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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●スプラッシュヘブン物語(13)

 その頃フォレスト家では、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)が、妻のミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)と共にあった。場所は窓際の特等席。少し風がでてきていい気持ちだ。夫妻の一粒種、生まれたばかりの娘、ミリィも一緒だった。
 赤ちゃんはこのところ腕の力が強くなって、涼介の前髪を無造作につかむと、ぐいぐい引っ張ってきたりする。これに苦笑しながらも、涼介は彼女の成長を感じ、父親としての充実を味わっていた。
「……ふたりは出かけたか」
「今日も、行き先はスプラッシュヘブンですってね」
 ここにミリィ……赤ちゃんのほうではなく、成長した姿で家族に加わったミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)がいないことを、確認するように涼介は言った。
「あの子もそろそろ親離れでもしたのかな……」
 それは嬉しくもあり、どことなく寂しくもある認識だった。
 
 そう、スプラッシュヘブンには、ミリィとクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)の姿がある。
 ふたりともオレンジと白のストライプ柄制服に袖を通したばかりだ。
 アイスクリームショップのコスチュームである。
「前に来た時はみんなで遊んだけど、こうやってアルバイトをするのもいいよね」
 サンバイザーもしっかり下ろし、クレアはスキップするような足取りで進む。
「うん! 南さんも一緒だし!」
 ミリィも早足だ。今日は遅番、まずは一日で一番忙しい時間帯からスタートである。
「やってるやってる! 南ちゃーん」
 クレアが手を振ると、小山内南は「早く早くー」といわんばかりに笑顔を向けた。
 だが片手は、お客に釣り銭を渡しているのだ。
 もう片方の手で南は、レシートを「びっ」と切っている。
 彼女の後ろでは、同僚のカーネリアン・パークスが黙々とディッシャーにてアイスを盛っていた。
 かなり行列ができている。忙しいのは一目瞭然だ。援軍として来た甲斐があるというもの。
 さっとミリィは行列を整理し、その一方で呼び込みを行う。
「いらっしゃいませ〜、おいしいアイスクリームありま〜す」
 クレアは、
「手伝います」
 と言ってカーネリアンの横にならび、せっせとディッシャーをふるうのだ。
 ミリィの呼びかけの効果か、ますますお客は増え始めた。整理するほうも楽ではない。
 けれど額に玉の汗が浮かんでも、ミリィは気持ちいいとすら感じていた。
 ――普段はお母様のお店のお手伝いをしていますが、他のお店で働くのは初めてなのですごく新鮮ですわ。
 今日はしかも、バイト代が振り込まれる日なのだ。ミリィはわくわくせずにはおれない。
 仕事が終わってバイト代を下ろしたら、その足でプレゼントを買いに行こう。
 ミリィのわくわく気分が伝わってきたのか、クレアも自然に笑顔になっていた。
 ――びっくりしたなぁ……ミリィが『アルバイトをしたいですわ』って言い出すなんて。
 しかもその理由が、
 ――お兄ちゃんに誕生日プレゼントを買ってあげたいから!
 というのだから。
 あの子一人だとバイトをさせてもらえないと思って、クレアはこうして一肌脱いでいるというわけだ。つまり、自分も一緒にアルバイトに応募したのだ。
 ちょっと疲れたのか、南の表情が曇りだした。これはいけないと、クレアは親友に声をかけるのだ。
「さあ、南ちゃん。笑顔笑顔! 笑顔でやらないとお客さんが来ないよ」
「はい! 笑顔笑顔!」
 その言葉が栄養ドリンクだったとでもいうように、南の顔がふたたび晴れる。
 全然笑顔でないカーネリアンは、奥で黙々とアイス作り、だからこれでいいのだ。
 ミリィはもう、涼介に買うプレゼントを決めている。
 実は数日前から、目星を付けているものがあるのだ。
 それは蒼を基調としたネクタイ。
 イルミンスール魔法学校の講師になった涼介が、スーツを着る機会が増えたことを考慮しての選択だった。
 てきぱき仕事をこなしつつ、ミリィはすでに、涼介が喜ぶ顔を想像してニコニコとしている。
 ――ネクタイの色、お父様に似合うかな。

