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【アナザー戦記】死んだはずの二人(前)

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【アナザー戦記】死んだはずの二人(前)

リアクション


♯1
 

 もし生物を、狩る者と狩られる者に分けるのであれば、彼らは確実に狩る側の生物であった。
 二つの足で直立しながらも、昆虫由来と思われる外骨格に身を包み、大きな目は色彩には弱みをもつものの、動くものを発見する事に関しては横に並ぶものはほとんどない。
 彼らの前において、生身の人間などただの肉でしかなく、多少装備を固めたところで、やはり獲物の範疇であり危険な存在とするには足りない。
 昆虫人間、インセクトマンと名付けられた怪物達は、自分達の近くを通り過ぎていった人間の影を追っていた。見失う程は離れてなく、しかし手を伸ばすには遠い。そんな微妙な、つかずはなれずの距離を保つ獲物を、ひたすら従順に追いかけていた。
 彼らには思考といった概念はほとんど存在しない。単純に、動く物があるから追っている。それだけの行動だ。
 この町にはもう人は残っていないという情報も、その情報を元にした疑問も彼らには浮かんできたりはしない。相手が、こちらとの距離を調節しているのかもしれない、なんて考えも当然沸かない。
 導かれるまま、インセクトマンは地下への階段を駆け下りた。
 本来は広い駐車場だったのだろう。だが、あちこちの天井が崩落し、古い自動車を押しつぶし、道を塞いでいる。
 光源の無い駐車場でも、彼らの目は優秀で獲物の動きを捉える。当然、追う。他の選択肢は無い。
 少し距離が遠ざかっただろうか。彼らは互いに言葉を介したコミュニケーションはしないが、ほぼ同時に速度をあげた。連携ではなく、単純故に全く同じ結論に達したのだ。
 そうして進んだ先は、袋小路だった。今までと違い、周囲がしっかりとした壁に囲まれている。動かないし、そもそも彼らの視界に映っても理解できないが、太い管がいくつも通っている。駐車場に隣接したボイラー室か何かだろう。次の瞬間、扉が叩きつけられるように閉められた。
 ここに至ってなお、彼らは自分達が誘い込まれたという考えは浮かばない。彼らの視界を横切る、霧か煙かわからないものについても、何の疑問も浮かばない。
 室内に充満しているこの細かい粒子は、砂糖やコーンスターチ、小麦粉といったものだ。どれも賞味期限切れの代物である。
「ココアに粉ミルク、まるでちょっとした料理でもつくるみたいだな。……もっとも、その素材があんまり旨そうじゃないのが残念だが」
 ボイラー室から離れ、隣のビルの一階。空になった袋をつまみあげながらジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)は一人呟く。
 これらは近くの食料品店からかっぱらってきたものだ。店頭はすっからかんだったが、奥の倉庫にはいくらか残っていた。どれも期限が過ぎており、食用に足るものはほとんど残っていなかった。
「さて、そろそろか」
 窓から外をうかがう。ぱっと見渡した限りでは、怪物の姿も、人の姿も無い。
「やれやれ……危険度でいえば最近の地球はパラミタとそう変わりがなくなってきたな」
 自分の記憶が確かであれば、地球のイギリスにおいて怪物対策の指導と実践のために訪れていたはずだ。怪物との戦いの経験が浅い軍や警察の人間に手ほどきをするという、ちょっとしたアルバイトのようなものである。
 そのはずなのだが、気が付けば住民は避難しきっているし、教えを講うはずの軍人の姿も無い。おまけに、通信機はイカれたのか、連絡もまともに取れない。しかも、怪物だけはやたら増えている。
「よし、来たか」
 蓋の無いマンホールから、フィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が姿を現したのを確認すると、ジェイコブはずっと手の内で弄んでいたスイッチを押した。単純な無線を利用した発火装置だ。間もなく、中々心地よい爆発音と振動が響く。
「うまく行きましたわね」
