意はむけられていないのがわかる。
目を閉じると、小鳥たちの鳴き声に混じり、時折高く笑いさざめく声が聞こえる。東屋に差し込む日の光は柔らかで、吹く風もそっと、尋人の心を癒やすように、その茶色の髪を優しく撫でていた。
久しぶりの、ゆっくりとくつろいだ時間が、静かに流れていく。
「ピクニックみたいですねえ」
「うん」
心地よさに口元に微かな笑みを浮かべて、尋人は頷いた。
この時間と空気を届けるかわりに、花魄からのせめてもの贈り物は、お土産として持って帰るつもりだ。
今回、都合があわなかった生徒や、黒崎 天音(くろさき・あまね)に。それから、ルドルフ校長や、自分以上に女性が苦手なもう一人のパートナーのために。
それから、……。
「……尋人?」
ふと、表情を曇らせた尋人に敏感に気づき、霧神が声をかける。
「……ウゲンは、どうしてるのかな」
「……どうでしょうねえ」
そればかりはわからない、と霧神は小首を傾げてみせた。
「今回の結果をあいつはどう思っているかな……どうでもいいかな」
苦笑交じりに、尋人は呟いた。
{SNM9998793#ウゲン・ドージェ}のことは、いつも少しだけ、尋人の心の片隅にひっかかったままだ。
彼にも、このお土産を渡す機会があればいいのにと、尋人は本気で思っている。
この世界のどこからどこまでがウゲンの作ったものか、関わっているのかはわからない。その本心も、なにを見つめているのかすらも。
だけど、だからこそ、……いつかはウゲンと、本気で向きあいたいと尋人は願い続けているままだ。
いつか……どこかで。
そう、澄んだ瞳で遙か未来に願いをかける尋人を、霧神は穏やかな眼差しで見守っていた。
「この庭園は、ずっと昔からあるのよ。変わらずにいて、嬉しいわ」
ロザルバ・フランカルディ(ろざるば・ふらんかるでぃ)は、そう目を細める。
「ローザがタングートに詳しくて、助かったぜ」
「ホントよね」
神崎 荒神(かんざき・こうじん)の言葉に、神崎 綾(かんざき・あや)は頷いて、陽気な笑顔を見せる。
旅好きの荒神だが、タングートに来たのは今回が初めてだった。なにせ、かつてのタングートは、容易に訪問するルートがなかったことにくわえて、男性はとても入ることはできなかったからだ。
しかし、今は比較的安全に入ることができると聞いて、観光を決めた。
一方、魔女であるロザルバは、かつてタングートに立ち寄ったこともある。
「昔とは、かなり変わっていると思うけど」と前置きはした上であはるが、今回の案内役を引き受けてくれていた。
「けど、ダグはどこに行ったんだろうな?」
同じくパートナーのダグ・ニコル(だぐ・にこる)も、タングートに訪れるまでは一緒に行動していたが、いつの間にか別行動になってしまった。
「きっと、酒場でしょ」
綾の返答に、ロザルバも微笑んで同意する。無類の酒好きのダグのことだろうし、荒神もおそらくそうだろうとは想像がついた。
「まぁ、大丈夫だろ」
「ええ」
うっかりナンパでもしていない限り、とロザルバは内心で付け加える。一応、ここが女性がモテる街なのだとは教えておいたけれども。
一行が庭園の門をくぐり、メインストリートとは逆の方向に出ると、今度はややごちゃごちゃっとした旧市街風の街並みが広がっていた。いわゆる、下町といった感じの場所だ。
ここはまだ復興が完全に済んでいないのか、あるいは元からなのか、瓦礫や端材が道の脇に時折積み上がっている。壊れかけた建物も多い。ただ、すさんでいる印象は不思議となく、どちらかというと発展途上的な雑多なエネルギーに溢れていた。
「こういう雰囲気は、久しぶりだぜ」
楽しげに歩く荒神と綾の前を、ロザルバはよどみない足取りで先導していく。
そのうち、角を曲がって見えてきたテントに、荒神の目が輝いた。
「あれ、もしかして」
「市場よ」
「やっぱりそうか。見ていこうぜ」
料理が趣味の荒神は、見るからにテンションがあがっている。途端に大股になる荒神に、思わず綾は笑みをこぼした。
「この市場は、どちらかというと問屋に近いのよ。メインストリートの食堂や、露店の多くは、ここで仕入れしているって話だわ」
たしかに、テントで囲まれた区域の中も周囲も、各種の食材が山積みで、多くの人がそれを求めて賑わっている。綾の目には得体の知れないものも多く映ったが、その分荒神が好奇心を刺激されるだろうこともわかっていた。
「これ、当分出てこないかもね」
綾はここで待つけれども、ロザルバは一度ここで別れることにした。近くに、立ち寄りたい茶藝館があったのだ。
また後で、と互いに挨拶をして、ロザルバは市場を後にする。
たどり着いたのは、とある建物の二階にある、小さな茶藝館だった。窓の外からは、街並みがよく見える。
(変わったところも、変わらないところもあるのね)
