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人魚姫と魔女の短刀

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人魚姫と魔女の短刀

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【突入・4】


 富永 佐那(とみなが・さな)の血筋は少々複雑だ。
 端的に説明すれば彼女はロシア系ブラジル人を母に持つ日系二世である。
 更にパートナーのソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)もまた同じく、ロシア語が堪能である為、その旨を予めターニャに告げていた。
「――咄嗟の指示は母国語でも問題ありませんよ」
 互いに日本語で会話する事も可能だが、母国語の方が安心出来る時や、早く伝えられるものもあるだろうという配慮をする佐那に、ターニャは笑顔で頷く。
「今回佐那さんと私の入る隊の分隊長になっているルカシェンコ一等軍曹はウクライナの方ですから、ロシア語も堪能ですよ」
 (*ウクライナ語はロシア語と殆ど同じようなものの為、ウクライナ人はロシア語を理解出来る。逆は難しい)
「ミロシェヴィッチ大尉はヨーロッパの言語なら大体話せるみたいです、それからシュヴァルツェンヴェルク中尉も日常会話なら支障は有りませんでしたね。彼チェコ出身です。
 少尉お二人と曹長もだったかな……、偵察のノヴァク一等軍曹も――要するにスラヴ系の方は大体通じた筈です。
 っていうかうち、スラヴ人だらけですけどね」
 ヘラヘラと笑う彼女に例のルカシェンコ一等軍曹を紹介して貰い、是非ヴォロージャと愛称で呼んでくれ等と雑談を交わした経緯を頭に浮かべつつ、佐那はターニャと上官のやり取りを見守っていた。
 今も「案外簡単に辿り着けましたね!」と口を滑らせた彼女が、嗜められたところだ。ターニャは調子の良い性格らしい。ソフィアと二人笑っていると、言葉の通じない契約者達が首を傾げるので、佐那は二人の間に割って入る。
「ターニャ、ヴォロージャ、そのくらいで。
 そろそろですよ」
 佐那の言葉に頷く間に、扉の解錠は済んだようだ。
 既に割れている実験室内部の構造、またそこには被害者達も多数存在する上、彼等が激しく疲弊している事から派手な突入はせず、銃器を持ったもの優先で飛び込んで行く。
 突然現れた軍隊と契約者のグループに、部屋の中に居た研究者達も茫然とするばかりだ。プラヴダの兵士たちが彼等に向かって慣れた動きで銃口を突きつける。
「――我々は抵抗が無ければ攻撃は行わない。武器になるものを捨て、両手を挙げ膝を付け」
 そんな風に続く口上に従い、研究者の殆どが投降の姿勢を取る中、一人の研究者が銀のテーブルからメスを取ろうと手をゆっくりと持ち上げた。しかし――、指先がメスまで後数ミリというところでその研究者の身体は宙に浮いていた。
 佐那が研究者の懐まで素早い動きで潜り込み、腋の下から自分の首を差し入れた後、そいつを軽々と肩の上に相手を担ぎ上げたのだ。
「それがどんな僅かな動きでも、私の風は流れに生じた乱れを逃しませんよ」
 部屋に篭りきりだった研究者の身体など、契約者である佐那にはペンよりも軽い。
 そのまま研究者を軽く放り投げると、落ちて来たに顎に膝蹴りを叩き込む。それは骨が砕ける程の衝撃だったが、床で悶えている身体をプラヴダの兵士が一気に拘束する様子を見下ろしながら、佐那は言い放った。
「非人道的な実験に腐心する心無い手合いには善い御灸になるでしょう」
「…………そうね」
 佐那の言葉に、ルカルカは痛む心を抑え付ける。
 部屋の中には血の匂いが充満し、あちこちから被害者のうめき声が聞こえ、目を背けたくなるような光景が広がっている。
 まさしく人を人と思わない行為が、此処では何十何百と繰り返されてきたのだろう。
 ルカルカの目の前のベッド――否、実験台で、まだ幼い少女が腹と頭を開かれた状態で息絶えている。
「許せない!」
 唇を噛み締めていたルカルカの隣で、コードが銀のテーブルを叩き付けた。彼の拳の下でメスが衝撃にぐにゃりと曲がるのを、ルカルカは一瞥する。
 ――コードは青い。まだ若いのね。
 それは悪い事では無いのだとルカルカは唇を少し歪ませる。ただ教導団の軍人として、彼女に今その反応をする事は許されない。
「コード、私達には今すべき事があるわ」
 コードの肩に手を置いてダリルを見れば、彼はもうプラヴダの兵士や他の契約者と同じく既に動き始めていた。
「教導と病院に収容の手配の連絡を――」
「その辺りはストヤノフ少尉に一任されている」
 上官の言葉に続いて、ターニャが説明を入れた。
「重傷者の収容先の病院は既に手配済みです、病院までは軍医が状態を確認しますし軽傷者は作戦協力の契約者の方が、中等症者は衛生が――、今通信兵が連絡したから3分以内に此方に到着します。
 それから国軍への連絡はもう暫しお待ち下さい」
「しかし――」
 嗜めるようなダリルの声に、ターニャは困ったような笑顔でウィンクした。
「大丈夫。ストヤノフ少尉は過去に教導に居た事も有る方ですから、あちら側の段取りも分かっておられますよ」
 言いながら踵を返すターニャに頷いて、ダリルも動き出した。被害者達を回復をしようという契約者はもうすでに動いている。

