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リアクション
カナンを覆う闇(3)
鋼鉄の刃と光条兵器の光の刃が全力でぶつかり合う、耳の痛くなるようなすさまじい剣げき音がフロア中に響いていた。彼女たちの大剣が振り切られるたび、沸き起こる風が霧を巻き込み、まるで旋風のように流れる。
アバドンがふるう剣はグレートソード。鋼の大剣だが、光条兵器と噛み合えばいかに脆弱であるかが分かるもの。光の刃はたやすく鋼を穿ち、刃先を削る。しかしその差を補ってあまるほど、アバドンは強かった。
ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が美羽と連携をとり、彼女が押し切られそうになったりかわせない攻撃を受けかけたときに我は射す光の閃刃を放つ。それで同等。
「アバドン…」
重い斬撃を繰り返し、ついにはぎりぎりと力押しでつば迫り合いをしながら、美羽はいつにない殺気立った目で彼女を見据えた。
彼女は坂上教会での一件から……まるで笑顔を失ってしまったかのようだった。にこりともせず、口数少なく、ただ剣を握り締め、非情とも言える攻撃で立ちふさがる敵を打破してきた。それもすべては、このときのためだった。
手の届く位置まで、アバドンに迫るために。
「私、どうしても確かめたいことがあって、ここまで来たんだよ。あなたに会ったら、何がなんでも聞き出すつもりだった。でもさっき、あなたがその答えを教えてくれた。
セテカが闇に染められて、モレクに連れ去られたのも……エリヤが石化刑を受けて、生きている時間を削られたのも……敬虔な神官長だったネルガルが、征服王に変貌させられたのも……それにもしかしたらバァルのご両親の事故だって…。
みんな、みんな、あなたのせいだったんだね」
「だったらどうした? 小娘」
彼女の真剣さを嘲って、アバドンは剣をはじき飛ばす。
「美羽さん、危ない!」
よろめいた美羽に向け、次々と放たれた我は射す光の閃刃をベアトリーチェが相殺した。
「やあーーーっ!」
光と光がぶつかりあうすさまじいまでの閃光の中を、美羽が跳ぶ。必ず守ってくれると、ベアトリーチェを信じているから。
そして大上段から振り下ろされた光の刃を受けたとき、ついにグレートソードは中央から折れた。
砕け散った鋼に、美羽は一瞬でライトブリンガーを発動させる。
「あなただけは絶対に許せない!!」
美羽の爆発に呼応するように、光条兵器がうなりを上げて光を強めた。
光条兵器の光の力に増幅されたように、ライトブリンガーがアバドンを壁まではじき飛ばす。
「いまだ!」
グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)が光学迷彩を解き、近接距離から曙光銃エルドリッジをまだ立てないでいる彼女の周囲に撃ち込んだ。そして一瞬の硬直の間に上半身にワイヤークローを巻きつけ、捕縛に入る。
「こんなもので俺が止められると思うのか!」
ワイヤーは、まるで糸か何かのように、アバドンが腕を持ち上げるだけで簡単に寸断された。
「いいや、思わないさ」
ちら、と一瞬高天井付近に目を走らせる。暗がりにまぎれてよく見えないが、そこには空飛ぶ箒スパロウに乗ったソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)がいた。
グレンが仕掛けたのを見て、ソニアもまた、彼を補助すべく崩落する空を放つ。
「なに?」
突然痛みの走った二の腕に目を走らせた。上から下にかけて、まるで刃物傷のような裂傷がついている。
「これは…」
キラキラ輝きながら上から降り注ぐ、割れた鏡の欠片のような光輝にアバドンが身を裂かれている隙に、グレンは間合いをはかっているように見せかけつつ横に移動しながら怪植物のツタやロープを床に落としていった。
それを手伝うように、ソニアも上空からパラパラと怪植物のツタを落とす。
よろけたアバドンの足がロープの近くに下りたのを見てとるや、グレンはサイコキネシスでロープを操った。するするとヘビのように巻きついたロープが、ツタが、アバドンを縛りつけ、動きを束縛しようとする。
「これは何の遊びだ? 人間。こんなことがしたかったのか?」
ブチブチと音をたてて、アバドンはそれらを引きちぎっていった。あってもなくてもそうたいして変わらないが、肌にまとわりつく植物やロープの感触が不快だからだ。サイコキネシス程度ではアバドンを縛りつけてはおけかったが、そうして気をそらすことはできた。