注文した紅茶の味は、以前のままだ。そして、この店も。
あの頃、やはり一人でここで紅茶を飲んでいた。まさか再びここに来るとも想像していなかったし、そのとき、誰かを案内することになるとも予想していなかったことだ。
「なんだか、不思議だわ」
そう呟き、ロザルバは静かに紅茶のカップに口をつけた。
一方、荒神を待っていた綾はというと。
「あまり見かけない顔ね。ああ、貴方、地上の人?」
「ええ、そうだけど」
「ふぅん」
綾の返答に、物珍しげな視線を向け、それからにっこりとその女悪魔は笑った。
「ね、だったら、面白いところ案内してあげよーか? あたし、けっこう詳しいんだよ」
あからさまな秋波を向けつつ、彼女は綾に馴れ馴れしく話しかけてくる。
「あたし、連れがいるけどそれでもいい?」
「連れ?」
「そう、世界一良い男の恋人」
にっこりと笑って、綾はそう告げる。『オトコ』の響きに、あからさまに相手は顔をしかめたが、綾はかまわず言葉を続ける。
「料理が趣味でね、ここで買い物したら、きっとまたご馳走を作ってくれると思うんだよね。あ、もちろん料理の腕も世界一なんだもん」
「あ、そう」
にこにことノロケ続ける綾に、彼女はげっそりした表情で、「お幸せに」とだけ告げてその場を立ち去る。
「あ、もう行っちゃうんだ」
もう少し聞かせたかった気もするが。まあとりあえず、無事平和に撃退は成功だ。
「綾? ごめんな、待たせた」
そこへ、あれこれスパイスや食材を買いこんだ荒神が戻ってくる。きっとこれらは、今後蒼空学園の調理場でも有効活用されることだろう。
「ううん。買い物できた?」
「ばっちりだぜ。ローザは?」
「喫茶店に行くって言ってたよ」
そう答えながら、荷物の一部を綾は受け取ろうとする。だが、その前に。
「これ、綾に買って来たんだ」
荒神はそう言って、綾に紙袋を手渡した。中から出てきたのは、シルクのようななめらかな素材でできた、涼しげなストールだ。タングートらしい、華やかな色使いのストールは、綾の黒髪にきっとよく映えるだろう。
「わぁ、綺麗!!」
さっそく首元に巻き付けて、綾は大喜びでその場でターンしてみせる。
「気に入った?」
「もちろん! ……ね」
とんとん、と荒神の肩をたたき、同時に綾は背伸びする。荒神が彼女のほうに首を傾げて距離を縮めると、綾は小声で耳元に囁いた。
「お返しに……夜は、楽しみにしててね?」
大胆なお誘いに、荒神はやや驚く。しかし、すぐに同じように声を潜め、綾にむかって荒神も囁き返した。
「そうだな。そのストールも、色々使えそうだし」
「え……!! 使うって、ちょっと」
数段大胆な切り返しをされ、綾は真っ赤になって慌てる。その姿が可愛くてならないように、荒神は相好を崩し、「冗談だって」と彼女の髪を撫でたのだった。
「そこの人、よかったら見て行って!」
客引きの威勢の良いかけ声に優雅に微笑み、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は足を止めた。
「うちの簪は、タングートで一番の品物だよ? 見て、このあたりの細工。他の店じゃね、裏側とか手を抜いちゃって、目も当てられないんだけど、うちのは隅々までちゃーんと作ってるから!」
店主のセールストークに丁寧に耳を傾け、ヴィナは差し出された簪を手にとる。木製の軸に、珊瑚や玉で作られた花が咲いた、可憐な品物だ。
「いろんなデザインがあるからね、ゆっくり見て行って!」
「ありがとうございます」
頷いて、じっくりとヴィナはずらりと飾られた簪の一つ一つを吟味していく。頭の中で、空京にいる、可愛い娘の顔を思い浮かべながら。
手には、すでに購入済みの義息と、下の娘へのお土産が提げられている。木製の玩具で、積み木として遊べるものだ。他にも、銀細工のあしらわれた短刀は、空京にいる本妻への土産だった。
「ありがとう、また来てね!」
威勢の良い店員に見送られて、可愛らしい簪を買い求めた後は、近くにあった屋台で一息つく。暑い場所だからか、果物やお茶のジューススタンドはあちこちにあるので、あまり探す必要もなかった。
「どうぞ」
注文は、タングートでよく見かける名前のお茶にした。渋みは少なく爽やかな後味で、ほんのり花の香りがする。
こうして眺めていると、人通りも多く、その表情も明るい。そのことが、ヴィナには嬉しかった。
ヴィナがあれこれと土産物を買い求めているのは、もちろん大切な家族のためというのもあるが、復興支援を兼ねてもいる。
ただ、歩いていると、裏通りや街外れは、まだまだ瓦礫も残っているようだが、それ以上に活気が感じられた。女性ばかりのせいかもしれないが、とにかく逞しく、そして賑やかだ。
(帰ったら、それも報告しないとね)