 手の感覚を失い、膝から下が消え失せている少女を悍ましい実験台から下ろして、エースはプラヴダ兵士から受け取った毛布で彼女を包み込んだ。
 少女は声を出す事もまま成らないらしく、虚ろな瞳がゆるゆるとこちらを見るのは恐らく、自分が救助されている事に実感が持てないからだろう。
「大丈夫、君は助かるよ」
 笑顔を向けつつ回復のスキルを使用する。医療や生物学に秀でた彼にはまず誰から、何処をどうするべきなのかが正確に判断出来た。
(でも何でも魔法で元通りって訳にはいかないからね――)
 そんなにご都合主義にはいかないのだと、エースがある種シビアに考えるのは被害者となった人々が心に負った傷の事だ。
 視線を上げれば、少女の膝の下が存在しないのは決して先天性のものではなく、此処で行われた加速の為実験で失ったのだと言う事がモニターに浮かぶ硬質な文字で理解出来た。
 地下深く、暗い実験室で同じ被害者たちのうめき声や叫び声を聞きながらこの娘はどれだけの時間を過ごしたのだろうか。きっと永遠に思えたのだろうに違いない。 
 一瞬、主人が眉を顰めるのをエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が見逃す事は無かった。
「あっ、いけませんよ!」
 そう言ったの故意で、エオリアが用意していた『台詞』だった。
 エオリアが人差し指で自らの胸をトントンと叩いて合図すると、上質な執事服の胸ポケットから掌サイズの繕い妖精が飛び出してくる。
 妖精は必死で追いかけるエオリアをまいて実験室の中をぴょんぴょんと駆け回り、やがてエースが治療を続ける少女の腹の上に着地した。
「こら!」
 エオリアが妖精をつまみ上げようとすると、指先をすり抜けた妖精は少女の肩に飛び乗った。
 小さな事件に驚いていた少女の顔が、やがて今にも泣き出しそうな程幸福な笑顔に変わるのに、そう時間は掛からない。
 エオリアとエースはそっと目配せする。
 暫くの後、別の被害者の元へ動いていたエースは、プラヴダ兵士と契約者の動きが俄に慌ただしくなってきた事に気がついた。
 此処に辿り着く迄前衛に出ていたカガチとターニャが扉の方まで歩いて行く。
「きたんだね」
「はい」
 既に他のものと連携しているエオリアに確認を取る。
 此処に来る迄警備員は一掃してきたが、追いついてきたのだ。
(T部隊か……。
 治療済みの人や自分達まで攻撃されないように気をつけないとな)
 いざと成れば自らが動く事も辞さない覚悟で、エースは動き出した。

「アレクとジゼルが二人で突撃して行ったというのは、ジゼルもミリツァを受け入れたと言う事か?
 ミリツァが敵でなくなったなら何よりなんだろうが。
 ……わからない」
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が呟くのにエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)は振り向いて首を振る。
 記憶喪失が原因で、グラキエスは精神面で未発達なところがある。
 敵をした相手を許したり、助けようとする――、大人として『割り切る』部分についていけていないのだ。
 混乱に眉を顰めるグラキエスを見て、エルデネストは面白く無いと感じている。悩む顔を見ているのは悪く無いが、それに手一杯なのが気に入らない。
「グラキエス様、そろそろまた戦いが始まります。
 何か腑に落ちぬ事がございましたら、この後で私がお答えしましょう」
 そんな風にこの場は一度戦いに専念する様に促して、エルデネストは自らも戦いに備える為にグラキエスとスナイパーライフルを構えるウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)の前に立った。