「なら、これはどうかな?」
びゅっとティセラフレーバーを投げつける。それがアバドンにぶつかる直前に雷術を当て、爆発させた。
「なっ…!?」
浴びた液体に思わず身構えたアバドンだったが、酸などではなく、ただの匂いのきつい香水だと分かって鼻白む。
「こんな物が一体何の役に立つというんだ…?」
全く意味が分からないと、ただ攻撃を受けるよりはるかに困惑している彼女に、グレンは答えた。
「十分役に立ったさ。こうして後ろを取るとかね」
アバドンが振り返るよりすばやく、グレンは慣れた手つきで首輪をアバドンに取りつけた。そして肩越しに吊り上げ、指とサイコキネシスで締め上げる。
「くっ……きさま…っ…!!」
「いくら身体能力がすごくとも、しょせん女の体だ。落ちてしまえ!」
反り返った背。アバドンは首輪を取ろうと躍起になった。だが首輪はまるで皮膚に吸いついているかのように爪が立つ隙間もない。伸ばした足先すら床には届かなかった。これでは踏ん張ることもできない。もがくアバドンを背負い、グレンは容赦なく締めつける。のどを圧迫されたアバドンは、きれぎれの息しかできなかった。
「く……そ……っ…!」
アバドンはのどを掻くことをやめ、両手を空に伸ばした。指先を広げ、まるで何かを抱きとめようとしているかのようで――……
「一体何を……グレン、警戒してください」
これが、酸素不足に陥った彼女が見ている幻覚とかであればいい。けれど、もし何かの策だとしたら…。
ソニアの嫌な予感は当たった。しかも、最悪の形で。
「……何? この音」
美羽は剣を下げ、きょろきょろと周囲に目を飛ばした。
水の流れる音に混じって、何か……ブブブブブブという、どこかで聞いたような音がかすかにしていた。この音……ハエの羽音のような…?
「でも、どこから?」
ここは地下なのに。
きょろきょろと全員が周囲を見渡した。音はだんだんだんだん大きくなる。いまや耳が痛いほどだ。これほど音がするからにはすぐ近くまで迫っているはずなのに、何も見えない。
真っ先に気づいたのは、ベアトリーチェだった。
「皆さん、あそこです!!」
ベアトリーチェが指差すと同時に、源泉へとつながるトンネルから黒い固まりが鉄砲水のように噴き出した。
「グレン!!」
トンネルから飛び出してきた黒い闇の一部が鞭のようにしなり、グレンを直撃したのを見て、ソニアは悲鳴を上げた。
それはイナゴの集団だった。アバドンが呼び寄せたのだ。
「うわああああっっ」
イナゴの直撃を受けたグレンは、全身をイナゴに何重にも覆われていた。肌も服も、何も見えない。ギチギチと鳴くイナゴたちを貼りつかせたまま、彼はよろよろ歩いた。本能的に、自分が攻撃を受けた場から少しでも遠ざかろうとしているのだ。
イナゴの感触がおぞましいのか、それとも見えない下で皮膚を噛まれているのか、グレンは身をよじり、苦悶の悲鳴を上げながら水路に落ちた。
「グレン!!」
流されていく彼を追って、ソニアがフロアを飛び出していく。
「みんな、伏せろ!!」
弾丸のようにぶつかってくるイナゴたちを避けるため、全員が床に伏せた。少なくとも伏せていれば、グレンのように全身を覆われることもない、と。
竜巻のようにイナゴの渦巻くフロアに立つのは、いまやアバドンのみ…。
「――くっ。やはりイナゴを操りセフィロトの力を封じていたのもきさまだったのだな! ただの奈落人とは思えない、この力…。
一体きさまは何者だ!?」
司からの問いかけにも、もはやアバドンは薄く嗤うのみだ。まだ首についたままだった首輪に気づいた彼女はそれを引きちぎり、投げ捨てた。
「アバドンとは、地獄……パラミタで言えばナラカに住まう、王の名…。その名は黒き太陽を意味し、『イナゴの王』、『ヘビの天使』とも呼ばれる…」
グレッグ・マーセラス(ぐれっぐ・まーせらす)は、失せかけた意識の中、つぶやいた。いや、つぶやいたと思っただけかもしれない。イナゴの羽音はすさまじく、床も、壁も、イナゴで覆われかけている。まるで降り積もる雪のように、伏せている者たちも覆われていった。ぞっとするほど醜怪な黒い生き物が、彼らの視界を覆い尽くそうとしている…。
「へぇ。ずいぶん面白いことになってるじゃない」
不意にそんな、ひとを食ったような物言いが入り口の方からした。
王城 綾瀬(おうじょう・あやせ)が、中で展開している身の毛のよだつ光景もものともせず、壁に手をついて立っている。