 このときクレアとミリィとは別方向から、スタンドに入ってきた顔ぶれがある。
 やはりストライプ制服にサンバイザー、両脚を揃えて、礼。
「今日はこっちのシフトになりました。富永 佐那(とみなが・さな)です。宜しくお願いしま――あら? カナさん」
 佐那はカーネリアンのことを『カナ』と呼ぶ。
 知らない仲ではないので、佐那はカーネリアンの横に入って、アイス作りに精を出すのだった。
「カナさん、その様な無表情ではお客様もたじろいでしまいますよ。もっとスマイル、スマイル、です♪」
「仕事はちゃんとこなしている。笑顔まで作る必要はない」
「えー……そうですか、困りましたねぇ」
 佐那はしばし、アイスクリームディッシャーをつかんだまま思案顔だったが、
「そうだ!」
 と何か思いついたらしい。
 しばらくは一人でニヤニヤしていた。


***********************


 カーネリアン・パークスの姿をアイスクリームスタンドに見つけたバロウズ・セインゲールマンだったが、さすがに途方に暮れてしまった。
「あーら、あの子、カーネリアンよねぇ?」
 とアリア・オーダーブレイカーは暢気に言っているが、バロウズの悩みは深い。
 無表情ではあるが忙しそうに働いているカーネリアンに、どう声をかけたものか。
「やあ、あなたの兄、バロウズです」
 という名乗りが、果たして通用する相手か、どうか。
 ――通用、しないでしょうね……。
 しかしこのとき、バロウズの逡巡は破れた。
 バロウズは気配を感じたのだ。
 唐突に。
 クランジとして。
 『姉妹(シスター)』、つまり別のクランジ個体の気配を。
 これはクランジ同士の共鳴現象だ。ときに憎み合い、殺し合うことがあろうとて、クランジが互いを『姉妹』と呼びあう理由のひとつがここにある。
「ユマ・ユウヅキさんですか……? いや……違いますね……」
 バロウズは目を見張った。
 柊真司、そしてリーラ・タイルヒュンに連れられている銀髪の少女、あれはクランジΙ(イオタ)ことイオリ・ウルズアイではないか。

「パティったら幸せそうだったわね〜。新婚さんヒューヒューって感じ!」
 リーラはうっとりしたような表情で、わざとらしく胸の前で手を組んだりしている。
 真司たちはパティと邂逅し、さっきまで短い会話を交わしてきたのである。
「だってそうじゃない? なんだかんだ言ってクランジの中で一番幸せになった一人よねパティって。……もう一人はユマね」
 さらっとリーラからユマの名が出るようになったのは、真司がすでに自身の幸福を見つけたからだろう。真司も、
「そうだな」
 とわだかまりない様子で認めている。
「イオリもいつかパイやユマみたく、誰かと結婚したりするのかしら?」
 さりげなくリーラはイオリに水を向けたが、
「つまらないことを言うなよ」
 気に障ったのか、イオリはぷいと横を向いてしまった。
「結婚などというのは、本来永続するわけのない愛情を、永続すると決めてかかって無理にひとつの枠に押し込める無意味なシステムだ。僕は、興味ないね」
 ところが全否定されようと、リーラは一向に気にしない。軽い口調で言った。
「ほらまたそんな小難しいことを言うー。だから『中二病』なんて言われるのよ」
「ちゅ、中二病だと……!? 中二病とか言うな! 言うなー!」
 どうもその言葉は、イオリのウィークポイントらしい。けっこう本気で嫌がっている。頭から湯気がたちのぼりそうなほどに。
 これはいけない、と真司が仲裁に入った。
「リーラ、ほとほどにな」
「怒ったのならごめ〜ん、機嫌直して〜。でもイオリちゃん、私のほうがまだ一枚上手じゃない?」
 リーラはうふふと笑ってイオリの頭をなでなでとする。
 イオリはますます、むくれていた。
 ただ、リーラの手を払いのけようとしないところからして、イオリは彼女に好意は抱いているようだ。
 そしてこのときイオリは、バロウズと同じ感覚に打たれたのだった。
「……オメガ!」
 バロウズの姿を目にとめ、狼を思わせるあの視線を向ける。
「……バロウズと呼んで下さい。イオリ・ウルズアイさん、ですね」
 今日、何度か繰り返した言葉を口にして、バロウズは次の一手をためらっていた。
 なぜなら計画図が崩壊したから。
 ――アイスが先、だったのに……!
 バロウズとしては、いきなりイオリに話しかけるのはためらわれた。それに理由も必要だ。手ぶらでイオリの名を呼び、「幸せとは〜」なんて問うのは不作法……というよりはただの変な人のように思われた。
 だから、
 (1)まず、アイスを買いに行って偶然を装い、カーネリアンこと『クランジΚ(カッパ)』と話す。
 (2)つづいて、アイスを土産にしてイオリこと『クランジΙ(イオタ)』と話す。