「ご主人様、敵の行動予測はこのハイテク忍犬にお任せ下さい!」
 フレンディスを見上げている忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)は、今日は珍しく人間の姿だ。
 これは今回はご主人様その2ことアレクと同行出来ない事や、この姿の方が適しているだろうと考えた部分もあるが、もしミリツァにまた怯えられてはとの涙ぐましい?豆芝犬の配慮である。
「今日も頼りにしていますよ、ポチ」
「はい! 建物内部は大体把握しました。後は集めた情報を皆さんに逐一お伝えします」
「ポチはいい子ですね」
 人の姿とは言ってもまだ耳と尻尾は獣のままだ。頭を撫でられて尻尾をフリフリと嬉しそうに振りながら、ポチの助は「役立たずのエロ吸血鬼と違って。ぷぷぷ」とこっそり笑う。
 普段ソウルアベレイターとしてフレンディスをサポートしているベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)だったが、この不安定な建造物の中で、派手な魔法を使うのは危ぶまれた。
 ――使えて精神系のスキルくらか? を考えているところを、ポチの助に『役立たず』と称され指摘されたのだ。
「確かにあんま役立たねぇかもしれないけどな!?」
 お前にだけは言われたく無いとかなんとか、二人が何時ものパターンで小競り合いを始めたのを横目に、アリッサ・ブランド(ありっさ・ぶらんど)は大好きなフレンディスの背中に甘えている。
「もー!
 こんな事件黙っていたなんておねーさま狡いー!
 ポチちゃん達に負けないようアリッサちゃんも頑張っちゃうもんね!
 とりあえず悪い子を見つけたら苛めていいんだよね?」
 事件を(面白そう)と思った部分は不謹慎かと心の中にしまっておいた。何しろこの事件のまっただ中に居るのはフレンディスの親友なのだ。
 その辺の経緯はスキルにより情報をを得ているのでバッチリだ。
「でもお姉様――」
 アリッサは藤紫のオーラを放つフレンディスの肩に手を置いて、フレンディスにしか聞こえない様に囁いた。
「殺気が溢れてるよ。アレクさんとの約束があるでしょ、お姉様は手を出しちゃ駄目」
 その言葉にハッとして、フレンディスは振り向くと同時に思い出す。
 かつてゲーリングの洗脳により兵器セイレーンと化したジゼルを止めに行った時、万一の時はジゼルを殺さねばならぬのかと悩むフレンディスに、アレクはパートナーの事は自分が何とかすると言ったのだ。
(ゲーリングを裁くべきなのは被害に遭っているジゼルさんと騙されていたミリツァさん、
 それに大切な人を傷つけられたアレックスさんとアカリさんだけ。
 正直を言えば今直ぐにでも奴を殺してしまいたい。然れども、私にその権利は有りませぬ……)
 あの約束はきっと、今回も適用される筈だとフレンディスは考え、殺気を抑えようと自らの腕を握りしめる。
「しかし、何故その事を……」
 アリッサはあの時戦いの場に居なかった。それにあの約束自体、殆どプライベートで行われたものなのにと首を傾げるフレンディス。
 それにアリッサは「うーん、お告げ?」と、曖昧な返しをするのだった。

「どうせ俺突っ込んでいくしか出来ないから――」
「了解です。じゃあ私はその次に突っ込んで行きますね」
 ターニャの言葉に皮肉めいた笑顔を向けるカガチを横目で一瞥して、なぎこは思っていた。
(カガチちょっとぴりぴりしてる。
 多分アレクさんがぴりぴりしてるの、影響受けてる)
 仲良き事は美しき哉――とは言え、少々厄介な事にもなるものだ。此処にはアレク本人は居ないものの、同じような顔が並んでいれば思うところもあるのだろう。
「二人が剣になるのなら、私は皆を守る『盾』になるよ」
 なぎこが振り返った二人に凛とした笑顔をみせるのに、葵が腕を伸ばし首を伸ばし軽いストレッチをしながら続く。
「さてじゃあ僕は、皆が戦い易い様奴等の統率乱しといてやるか」
「フラグ立ったと思ったらいらんフラグ立つしで俺もうどうでもよくなってきたわ
 ええい成るように成るんだ為すように為すぞ!

 ……つっても俺やっと勘戻ってきたばっかだからの、せいぜい出来ても警備員のお相手くらいじゃな」
 四人が東條 厳竜斎(とうじょう・げんりゅうさい)が締めくくった言葉に唇を歪める間に、向こう側から足音が響いてきていた。