戦闘狂の彼女が今までどこで何をしていたのか、訊かずともその姿を見ればあきらかだった。頭からつま先まで、返り血を浴びている。
イナゴを蹴り分け、踏み潰しながら、彼女は悠揚とした歩き方で中に歩を進めた。
「はぁい、アバドン。おはつにお目にかかるわね」
「なんだ? おまえは」
「あははっ。べつにだれだっていいじゃないの。どうせこの場限りなんだしさ。ただちょっと気分がよくなって、気が向いたから声がけしておこうと思っただけよ。
ほんと、感謝するわ。あんたたちが戦争を起こしてくれたおかげで、あたしはこうしてカナンで存分に殺戮を楽しめたのだから」
見せつけるように手の甲についた血をぺろりと舐めた。
「ふん。また余計なことを考えたものだ」
部屋で旋回していたイナゴの一部が、彼女の周辺にとどまり始めた。滞空し、綾瀬に頭を向けている。
「そんなことを考えたりしなければ、むざと命を落とさずにすんだだろうにな」
「あら。せっかく足を運んであげたあたしに対してそれはないんじゃない? とんだ礼儀知らずね、あなた」
先までの階上での傍若無人の暴れっぷりで、すっかりスイッチの入った目でアバドンを下からねめつける。
「あたし、あなた嫌いだわ」
綾瀬の殺意に敏感に反応して、イナゴたちの羽音が増した。ギチギチという威嚇音が大幅に高まる。
「ほう。ならばどうする?」
どういう答えが返るか見越した上で、楽しげに含み笑う。
「殺してあげる」
綾瀬は低く構えをとり、全方位に殺気を放った。
「そうか。あいにくだが俺はおまえが嫌いでなくとも殺せるんだ」
その手が上がった。指が彼女を指し示す。それだけで十分。イナゴたちは群れをなし、闇の矢と化して綾瀬に向かっていく。
「ちっ…!」
「だめっ!」
仲間の危機に、全員が反応した。イナゴに埋もれ、屈しかけていた心をふるい立たせ、力を振り絞って立ち上がる。綾瀬の補助をすべく彼らは集結し、得物を手に互いに背を預け合う格好で円陣を組んだ。
「ばかな人間どもだ。あのまま死んでいれば、さらなる辛苦を味合わずにすんだだろうに」
くつくつと嗤いながらアバドンはさらにイナゴを向かわせる。そうしてアバドンを包むイナゴの層があきらかに薄まった瞬間。
背後のトンネルから、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)がバーストダッシュで飛び出した。
ブラックコートがひらめき、その下からブレード・オブ・リコの白刃が見える。
しかしアバドンはこの奇襲を読んでいた。
「愚か者め! 人間ごときがこの俺を欺けると思ったか!」
苛烈な赤い瞳がさらに残酷さを増した光を発し、嘲弄する。
「くそっ!」
奇襲に気づかれていたと知っても、もう勢いを止めることはできない。このまま突き込むしかない。
そんなトライブに向け、我は科す永劫の咎を放とうとしたときだった。
アバドンの腕が、あきらかに硬直した。
「なにっ!?」
――アナタニハ、モウ、コレ以上、ダレモ傷ツケサセタリシナイ…。
「ニンフ!! きさま…っ!」
まさにこの瞬間を待ちのぞみ、何度も突き落とされた闇の深淵でひたすら力を温存してきていたのだろう。ニンフからの思いもよらなかった反抗に驚愕している隙をついて、トライブの一撃が決まった。
その瞬間、支配を解かれたイナゴが散っていく。
「……おのれ…!」
「テメェの言葉は何ひとつ俺に響かねぇよ」
斬り裂かれた脇腹を押さえて後ずさるアバドンを、トライブは先ほどの彼女に勝るとも劣らない冷厳な目で見据える。
「テメェ、何かにつけ言ってたよな。他国の者が口出すんじゃねぇ、俺たちはよそ者だって。けど、どうやらテメェだってカナン人ってわけじゃねぇみてーじゃねぇか。
それに、ここがシャンバラでもカナンでも、俺たちの守るべきモンは何ひとつ変わりゃしねぇ。それを壊そうとするテメェは間違いなく、俺たちが全力でぶっつぶす存在なんだよ」
刃についたアバドンの血を振り飛ばし、ブレード・オブ・リコを用いて轟雷閃を導く。
「俺たちがカナンで背負ったいろいろな魂の重さ、しかとその身で味わいやがれ、アバドン!!」
床を裂きながらアバドンに迫る白光。
「うおおおおおおおおーーーーーーっ!!」
トライブに呼応して、全員が己の最大攻撃魔法をアバドンにぶつける。
「――ちィッ…!」
アバドンは今の自分に導ききれる最大攻撃魔法、我は誘う炎雷の都で相殺を狙ったが、近距離からの、そして数十人におよぶ者たちからの混合魔法は、深手を負った彼女に到底防ぎきれるものではなかった。