 という手順を踏めば違和感なくふたりの『姉妹』と話せる――コレでいこう! と考えていたのだ。ゆえにバロウズの落胆は大きい。正攻法が敗れたのであるから。
 いやそれ正攻法か? という指摘は控えておこうではないか。『本人なりに頑張ってみたものの、色々テンパッてて空回りしている気がしなくもないバロウズの図』と微笑ましく見守るのがこの場合理想的ではなかろうか。
 さて焦るあまり、このときバロウズは、同行のアリアすら腰を抜かすようなことを提案していた。
「あの……イオリさん、それに皆さん、僕と一緒に……アイスクリーム、食べませんか?」
「な……なにを言って……! ……本気か!?」
 クランジは予想外の行動に弱い。まったく想像できなかったバロウズの申し出に、イオリは混乱し、何度もまばたきし、そしてしばし、言葉を失っていた。
「その話、乗った」
 イオリに代わってバロウズに応じたのは真司だった。
「せっかくの機会だ。イオリは何味のアイスクリームが食べたい?」
「何味って……僕には、お前たちが理解できないよ。……ほんの少し前まで敵同士で、とくに僕は、そっちからすれば宿敵中の宿敵だった。それが戦いが終わったからといって、こうしてあっさりとフラットに戻る。……本当に、理解できない」
 言葉の通じない外国で母国語の単語が間違って使われているのを発見した、とでもいいうかのような口調だった。
「理解できるようになりたいか?」
 口調こそぶっきらぼうだが、真司の声には彼の優しさがにじんでいた。
 イオリは彼を見上げた。
「……したくないわけじゃない」
 ――どうしても素直になれない子よねー。
 リーラがそっと笑った。いちいち突っ張るのが可愛いと思う。
「なら……一度しか言わないからしっかり聞いてほしい」
 真司は一旦言葉を切り、そしてこう言ったのである。
「イオリ・ウルズアイ、俺と契約しろ」
 バロウズも、アリアも、
 リーラでさえも、
 もちろんイオリも、想像だにしなかった真司の申し出だった。
「そんな話! 僕は……!」
 この場の誰も、口をきかなかった。イオリの発言を待った。
「僕は……」
 最初の激情がおさまると、イオリの声は、徐々にか細いものへと変化していった。
「……僕は、その提案に、魅力を感じはじめている」
 我が身を抱くようにして丸めたイオリの背を、リーラがうしろから抱きしめていた。
「だったらその直感に従ってみない? イオリ」

 しばらくして。
 ようやく混雑は収まってきた。それでもカーネリアン・パークスは、ただ黙々と顔も上げず、アイスの盛りつけに勤しんでいる。
「カナさん、お客様よ」
 富永佐那が呼びかけてくるが、最初カーネはそれを無視した。
「だから、カーネリアンさんに用があるんですって」
 クレアまで呼びに来たので、うるさそうにカーネは振り返った。
「誰が何の用だ」
 イラッとしたその口調が、目にした顔を前にして消えてしまう。
 何人もの見知った顔があった。そのなかでも、特にふたり、カーネの注意を惹く姿があった。
「オメガ……! イオタもだと……!」
「大事な報告があって来たんだ」
 イオタが最初に口を開いた。


 彼らの会話を邪魔せぬよう離れた場所で、イオリ、カーネリアン、そしてバロウズを眺めながらアリアは思う。
 ――でも「妹」とはいえ、やっぱりあの子たちの可愛さって反則レベルよねぇ。
 なにせ三人とも、嫉妬せずにはおれないほど整った顔立ちなのである。
 イオリは子役モデルのようだし、カーネリアンは無愛想すら魅力にしてしまうほどに美しい。
 それにバロウズだ。彼は手入れを特になにもしていないはずなのに、しかも男性なのに、つやつやの肌に儚げな顔立ち……許されるのならば自分と取り替えてほしいとすらアリアは言いたいくらいだ。
 他のクランジだってそうだ。パティ、ローラ、ユマ、大黒姉妹……いずれも傾国の美女たる資格があると思うアリアである。
 このとき、はたとアリアが気づいたことがある。
 ――まさか、クランジの共通にして最大の能力って……!?
 いやそんなはずはないのだが。
 でも……?