 既に割れていたガラス窓から、フィリシアが室内に滑り込む。
「何匹いけた?」
「八か九といたところですわ」
「まぁまぁだな。さて、生き残ったツワモノはいるかな」
 外からは見えないように、二人は身を隠す。
 インセクトマンは非常に単純な怪物である事は、イギリスでの戦闘で既に判明している。複雑な行動をするには、指揮官タイプが随伴している必要があり、そうでない場合の行動は容易く想定できる。
 彼らの行動の一つに、仲間を呼ぶというのがある。不利な状況になると、近くの仲間を呼び寄せるのだ。その為の仕草などは判明してないが、いわゆるフェロモンの一種ではないかと推測されている。
「ぞろぞろ来たな……だが、でかぶつはいないようだ」
 インセクトマン達は、あちこちから姿を現しては、最初にフィリシアが通ったルート通りに地下駐車場へと入っていく。その行進はアリの行進のようだ。
 彼らは当然真っ直ぐ既に崩壊しているであろうボイラー室に向かうだろう。行き止まりへと仲良く揃って一列にだ。
「途切れたら出るわよ」
 別のビル、駐車場の入り口が真正面から見えるビルの二階の窓辺にセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の姿があった。彼女の後ろには、共に行動する部下十人とセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の姿もある。
「しかし、うまく行くものね」
 セレアナは若干呆れた様子で、怪物達の行軍を見守っていた。
 人間であれば、数人を偵察に出したり、周囲の警戒をしてみたりと行動はいくらでもあるはずだ。自身が同じ立場だとして、あそこまで忠実に罠としか思えない場所に殺到するだろうか。
「うまく行く事に越した事ないわよ。こんなわけわかんない状況で、わけわかんない事やってるんだから」
 セレンフィリティはちょっぴり不機嫌な様子だ。
 特別手当も出るイギリス出張、時間に余裕もあり観光もできる。出てくる怪物の脅威も高くない。と、おいしそうな話だからとやってきてみれば、味方と孤立するし脅威じゃないという怪物は大量に沸いてくる。これでは騙されたようなものだ。
「それにしても、市民はどこ行っちゃったのかしらね? おかげで、準備は滞りなくできたけど」
 セレアナや部下は、様々な銘柄の瓶を傍らにおいていた。中身はアルコールを中心とした可燃物である。これらは近くのスーパーなどで拝借したもので、そこで大量の粉物をカートに入れて運んでいるフィリシア達と偶然合流した。
「……行くわよ」
 怪物の切れ目を見て、セレンフィリティはハンドサインを出す。あまり待ちすぎても、せっかく入ってくれた怪物達が出てきてしまう。
 最初にセレアナが出て、それに部下が、殿をセレンフィリティが受け持ち警戒しつつ、素早く駐車場の入り口につく。
「お・も・て・な・し、の時間よ」
 襲撃は無い。集まったのはこれで一区切りのようだ。
 セレアナは手にもった瓶を駐車場に投げ込む。それに続いて、部下達もモロトフカクテルを次々と投擲した。真っ暗だった駐車場に炎の明かりが灯る。いくつかの炎は、人の形をしつつ踊っているようだ。
「一人二本までよ、残りはとっときなさい」
 次々投入された火炎瓶によって、あっという間に駐車場は明るくなった。
「小麦粉をまぶした昆虫の蒸し焼きの完成ね」
「是非とも遠慮したいわね」
 セレンフィリティは視線をジェイコブ達の隠れているビルに向ける。窓からジェイコブらしき手だけが見える、ハンドサインは次のポイントへ移動する、だそうである。
 炎の勢いは十分ある、しばらくすれば、駐車場に残っていた車の燃料に引火して地下の昆虫人間に大打撃を与えられるだろう。完全に駆除できるかは怪しいところだが、状況はこちらが寡兵である。無理してもいい事などはない。
「にしても、何なのかしらねこの奇妙な状況」
「私が知るわけないじゃない。それより、移動するわよ」
 料理の下ごしらえはここだけではなく、いくつか用意している。
「なんで宝くじとか当たらないのに、こんな不運ばっかり……」
 愚痴は零しても動きは機敏に、余計な戦闘を避けるために部下を引きつれて次の調理場へと向かった。