「とどめ!」
綿人形のように吹き飛ばされ、鮮血を撒き散らしながら頭から壁に激突した彼女に、美羽がバーストダッシュで飛び出した。そしてその勢いを光の刃に乗せ、全力で乱撃ソニックブレードを叩き込もうとしたのだが。
横から現れた三道 六黒(みどう・むくろ)の剣がそれをはばみ、彼女をはじき飛ばした。
「ああっ…!!」
「美羽さんっ」
瓦礫片だらけとなった床に叩きつけられ、転がった彼女をベアトリーチェがあやうく水路への転落から救う。
「……おまえ、だれをかばってるのか分かってんのか? その女は――」
「うるさい!」
六黒は雷撃のごとき怒声で一喝し、トライブの言葉をふさいだ。
だれを、だとか、そういう次元はとうに超えていた。彼はここへ来る前から激怒していたのだ。
先日での坂上教会での敗北――なぜあのままに捨て置いてくれなかったのか。
敗者はそのままのたれ死ぬのがふさわしいのだ。全力で戦い、相応の納得をし、倒された。完全に満足した死に方ではなく、志半ばではあったが、それでも、納得はできたのだ。なのになぜおめおめと生きながらえ、その後の恥辱を味合わねばならなかったのか。
今の彼に見えるのは、アバドンではない。カナンでもない。彼にこの生き地獄を科したシャンバラ人である彼らのみ。あの場にいた彼らを全員地獄へ叩き込むまで、彼の恥辱が薄れることはない。
「いつまでそこで固まっている気だ。そうやって吼えている暇あらば、さっさと来い。シャンバラの犬どもめ」
暗黒の闘気とも言うべき憤怒が彼を包んでいた。
それは濃くたぎり、目に見え、触れられるような錯覚すら彼らに与える。
「……く…っ…!」
雄軒やドゥムカはいずれかの時点で姿を消し、相手は六黒1人。だが、彼らはすでにアバドンたちとの戦いで例外なく満身創痍の状態だった。つい今しがた持てる限りの最大攻撃を行ったばかりで、もうSPも体力も底を尽きかけている。その場にへたり込んでいる者、立っているのがやっとという者も少なくない。
「来ないのであれば、わしの方から行かせてもらうぞ」
龍骨の剣を手に、六黒が虎のごとき歩みで彼らに迫ってくる。
こうなってはもう戦わざるを得ない。
「くっそおおおぉぉぉーーっっ」
フロアの中央で、彼らは激突した。
黒檀の砂時計、勇士の薬、彗星のアンクレットで速度を上げ、鬼神力を発動させた上での絶零斬で縦横無尽に切り刻もうとする六黒。その後ろで、石化解除されていた九段 沙酉(くだん・さとり)がアバドンに肩を貸しつつこっそりとトンネルから脱出を促した。
「これ」
沙酉はトンネルを抜けた先、源泉のほとりで物質化によりペガサスを出す。
「つかって。にげて」
よろよろと、アバドンはペガサスの背に手をかけた。
だがもう彼女には、這い上がる力すら残っていなかった。
「……ぐ……がはッ…!!」
身を折り、草地に膝をついて大量の血を吐く。まるで内臓全てが液化して流れ出てしまったかのような赤黒い血が、えづくたびに彼女の口から吹き出した。
がくがく震え続ける手足。顔も、体も、どこもかしこもがしびれて、感覚がない。まるで血とともに体内の火を全て出してしまったかのようだ。体が芯まで冷たく、どこまでも落ちていくような感覚――めまいがする。
「くそ……この体ではもう駄目か…」
ごろりと地に転がる。
頬に触れる草や地面すらも、感じ取ることはできなかった。
「よくも俺をここまで追い詰めてくれたものだな、人間どもめ…。だがこれで勝ったと思うな……心しろ。俺は先兵にすぎぬ。これからこのカナンの地を、かつてないほどの真の災厄が覆うのだからな!!」
苦痛に身を折り、血を吐き散らしながらも、アバドンは哄笑し続けた。
* * *
「朔様、見てください! 光が…!」
戦いには加わらず、石版の汚れを落として少しでもきれいにしようとしていた朔とスカサハの前、イナンナの姿が強く光り始める。
「イナンナ様、お体が…!」
水路西口の木戸の前にいたイナンナもまた、輝く清浄な光に包まれていた。
「ああ…」
万感の思いで上を仰ぐイナンナ。
涙のにじんだ目で邦彦たちを見て、ほほ笑んだ。
「ありがとう…」
「リリ!? あれを見ろ!」
「見ているのだ…」
空を覆わんばかりにいたイナゴが、さながら黒い雨のごとく、バタバタと地に落ちていった。
まるで電池の切れたオモチャのように、ピクリとも動かない。
セフィロトを覆っていたイナゴは、全て死に絶えていた…。