ルドルフは、本当は自分が行きたかったろう。それを、ヴィナはよく理解している。しかし、薔薇の学舎の校長であるルドルフは、以前のように気軽に訪れることは難しい。
(ルドルフさんが視察したら、みんなびっくりしちゃうだろうしね)
だからその分、かわりに自分が目となって、この風景や人々の様子を覚えて帰るつもりだった。
「さて、と……」
そういえば、ルドルフへのお土産がまだだった。どうせなら、このお茶にしようかなとヴィナは思う。たまには、コーヒー以外も良いよ、と。
それから、薔薇の学舎の妻には、本が良いだろうか。
そう思いながら、ヴィナが再び歩き出したときだった。
「ヴィナさん?」
「ああ……静くん。偶然だね」
三井 静(みつい・せい)と三井 藍(みつい・あお)が、ぺこりと会釈する。
「あの、ちょうど良かった。これ……ルドルフ校長に、渡してもらえますか?」
静はそう言って、小ぶりな袋をヴィナに差し出した。
「そこのお店で買ったんだけど、お土産に、って……」
小さな焼き菓子は、甘み控えめのものだ。
「わかった。ルドルフさんに、伝えるね」
ヴィナはそれを受け取りつつも、二人の様子が気にかかった。観光中のようだが、あまり浮かない表情だ。とくに、藍のほうは、どこかぴりぴりとした空気さえ漂わせている。
「それじゃあ、また、学校で……」
「あ、ねぇ」
立ち去ろうとする静をヴィナは引き留め、さりげなく「庭園には、行ってみた? とても素敵なところだったよ」と、二人に場所を教えた。
先ほど散策していて見かけたところだが、穏やかな場所で、ゆっくりと語り合うにはふさわしいと思ったのだ。
「よかったら、行ってみてね」
そう微笑みかけて、ヴィナは二人と別れたのだった。
「……本当だ。綺麗なところ、だね」
静と藍は、ヴィナの勧めを受けて、庭園へとやって来た。
「ああ……」
だが、相変わらず、藍はどこか心ここにあらずといった感じだ。風景や人にも、ほとんどその目には映っていない。ただ、……静だけを、見ている。
「…………」
その眼差しが、単なる慈愛に満ちたものではないことに、静も気づいている。
焦燥と不安、……それから、恐怖。
目を離した一瞬で、静が目の前から消えてしまうのではないかと、ただ、恐れている。
そのことに、静は、ちゃんと気づいていた。いや、ようやく、気づけた。
自分の心から焦りという曇りが消えて、初めて。……同じ影が、藍の心にも巣くっていることに。
「藍。少し、座ろうか? ずっと歩いてばっかりだったもんね」
東屋を見つけ、静はそう提案する。ちょうど、先ほど買い求めた水蜜桃もある。
「そうだな」
藍は頷き、一歩先に行くと、東屋の椅子に触れた。静が座っても大丈夫か、確かめるように。
小鳥の鳴き声が、遠く響く。涼しい日陰の椅子に並んで座ると、ようやくほっと一息つけるようだった。
「もう少し早く、休めばよかったな。悪かった」
藍がそう気遣う。それに、静は黙って、首を横に振った。
沈黙が落ちる。そよ風が木々の歯を揺らす音と、小鳥の声だけが聞こえた。それから、微かに、すぐ傍にいる彼の息づかいも。
……それがわかるほど傍に居るのに。どうして。
こんなにも、もどかしさばかりが募るのだろうか。
「ねぇ、藍……」
ぽつりと、静は呟く。そして、勇気を出して、膝の上できつく握られた彼の手に、自分の手を重ねる。
一回り大きな、藍の手。それが、握りかえしてくれないかと、微かに願いながら。
「あのね、……僕は、藍が必要だよ」
ぴくりと、藍の手が動く。だが、口に出しては、藍はなにも答えない。
「藍はアリスだけど……だからこそ、藍が存在してるってことそのものが、僕が、藍を必要としてるっていう、証明じゃないの、かな……」
伝わって欲しい。そう、願いながら、静は藍の横顔を見つめた。
――今は、まだ。恋じゃなくていい。
ただ、信じてほしい。そんな、不安そうな顔をしないで、前みたいに笑ってほしい。
望むことは、ただ、それだけだった。
「……静……」
ようやく、ぽつりと、藍の口が動く。
そして、ぎこちないほどにゆっくりと、静の顔を見つめ返した。
瞳の奥を探るような眼差しに、静は微笑みを浮かべ、じっと目と目をあわせる。
「…………俺は、静の傍に居たい」
振り絞るようにして、ようやく、藍はその心情を吐きだした。
「一人で、遠くにいかないで欲しい……頼む」
藍の顔が、苦痛に歪む。だが、そんな藍に手を伸ばし、静は藍の肩に腕をまわして抱き締めた。
「いかない、よ。……藍の傍に、いる」
「…………」
どうか、信じてほしい。
そう願いながら、静は暫くじっと、そのままでいた。
……小さく、藍が頷くまで。ずっと。
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